小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

大晦日の女神湖

2011年12月31日 | 自然・植物・昆虫
大晦日の女神湖=
今年は、6月からブログを慣らし運転で始めたところ、予想もしなかった数の人達が、立ち寄ってくれて、驚きました。有り難う御座います。勝手気儘に、社会戯評や書評、音楽・美術・英文俳句・スポーツや、DIY果ては、男の料理、日々の自然に囲まれたスローライフまで、広範に、書き散らしました。来年も、引き続き、続けたいと思います。大晦日は、家族揃って、年越しですが、その前に、余り行ったことがなかった冬の女神湖に、スタッドレス・タイヤにはきかえたので、ドライブしてきました。夏の避暑や、花火大会とは、全く趣を異にし、氷が一面に張っていて、除雪車が、天然リンクでも作るのでしょうか(?)湖面の真ん中に、どっかりと、居座って作業をしていました。動物の脚跡でしょうか(?)湖面を横断するような形で、点々と、脚跡が、向こう岸に、向かって、雪の湖面に、残っていました。夏の女神湖とは、全く、趣を異にしていて、これも又、一興でした。湖面の枯れ木も、今日は、凍っていて、歩いて行けます。かなり、厚い氷のようです。



佐久の鯉を圧力鍋で煮付ける

2011年12月30日 | 男の手料理・食
佐久の鯉は、信州では、冬の貴重なタンパク源として、昔から、珍重されている。鯉の洗いでも、味噌汁でも、煮付けでも、大変、美味しいのであるが、一つだけ、問題がある。それは、複雑に変形した小骨である。このミッションを解決すべく、今回、圧力鍋を使って、調理することにした。これで、骨まで、問題なく食べられそうである。鯛の煮付けも、問題ない。(これは、実証済みである)恐る恐る、15分煮付けて、圧力鍋が、シューシュー言い始め、そして、終了するまで、一寸、待って、念の為に、大きな骨を食べてみる。成る程、これは、柔らかく、2回もやれば、十分である。これをしっかり、鍋の中で、翌朝まで、寝かせて、更に、念には念を入れて、食べる前に、再度、煮付ければ、問題ないであろう。味は、結構、滲みるものである。三温糖がなかったので、砂糖とみりん・酒で、味付けしたが、水飴があれば、更に、照りが出るだろう。今回は、小骨の軟骨化が、メイン・ミッションだから、これで、由としよう。これからは、強い味方が出来たのであるから、煮魚のバラエティーが、一挙に、増えることになる。カレイ・鰯・鯛・秋刀魚なども、丸ごと、カルシウムを戴けることになる。これは、便利である。






KIWIフルーツに思う

2011年12月29日 | 社会戯評
KIWIフルーツに思う=
いつも行っている温泉施設の産直コーナーにKIWIフルーツが、小さな粒ではあるが、売られていたので、冬場のビタミンCを摂取すべく、買うことにした。昔、NZのクライアントが、KIWI Wayという言葉について、説明をしてくれたことを思い起こす。何でも、NZの人間は、KIWIフルーツのように、何も手間を掛けなくても、美味しいフルーツが出来てしまうので、こういうeasy-goingな生き方を指して、KIWI Wayと呼ぶのだそうである。何とも幸せな人達のぜいたくな生き方である。その時は、変に感心してしまったが、そんなに世の中甘くは無いよねぇと内心、思ったことを覚えている。もっとも、そううまく行けば、それに越したことはないが、、、、、(今にして思えば、、、)。亡くなった義理の父が、庭の一角に、KIWIの棚を作って、いつも、冬場になると、嫌という程、分けてくれていたことを想い出す。リンゴと一緒に、追熟させると、更に、甘みが増して、美味しかった。今日購入した物は、半分にカットして、スプーンで、食したところ、実に、ジューシーで、口の中に、ジュワーと甘酸っぱい香りが、満ちあふれた。義理の父や生産者の人は、決して、KIWI Wayで、作った物ではないことは容易に分かる。そんな気がしてならない。ついでに、好物の干し柿の小さなパックにも、手を出してしまった。運動後の一風呂と温泉湯上がりの牛乳も、たまらないが、帰りの一寸した産直の買い物は、好奇心をくすぐって仕方ない。



