ソフト・ヨガ教室の中で、新たに、眼球の筋肉を硬直化から、柔らかくする眼のヨガが、紹介された。今回は、人差し指を、前方に、押し出して、片目づつ、凝視しながら、これを、右と左に、徐々に、肩幅くらいに、視野を拡げつつ、拡げてゆき、右に左に、交互に、眼球を動かすと、眼球の筋肉が、緩み、活性化されるそうである。それ以外にも、この左右の指を、左右直線的に、交互に見るのではなくて、丁度、地平線を、右から、額の前を通過して、左へ、半円形に、弧を描くように、ゆっくりと、廻して行くと良いそうである。更には、これを、逆に繰り返したり、或いは、上半分ではなくて、今度は、顎の方へ、下半分を、半円弧に、追ったり、360度、ぐるっと、円を描くように、これを、右廻り、或いは、左廻りと、繰り返すと、眼球の筋肉が、ほぐれるそうである。そして、これを、ヨガであるから、深呼吸法の「吸う息と吐く息」とを、コンビネーションで、行うと、更に、効果が増すとのことである。もっとも、実際に、これを試してみると、眼で追うことは容易であるが、呼吸法も伴って、同時に、行うと、結構、難しく、息を止めてしまう。これでは、ヨガにならない。飽くまでも、「呼吸法とストレッチ」である。色々なヨガがあるものである。なかなか、奧が深いものである。
EPAの協議の末に、将来の介護人数の不足を補うために、実施され、高い志しを持って、来日して、3年間という不慣れな、長い実地研修期間の末に、試験を受けて、晴れて、合格した人達には、本当に、お目出度う、ご苦労様!と言ってあげたいものである。何とも、日本政府のやり方は、これらの人を2階に上げておいて、梯子を外すかのようなもので、日本人の合格率(90%に近い率)に比較して、明らかに、招聘しておいて、余りに、低すぎる。その主たる要因は、難解な専門用語と日本語(漢字)の理解だそうである。施設によっては、日本語の家庭教師をつけて、日本語と看護学を教育して受験させてあげたところもあるらしいが、それが、出来るところは、良いが、そうでないところで、研修していた人達は、どうなるのであろうか?これでは、年々、来日する希望者が、減少するのは、当然である。一昔前の自動車試験と同じで、日本は、振り落とし式、米国では、合格させる為の試験と、揶揄されても、仕方ない。将来の人生を賭して、夫や子供と別れて、単身で、資格を取りに来ること自体、今の日本人には、そのハングリー精神を、学びとりたいところである。もっと、試験に合格して貰うような要件を、多角的に、少なくとも、事前に、無償語学研修だけでも、来日前に、現地で、行えるように、すべきではないだろうか?何とも、血の通っていない施策であると、2度目の合格発表に際して、揶揄されても、致し方あるまい。少なくとも、志を持って、来てくれる海外からの看護師候補生に対して、その思いを叶えてあげる改善策を、速やかに、施すべきであろう。そんな折りに、新薬開発のために、結局、日本での活動を諦め、よりよい環境の米国へ、ゆくことを決意したドクターのニュースを聞いたが、これも又、本件と「表裏一体」のような気がする。このままでは、志のあるものが、日本を捨て、或いは、日本に絶望して、他の国へ、ゆくようになるのではないだろうか?何とも、ファッション・モデルや芸能界ばかり、外人に、優しい国では、困ったものである。こんなことを感じるのは、私だけであろうか?
