小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

絵本、「虔十公園林」を読む:

2015年08月31日 | 書評・絵本
絵本、「虔十公園林」を読む:
作、宮沢賢治、絵、末吉陽子、(株) budori企画・発行による絵本である。年に、数冊は、絵本を読むことがある。それは、歯医者の待合室であったり、書店での立ち読みであったり、話題になっている絵本だったり、難しい哲学書を読んでいる間の骨休めだったり、実に、様々である。今回は、小諸の茶房、読書の森で、末吉陽子氏の原画展をやっているときに、既に、見知ってはいた絵本を求められたものである。子供向けと言うよりも、むしろ、賢治の世界観が、大人にも、独特の絵のタッチと共に、じわりじわりと、読中、読後に、心に迫ってくるものがあろう、そういった類の絵本というよりも、軽い哲学書でもあろうか?
日本人は、昨今、余りにも、時代の変遷が早くて、何でもかんでも、短いスパンでしか、物事を考えられなくなり、個人的にも、40有余年も携わってきたビジネスの世界では、もはや、4半期毎でしか、物事の結果を判断すらできない有様であるが、中国人は、昔は、30年先の単位で事をなすと言われている。もっとも、最近の中国では、そうとも言えない位、拝金主義と刹那主義とが、隆盛であろう事は、誰しもが認めることであろうが、それ程までに、30年や50年、況んや、100年単位で物事を考えるということをやであろうか?そう考えていれば、東京の明治神宮の杜も、昔は、全くの野っ原で、これを50年・100年・200年単位で、計画的に、植林をして、下草、野草、花々、広葉樹林、針葉樹林などの生態系更新を自然のサイクルの中で、おこなったことが何かのテレビのドキュメンタリーで報じられていたが、まさに、世代を超えた生きる生態系の継承なのかも知れない。主人公である「虔十」少年は、少々、知恵遅れで、おまけに、年若くして、植林した自分の杉の林が、大きな林に生長するのを見届けることなく、病死してしまう。まるで、そこには、生前から意図して、杜を育てようとする強い意思が、はかなく、敗れ去ってゆくのに対して、仏の御心は、まるで、「十力」と言う言葉に具現化されたような仏性としての主人公の人間性の優しさが、滲み出てくる結果、大きな杉林に育ってゆくことに導いていったのかも知れない。子供達、否、私達は、今日、先人を思う心、「井戸を掘った人」を忘れることなく、想い起こす必要があろう!?それは、まるで、下草を刈らなければ、樹は育たない、又、下枝を適度に払うことで、生長を促し、そして、それが、また、人々の生活へ、薪としての恵みを施し、治水にも役立ち、今日的に言えば、CO2を削減し、環境に優しく、エコ・リサイクルにも寄与するという、杉花粉病などという厄介なモノではなくて、樹木を育てると言うことは、「人間の心」をも、そして、人そのものをも、世代を超えて、育てることになるのかも知れないということが、改めて、認識されよう。その意味で、知恵遅れというこの主人公は、改めて、この絵本の中でも、又、賢治の心の中でも、同時に、重要な位置づけになっているのかもしれない。社長の有村正一が、後記で、語るように、賢治の理想とする人物像にまで、到達するのかも知れない。確かに、「雨ニモマケズ」にも、結びには、「ミンナニ、デクノボーと呼ばれ、ホメラレモセズ、クニモサレズ、ソウイウモノニ、私はなりたい」と、、、、、、、。
絵本というものは、ストーリーも、重要であることは言を俟たないが、とりわけ、言葉と共に、絵やその平面の絵に表現される空間というか、そこから、「想像される立体的な空間」こそが、そして、そのマッチングこそが、「絵」を、「絵本」たらしめる所以なのかも知れない。そして、この絵には、どうやら、絵の空の部分や、土の部分に、何と、自然な樹の木目というか、年輪のようなものが、透けて見えてくるのである。説明によれば、これは、電熱ペンで、樹の版を焦がしながら絵を描くというウッド・バーニングと呼ばれる技法であるそうで、これにより、天然の木目が絵に、深みを与えることになり、この虔十公園林そのものも、まるで、本物のように、平面の絵から、浮き立ってくるように思われる。本書は又、日本語・英語・エスペラント語の対訳版付き絵本でもあり、言語を異なる人にも、理解出来るようなコスモポリタンの対応がなされていて、これも、何か、賢治の目指す童話の世界観と配慮をさりげなく、著しているような気がしてならない。子供だけでなくして、充分、大人にも愉しめる一冊であることは間違いなかろう。小諸のこの松林も、もう何年経つのであろうか?緑の林に囲まれたベランダで、絵本を一時、読み、その絵を愉しむということは、何とはなしに、この上ない至福の時のような気がしてならない。今後とも、絵と本とを繋ぐ酔い作品を世に出版して貰いたいものである。

