小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ふとしたきっかけで愛犬を偲ぶ:

2014年04月18日 | 動物・ペット
ふとしたきっかけで愛犬を偲ぶ:
たまたま、車を運転していたら、後ろから来た車が、右折車線にスーと赤信号で、自分の車の右隣に停車した。何気なく、その車の助手席に目をやると、何と、柴犬と思われる犬が助手席の大きく開け放されたガラス窓越しに、長い顎を乗せて、気持ちよさそうに、初春の外気を嗅いでいたのであろうか、実に、その様子が、何とも気持ちよさそうで印象的であった。我が愛犬も、決められた自分の席に、ちょこんと座っては、夏の女神湖へのドライブ時には、高原の冷気を満喫するために、エア・コンを止めて、窓を大きく、開けると、気持ちよさそうに、鼻を高く突きあげて、高原の冷気と森林浴を、家族共々、一緒に、ひととき、愉しんだものである。不思議と、東京の自宅へ戻るときには、何故か、最後の角を曲がるときには、必ず、ガバッと寝ていても、空気の違いが分かるのであろうか(?)自分から目を覚まして、モゾモゾと下車する身支度を始めたものである。モミジと松葉の落ち葉で少々盛り土されたお墓の横には、八重桜の枝に、小さな蕾が、膨らみかけている。ラミネート・フィルム加工された写真の中で、愛犬は、何とも、気持ちよさそうにカーペットの上で、うたた寝をしている。今にも、伸びをしながら、起きてきそうである。今でも、撫でたときの嬉しそうな顔と毛並みの感覚が、懐かしく、偲ばれる。いつまでも、忘れないよ、君のことを、、、、、、。よく頑張ったね!18年と4ヶ月も、家族として、一緒に過ごした日々を、、、、。ふとしたきっかけで、想いだしてしまった。

65才以上が、4人に1人にか!?:

2014年04月17日 | 社会戯評
65才以上が、4人に1人にか!?:
少子高齢化と云う言葉が、今や、現実味を帯びてきており、総人口数だけでなくて、いよいよ、生産人口までも、もう、8000万人を割り込み始めて、しかも、32年ぶりに、65才以上が、4人に1人の割合に、なってしまったそうである。かく言う自分も、今や、この4人の内の1人となってしまったが、、、、、、、、、。そう言えば、昔、「Age Wave」 という英文の著作を読んだことを想い出すが、これを読んだのは、今から、随分と昔の1990年のことで、21世紀を目前にして、老いゆくアメリカとBaby Boomerをなぞらえながら、現在の直面する現実をどのように変革して生き抜き、且つ、近未来に必ず訪れる老いに対して、我々は、その未来にどのように文化的、個々人の人生論的に、自己変革しながら、生き抜いていったらよいのかということを論じていた興味深い著作であった。しかしながら、今や、それから、20余年、まさに、近未来どころか、とうとう、その渦中に身を投じざるを得なくなってしまったのは、どうしたものであろうか?アメリカは、全世界から、兎に角、移民を合法・非合法でも、受け容れながら、人口ピラミッドを経済活力創出の為に、良い意味でも、悪い意味でも、活用しているが、日本は、本当に、女性労働とか、老人労働の活用を本気で、考えているのであろうか?ましてや、若年層のボンビー・ガールや、今や中高年年齢層にも達しようという非正規雇用労働者や、長時間労働と低賃金に喘いでいる若者(?)に、どんな労働力の流動化政策や待遇改善を提供出来うるのであろうか?今更、世界的規模での法人税値下げ競争の余波で、或いは、TPPやFPAでの相互輸入関税の値下げという貿易政策のせいで、少なくとも、税収は、将来、減る一方であろう。だからこそ、専業主婦の税額控除の撤廃とか、所得制限枠の撤廃などは、こうした税の減収に対する一定の増収策と云えなくもないが、、、、、、。いずれにせよ、一定のTPPの枠組みの中で、もはや、IT等の高度なテクニカル・スキルを有する外国人技術者のみならず、土木・建設関連の技術者も含めて、海外の労働力に、一定程度、依存しなければ日本という国は、立ちゆかなくなることくらいは、既に、20余年前からも周知の事実であったが、今や、もう、待ったなしであろう。技術移転・教育・子育て等、働きやすい環境を整えることも、大切であろうが、そんな悠長なことを長い間、議論していても、もう、始まらないであろう。老後の年金・介護・外国人労働者問題・結婚しない若者問題(若者だけではなくて、最近では、中高年にも拡がっている)・子育て支援・育休、そして、税収の減収とも相俟って、もう一度、20余年前に読んだ本を、読み直してみることにしようか?既に、もう、待ったなしであろう。