女房殿によれば、著名な料理研究家である同氏が、(不勉強な小生は、詳しくは、知らなかったが、、、、、)御牧村に移住してから、早20年が経過し、その地域への恩返しに、人気の高かった餃子と唐揚げを、提供する小さなお店を、しなの鉄道の田中駅前にある商店街(FMとうみの隣)に、先週末、オープンした。週末は、連続して、完売状態で、長蛇の列ができ、商店街も、少しは、活性化した感がある。地元の野菜をふんだんに使用して、シャキシャキ感があって、店内でも、食べられ、持ち帰りや、ネット販売も、可能である。地産地消、地元の食材を使用して、当たり前の料理を、当たり前に、提供することは、大切なことである。唐揚げは、間に合わなかったが、この次には、唐揚げも食してみたいものである。宇都宮や浜松が、餃子のブランドとして、全国的に、有名であるが、信州にも、新しいブランドの確立が、出来れば、「地域の街おこし」の起爆剤に、なってもらいたいものである。自宅での手作り餃子も良いが、たまには、街おこしの餃子にも、信州サーモンやナガノ・パープル以外でも、お金を落とすのは、少しは、良いことではないだろうか。
信州餃子HP:
http://www.shinsyugyoza.net/
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いつも車で通る道の端に、それ程、大きくはないが、夏の菖蒲の花や、秋のコスモス、季節毎に応じた草花が、植えられた「水辺のビオトープ」が、「みどりの郷」という名前で、ローカルの有志のボランティアによって、運営されている。冬場には、何とも、閑散とした、只、水面が、小さな築島を隔てて、拡がるばかりであるが、花の咲く季節になると、何とも、写真を撮りたくなる風情がある。冬場の零下にでもなれば、一面、氷が張り、寒々しい装いであるが、今では、それも、溶けて、降り積もった雪も、完全に、溶けてしまっている。池の水の色が、心なしか、濃い水色の色彩のように、陽の光を浴びて、変化しつつあるように、思えてならない。きっと、「水、温む」とは、こんな感じを言うのではないかと、ふと、感じられる。別に、水に、手を入れて、確かめた訳はないが、何とはなしに、春の足音が、近づきつつある気配が、感じられる今日この頃である。夏には、トンボや、カエルの鳴き声が、楽しみである。早咲きクロッカスが、芽を出し、蕾を膨らませ始めた今日この頃である。
豪腕ラリアートで、ならした小橋建太が、2月19日の東日本大震災支援マッチで、大技のムーンサルトをコーナーポスト上段から、放ったときに、両膝を強打して、病院送りになってしまった。本人の談では、期待に応えたのであるから、後悔はないと、、、、、。一体、何度目になるのであろうか、又しても、この努力の塊の不死身のレスラーに、プロレスの神は、容赦なく、艱難辛苦を与え給うたのは、何故なのか?これまでも、5度に亘る、絶望的とも思える、致命的な再起不能の怪我を乗り越え、更には、腎臓がんをも、腎臓全摘出という手術で、夫婦手を取り合って、乗り越えてきた。妻の演歌歌手である、「みずき舞」が、どんな女性なのかは、これまで、知らなかった。たまたま、テレビで得た知識であるが、「一緒に生きて行きたい。短い人生かも知れないけど支えたい。」と腎臓がんの宣告を受けたときに、結婚を決意したそうである。満身創痍の夫を支えながら、老人福祉施設でのボランティア活動を、多忙な演歌歌手としての生活の中でも、両立させて行くことは、至難の技であろう。お互いのデビューが、2月26日と一緒だったり、様々な因縁があって、生涯をともにすることを決意した二人が、今回も、又、一緒に、克服することを、願ってやまない。ぼろぼろの身体でも、又、リングへ上がる日が、来ることを、ファンは、きっと、待っているし、その不屈の闘志とともに、妻の献身的な行為が、その蔭にあることも、忘れずにいることであろう。再び、リング上で、あの豪腕ラリアートを見たいものである。馬場が逝き、鶴田が、三沢が、ヤマハ・ブラザーズが、上田馬之助が、何とも、淋しい限りである。猪木には、少しでも、皆の分を、長生きしてもらいものである。