日本の高校生7割が、自分は、駄目と考えているのか?!:

2015年08月30日 | 社会戯評
日本の高校生7割が、自分は、駄目と考えているのか?!:
「いつまでたっても駄目な私ね!」などと、歌謡曲の歌詞や台詞ではないらしい。米・中・韓の高校生に較べて、日本の高校生7割余りが、「自分は、駄目な人間である」と、考えているらしい。一体どうなっているのであろうか?我々が、高校生の頃は、親や大人に反抗したり、反発したり、あんな人間には、なりたくないなどと、若気の至りで、ある者は、ツッパッて、長い髪の毛や、ラッパ・ズボンや、おおいに、エスタブリッシュメントに反抗的であったが、決して、自分に対しては、駄目人間であるとは思うことはなかった。むしろ、積極的に、如何にして、自分を否定する「自己否定」という、大人になるための壁の前で、呻吟としたものである。一体、今の若者は、どうなってしまったのであろうか?成る程、識者によれば、今の学校教育とは、学業に秀でるか、クラブ活動に、秀でるか、それとも、空気をよく読んで、友達付き合いを無難に、こなせるスキルがないと、「居場所がない」そうで、褒められる場所が、学校以外に、地域社会でも、家庭内でも、もはや、今日では、存在しないそうである。昔は、学業が振るわなくても、何か、趣味や、三角ゴロ・ベースに秀でていたり、その途で、達人と称された友人がいたものであるが、今や、絶滅・死滅寸前なのであろうか?家庭内でも、高学歴の両親に圧迫され、褒められることがなく、学校でも、偏差値とテストの点数で、人間性までもが判断され、或いは、地域社会の活動にも参加することなく、農作業などの肉体労働もすることなく、精神的に、消耗してしまっているのが、実態なのであろうか?自然体験もなく、地域での社会体験での経験を経ることなく、無性に、言われなき理不尽な辛い上下関係も経験することなく、いつしか、自己肯定感も失せ始めて、精神的にも、肉体的にも、萎えてしまうのであろうか?これでは、恋愛も、恋人探しも、況んや、結婚願望をやであろうか?そんなこと言うと、今や、そんな嫌みを言うようなヤボなおじさんは、嫌われてしまうのか?昔は、こういう種類のお節介なおじさんやお爺さんが、町内や、親戚にも、居たものであるが、今や、絶滅危惧種になってしまったのであろう。子供達が、駄目なのではなくて、結局は、大人が、駄目なのであるのかも知れない。どうしたら、再び、将来への希望を持て、自己肯定感と高揚感を甘受でき、 Boys, Be Ambitious , like an old gentlemanといったクラーク博士のように、自信を持って、大人が範を示さなければならないのかもしれない。反面教師としての大人の心理が、実は、投影されているのかもし得ない。考えさせられてしまう。

秋の気配:

2015年08月29日 | 自然・植物・昆虫
秋の気配:
いつも車を走らせる田んぼの途を、車窓越しに、眺めると、いつの間にか、緑色の穂の波が、少々、黄色にその表面が変わってきたような気がしてならない。又、里山の道端に生えているすすきの穂が、少しばかり、開き始めてきているではないか?もう、既に、暦を先取りして、秋の気配が漂い始めてきた。桜の葉も、一日で、今度は、緑色の葉が、橙色に、何枚かが、変色してきている。僅か、一晩の出来事なのであるが、、、、、、、。この調子だと、もう、9月と言うよりも、既に、10月くらいの気温である。流石に、半袖・半ズボンでは、もはや、寒いほどである。長袖が必要になってくる。ひょっとすると、キノコの類も徐々に、顔を出し始めてくるかも知れない。いやはや、人間の生活も、そろそろ、夏のモードから、切り替えてこないと、風邪でも引きそうである。秋雨前線のせいなのであろうか、台風が過ぎ去った途端に、今度は、冷え冷えとしてきた。何とはなしに、夜空の月の明かりも、澄み切ってきそうな雰囲気である。これで、秋の虫の声でも、大きくなってくると、いよいよ、残暑などは、もう、訪れることなく、一挙に、秋めいてしまうのであろうか?秋茜が、そろそろ、飛び始める頃か?そう言えば、ここのところ、蝉の声が少なくなってしまったような気がしないでもない。

秋の気配:

2015年08月29日 | 自然・植物・昆虫
秋の気配:
いつも車を走らせる田んぼの途を、車窓越しに、眺めると、いつの間にか、緑色の穂の波が、少々、黄色にその表面が変わってきたような気がしてならない。又、里山の道端に生えているすすきの穂が、少しばかり、開き始めてきているではないか?もう、既に、暦を先取りして、秋の気配が漂い始めてきた。桜の葉も、一日で、今度は、緑色の葉が、橙色に、何枚かが、変色してきている。僅か、一晩の出来事なのであるが、、、、、、、。この調子だと、もう、9月と言うよりも、既に、10月くらいの気温である。流石に、半袖・半ズボンでは、もはや、寒いほどである。長袖が必要になってくる。ひょっとすると、キノコの類も徐々に、顔を出し始めてくるかも知れない。いやはや、人間の生活も、そろそろ、夏のモードから、切り替えてこないと、風邪でも引きそうである。秋雨前線のせいなのであろうか、台風が過ぎ去った途端に、今度は、冷え冷えとしてきた。何とはなしに、夜空の月の明かりも、澄み切ってきそうな雰囲気である。これで、秋の虫の声でも、大きくなってくると、いよいよ、残暑などは、もう、訪れることなく、一挙に、秋めいてしまうのであろうか?秋茜が、そろそろ、飛び始める頃か?そう言えば、ここのところ、蝉の声が少なくなってしまったような気がしないでもない。

新興国を蔽う暗雲:

2015年08月28日 | 社会戯評
新興国を蔽う暗雲:
世界同時株安なる言葉が、紙面を躍っているが、欧州でのスペイン、ポルトガル、そして、ギリシャの時もそうであったし、昨今では、中国の急激な経済の減速もそうである。そして、とうとう、成長著しかったBRICSや東南アジアの諸国でも、所謂、3重苦や、4重苦と呼ばれる、株安、原油安、(資源安)、通貨安、が、主たる理由で、一挙に、局面が変わり始めた。財政や金融緩和などの出動を以ってしても、なかなか、これらの根本的な解決には、至らないことは、誰しもが知っていようが、マネーというものは、そんなことには、根本的に、一向にお構い無いものである。日本でも、危機感を募られているのであろうか?4つの鯨たちも、株価の買い支えに、必至の形相である。いやはや、こんな様相を呈し始めると、2年後の消費税の再度の値上げも、影響が出かねない勢いであろう。大体、中国の工場設備や遊休設備は、今や、ビックリする程の莫大な数字とも言われており、仮に、その試算が、本当なのであれば、金融緩和などでの景気矢株安のてこ入れなどは、可笑しな話であろう。反腐敗キャンペーンなどというあからさまな権力闘争をしているどころの話ではなかろうにとも、思われるが、そこは、大国、中国であるから、実に、面白い。それにしても、バブルの崩壊を経験している日本人には、これまでの「泡沫の宴」は、明らかに、馬鹿げた兆候であって、いつの日にか、ババを誰かが掴まされるという予想は、充分出来上がっていたはずである。それにしても、ハードランディングどころか、底なしの坂道を転がってゆくような、その先には、新たな低インフレから、デフレへと続くであろう長い低迷の坂道が、待ち受けているのかも知れない。それを一番良く熟知しているのは、日本人だけであるかも知れない。逆に、日本は、しっかりと、今こそ、脱デフレと成長への新たな道筋を世界に、示さなければならないが、なかなか、こちらとしても、難しい局面に陥りつつあるのが、現状なのであろうか?

