小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

強制起訴の限界?:

2015年03月31日 | 社会戯評
強制起訴の限界?:
三権分立の中でも、民意を少しでも反映させようと司法制度の中で、裁判員制度を導入しても、実際、判決が覆ったり、逆に、差し戻されたり、なかなか、難しいのが、現状であろうか?「強制起訴」なるものも、組織罰と組織の最高経営責任者の責任追及との狭間には、随分と大きな隔たりがあることも、鉄道事故の事故究明と、その今後の対策予防措置とは別にしても、どうやら、これが現実なのであろうか?それとも、限界なのであろうか?子供の頃、常磐線の三河島事故での教訓から生まれたATS装置の研究と導入により、随分と大事故も減少したようにも思われるが、、、、、、、。それにしても、強制起訴と民意の反映とは、沖縄の普天間の基地の問題ではないが、何とも、納得のゆかぬようなものが共通していようか? 現行法の解釈による個人責任追及では無くて、少なくとも、組織罰のような形をとらなければ、前にも、先にも、進めないのかも知れない。まだまだ、これからも、時間が掛かるのかも知れない。それにしても、民意の反映というものは、司法の場では、なかなか、厄介な、時間の掛かる仕事であることは、間違いなさそうである。「法治国家」と言う言葉が、微妙に、ある種の限界を含んだ意味に、聞こえてしまうのは、私の耳が、どこか、おかしいのであろうか?

おにぎらずのための塩海苔:

2015年03月30日 | 男の手料理・食
おにぎらずのための塩海苔:
何でも、ご飯を握らずに、おにぎりを作れると云うではないか?その為の海苔があるらしい。要するに、握るのではなくて、海苔で包むようなものであると、、、、、、。たまたま、スーパーの売り場に、これを見つけたので、早速、試してみることにした。海苔と云っても、この海苔には、内側に、伯方の塩や沖縄の塩が付着していて、しかも、海苔自身に、鰹節味や昆布出汁がしみ込ませてあって、なかなか、ハイテクのようである。海苔は、針で小さな穴があけられていると、歯切れが良くて、これも又、技術の粋を極めている訳であるが、何気ない、こうした技術も、新しい商品の投入には、不可欠なのであるのかも知れない。単に、海苔だからだと云って、馬鹿にしてはいけない。ものつくりというものは、なかなか、奥が深いものであることが改めて、再認識される。どのような商品でも、こうして考えてみれば、新たなニーズの掘り起こしと需要の喚起が、可能であることが、この商品からも理解されよう。先日、オーストラリアの旅行者が、コンビニで、サンドイッチを買うのかと思いきや、何と、お握りが、クールであると云っていたのを想い起こす。ハイテクから、ローテクまで、様々な商品開発でも、まだまだ、色々な可能性が残っていることに、我々は、実は、まだ、気が付いていないのかも知れない。そう考えると、買うものがないなどという消費者がいうのは、実は、作る方が、怠けているのかも知れないとも思われるが、そこまで言うと酷だろうか?この商品を開発した担当者に、拍手を送りたいものである。

単なる放送事故で良いのか?:

2015年03月29日 | 社会戯評
単なる放送事故で良いのか?:
NHKの会長である籾井某と民主党の相変わらず、レベルの低い場外バトルにうんざりしていたら、今度は、報道ステーションでも、キャスターの古館とコメンテーターの古賀茂明との間で、生番組の中で、更迭というか、3月末の番組更新の中で、内ゲバが、発生してしまったが、なかなか、マスメディアと異なり、SNSのツイッターでは、興味深い内容であることが、読み取れる。古賀氏の主義主張は、別にしても、NHKのニュース9のキャスターの更迭なのか、人事異動なのかは、さておき、最近では、政府の声ばかりが大きくて、マスメディアも、本質的な議論を云々出来ずに、むろん、野党などは、所謂、論外の外的な状態で、一億総政府主導の言論統制とは云わぬが、全体の空気を読み取ろうとするかのようなソフト・ファシズム的な言論界の様相であるのは、如何なものであろうか?古賀氏のツイッターでの発言の中で、是非、読んでもらいたい内容の記事があるというので、一寸長文であるが、池上彰氏の寄稿を引用しておくことにしよう。
それにしても、「一億総茹で蛙」式な思考方式では、世の中、この先が思いやられるものである。古賀氏が引用したマハトマ・ガンジーの言葉ではないが、自分が変えられないように積極的に、世界と関わっていかなければならない。I am NOT Abe であることは、確かにそうであろうが、では、どんな次代のリーダーが、いるのかと問われると、答に、窮してしまう現実も片一方では、あるのであろうか、、、、、、、?