エコ鯛飯を作ってみる

2011年12月28日 | 男の手料理・食
昔、東京の赤坂にある京料理屋は、予約を受けて、土鍋で、炊いた鯛飯を売り物にしていた。その時、店主に、教えてもらった料理法は、土鍋に、鯛を丸ごと1匹入れて、昆布でだしをとり、酒とともに、一緒に、炊くのだそうである。もっとも、1匹を常時、買うわけにはいかないから、我が女房殿のお勧めでは、鯛の刺身が、販売されるときに出る残りのお頭や、骨(むろん、肉も付いている)を、加熱用として、購入すると、大変安上がりで、エコであると、、、、。米をとぎ、浸漬する時に、安上がりに、昆布だしを一寸、一手間、料理酒とともに、たらして、一緒に、炊き込むことにした。十分蒸らし終えると同時に、鯛のお頭他、貴重な肉の部分を、お箸で、ほぐして取り出し、これをご飯の中に、戻し、かき混ぜるだけである。むろん、小骨や、多少の鱗が、混じってしまうのは、仕方ない。何せ、安上がり、且つ、エコであるから、、、、。お頭の目玉は、コラーゲンたっぷりで、美味である。腹身のところは、脂ぎっていて、大変、美味しい。残りの身のついた骨は、別途、初めから、白ネギや大根と一緒に、おすまし汁にし、翌日の昼食には、うどんと生卵を入れて、食するのも最適である。鯛の骨で、美味しいだしが出て、無駄なところが全くない。何とも100円程度の原材料で、これだけの料亭並(?)の料理が出来るとは、驚きである。活力鍋を別途使用して、煮魚風にすると、お頭も、骨も、全て、食べられてしまうのには、これ又、驚きである。カルシウムたっぷりである。昔、子供の頃よく食べた鮭の中骨缶詰のようである。エコ鯛飯は、残れば、おにぎりで、冷凍保存するのが、我が家の習わしである。レンジで、温めて、海苔を巻いて、昼食にもってこいである。これで、2-3日は、持つとは、、、、、、。




リースをDIYする

2011年12月27日 | DIY
別に、クリスマスという訳ではない。新聞に、たまたま、作り方の記事が目にとまったので、書棚の上に、淋しそうに、作業途中で、中途半端に、うちやられているリースが、目に入った。それは、随分昔になるが、松ぼっくりだけを使って、茶色いリースを作ったが、途中で、頓挫して、いつしか、グルー・ガンで付けたところから、ポロポロと、まるで、櫛の歯が、欠けるように、とれてしまい、そのまま、書棚の上に、放置されてしまっていた。たまたま、もみの樹の枝を払った際に、出てきた枝が、そのまま、枯れずに、青々としていたので、これを、再利用しようと思い立ち、順序が、全く、逆になったが、とげとげしい葉を、枝から、少しづつ、切り分け、結構、手袋をしていても、指に刺さり、痛いものであるが、何とか、ベースの隙間に、押し込んで、形を整えてみた。別にクリスマス・リースではないので、赤いリボンを巻く必要もないし、華々しいベルなどの飾りも、要らないであろう。もっとも、使い残した飾りのドライ・フラワー材料があるので、これを少し、活用してみることにした。玄関脇の枯れてしまった白樺の枝に、飾ってみた。




友人の祥月命日に悼む

2011年12月26日 | 自然・植物・昆虫
友人の祥月命日に悼む=
友人が、12月26日に早世してから、早40年が、経過したことになる。彼が逝ってから、お祖母様が亡くなられ、まもなく、お父様が亡くなられ、そして、その後、お母様が亡くなられ、お兄様だけが、残ってしまわれた。自分は、後3年もすれば、彼が亡くなった歳の3倍生きることにもなる。同じ時間を2回も余分に、生き永らえてしまったことになる。両親より先に逝くことは、彼にとって、どうでも良かったことなのだろうか?自分が、親の立場になり、又、友人の娘さんが、亡くなられたことを知ったときに、あの時、ご両親は、どう感じられたのだろかと、思った。もっとも、逝く本人は、そんなこと、構ってられないよと、言うかも知れない。今から思えば、40年は、あっという間の出来事であった。先に逝くもの、残されるもの、そして又、そのものも、又、いずれ逝く訳であるが、、、、。1年、365日のうち、何日かは、死を悼み、こうして生き永らえているものの人生の意味を、改めて、再考することも、必要であろう。どのような死に方にせよ、死を改めて、問い、悼み、自分の人生を見直す鏡にする日が、何日かは、あっても良いと思う。12月26日は、自分にとって、そういう意味の一日のひとつでもある。駅で、自分を見送る姿を、何故か、後ろ髪を引かれるように、振り向いて見たが、その姿が、今でも、目に焼き付いている。死に顔は、笑みを浮かべているようにも見えて、満足げな様子だったのが、唯一の救いだった。


今朝は、うっすら雪化粧!