二度目のペイント塗り、完了!:

2015年08月27日 | DIY
二度目のペイント塗り、完了!:
先日、やっと思い腰を上げて、ベランダのペイント塗りを敢行したが、よくよく考えてみれば、ペイントを塗る作業は、随分と、天候に左右されることは間違いない。例えば、夏暑い中でも、夕方に雷雨や夕立が来てしまうと、乾いたかと思ったベランダの塗装面が、うまく、乾かないし、又、適度に風が吹いて、湿度がないときのほうが、ベターでもある。又、余り風が強すぎて、塗った後で、或いは、塗っている途中で、落ち葉が、ハラハラと舞い落ちてきて、折角塗った板のうえに、松葉や落ち葉が、落ちてしまっても、そのまま、一緒に、乾いて、固まってしまうものも困ったものでもある。だから、塗る前には、天気を事前に、予想して、天気予報を調べておいて、決行日を決定しなければならない。こうなると、結構、ペイントを塗るという作業も大変なものである。プロの塗装を生業にする業者の人は、大変である。これが、屋根を塗ったり、壁を塗ったりするとなると、ベランダ如きのモノではないであろう。1時間毎の天気予報と雲の流れや陽の当たり具合を慎重にチェックしながら、無事、二度目のペイント塗りは、完了しました。これで、懸案のベランダのペイント塗り作業もひとまずは、終了したので、当分は、悩まされずに済みそうである。まぁ、素人なりには、よく出来たものであると、自画自讃である。

下流老人という響き:

2015年08月26日 | 社会戯評
下流老人という響き:
何とも、響きのよろしくない、嫌な感じの言葉である。しかしながら、最近では、徐々に、この言葉を目にしたり、聞いたりする機会が、増えてきたような気がしてならない。以前から、現役の頃、出張で出掛ける早朝に、電車内で、多くの非正規労働者を見かけたが、今や、それは、夜更かしで、酒に酔っての朝帰りではなくて、30代から、40代にかけての夜勤明けとおぼしき非正規労働者で、この人達は、間違いなく、今や、40代・50代になっているはずである。又、晩婚化のせいで、独居老人や、シングル・マザーなどの高齢化に伴い、病気や健康リスク、或いは、経済的な変動により、不幸にも、職を失ったり、自己破産に追い詰められる人が、増加しているという。何とも、社会的なセイフティー・ネットは、何処へ行ってしまったのであろうか?年金問題も、定年延長も、今や、経営者並に、「生涯現役」などと、言ってはいられないくらいに、今や、65歳や70過ぎまでも、パートで、収入を得なければ生活できなくなりつつあると云われている。住宅ローンや教育ローンを定年後にまで、抱えている場合には、どうなるのであろうか?人生設計というものは、今日、本当に、若い時から、よくよく考えておかなければならないのかも知れない。介護問題などと、他人事と思っていると、いつの間にか、テメェが介護される番に、気が付けば、いつしかなってしまう。健康余命などとうまくいったものであるが、ところてん式に、すべての人間は、待ったなしに、生まれたときから既に、押し出されてゆく過程にあるわけであるが、健康余命がある内に、何が、できるのであろうか?あるテレビ番組で、芸能人を面白、可笑しく、格付する規格があったが、気が付けば、日常生活の中で、知らぬうちに、自分自身も、格付されているのかも知れない。実に、嫌みな世界になってしまったものである。労働の悦びなどと云ったものは、何処へ、消えてしまったのであろうか?労働に見合ったリーズナブルな報酬というものも、今や、生涯現役の中で、死ぬまで働かなければならないのであろうか?何とも、この言葉の響きには、考えさせられてしまう。

相撲とSUMOU:

2015年08月25日 | スポーツ
相撲とSUMOU:
相撲ではない。もはや、SUMOUだそうである。何故なら、幕内力士の約半数弱が、今や、外国出身の力士であるからだそうである。しかも、4場所全日程、大入り満員だそうである。何とも、不可思議なことである。八百長相撲に揺れたあの頃がまるで、嘘のような盛況ぶりである。訪日外国人観光客の大相撲観戦や、相撲部屋の朝稽古を観るツアーも、なかなか、好評だそうである。もはや、大相撲も、外貨を稼ぐ観光業の中でも、築地の魚市場や歌舞伎観劇と並んで、馬鹿にしてはならない、有望なコンテンツになろうとしているのかも知れない。否、既に、立派なコンテンツなのかもかも知れない。気が付いていないのは、相撲協会の頭のお堅い理事だけかもしれない。博物館ではないが、相撲の解説も、今や、外国語の音声同時通訳のイヤホンで、丁寧に力士の出身地やプロフィールから、得意技、決め手の解説まで、懇切丁寧に、おこなうと、ひょっとして、リピーター客が、溢れることになるやもしれない。外国人観光客だけでなくて、日本人の客にも、今や必要かも知れない。それにしても、上下関係の厳しい中で、言葉も分からなければ、虐めにも遭うであろうし、不当な人種差別にも遭うだろう事くらいは、高見山だけでなく、日本人ならば、容易に想像もできようが、昔のように、裸一貫、褌一丁などと、馬鹿には、もはやできないくらい、成功すれば、富と母国での栄誉が、待ち受けているジパングの国なのかも知れない。既に、ハングリー精神とか、裸一貫などと言う言葉では表せないくらい、インテリや大学出や、一定のシステムの中で、世界的な規模で、力士志望者を送り出す仕組みと土壌が、できつつあるのかも知れない。つい先頃他界した元貴ノ浪が、海外で、相撲指導していたドキュメンタリーを見たことがあるが、こういう海外向けの指導者の養成にも、もっと、真剣に取り組まなければならないかも知れない。将来、部屋の創設なども、旭天鵬や白鵬には、期待しても良いのかも知れない。日本国籍への帰化が前提かもしれないが、そんな条件も、時代と共に、変化してきてしまうかも知れない。子供の頃の栃若全盛時代から、柏鵬時代を経て、大人になってきた世代には、これから、どんなSUMOUの世界的な展開が待っているのか、おおいに、楽しみなところである。オリンピックには、外国観光客専用のオリンピック特別場所を開催するのは、どうであろうか?きっと、満員御礼になることは間違いないであろう!こういう海外向けのコンテンツを作れないものであろうか?

ジェネリック家電:

2015年08月24日 | 社会戯評
ジェネリック家電:
ジェネリック医薬品ではないが、今や、悪かろう、安かろうという製品ではなくて、機能を一部に限定して、製品の安全性や品質の管理には、それなりの最低限度の基準をクリヤして市場性を担保するという商品が、人気を呼んでいて、大手家電白物メーカーのシェアーを徐々に、追尾・確保しつつあると云われている。同じ中国製や東南アジアの生産であっても、日本の技術者が生産管理や検品指導に直接関わって、責任を持って、OEMブランド化していると言われている。成る程、こうなると、これまでの単純な中国製や東南アジア生産の商品とは、一味違ったマーケティング販売であるかも知れない。大手のブランド・メーカーの退職技術者の受け皿としても、充分、機能できうるビジネス・モデルの内容である。しかも、お掃除ロボ等のニッチな商品開発でも、充分機能しうる余地が高いものであることは、嬉しい限りである。身近なところをみても、扇風機などは、3段階の風力調整ができるものを使用しているが、考えてみれば、ほとんど、使用するときには、そのうちの弱がメインで、ほとんど、強などは、滅多に使用することはない。ましてや、8段階の風力切替などは不要である。又、トースターも、タイマーが壊れていても、パンを焼くという機能は、全く問題ないので、100円タイマーがあれば充分で、多機能などと言うものは、当面、必要も無いのである。日本の大手メーカーというのは、技術開発を極限にまで、自己満足的に、競合他社との技術競争に勝ち抜くという究極の目標達成のうちに、何処か、世界や市場ニーズの趨勢とは異なるガラパゴス的な進化を遂げて、結局は、衰退してしまった訳である。この反省を鑑みれば、ジェネリック家電という分野は、実に、様々な可能性があり、しかも、素人でも、参入できる分野なんかも知れない。今や、これまでは、知らなかったようなブランドでも、徐々に、認知されてくることになろう。いっそ、ジェネリック家電なるコーナーを展開して貰いたいものである。