http://www.nipporo.com/broadcasters/bchoso/dialogue/dialogue_01_IKEGAMI.pdf

命預けます?:

2015年03月28日 | 社会戯評
命預けます?:
飛行機も運航は2人体制なのか?:
昔、JALの羽田空港沖での墜落事故で、心的衰弱を伴う統合失調症なる病気のために、意図的に、減速レバーを押すことで、多くの人命が失われたことが、未だ、記憶の片隅に残っているし、又、同じく、JALの御巣鷹山の遭難事故の原因が、ボーイング社の修理の不具合似合ったことから、当時、飛行機に乗る度に、冗談で、遺書をしたためたことを想い起こす。その時も、乗客には、飛行機の修理記録を示すべきであるなどとも、乗客同士で、議論したこともあった。しかしながら、ハイジャックや、9.11の影響なのか、コックピットへの立ち入りが、厳重になり、結局、皮肉にも、飛行中の2人体制が維持されなかったからなのかは、まだ、不明であるが、鬱病の秘匿によってなのか、とんでもない航空機の事故が生じてしまったものである。こうなると、飛行機だけでなくて、結局、バスやら、タクシーやら、列車や、公共交通期間なども、どうなってしまうのであろうか?離陸後、キャプテンが、飛行ルートや天候の機内放送をするが、それこそ、精神疾患の病歴も、検査をパスしてきたかどうかも、これからは、乗客に、自己紹介、機内放送して貰いところである。それにしても、損害賠償保険などは、どうなるのであろうか?そして、とりわけ、今後の安全対策は、どのように変更されるのであろうか?いやはや、飛行機に乗るのも、これまで、さんざん、仕事でも観光でも、利用してきたが、これからは、一寸、考え直す必要があるのかも知れない。全く、命懸けである。困ったことである。それにしても、数多くの若い人々の命と日本人の命も失われようとは、何とも、云いようがない虚しさと哀悼の念が禁じ得ない。


アポ中毒シンドローム:

2015年03月27日 | 社会戯評
アポ中毒シンドローム:
たまたま、Airbnbで、オーストラリアから、やってきた若いカップルのサポートをしていたら、なかなか、彼らの「旅行の哲学」というものに、考えさせられた。既に、12月から、アムステルダムを皮切りに、ベルギー、ドイツのベルリン、ポーランド、そして、モスクワへ、そこから、東京へ、移動して、10日間滞在してから、バスで、小諸へ、入ってきたと、そして、当地で、10日程、又、ぶらぶら、滞在しながら、次は、佐久穂、駒ヶ根へ行き、東京経由でその後、沖縄へと旅をしてゆくそうである。それにしても、彼らの生き方というものは、興味深い。明日、何をしようと決めているわけではない。時間も、予定表も白紙である。考えてみれば、我々、日本人は、とりわけ、私の40年以上のビジネスの経験では、びっしり、手帳に、明日の予定を、アポイントメントと会議のスケジュールをそれこそ、30分刻みで、びっしりと、記入していないと、何か仕事をしたという充実感が湧かず、むしろ、白紙にしていると、不安感にさいなまれるようになるのも、複雑な心理である。それに比べると、この若いカップルには、考えさせられてしまった。温泉やら、懐古園、ワイナリーなどを一緒に、車で、案内しながら、色々な食べ物や建物の歴史とか、海野宿のうだつの話とか、蚕の養蚕の話とか、東御の田舎歌舞伎やら、ぶどう畑・ワイナリーとか、随分、広範囲に亘って、話をしたものである。セブン・エレブンでも、カードで、円が容易に、カードで引き出せることも、教えて貰ったことも、興味深いことである。それにしても、これまでのようなJALパックのようなパッケージ・ツアーではなくて、こんな風な旅をする日本人も徐々に、増えてくるのかも知れないと思いました。現役のビジネスマンの方々も、たまには、ふと立ち止まって、こんな生き方もあるのかと、気が付くのも、たまには、必要かも知れませんネ。久しぶりに、若い海外の旅行者に、教えられ、考えさせられました。こういう旅も、ある種、精神衛生上、贅沢な海外旅行なのかも知れない。