2011年12月25日 | 動物・ペット
今朝、起きて窓の外を覗くと、うっすらと、雪化粧だった。昨晩、床につくときには、降っていなかったが、、、、、。せいぜい1cmくらいの積雪であるが、なかなか、早朝の散歩は、趣がある。まるで、白いキャンバスの上に、筆で、絵を描くようである。新聞配達の車だろうか、轍が、一条、すっとついている。鳥の脚跡だろうか、点々と、雪の上についている。随分、昔のことになるが、散歩の途中で、側溝に、うずくまった野ウサギの赤ん坊を、保護したことがある。近くの永住している動物好きの家に、お願いしたら、大きくなってから、野外に、放してあげたそうであるが、あのウサギは、どうしているだろうか?松ぼっくりや、落葉樹の枝が、道端に、一寸、雪の中から、顔を覗かせている。大きな松の樹があるところは、道には、うっすらとしか、雪が積もっていない。枝の上から、粉雪が、朝日を浴びながら、キラキラ、ハラハラと、舞い降りてくる。我が老犬は、落ち葉に、鼻先を突っ込んで、顔一面を真っ白にしながら、興奮気味に、歩いて行く。朝日を背にして、自分の姿と、老犬の陰が、長く、伸びている。脚が、何故か、伸びたような気がする。ヤマガラが、キーキーと、シジュウカラの群れが、ジュジュジュと、合図しながら、梢を渡り歩いて行く。豪雪地帯の人には、申し訳ないが、うっすら程度の雪は、趣があって、歓迎である。


ブッシュ・ド・ノエル(まがい)を作る

2011年12月24日 | 男の手料理・食
ブッシュ(ビュッシュ)とは、フランス語で、丸太・樹を意味するらしい、又、ノエルとは、クリスマスだそうである。紛いとは、似て非なる物であるが、男の料理だから、そこは、大目にみて、飽くまでも、自己満足で、、、、(毎度だが、、、、)、黒柳徹子が、TVの中で、森永のマリーというビスケットで、簡単に、チョコレート・生クリームで、作れるこのケーキを推奨していたので、女房殿に、作ってもらったところ、なかなか、簡単そうで、しかも、美味しかったので、自分で、挑戦してみることにした。今では、ハンド・ミキサーという強い味方を持ったので、生クリームを作るのは、いとも簡単になった。もっとも、チョコが、無かったので、ココアを代用にする予定だったが、うっかり、入れ忘れて、生クリームを作ってしまった。これでは、白樺の樹だ!ビスケットをミルクに潜らせるのは、そんなに、長いことする必要は無い。やり過ぎると、ぐにゃりと、曲がり、くっついてしまうし、型崩れも起こす。立てながら、12枚を間ごとに、クリームを詰めて、更に全体をカバーして、ラップに包んで、冷蔵庫に、寝かせて、斜めに切ると、綺麗な模様が出ることになる。若いお父さんでも、子供と一緒に、やってみれば、おおいに、受けることは、受けあいである。それ程、テクニックを要する物ではないが、味は、大変、よろしい。もっとも、クリームが、ビスケットの閒に、まだらになってしまい、何とも、美しくない。まるで、カツサンドのようになってしまったのは、残念である。

材料:長さ約15cm程度
生クリーム(動物性)1パック(200ml)程度、
チョコレートソース(好みで調整)
森永マリー・ビスケット 12枚(半箱分)
牛乳(ビスケットを浸す程度)(表面が湿る程度)