日本は本当に安全なのか?:

2015年08月23日 | 社会戯評
日本は本当に安全なのか?:
何とも、不可解なおぞましい事件である。真夜中から明け方まで、駅付近をフラフラし、ていても、大人は、誰も、この若い子供達に声すら掛けなかったのか?それとも、複雑な家庭事情や親子の関係があったのだろうか?又、逮捕された容疑者にも、過去に、監禁の犯罪歴があったと言われているが、どんな手口で、いつ、何処で、車の中に、誘い入れ、どんな動機で、むごい殺害に至ったのであろうか?今後の捜査の行方を見守りたいものである。それにしても、警察による防犯・監視カメラのデジタル解析という捜査手法は、今や、誰しもが、異論を待たないであろう。よく、海外からやってくる友人達は、「日本は、夜遅くても、女性が、一人、街を歩いていても、安心だね、」とよく言っていたが、「そんなことはない、毎日、殺人事件が起きていて、よく注意しなければ駄目だよ!」と云ったものである。それにしても、都会という所は、本当に、遅くまで、24時間、眠らない場所である。地方都市などは、昼間ですら、途を歩く人は、少なく、歩行者を車の中から、見ると、誠に、無防備であることがすぐにでも分かる。ましてや、若い女性やら、子供達は、本当に注意しなければならない。それでも、午後8時過ぎには、流石に、国道でもない限り、交通量も落ちるものである。それに反して、大都会では、午前零時を過ぎても、帰宅を急ぐ人々が、自転車や徒歩で、街中を歩いていたり、コンビニの前には、若者が、たむろしているものである。一体、あなた方は、何をしているのか?そして、明日の朝は、学校や会社には、ゆかないのかとでも、一人一人に、尋ねたいところである。もう、30数年前になるが、ニュージーランドの南島の片田舎に仕事で滞在していたときには、午後5時には、スーパーも、すべての店が、閉まってしまい、驚きを隠せなかったことが想い出されるが、流石に、それは、極端としても、朝早くから働き出し、日が暮れると同時に、終了して、自宅で、ゆっくりするという日常生活が、そこでは、至極、当たり前であった。隣りの人間が、どんな人なのかもわからずに暮らしているということは、誠に、不安なことである。川崎の中学生虐め事件も、長崎同級生殺害も、今回の中学生といっても、ほとんど、子供子供したふたりの被害者の事件も、誠に、その犯罪の闇は、深い!子供の安全を守るという課題も、大切であろうが、それにもまして、自分の身を、自分の命を常に、如何にして、守ってゆくのかということを、考えさせるような家庭や学校での教育が、不可欠なのではなかろうか?それにしても、一寸したことで、防げたかも知れないそういう紙一重が、何処にあったのかをも含めて、今後の捜査の結果が、待たれようが、それにしても、おぞましい事件である。

ライフ・バランスに考える:

2015年08月22日 | 社会戯評
ライフ・バランスに考える:
ユニクロの正社員に対して、会社側が、週休3日を実施し、週に、4日働いたら、3日休みを取れるという計画を提案したそうである。しかしながら、この正社員とは、全従業員数の五分の一に相当する数であると言うではないか!何とも、可笑しな制度である。ということは、五分の四は、パート・タイマーや非正規雇用社員なのであろうか?依然、パートタイマーを、正規社員へと引き上げるなどのニュースが大きく報じられたが、そういうことであれば、以前には、もっと、多数の社員が、それらに相当していたと言うことなのか?いずれにせよ、こうした施策も、所詮、労働力の需給バランスの歪みを著していて、こういうものは、人手不足が進行してきたり、優秀な人材が確保できかねる状況になると、飴と鞭ではないが、仕方なく、労働条件の改善を迫られると言うことに過ぎないのであろうか?何とも、情けない話である。ライフ・バランスという言葉など、若い頃には、がむしゃらに働いてきたから、そんなコンセプトを考える余裕もなかった。結局、結婚し立ての頃は、一時期、数年間、共働きで過ごしたが、二人の子供を保育園に預けて、公務員であった女房殿の方が、その頃は、お給料もペーペーの私よりも、ずっと、よかったし、待機児童などの問題も、その頃は、何の危惧もなかったモノで、その後、専業主婦に徹し、こちらは、ひたすら、馬車馬の如く、働いたものである。それにしても、残業時間とか、有給休暇制度とか、週休二日制度とか、週40時間労働とか、振替休日とか、裁量労働制、育メン・介護支援制度とか、随分と、働き方自身も、時代と共に、変化してきたものである。一労働者から、管理職へ、その後、独立して、経営者の立場になっても、考えてみれば、ライフ・バランスは、どうだったのであろうか?大きな組織の中でも、小さな組織の中でも、結構、我が儘言っては、有給休暇を100%消化して、管理職の時でも部下には、年初に、その年の有給休暇の消化の日程を提出させたり、結構、仕事と休暇とプライベートの区別と、切替えには、殊の外、気を遣ってきたが、結局、独立した後は、そうも言ってはおれずに、毎日が仕事漬けになってしまったが、、、、、、今日のような「毎日が、日曜日」の状態は、想像すら出来なかったものである。若い現役の人達は、大変な時代を生き抜かなければならない訳である。メンタル・バランスも、ライフ・バランスも、これからの若い人達は、大変である。考えさせられてしまう。

ベランダのペイント塗りを敢行する:

2015年08月21日 | DIY
ベランダのペイント塗りを敢行する:
夏の間、暑いから(?)、それとも、夕方に、いつも、ひどい雷雨が襲来するから(?)という身勝手な理由で、ずっと、先延ばしに、延ばしていた恒例のベランダのペイント塗り替えを敢行することに相成りました。しかしながら、いつもそうなのであるが、表面を綺麗に、洗浄し、ゴミを払い、塗装面を平らに、ペイントが剥げたところを研磨して、平らにし、且つ、マスキングテープで、端っこを塗り損ねないようにしなければならないのであるが、そこは、いつものように、アバウトなド素人の日曜大工であるから、今回も、ローラーを使用しようと思ったら、固まったままで、廻らない。よくよく考えてみれば、ペイントも、油性では、使用した後には、溶剤で、筆や刷毛を綺麗に拭って、乾燥されて、次回使用に耐えられるように、後片付けをきちんとやっておかなければならないのに、、、、、、結局、水性のペイントで、ローラーと刷毛を使用後には、水洗いしてみたら、何と簡単に、出来るではないか?これまでは、油性のタイプで、やっていたから、使用後の後始末まで、頭が回らなかった。おまけに、ローラーも、スペアーを取り替えれば、簡単に、スムースに、塗れるではないか。いやはや、仕事とは、事前の段取りが、200%大切であると云う事を嫌と言うほど、知っているのに、どうも、ド素人の日曜大工は、いい加減である。これなら、2度塗りや3度塗りも、それ程、手間が掛からないかも知れないと感じた次第である。その点、プロのペンキ塗りは大したモノである。いつも、刷毛やローラーの後始末は、どうしているのであろうか?やはり、きちんと、勉強はしておくものであると、感じた次第である。次の2度塗り、3度塗りは、果たして、うまくできるであろうか?