海外グローバル課税:

2015年03月26日 | 社会戯評
海外グローバル課税:
レイムダックのオババ政権が、富裕税の一種として、米国企業のとりわけ、海外で利益を稼ぐ企業に対して、一定のグローバル課税を企画検討中であると云われているが、本当に、そんな実行力が可能なのであろうか?もしそうであるとすれば、トマ・ピケティーの云うとおりになるかも知れない。もっとも、上院・下院でも過半数を制して3いる金持ち優遇の共和党に、そんなことを許せるはずもないであろう事は、容易に想像もされる用が、はたして、TTPの早期妥結も期待が高まれこそすれ、未だに、妥結の見通しも、容易に立っていない。米国主導とは名ばかりで、大統領への一定の権限委譲ですら、今や、容易なことではない。こんな状況の下で、人気取り的なグローバル課税など、本当に、心底、考えているのであろうか?厳しい見方をすれば、一種のダメ元的な人気取りの政策の発表なのであろうか?これに比して、日本のそれは、全く、そんなグローバル課税のかの字すら、議論されることはないのが、実態である。理想的なある一定程度のグローバル課税が可能であれば、それに越したことはなかろうが、なかなか、現実的には、各国間での優遇税の在り方の違いから、実際、実行が容易でないことは、間違いない。だからといって、何もせずに、手をこまねいていても困ったものである。一体、どのような方向性に向かって、世界は、ゆくのであろうか?


長労働時間の背景とは?:

2015年03月25日 | 社会戯評
長労働時間の背景とは?:
裁量制労働時間の採用により、或いは、特殊な職種の残業労働時間の撤廃とかで、働き方にも、様々な変化が生まれようとしているが、本当に、日本で、長時間労働が、克服されるのであろうか?労働者間同士での競争というような構図が、固定化されてしまい、それも、正社員と非正規労働者とパート・タイマーとかという形で、現在進行形であって、決して、同一労働、同一賃金、長時間労働というものが克服されようとは、到底、思えないのが、実情のようである。実際、日本では、仕事量の調整は、結局、被雇用者の数での調整ではなくして、所詮、個々の被雇用者、労働者の働く時間の長・短で、調整されてしまっているのであろうか?もし仮に、そうであるならば、生産性の向上とか、低下とかという基準ではなくして、チーム・ワークという一種の出来るリーダーの為に、その下に個々の労働者がグループで、昔の徒弟奉公のように、依然として、給与は、流石に貰ってはいるものの、実質的に、O.J.Tでもって、仕事のやり方を教わるような仕組みが強固に出来上がっているのかも知れない。契約社員は、一定の時間になれば、仕事を終了して、帰宅できるのかも知れないが、正社員と称する労働者は、どっこい、労働のミス・マッチから、なかなか、人手不足とも相俟って、労働時間が長めになるのでありましょうか?子育て支援の為の有給休暇の消化率の向上策といい、計画的な休みの取得といい、なかなか、課題が大きいと言わざるを得ない。労働市場の適正な流動化も、おおいに、問題である。既に終身雇用制度が崩壊していると云われているにも拘わらず、一方では、そうした労働の流動化とミス・マッチを、成長戦略や新たなベンチャー・ビジネスの成長がまだまだ、生かされずに、結局は、閉鎖的な労働市場という枠組みの中で、労働組合も今や、既得権者というような役割に、終始しているのかも知れない。労働者は、自らの専門的なスキルと職業的なノウハウを獲得できるような訓練に、自己投資しない限り、いつまでたっても、喰うために働くことから、抜け出せないのであろうか?現役の人は、本当に、大変な時代に生きているのかも知れない。

ふきのとうの天ぷらを食す:

2015年03月24日 | 男の手料理・食
ふきのとうの天ぷらを食す:
嫌と云うほど、仕事では、海老天ぷらや野菜のかき揚げを海外で、生産したものであるが、女房殿の厳しい監修の下、自分でも天ぷらを作って食べるとなると、マニュアルは熟知しているものの、結構、面倒くさいものである。それでも、熱い内に、出来たての天ぷらを食するのは、実に、美味しいものである。そこで、一工夫と云っては何であるが、行きつけの温泉施設の産直売り場に、春ならではの「ふきのとう」が、並んでいたので、ついでに、「山うど」も併せて、購入して、これを天ぷらにして、旬のものを今年も食することにした。こうなると、ついでと云っては何であるが、すべての原材料を「野菜」で、統一して、新玉ねぎと人参・ゴボウのかき揚げ、レンコンの天ぷら、山うどの緑の葉の部分を、天ぷらにしてみた。実に、「ふきのとう」の苦みが、とても、大人の味で、何か、春そのものを味わっているようでおおいに宜しいではないか、まだ、残念乍ら、「タラの芽」や、「行者ニンニク」が、手に入らないけれども、「山うど」の微妙な臭みというか、香りも、天ぷらの衣に上手に、閉じ込められていて、自宅で、こんなにも美味しい、新鮮な旬のものが、食べられるとは、思いもしなかった。やはり、手間を惜しまずに、料理というものは、やるべきなのかも知れない。残りの材料は、きんぴらウドと、きんぴらゴボウにして、再び、無駄なく、食することにした。もう少し立てば、タラの芽の天ぷらも愉しみである。

Used in Japanという言葉:

2015年03月23日 | 社会戯評
Used in Japanという言葉:
以前、来日したベトナムの友人がmade in Japanの商品を100円ショップでお土産に買って帰りたいというので、そんなものはないが、まぁ、見てみるかと云うことで、捜していたら、何と、ごますり器が、made in Vietnamだったのには、お互い、顔を見合わせたことがあった。今や、made in Japanも、なかなか、捜すのにも一苦労である。もっとも、最近では、何でも、used in Japan という所謂、古着や中古車などが、海外で、その価値が再評価されているらしい。成る程、考えようによっては、中国製であっても、日本的な製品規格と検品基準で、しかも、日本で販売使用されたものであれば、結構、中古品であっても、洗濯をしてみると、実に、その品質は、依然として優れていて、しかも、日本語が入っていても、逆に、それが、デザイン性と思われるようで、海外では、商品価値が高まるようである。そういえば、昔、デニムの製品輸出に関わっていたときには、B反とか、規格外の商品の販路を常に、考えて商売していたが、今や、used in Japan として、リユース・輸出も一つの販路として、商売になろうとは、なかなか、面白いものである。どこに、商機が、あるのか、考え方を変えて、取り組めば、いくらでも、可能性があるのかもしれない。マイクロ・ファイナンスを活用して、現地の売り子を自分のディストリビューション機構の中に、うまく取り込むのも、なかなか、ユニークなビジネス・モデルではなかろうか?中古再生技術とか、車や機械の整備ノウハウというものも、ニュービジネスの可能性をおおいに秘めていることが理解されて面白いものである。これからは、自由な発想で、どんな新たなビジネス・モデルが出てくるのであろうか、おおいに楽しみである。


海外観光旅行も命懸けか?:

2015年03月22日 | 社会戯評
海外観光旅行も命懸けか?:
水と安全、いやはや、それどころか、これまで、安全・安心と思っていた海外のパッケージ・ツアーも、今や、おおいに考え直さなければならない時期にきてしまったのかも知れない。成る程、エジプト、ルクソールでの海外観光客のテロ事件もいつのことであったのかも、想い起こされない、バリの爆弾テロも想い出せない。「観光」というものの存立の前提条件とは、治安が「安全」であるということであることを改めて、思い知らされる。昔、全盛であった頃のJALパックは、ツアー・コンダクターの小さな旗に、誘われて、小さなアヒルの一団が、その後をヨチヨチとついて行くという構図そのものであったが、よくよく考えてみれば、それは、「安全」を前提に成り立っていたのかも知れない。パリの観光も、世界的に有名な各国の観光地での観光も、今や、自衛の防衛策も考えなければならない情勢になろうとは、、、、、、、。それにしても、「自衛」とは、どのようにしたら、可能なのであろうか?日常生活の中でも、特殊詐欺に遭わないように、どうしたら、自己防衛すべきとか、とにかく、観光するときくらいは、そんなことを忘れて、愉しみたいものであるが、これが、ベストの自衛策であるというものは、見つからないものでもある。クルーズによる各地の訪問形式も、駱駝に乗ってのピラミッド見学も、古代の遺跡巡りや博物館見学も、バスを降りる順番に注意して、対処しなければならないのだろうか?それとも、降りる時には、外の様子をしっかりと再確認しなければいけないのか?何とも、困った情況になったものである。逆説にみれば、日本観光というものは、安心・安全を売り物に出来ることになるのかも知れない。

中国主導のAIIBになびくのか?:

2015年03月21日 | 社会戯評
中国主導のAIIBになびくのか?:
 イギリスや印度の参加表明で、結局(Asian Infrastructure Investment Bank)アジアインフラ開発銀行構想への日本の歩み寄りが、見られるのであろうか?運用面での透明性が確保されない限り、参加を見合わせるという、一種、米国からの圧力(?)もあってなのか、これまでは、二の足を踏んでいたものの、欧州勢の英独仏などの参加表明やインドの参加表明頃から、どうやら、アジア開発銀行もIMFも、微妙に、そのスタンスを変えつつあるのであろうか?巨大政府ファンドなどの力から見て、明らかに、中国の意図は、自国主導での運営を狙っていることは、これまでの海外でのインフラ設備の構築でも明らかであろう。謂わば、重戦車で、中国による中国人労働者による中国国益に利するようなインフラ建設で、まるで、それは、通り抜けた後には、一本の草木も生えることを許さないような絨毯爆撃の後のようなものであろう。それにしても、本当に、米国の云うとおりに、果たして、対抗措置でも執れるのであろうか?韓国の場合には、米国からの明かな政治的な圧力からか、参加を留保したままであるが、果たして、日本は、どのように出るのであろうか?その昔、日本は、円の国際化を実現しようと目論んだものの、残念乍ら、国際通貨として、認知されず、このことを考えると、明らかに、人民元の国際化というドルとの興亡を掛けた一種の国際通貨戦争という側面が垣間見られる。その意味で、どこまで、米国の意図が貫徹され、或いは、されなくなるのか、非常に、興味深いところであるが、参加表明期限は、月末までで、残された時間は、それ程長くはないのが、現実であろう。

投資移民ビザに思う:

2015年03月20日 | 社会戯評
投資移民ビザに思う:
昔、香港と商売していた頃に、彼らは、香港の中国本土への返還・復帰をとても、怖れていて、競って、カナダなどに、投資して、まずは、家族の永住権や市民権を取得して、次に、最終的には、自分のビザを取得するという作戦を立てていたが、今や、香港で、まさに、中国版、投資移民ビザに対する取り締まりを強めているというのも、実に皮肉なことであろう。裸官と呼ばれる汚職まみれの官僚のマネーロンダリングによる合法的な投資移民ビザを取り締まろうとするのも、誠に、皮肉としか云いようがない。相続税も贈与税も、果ては、キャピタル・ゲイン課税もないようなところでは、確かに、溢れたマネーが集中して、それは、不動産価格も異常なまでに高騰することは、容易に想像されよう、むしろ、日本の中古不動産市場のほうが、割安に彼らの目には映るのは、自然なことであろう。この措置は、結局本土の反汚職摘発の一環であろう事は、分かろうけれども、どんなに、取り締まろうとしても、合法的に、他国経由で、正々堂々と他国のビザを取得して、トマ・ピケティー的に云えば、租税回避の渡り鳥的な結果に終わるだけなのであろうか?「一国二制度」という矛盾に満ちた制度の風穴封じなのであろうか?華僑という言葉には、言葉にはない、その血脈の中に染みついたような国への不信というものが、根強く、あるのであろうか?