作り方:
1. 生クリームを泡立てる
※サイズの違うボウルを用意し、小さい方に生クリーム、大きい方に氷水を入れ、大きい方の中に小さいボウルを入れる。温かいと早く泡立ちすぎて、脂肪分が分離しやすくなるため。 (砂糖も好みで入れる)
2. 9分立てくらいになったらチョコレートソースを入れ、味を調整しつつかき混ぜる (入れ忘れてしまった)
3. ビスケットを牛乳に浸す
※使用するビスケットにより異なるが、基本的には表面が湿る程度でOK。
4. 湿ったビスケットに2のクリームを塗り、ビスケット→クリーム→ビスケットの順番に並べていく
5. ある程度並べたら上、横、端のビスケットが見えているところにクリームを塗っていき、ビスケットが見えないようにする (結果、隙間ができてしまったので、要注意)(まずは、2-3枚を立てるとやりやすい)
6. ラップをかけ一晩冷蔵庫に (急ぐときには、3時間以上でも、結構、問題ない。)
7. 飾り付けをして出来上がり
※斜めに切ると、ビスケットとクリームの重なりが綺麗に見えます。






区画表示番を、DIYする

2011年12月23日 | DIY
久しぶりに、新宿の東急ハンズに、出掛けて、材料を物色してみた。オリジナルの表札を作るコーナーに、タイル形式や、木製のアルファベットをくりぬいたものが、売られていた。一寸、値段は、倍するが、樹や草や、犬の形をしたアクセントも、売られていたので、遊びで、見本を見ながら、ついでに、購入してみた。表札は、前回、彫刻刀で、削って作ったが、結構、止めや、ハネが難しく、想像以上に、時間が掛かってしまった。従って、今回は、やや、手抜きの感が否めない。ベランダのエクスパンションを作ったときの残りの切れ端が、丁度、50cm程、あったので、これをベースに、することにした。表示番に、ニスを塗り、文字を一文字づつ、貼り付けて、まずは、乾くのを待ち、のこぎりとノミで、枠をくり貫き、サンド・ペーパーで、表面をならして、ノミで、松ぼっくりをつける箇所を堀り、装飾に、付けてみた。松ぼっくりは、いくらでも、在庫がある。これで、まずは、一丁上がり、完成である。


オールディーズの曲を聴く

2011年12月22日 | 社会戯評
オールディーズの曲を聴く=
いつ頃、どうして、購入したのか、記憶が定かでないが、オールディーズ50’s-60’sのアメリカン・ポップスのCD集が出てきたので、聞いてみることにした。せいぜい、小学生の高学年か、中学生の頃で、未だ、よく英語も分からずに、訳も分からずに、ラジオやテレビから、流れてくるメロディーだけが、どういう訳か、頭の中に、残っている。当時は、アメリカン・ポップスと言うよりも、それらを、日本語風に、翻訳・意訳して、全く新しい和製ポップスとして、アメリカだけでなく、ザ・ピーナッツ(情熱の花)や、森山加代子(メロンの気持ち)等が、当時歌われたイタリアや、フランスのポップスも、和製ポップスに、うまく、昇華させてしまったようだ。今、改めて、原曲の歌詞を見ながら、聞き直すと、どういう訳か、日本語の歌詞が、すらすらと、知らず知らずのうちに、出てきてしまう。成る程、曲名や、歌詞をうまく翻訳、作り替えてしまったわけである。最近では、とんと、フランスやイタリアの曲が、聞かれないのは、一寸、淋しい、残念な気がする。最近、シルヴィー・バルタンが、来日公演したそうであるが、レナウンのパンストの宣伝のイェイェイ・ガールの歌や、「アイドルをさがせ」等は、今聞いても、懐かしい。あの頃の歌は、海外の曲でも、「人間の呼吸」にマッチしているようなメロディーと美しい歌詞が、ゆったりとして、又、リズムも、当時としては、目新しい感じが、否めない。それに較べて、とは言いたくないが、最近の歌は、歌詞がはっきりとせず、しかも、リズム感も、「人間の呼吸、息継ぎ」に、合っていないような気がしてならない。年寄りの要らぬお節介だろうか?ツゥイスト、マッシュポテト、ロコモーション等の踊りも、そう言えば流行った時代があった。長くなるので、題名は略すが、歌手名だけでも、懐かしい顔ぶれである。
ニール・セダカ、ポール・アンカ、パット・ブーン、クリフ・リチャード、ブレンダ・リー、レイ・チャールズ、ブラザーズ・フォー、リック・ネルソン、ポールとポーラ、コニー・フランシス、デル・シャノン、ボビー・ヴィントン、プラターズ、ナット・キング・コール、ヘレン・シャピロ、デル・シャノン、カスケイズ、等、それにしても、パット・ブーンの声は、何とも、甘く、親切な分かりやすい英語の歌詞である。「砂に書いたラブレター」、「4月の恋」、「アイル・ビー・ホーム」等は、まさに、逸品である。坂本九や、昔の三人娘、和製ポップス華やかなりし頃の歌手の顔が、ダブって想い出されるのは、何とも不思議である。



タイガーマスクが、信州プロレスにやってきた!