東京では、滅多に、知らぬ人には、余り、声を掛けないが、どういう訳か、老犬を連れて、散歩していると、見知らぬ人から、声を掛けられる。これは、犬の持つ固有の特性なのであろうか?何とも、不思議である。「お幾つになるのですか?」、「まだ、足腰が、しっかりしていますね」とか、「犬相が、宜しいですね」等と、褒めてくれる人までいる。別に、犬を連れて散歩をしている訳ではないが、中には、「亡くなった愛犬に、似ていて、想い出します。」とまで、わざわざ、立ち止まって、撫でてくれる老婦人もおられる。最近では、室内で、飼っているので、「お元気で、安心しました。」等と、久しぶりの再会を、大変喜んでくれたりする人もいる。小さなお友達は、わざわざ、チャイムを鳴らして、ママやパパとの散歩の途中に、挨拶をしてくれることもある。お向かいの猫とセットになっていて、犬と猫の両方へ、挨拶に、きてくれる。アメリカに居た時には、「ハーイ」と、見知らぬ人でも、挨拶をすることはあっても、都会では、なかなか、親しげにはしないものである。小諸の里山の中では、さすがに、車には、挨拶はしないが、必ず、道すがらの行き交う人には、年寄りだろうが、子供だろうが、挨拶とともに、声を掛けるものである。「行ってらっしゃい」、とか、「お帰りなさい」、とか、「暑いですね」、「寒いですね」、等、そのうち、歩きながら、話に花が咲くこともある。別に、お互い、自己紹介するわけではないが、大体、同じ時間帯だと、又、挨拶を交わすことになる。都会とは異なる挨拶に、何とも、不思議な感覚を感じるものである。
信濃毎日新聞に、時々、「外・宝・人」という小さなコラムがある。日本に、語学教員として、数年間、地方都市に、小中学校で、英語を教え、その後、帰国した若い外国人から、その時の印象や体験を、フォローするというコラムである。そこに、共通するものは、地方都市の自然の豊かさや、子供達の素朴さ、住民達の暖かさや、日本語を話せる外人教師に対する尊敬と親しみ、英語に対する学究の意欲など、私達が、余り、気づかされることがなかった小さな事柄が、改めて、見直されていて、日本人として、改めて、考えさせられるものがある。何気ない暮らしの中の自然、隣人へのもてなし、暮らしの環境など、自分では、なかなか気づくことのなかった素晴らしいものを、再確認させてくれる。又、若い外国人教師にとっても、こうした日本での貴重な体験は、その帰国後の生活や、ものの見方にも、大きな影響を及ぼしていることが、その文章からも感じられる。明治期のお雇い外国人教師等に代表される青少年への影響を挙げるまでもなく、こうした「草の根の交流」の相互影響が、やがて、長い時間を経て、「大きな芽」に育つことを大いに、期待したいところである。
先日、動物病院へ、我が老犬を連れて行き、待合室で、待っている間に、一寸、雑誌を読んでいたところ、犬も、歳をとってくると、頭を下げて、水を飲んだり、ご飯を食べたりすることが、負担になると、書いてあった。そう言えば、何かの番組で、老犬用に、ご飯と水飲み専用の台を、作ってあげていたのを見たことがあったのを想い出した。早速、我が老犬の前足の高さと、首の高さを測定し、これに基づき、テーブルでも、DIYしようかと、考えたが、材料費や、手間暇を考えると、結構、高いモノになりそうなので、今回は、パスすることにして、100円ショップや、ホーム・センターで、食器の長さも、参考にして、何か適当なモノはないかと、探してみた。ありました!丁度良いモノが!食器や、調理器具を整理しておく、折り畳み式の小さな整理棚が、、、、、。丁度、我が老犬の食器が、二つとも載り、しかも、端が、落ちないように、少し壁が巡らしてありました。これなら、寸法も、ピッタリで、しまも、安くて、便利である。何と、@198円でした。これで、少しは、首への負担が軽減されることを、期待しましょう。心なしか、「これは、便利である」とばかりに、水を飲んでいるように、感じられるのは、きっと、一人、親馬鹿の私だけであろう。
たまたま、車を運転しているときに、FM東御の放送の中で、野蔓の作品展を、東御市のサンテラス・ホールで、25日迄、開催されていることを知ったので、覗いてみた。残念ながら、作品は、写真撮影が許可されていないので、入り口外の作品だけを撮らせて貰った。白い壁に、どの作品も大変映えていて、とても、趣き深い味わいがある。自然の中の野蔓、松笠、或いは、ハスの実、綿花の枝、枯れ枝、等、これらを篭にしたり、ランプ・シェードに見立てたり、ついたて、スクリーンに仕立てたり、帽子に編んだりと、壁の装飾に、花瓶にと、様々なデザインで、意匠を凝らして、自然との調和が、うまく、素材の特徴とともに、生かされている。大きな作品から、小さな作品まで、布とのコラボや、花とのコラボも、なかなか、味わい深いものがある。生活空間の中に、こうした「小さな自然」を取り入れることは、日本人は、とても、得意である。単なる伝統工芸の域から、芸術的な美的感覚を、自然の身近な素材を生かして、作品化することは、素晴らしいことである。自然にある太い蔓も、細い蔓も、成る程、その特徴を、改めて、生かされていることを思うと、もう、これは、芸術の極みと言っても過言ではないのではなかろうか?編み方の基礎を勉強してみたくなった。是非、皆様にも、ご覧戴きたいものである。生涯学習としても、魅力ある。