鳥インフルエンザや家畜感染症:

2014年04月16日 | 社会戯評
鳥インフルエンザや家畜感染症:
それにしても、又ぞろ、三年前の宮崎県での大被害が、脳裏をよぎる。何でも、春先の渡り鳥による韓国からか、或いは、東南アジアから飛来する野鳥由来と云われているが、防護ネットを二重にしても、野鳥の侵入が防げないものなのか?又、養鶏場への入り口に、大掛かりな消毒シャワーなどの設備を設置しても、最近の侵入を防止できなかったのであろうか?それにしても、悩ましい限りである。もっとも、H5型とわかっても、その後のN8型かどうかは、詳しい分析を待たなければ判明しないとか、、、、、、難しい初期防疫対応である。道路の封鎖とか、タイヤの消毒もきっと、今後は必要になるのであろう。鳥もさることながら、豚も、子豚を中心にして、下痢性感染症の被害がひどく、こちらは、中国から、アメリカへ波及し、これが、日本へも感染拡大したとか、原因や感染源がもはや、特定す等出来ないような状況であるらしい。更に、不幸なことに、鳥インフルエンザとは別に、こちらには、政府保証が適用されないとかで、もはや、こうなると、どのように、個人で防衛したら良いのか、全く、見えてこず、お気の毒という慰めでは済まされない問題である。食品に携わったものとしては、海老の病気と云い、牛のBSE,豚のPED,鳥インフルエンザと云い、どこか、抗生物質の行き過ぎの感が無くないような気がするが、、、、、、、。一体、どこまで、こうした病気の拡がりが進行すれば気が済むのだろうか?もう、二国間とか、多国間とか、云っていられないような一衣帯水の状況ではないだろうか?中国の深刻な被害、北朝鮮、韓国、アメリカ、等、どこをみても、自国中心の貿易体制だけでは済まないであろう。TPP等の多国間貿易体制も重要であろうが、多国間での防疫体制の構築も、国際協力も、間違いなく、不可欠であることは、言を俟たない。いずれにせよ、生き物相手という商売は、本当に、牛でも豚でも、鶏でも、養殖海老でも、養殖魚でも、全く難しいものである。いずれにせよ、ビニール・ハウスへの雪害・異常気象による天災とか、国際的な家畜の感染症であるとか、被害が大きくならないことを祈りたいものである。加えて、これに伴う風評被害も、心配である。そんなことを思っていたら、目の前を、低空飛行で、燕が、横切っていったが、この燕は、鳥インフルエンザには、罹っていないのであろうか?要らぬ心配までしまう。


三度目の花見か?:

2014年04月15日 | 自然・植物・昆虫
三度目の花見か?:
いよいよ、信州の里にも、桜前線がやってきようである。未だ、標高900m程度の里山では、やっと、草が緑色になり始めた頃で、流石に、桜は、未だ、開花しそうだとは言いがたい。今年は、もう2週間程度が必要であろうか?もっとも、里山を下りてくると、そこには、桜が、既に、盛りであったり、淡いピンクの蕾から、桃色に、色を濃くし始めてきたようである。桜の花は、何度、観賞しても、飽きることはない。これで、今年は、3度目であろうか?後、もう一回ほどは、うまくすれば、観賞できるであろうか?思えば、もうすぐ、今年も、3分の1が、過ぎ去ってしまうことになる。そうこうしているうちに、あっという間に、葉桜から、今度は、ドンドン、緑が濃くなって、新緑の季節へと、やがて、春ゼミが鳴きだし、初夏になるのであろう。ガーデニングの鉢にも、購入してきたビオラやピンク色のカーネーションや芝桜を植え込んで、ひとときの初春の輝きを愉しみたいものである。まだ、朝晩は、流石に寒くて、一寸、ストーブを焚かないといけないが、それも、間もなく、お別れを迎えることになろう。そろそろ、木々の新芽も、芽吹きのタイミングを見計らっているようである。去年のように、20日過ぎに、雪や遅霜の被害がないことを祈りたいものである。