2011年12月21日 | 社会戯評
と言っても、本物のプロレスラーのタイガーマスクではない、何と、タイガーマスク現象を呈したあの恵まれない施設に、援助を申し出るひとのことである。それが、信州プロレスの活動に、共感して、信州プロレスに、匿名で、手紙と、金3万円也を、届けてきたそうである。フィナンシャル・サポーターでは無くて、精神的なサポーターを自認する私としては、信州プロレスのこうした活動にタイガーマスクが共感してくれたことは、大いに、嬉しく思います。「無理せず、怪我せず、打ち合わせ通りに、雨天打ち合わせ」という何ともプロらしからぬプロ根性とその逆手にとったコンセプトの素晴らしさをベースに、栄村の支援とか、恵まれない子供達の施設への慰問とか、信州での地域に根ざしたメセナ活動への評価が、タイガーマスクの目に止まったことだけでも、大いに評価されて良いのではないでしょうか。改めて、HPの内容を読み直すと、その大人のギャグさの素晴らしさとコンセプトのユニークさに、感激する。今度、又、是非、見に行くことにしよう。カンパとともに、、、、、。皆さんも、馬鹿馬鹿しいと言わずに、一見するだけの価値はあると思います。

信州プロレスHP:
http://swfnagano.com/

グレート無茶のブログ:
http://ameblo.jp/swf-mucha/

English Haiku パートⅡ 温泉

2011年12月20日 | 俳句・漢詩
露天風呂に入っていると、何とも、色々な経験をするものである。前回では、紅葉したモミジの葉が、一枚、どこからか、舞い降りてきて、湯面に、漂っていた情景、そして、今回は、太陽の光で、露天風呂の底の石が、その光線の乱反射している様が、何とも、金色に輝いて綺麗である様を、発句してみた。もう一つは、ガラス越しに、小さな石庭の石が、雪に覆われて、寒そうに、佇立している様を、歌ってみたが、、、、、、、。

(私のオリジナルの句:)
Winter sunshine
Reflecting in gold
Bottom of Bath

(David McMurray先生による校正後):
Winter sun
reflects gold
on the bottom of the bath
(私のオリジナルの句:)
Miniature Garden
Stone with snow
Standing cold

(先生による校正後):
Zen garden
miniature stone
stands in snow
成る程、英語俳句は、まだまだ、奧が深いようである!……..to be continued………..

http://www.asahi.com/english/haiku/


こもなみ倶楽部、有機堆肥の鋤込み作業

2011年12月19日 | 自然・植物・昆虫
こもなみ倶楽部、有機堆肥の鋤込み作業=
農作物作りは、基本的に、土作りと肥料作りだと謂われているが、それを肌で感じる。ブルー・シートで覆われていた有機堆肥を、畑に、鋤込む作業を、鍬や、鋤で、行ってみた。米の収穫後のわらに、乗馬クラブの馬糞や、落ち葉で、有機堆肥を発酵させたところ、今年は、大量のミミズが、発生し、しかも、大きなカブト虫の幼虫が、大量に、掘り返すと現れ出てきた。色々な配合にもよるものと思われるが、ミミズが、今後、一層、良い仕事をしてくれるかも知れない。それにしても、冬場の土は、10cm位下は、霜柱ならぬ白いものが、明らかに、凍結しているようである。これでは、シベリヤの永久凍土で、過酷な捕虜収容所の中で、労働を強いられた人達の何百万分かの一でも、体で実感するというものである。歩行弱者の私にとっては、つなぎと長靴だけでも、畑の中を歩くのも、しんどいのであるが、これに、鍬や、鋤が加わると、ほとんど、腰が悲鳴を上げてしまう。それにしても、雑草という物は、大した生命力である。草払い機をもってしても、時間が掛かろうというものである。もっとも、機械は、冬場の寒さで、なかなか、発動機が起動せず、我々、素人は、全く、困ったものである。良く、過去3年間も、我慢して、耕作放棄地を、ここまで、やったものである。有機肥料鋤込み作業中に、急遽、昨日のそば七工房の冷蔵庫が、水漏れして、そばの原料が、水濡れするのを防ぐために、そばの原料の袋詰め替えと移動作業の手伝いが入り、全員、支援作業に廻った。昨日だったら、と想像すると、ゾッとする。これも又、予定に無い一興である。それにしても、協同体のお互い手伝いは、今でも、生きているのを実感する。20余人ばかりで、手伝いも完了した。廃園となった梅園や、山林の活用や、来年の田植えなど、これからも、色々とやらなければならないことが、目白押しのようである。次は、冬場の小麦の麦踏みか?色々と、これも又、勉強になった一日だった。