桜の葉が、色づき始めた

2015年08月20日 | 自然・植物・昆虫
桜の葉が、色づき始めた!:
桔梗の花が、咲き乱れていたのに、あっという間に、今度は、黄色いおみなえしの花が、咲き誇り、おまけに、ホタルブクロや竜胆とおぼしき花が咲き始めてきたかと思いきや、桜の葉までもが、一部、黄色く色づいていたのに、今日には、他の葉も一挙に、赤く色づき始めている。もう、朝晩には、半袖・半ズボンでは、寒いくらいで、夜は、しっかりと、窓ガラスを閉めて、肌掛け布団を掛けて寝ていないと、ヘタをすると、風邪を引きそうなくらいである。あんなに、暑い夏は、何処へ姿をくらましてしまったのであろうか?何とはなしに、蝉の声も、少しばかり、減ってきたような気がしないでもない。夏草の中で、盛んに、鳴いていたキリギリスの声も、最近では、とんと聞こえなくなってしまったことにも、気づかされる。代わりに、夜などは、コオロギの声が聞こえてくると、やはり、季節は、晩夏から、初秋へと、この里山では、既に、準備完了と言おうか、既に、始まっているのかも知れない。知らぬは、人間様だけで、カレンダーを9月にめくらないと、実感しないのかもしれない。

桜の葉が、色づき始めた

2015年08月20日 | 自然・植物・昆虫
桜の葉が、色づき始めた!:
桔梗の花が、咲き乱れていたのに、あっという間に、今度は、黄色いおみなえしの花が、咲き誇り、おまけに、ホタルブクロや竜胆とおぼしき花が咲き始めてきたかと思いきや、桜の葉までもが、一部、黄色く色づいていたのに、今日には、他の葉も一挙に、赤く色づき始めている。もう、朝晩には、半袖・半ズボンでは、寒いくらいで、夜は、しっかりと、窓ガラスを閉めて、肌掛け布団を掛けて寝ていないと、ヘタをすると、風邪を引きそうなくらいである。あんなに、暑い夏は、何処へ姿をくらましてしまったのであろうか?何とはなしに、蝉の声も、少しばかり、減ってきたような気がしないでもない。夏草の中で、盛んに、鳴いていたキリギリスの声も、最近では、とんと聞こえなくなってしまったことにも、気づかされる。代わりに、夜などは、コオロギの声が聞こえてくると、やはり、季節は、晩夏から、初秋へと、この里山では、既に、準備完了と言おうか、既に、始まっているのかも知れない。知らぬは、人間様だけで、カレンダーを9月にめくらないと、実感しないのかもしれない。

タイは、混乱するのか?:

2015年08月19日 | 社会戯評
タイは、混乱するのか?:
何とも、爆弾テロ(?)とは、誠に、不安定である。しかも、連日である。やっと、タクシン派・反タクシン派の政治的抗争が、軍部による圧倒的な治安維持で、水害によるダメージを克服し掛かったというのに、今度は、バーツの不安定やら、経済成長の行き詰まりに伴う経済的な低迷の余波を喰らいつつある矢先に、繁華街中心部での爆弾テロ事件とは、フミポン国王夫妻も、老齢と健康不安を危惧しているどころの話ではない。これまで、クーデターがあっても、何度も、政治的な対立を、絶対的な政治権力と国民からの信任で、その都度、解決し、安定化させ、経済も、順調に成長してきたのに、ここ何年かは、国王の健康悪化とタクシン派の押さえ込みとにより、どうやら、不安定化を増しつつあるように思えてならない。中国も韓国も、否、我が国ですら、経済的な安定と成長こそが、その国の国情の安定化をもたらすひとつの要因であることは、どうやら、歴史が証明してくれそうである。皮肉にも、リーダーの交代や健康不安など、経済的な童謡が生じるようなときに限って、こうした副次的な要因も、同時に、顕在化してくるのは、何とも、不可思議なことである。一体、どのような方向へ、向かうのであろうか?ますます、混迷を深めることになるのであろうか?
犯行声明が出されていない以上、推測の域を出ないが、タクシン派による場合、或いは、南タイでのイスラム武装戦線の仕業、或いは、中国からトルコへと逃れる途中で中国へ強制送還されたウィグル族のタイ軍政への報復攻撃とか、様々な憶測が飛び交うが、いずれにせよ、今後、タイの政治的、或いは、経済的な混迷が続くであろう事は、間違いないところであろう。チャイナ+1としての確たる地位を築きつつあった有力候補のタイが、こうなると、ミャンマーも、政治的な不安定が、予想される最中、東南アジアでの有力候補地は、果たして、どこになるのであろうか?本当に、難しい舵取りが望まれることになりそうである。