空き家の増大:

2014年04月14日 | 社会戯評
空き家の増大:
所用で、東京へ戻ると、皆周りのご近所さんは、年寄りばかりである。そして、最近顕著に増加傾向にあるのは、空き家である。むろん、親族が遺産相続が出来ずに、結局、一軒家が、何軒かの家になるのはマシな方で、修理も改築もされずに、朽ち果てるだけでなく、最近では、何故か、新しい家も、何らかの理由で、そっくりそのまま、誰も住まなくなり、空き家のままになるケースが増えてきている。我が家のご近所でも、結局、そういうケースになってしまった。何でも、空き巣と鉢合わせになり、怖くて、家に住めず、販売しようとしても、高額な故に、転売できず、結局、そのまま、空き家になってしまっていたり、旦那さんが病死したから、家が大きすぎて、かといって、転売処分も出来ずに、そのまま、近所へ移転して、空き家になっていたり、交番の警察官が住民調査にやってきても、結局、治安や放火の可能性とか、ゴミ屋敷の心配とか、数え上げれば心配の種は、キリが無い。こうなってくると、都会だけではなくて、いずれは、地方都市にも、同じ現象が広がることは間違いないであろうし、既に、そうした兆候が、顕在化しつつあることも、又、事実であろう。それにしても、労働力の流動化策ではないが、空き家バンクのような対策は、何とかならないものなのであろうか?何とも、贅沢なミスマッチが、進行中である。車2台分の車庫のスペースは、依然として、もう2年以上は、ガラ空きである。セコムのシールが、空しく、車庫には、貼られているが、、、、、、、。自動設定の点灯装置が、いつも、夜になると作動している。しかし、人影は、一切、みられることはない。


オスの雉にばったり!:

2014年04月13日 | 自然・植物・昆虫
オスの雉にばったり!:
何とも、可笑しな駆け方である。声を聴くことはあっても、小走りに走るところを見かけたのは、初めてである。りんご果樹園畑に、最近では、鹿よけに、電気防護策が設置されたが、その道路の反対側から、我が車の目の前を、ヨッコラショとばかりに、2足歩行で、右から左に、道路を横切り、りんご果樹園の奧へとオスの雉が消えていった。剥製の雉と確かにその姿はそっくりである。車の前を横切るとき、スピードを落としたためだろうか、瞬間、急ぎ足の雉と目が合ったような気がするのは、何かの錯覚だったのであろうか?多少、相手も、慌てた様子が、見てとれたが、余り、自分の羽で、飛ぶと云うことはなかった。羽には、余り、自信がないのであろうか?低空しか、飛べない様な感じなのか?帰りには、今度は、別の場所で、草むらから、甲高い声で、ケェン、ケェーンという鳴き声を聞いた。いやはや、雉で良かった。鹿や猪、将亦、熊ではたまったモノでない。



真相は何処に?:

2014年04月12日 | 社会戯評
真相は何処に?:
それにしても、科学というものは、或いは、論文というもの、仮説の証明というものは、大変なことであることが分かる。もっとも、マスコミ各社のスタンスというものも、報道内容の、とりわけ、記者会見の席上での小保方氏のコメントの引用の仕方で、こんなに、懐疑的になるのか、或いは、やや応援しようとするのか、とりわけ、音楽分野で、チョンボをしたある放送局は、概して、懐疑的なコメントを、更には、科学者の批判的なコメントを中心に編集していたが、論文至上主義というか、論文無謬主義を前提にした議論であろうか。存在論を中心にするのであれば、次世代シークェンサー分析機でも使用して、理研に保存されていると云われている見本細胞を、何故、分析しないのであろうか?何とも、科学の門外漢には、分かりにくい議論である。第三者による客観的な証明という理屈、或いは論文の正当性という理屈は、分からないわけではない。その通りであろう。若手研究者の育成・管理という観点も、理解出来ないわけではない。それでも、今一、この問題では、何か、不可解な点が残る。改ざん、捏造という言葉は、随分と、辛辣な言葉である。そこに、どれ程の悪意があるのか、それとも、悪意ではなくても、ケアレスであっても、パワー・ポイントの写真の貼り違いなのか、それは、改ざん・捏造という範疇でしか、或いは、科学者の倫理という範疇では、そのように判断されざるを得ないものなのであろうか。論文主義と存在論という別の観点からの対立軸、そして、謂わば、若手の社員に均しいような一研究者の将来を、まるで、その管理職の庇護も応援もなく、ひたすら、魔女狩りの如く、論文至上・無謬主義という範疇で論じることで、本当に、科学の発展が、或いは、再生医療の発展を待ち望む患者に、実感されるのであろうか?更には、生き馬の目を抜くような厳しい競争の中にある生命科学分野での開発で、遅れを取るようなことは無いのであろうか?どうも、日本人は、又ぞろ、どこか、可笑しなところで、重箱の隅をつついているようなことはないのか?色々な課題が見えてくると云う。それも、科学の発展には、必要不可欠なことなのであろう。しかしながら、どうも、違和感を感じ得ないのは、何故なのであろうか?仮に、何処かに、本物のSTAP細胞が作成・保存されていて、それも、データや論文が不十分であった為に、科学的には、実証できないということになってしまったら、しかし、何年か後に、誰かが、作成に成功し、検証可能になったら、どうなるのであろうか?まるで、これは、科学会の袴田事件のようなものなのであろうか?二つの捏造と言う言葉が、検察の捏造と論文の捏造が、脳裏を駆け巡ることになる。正しくなければ、不正となり、それは、不正義であり、科学者倫理に、反することになるのであろう。そういう世界なのであるのかもしれない。もう少し、事態の推移を見なければ分からないのだろうか?真相は、既に、何処かにあるわけであろうが、、、、、、。どうも、奥歯にものが挟まったような会見で、ノウ・ハウの開示というものも、実際には、グレー・ゾーンと本物のノウ・ハウという秘密が、何処かで、重なっているのであろうか?それとも、200回も成功しているのは、単なるES細胞との取り違いだったのであろうか?こうなると、門外漢には、よく分からなくなってしまう。当分は、今後の推移を見守るしかないのであろうか?


お花見給食とは、すばらしい!:

2014年04月11日 | 社会戯評
お花見給食とは、すばらしい!:
何処の小学校かは、聞き流してしまったが、何でも、お昼の給食を、桜の咲く頃に、校庭の桜の木の下で、花見をしながら、五平餅を食べるそうである。何とも、粋な小学校が存在することに驚いてしまう。しかも、今度は、キャンドルを点して、夜桜見学という行事もあるらしい。考えてみれば、大人達だけが、酒を飲みながら、花見をする権利を有するわけではない。確かに、給食を屋外で、花見をしながら、季節を感じて、食べると云うことは、教育学上、おおいに、宜しいではないか?何なら、今度は、桜の下で、歌会ならぬ、短歌や俳句を詠むことも体験してみたら如何なものであろう?夜桜というものも、昼間の桜とは、全く異なった趣が生じるもので、そういう違いを体験することも、子供の情緒の育成にはとても、大事なことではないだろうか?私達が小学生の頃は、給食自体が、決して、恵まれていたわけではない時代だったから、こんな一寸知恵を使った粋な計らいは、望むべくもなかったことは、おおいに残念であったが、考えてみれば、バーベキューやら、餅つき・月見やら、いろいろあっても良いのかも知れない。食育の観点からも、こういう取り組が、教育の一環としても、考えられてもよろしいのではないであろうか、、、、、、、、、、、。そんな風に、このニュースを聴いて思いました。


二十歳の井上新チャンピオンに期待する:

2014年04月09日 | スポーツ
二十歳の井上新チャンピオンに期待する:
具志堅用高・井岡以来の天才肌の若いチャンピオンの誕生である。確かに、ボクシングという競技は、相手のパンチをかわしながら、有効打を打たせずに、自分が、逆に、有効打を打ち出せることが可能であれば、これ程、容易い競技はない。減量苦による太腿の裏がつるというアクシデントにも関わらず、第1ラウンドから、なかなか、非凡な才能が垣間見られたものである。それにしても、未だ、6戦目という快挙である。若ければそれで良いというモノでもないし、又、若いから、駄目であると云う必要も無い。強くなければ、世界チャンピオンにはなれないものである。又、幸運を持っていなければ、これ又、世界チャンピオンには、なれないものである。すべてを兼ね備えて、タイミング良く、自分のコンディションも良くて初めて、様々な要素が勝利に繋がることがない限り、チャンピオンにはなり得ないものであろう。ボクシングというスポーツは、努力と根性で、ハングリー精神で下から這い上がってくるような八重垣のような世界チャンピオンもいれば、井上のような天才肌のチャンピオンがいても宜しいではないか?八重垣が、自ら、防衛後に、観客に、井上選手の勝利を確信して、応援を送って下さいとアピールしたのも、宜しいではないか?いささか、最近では、亀田父子鷹のような関係性ではなく、違った形での父子鷹が、出てきても良さそうなものである。井岡と良い、井上といい、正統派ストロング・タイプのチャンピオンの誕生は、ボクシング・ファンならずとも、何か、次の試合を見るのも、又、ワクワクしてきそうな気がしてならない。今では、バラエティーで、笑いの的になっている具志堅用高も、曾ては、冠鷲の異名を取ったハード・パンチャーだったことを改めて、想い起こす必要があろう。二十歳で、横綱になったつもりで、今後も、防衛を重ねて、防衛回数の新記録を樹立してもらいたいものである。それは、ボクシング・ファンならずとも、門外漢の私ですら、期待するところである。


日豪EPA交渉大筋合意へか?:

2014年04月08日 | 社会戯評
日豪EPA交渉大筋合意へか?:
貿易交渉というのは、何とも、複雑な駆け引きで、考えてみれば、この結果、アメリカにも、影響が、とりわけ、日米間での貿易交渉、ひいてはTPP交渉にも、影響が及ぶことになろうか、とりわけ、日豪にとっては、懸案の豪州牛肉の関税が、アメリカに先立って、下げられることにより、又、日本側も、輸出の大半を占める車の輸出の関税が撤廃されることで、これ又、アメリカにも圧力が掛けられるというメリットが生じることになろうか?それにしても、牛肉と一言で云っても、色々な種類があるもので、外食用の冷凍牛肉などは、考えてみれば、国産の和牛中心に生産されるものとは、直接競合するわけではない。もっとも、現行の38%余りの関税を、何と、18年もの長きに亘って、半減やら、15年も掛けて、減少させるというものであることに改めて、驚きを禁じ得ない。むろんすぐにやってしまえば、競合国産畜産家の保護の問題が生じるであろうが、これまでも含めて、そんなに長い期間、関税が課せられていたことにも、逆に驚いてしまう、この措置は、結局、アメリカ産の牛肉と競合することになるわけである。成る程、業界地図というものも、こうなると、もう、謎解きパズルのような複雑な様相を呈してくることになろうか?着々と水面下では、TPP交渉の複雑な駆け引きが、具体化しつつあり、最終的には、日米間でのとりわけ、いつもの日本がお得意とする、オバマ来日のお土産的な妥協案の下地が、見え隠れしてきそうである。それでも未だ、牛肉の関税が、20%台であることに改めて、驚かざるを得ない。セーフガード条項での調整がまだ、残っているとは云うものの、外交と同じく、したたかな国益の攻防が、現在進行形で行われていることに、眼を注いでおかなければならないであろう。こうなると、吉野家よりも、すき家に、追い風が吹くことになるのであろうか?長期的には、マックよりもモスが有利になるのであろうか?次は、アメリカが、どう出てくるかであろう。


今年二度目の花見か?:

2014年04月07日 | 自然・植物・昆虫
今年二度目の花見か?:
西から、東へと、そして、北へと桜前線を追って、向かえば、桜が、何度も愉しめることになるが、多少逆向きに、行っても、愉しめよう。三月のお彼岸に、墓参りに行けなかったので、暖かくなってから、静岡・磐田にある天竜川沿いの父方のお墓にゆくことにした。いつも、ついでと行っては何だが、静岡の弟の所に立ち寄ることにしている。何でも、南海トラフの津波が問題で、海から、この菩提寺は、1キロしか、離れていないし、又、天竜川の土手の下にあるから、住職の話では、何でも、地価が、下がりっぱなしで、若い人達は、街を後にすることしきりだそうである。お墓の方も、檀家が、徐々に人口減もあったり、世代交代で、管理費の維持も、なかなか、大変であると住職は、嘆いていた。墓の管理も、寺の経営も、難しい時代になってきているようである。成る程、散骨やら、樹木墓地が、主流になる日も、そんな遠くない日が、来ることになるのであろうか?母方の一族も、父方の一族も、皆、もう、地元には、誰も住んでおらず、せいぜいが、私の代までが、幼少時期での祖母の実家などでの夏休みを覚えている最期の世代になるのであろう。それでも、自分の代か、せいぜいが、子度達の代までで、お墓の維持費は、支払うことが可能であろうが、永代供養などの措置で、所詮は、葬式・戒名・納骨という三点セットでに基づく、法事供養や墓地の管理料などによる収入は、間違いなく、先細りになるのであろう。途中の東名高速・富士川SAと由比PAでの富士山と桜の取り合わせは、この季節ならではの景色である。アルバムに入れておくことにしよう。姪の二歳になる女の子は、二年になれば、随分と、成長するものである。年寄りの二年と子供の二年は、随分と違うものであることを、改めて、実感することになった。又、会える日を愉しみにして、よい子に、育って下さいねと、、、、、。だるまさんの絵本を見ながら、達磨さんが、ニコッと、云いながら、屈託無く笑っていた。


一連の会食行事も一段落済みです:

2014年04月06日 | 社会戯評
一連の会食行事も一段落済みです:
恒例の行事である昨秋から、年明け、初春に掛けての様々な会食行事、小・中・高・大学校時代の幼なじみから友人学友達との食事会、そして、元務めていた会社の部の同期会など、中華料理やら、イタリアンやら、和食やらと、それぞれの健康と、近況を確認し合いながら、無事、一連の食事会が、終了しました。何はともあれ、懐かしい友人達との食事会は、なかなか、愉しくて、おおいに、宜しいではないか。今度は、又、夏とかに、個別でやったり、信州小諸の温泉に来て貰ったりして、酒を酌み交わしたりと、又、東京都は違った環境で語り合うのも、これ又、楽しみの一つであろう。それにしても、健康、とりわけ、老いについて、ある人は、乾燥肌を気にしたり、眼の具合を心配したり、年金の話を心配したり、更には、「泣ける感動話には、疑ってかかれ!」などと、政治・経済・最近の諸々の話題なども含めて、あっという間に、美味しい料理を食べながら、飲みながらしつつ、時間が経ってしまいました。同じように、時間は、万人に、平等に、老いを強いてきますが、気持だけは、昔のあの頃と変わっていないようである。恐らく、お互いに、心の底で、そう思っているのでしょうか?茶飲み話というものは、現役時代には、「この忙しいときに、何を馬鹿なことを!」などと思っていたものの、ストレス・フリーの茶飲み話ほど、肩の力が、入らない、気に置けない者同士の会話は、愉しいものではないか。寝たきり寿命に陥らないまでに、少しでも、長く、又、来年も、愉しめることを期待しつつ、互いの健康を祈りつつ、グッド・ラックと、別れました。


今年初めての花見を終了する:

2014年04月04日 | 自然・植物・昆虫
今年初めての花見を終了する:
毎年、桜の花見は、東京で4月初め頃に、そして、5月の連休明けくらいに、小諸でという段取りである。昔は、両親を介護中には、バンに、車椅子を積み込んで、車で、一緒に、近くの公園まで、花見に出掛けたものであるが、その時見た桜の樹は、相変わらず、同じ場所で、元気に、古木とは言うものの、頑張って、今年も、同じように、花を咲かせていた。もっとも、両親と同時に、いつも一緒に、花見を愉しんでいた家族同然だった愛犬が、今年は、もう、お供をしていないかと思うと、一抹の寂しさを感じないことはない。一緒に、花見をしていたものがいなくなると云うことは何とも、哀しいことである。桜の花だけが、今年も又、咲き誇っているとは、、、、、、、。我が愛犬のお墓の横には、八重桜が植わっているが、こちらは、恐らく、今年は、寒かったので、GWの連休明けになってしまうだろうか?八重桜は、八重で、花持ちが長く、綺麗だし、垂れ桜は垂れで、又、それなりに風情があって宜しいではないか?別に、花見酒をするわけではないが、桜の花を愛でる気持だけは、いつまでも、歳をとっても、持ちたいものである。いざ、花の下で、死にゆかんとまでは、ならずとも、、、、、、。そう言えば、我が愛犬は、花見の時に、よく、鼻をクンクンとさせていたことを想い出すが、果たして、春の気配を嗅いでいたのか、それとも、お弁当の良い香りや酒の香に、反応していたのだろうか、今にして思えば、どちらだったのであろうなどと、懐かしく想い起こすが、、、、、、。桜の花と共に、故人を偲ぶことが、我が家では、毎年、当たり前になってしまった。きっと、自分もいつの日にか、「お父さんも、桜の花見がすきだったわね」と、同じ場所で、同じように、又、言われることになるのであろう。春の雨に打たれて、今年の最初の花見も、これで、終わりである。


南氷洋での捕鯨禁止に思う:

2014年04月03日 | 社会戯評
南氷洋での捕鯨禁止に思う:
それにしても、日本という国は、海外への情報発信が、昔から、否、今もと言った方が良いのかも知れないが、下手くそな、そして、見通しがいつも甘い国であることがこのことからも了解されようか?もともと、国際捕鯨会議の中でも、賛同する国を束ねて、何とか、うまく乗り切れるという報道があったものの、一体全体、開けてみたら、全く逆の結果に終わってしまったものである。実に困ったことである。食文化の歴史という観点からも、誠に残念である。もう、近海での細々とした捕鯨でしか、鯨の肉は、食べられないのであろう。もっとも、そこら辺をついて、グレーゾーンの台湾船あたりが、密輸も辞さないかも知れないが、、、、、、それにしても、もはや、文化としての或いは、産業としても捕鯨というものは、これからは、成立することが、物理的にも、難しさを増すことになろうか?ペルーの来校の元々の狙いは、捕鯨船の補給基地確保もあったことを想い起こせば、誠に、笑止千万な話である。何とも淋しいことでもある。あんなに、子供の頃、鯨の大和煮を缶詰で、食べたり、鯨の竜田揚げをおいしく食べられたのに、、、、、これからの子供は、鯨の肉の感触も味わえないことになりそうである。時間を逆廻しにしても仕方の無いことであるが、何が、一体欠けていたのであろうか?情報発信の、とりわけ、海外への発信が、そもそも、初めから、ヘタだったのであろうか?アニメでも使って、捕鯨の歴史を訴えれば良かったのであろうか?歴史認識の問題にしても、捕鯨ではないが、とにかく、以心伝心的なことを云っていたのでは、駄目なことは、これをみても、明らかであろう。情報発信、自己主張、これでもか、これでもかと、主張でもしない限り、今度は、イルカが、標的にでもされてしまいかねない。それにしても、日本人というものは、何かの標的にされやすい「大人しい」民族なのであろうか?鯨の肉で、和食をもっと、早い段階で、創作すれば良かったのにと悔やまれるが、、、、(?!)。どうしたものであろうか?ロシアの保護政策で、大挙して、国境を超えて、魚を食い荒らしに来るトドの肉は、食べられるのであろうか、それとも、やはり、絶滅危惧種扱いとなるのか?全く、悩ましい問題ばかりである。何がどうして、こんな羽目になってしまったのであろうか?