通院癌治療勤務を考える:

2015年03月19日 | 健康 医療
通院癌治療勤務を考える:
同年配の友人達の中で、癌のために命を落とす者達が段々多くなってきた。実際、話に聴くところでは、癌に罹患してからと云うもの、治療と勤務の狭間に立たされてしまうのが、どうやら、実態らしい。それは、大きな組織だから、出来るとか、或いは、小さな組織だから、出来ないというものでは、必ずしもなさそうである。社会全体が、そうした経済的な損失を考えずに、他の労働力で補えば宜しいという程度にしか、考えていないという事の表れなのかも知れない。手術や治療と云っても、遊休休暇を使用しなければならず、更には、通院での治療となると、どうしても、平日の何日間かは、病院で過ごさざるを得ないというのが実態であろう。それは、必ずしも、癌という病気だけではないだろうし、何でも多かれ少なかれ、病気の治療は、そうなのかも知れない。自分などは、まだ、恵まれていた方だろう。それにしても、ワークシェアーや複数担当などによる業務の推進などは、まだまだ、不十分であるのが、実情であろう。確かに、数日入院しても、病棟から、メールをチェックしたり、昔は、WiFiでもなかったから、一々、電話回線に接続しなければならず、歯がゆさは、今日の比ではなかった。社会と会社の経営者が、何らかの形で、この問題に対する対応をしてゆかないと、いつまでたっても、一労働者が、或いは、一経営者ですら、結局は、大切な命を落としかねないし、それは、大いなる経済的な損失にもなると謂うことが認識されないのかも知れない。保険でカバーするだけでは済まされないであろう。

一寸気になるCM:

2015年03月18日 | 映画・テレビ批評
一寸気になるCM:
久しぶりの一寸気になるCMのコメントである。家庭教師のトライのCMに、恐らく、「アルプス少女ハイジ」のチャラクターが、登場する下りがあるのですが、ふと、アニメのキャラクターには、特定の人物イメージが、存在するのか、しないのかと、考えさせられてしまう。確か、以前には、映画の一シーンを勝手に(?)切り取り、その登場人物に、勝手に日本語で吹き替えてCMに使用するという手法が行われているのを見かけたが、こちらは、俳優の肖像権と云うか、固有のイメージが、損なわれないのかと心配してしまう。同様に、アニメにも、同じ事が云えなくはないのではないだろうかと考えさせられる。アルプス少女ハイジのお爺さんが、果たしてラップをするのかどうかは分からぬが、チャラクター自身のイメージへの侵害はないのであろうか?そんなことを一々気にして、CMを見る必要も無いのかも知れぬが、年寄りには、一寸気になるCMである。ゴジラのシェーにも、昔は、驚かされたが、、、、、、。まぁ、そんなに目くじら立てる必要はないか?

食品原材料での国際的な買い負け:

2015年03月17日 | 社会戯評
食品原材料での国際的な買い負け:
昔、水産関係の原材料を取り扱っていたときには、日本の買い付けの推移が相場を左右する第一義で、米国がこれに追随するという構図であったが、やがて、時を経るに連れて、徐々に、その価格決定力の構図が様変わりしてきたことを想い起こす。今では、何でも、海老や鮪だけでなくて、牛肉のショートプレートのような牛丼用や焼き肉の原材料も、東南アジア、とりわけ、中国の需要の伸びが凄まじく、国際的な相場を左右するほどに、達し始めていると謂われている。考えてみれば、これは、牛肉や鮪に限ったことではなくて、他の農産物、小麦も大豆も、或いは、これらを主たる原料とする加工品でも、同様なことが生じ始めていることは、至極当然のことなのであろう。それにしても、これまでの日本的な買い付け方法では、量的な優位が認められがたく、新たな買い付け方法や、生産基地造りも含めた対応が、急がれることになるのは、必至であろう。もっとも、それも、一朝一夕にして、出来上がるものでもないし、デフレ克服の中で、インフレ目標設定とも相俟って、価格の上昇が、不可避であることは、大変悩ましいことである。食の安心・安全だけでなく、早い・安い・うまいまでもが、考え直さなくてはならないことになるのであろうか?ライフ・スタイルも、消費マインドも、否応なく、変化せざるを得なくなってきつつあるのであろう。