こもなみ倶楽部のピザ・うどん作り体験

2011年12月18日 | 自然・植物・昆虫
こもなみ倶楽部による小諸のそば七工房での体験イベント参加である。世間では、既製品を購買することで、子供は、今や、生のバジルの香りや、小麦粉の臭いや、香りを、知らずに、食べている。食育の観点からも、こうした、手作りの体験というのは、ものの善し悪しと謂うよりも、もっと、根源的な食に対する、或いは、作物に対する考え方を、更には、物作りに対する思い入れを、考え直すきっかけになる。それは、子供ばかりではなくて、ものの豊富な中で、育った大人にも言えるであろう。生地の捏ね方、作り方から、或いは、トッピングや、薬味の知識など、ミカンの皮を薬味に使うとは、驚きであるが、、、様々な知識を改めて、勉強できるのは、ファミレスで、単に、食べるだけでえられない物が、そこにはあるようである。子供達にも、是非、こういう体験をさせてみたいものである。ピザ窯の火のつけ方、薪のくべ方、左側の炎のなめかた、温度の維持など、ただ単に、食べるだけでの美味しいとか、不味いとかといった次元の問題を遙かに超えている。食育の問題は、ただ、作物を育てるだけで無く、これらを製品にまで、加工する工程、料理も含めて、学習できる場があれば、安心・安全を、お題目のように、ただ賞味期限だけを唱えるような神話は、要らないかも知れない。



近頃の若者は、、、、、

2011年12月17日 | 社会戯評
、、、、と、私たちも、若い頃には、よく、言われたものである。戦争も知らずに、、、、、髪を伸ばして、、、、ヒッピーだ、ドロップ・アウトだ、と勝手気儘に、好き勝手して、、、、、今の若者は、、、、と、謂われたものであるが、その謂われていた側が、今や、謂う立場に、なろうとは、、、、、、。後期高齢者ならぬ、前期高齢者か、或いは、後期熟年が、同じく、前期20代や、前期30代や、後期30代を、指して、近頃の若者は、、、、と論じ始める。いつの時代も変わらぬ不毛な若者論や、世代論で、結局、その属するところの世代や、それが、ひいては、明治生まれの人達は、とか、大正生まれの人達の人は、、、、等の十把一絡げの議論で、「個人の主体性」や、「人格の確立」に至る過程は、論じられることはない。せいぜい、ロスト・ジェネレーションとか、一つや二つの大きな社会的なエポックが、引用される程度で、終わってしまうものである。生まれた時が悪かったとか、遅れてきた青年達が、やがて、世代間格差の中に消え去ってしまうのか、若者も、年寄りも、金持ちも貧乏人も、ひとえに、絶対的に、「万人に平等」なのは、「時間」という生まれ落ちてきたときから、そのDNAに刻印された、細胞死滅へと向かうただ一つの因子だけである。幕末でも、太平洋戦争中でも、いつの時代でも、大変さは、多かれ少なかれ、大変だったであろうし、これからも、決して、変わることはないであろう。やがて、前期高齢者へ、そして、後期高齢者へと、ところてん式に、時間軸の中で、押し出されてゆく訳であるから、「近頃の年寄りは、、、、、」と、謂われないように、しっかりしなければならない。まずは、しっかりと、人生を歩くことを、、、、。もっとも、その前に、まずは、しっかりと、肉体的に、歩くことが出来ないと、、、、、(?)。