つる工芸 信州里山ギャラリーHP:
http://masako.web-tomi.net/wp/
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折角、暖かくなりつつあるかと思いきや、2月の寒さに、逆戻りした感がある。空を眺めれば、青空が、拡がっているのに、一部、この里山の松林の上に、灰色の雪雲のような雲が、丁度、掛かっていて、松の梢から、はらはらと、白い雪のようなものが、落ちてくる。東の太陽に向かって、これを眺めると、逆行の中、キラキラと輝きながら、塵のように、空気中を漂いながら、地面へと、我が老犬の頭へと、落ちて行く。ダイヤモンド・ダストは、未だ、実際に、見たことはないが、きっと、こんな光景なのではないかと、勝手に、想像を巡らす。雪雲が、移動すると、俄に、陽光が行く手を、あまねく、照らしだし、今までのキラキラした光景は、もはや、そこには、見る影もない。泡沫の幻のような光景である。改めて、現実世界に、引き戻されたような気がする。天気雨ではないが、天気雪というモノがあれば、それも又、極めて、一興である。冬に戻りつ、徐々に、暖かくなって行くのであろうか?何とも自然は、日々、色々な顔を見せてくれて、全く、飽きることがない。今度は、何を見せてくれるのか、楽しみである。
昔、まだ、子供だった頃、母が、よく、ジャガイモを千切りにして、これを、ツナの油漬け缶詰と一緒に、炒めたモノをよく、作ってくれたものである。男の料理だから、そこは、多少、手を抜いて、オレ・アイダの冷凍シューストリング(300g)袋を、そのまま、フライパンの上で、熱しながら、ほどよく、柔らかくなってきたら、ツナのオイル漬け缶詰(80gの小さなタイプ)を油ごと、全部入れて、これに、少量の醤油と砂糖を加え、ポテトが、透き通る迄、炒めて、最後に、卵を、絡ませてみた。好みに応じて、マヨネーズを少し、絡ませても、良いかも知れない。或いは、玉ねぎのみじん切りを一緒に、炒めても、良いかも知れない。更には、一寸、コンビーフ缶詰でも、贅沢な味わいになるであろう。むろんベーコンでも、良いだろう。考えてみれば、色々なヴァリエーションが、考えられそうである。味は、昔の味に、比較的近い。むろん、生のジャガイモの方が、味は、宜しいかも知れないが、そこは、男の料理だから、簡便で、且つ、いつもの如く、最小の手間で、最大効果を狙って、失敗の確立が少ない方法を選ぶこととする。食後の洗い物も、少なくて宜しい。料理の公式ができそうである。(冷凍シューストリング)+ (ツナ缶、或いは、コンビーフ缶、或いは、ベーコン)+(玉ねぎのみじん切り)+(マヨネーズ)等、、、、、。ビールのつまみにもなりそうである。次回が、又、楽しみである。
小諸の茶房、「読書の森」の看板犬である「のんちゃん」が、13歳で、半年に及ぶ闘病生活の末に、天国へ旅立ってしまったそうである。お彼岸とも重なり、「くるみおはぎ」を「湯ふる田中」で買い、お供物として、(もっとも、人間の口に入るのであるが、、、、、、)これを携えて、お悔やみに行って来た。娘さんの腕の中で、安心して、眠るように旅立ったそうであるが、その前には、鎮痛剤が切れたのか、とても、痛がったそうであるが、最期は、眠るように、死後硬直もなく、暖かく、腕の中で、亡くなられたそうである。茶房のマスターより、ずっと、お客様には、人扱い(?)が、うまかったらしく、大いに、人気があったそうで、入り口から、お出迎えして、玄関先へ、更に、店内まで、案内をしてくれていたそうである。今月初めに見たときには、もう既に、薪ストーブの横で、力なく、眠るように、専用の毛布の上に、横になっていた。皆から、愛され、戒名までも、戴いたそうで、何とも、幸せな犬生だったのではないだろうか?お墓も大好きな場所に、トルストイフ風に、作って貰うそうで、何よりである。長いこと、ご苦労様でした。ゆっくり、お休み下さい。我が老犬も、満17歳を過ぎ、背骨が曲がり、やや、後ろ足が衰え、腰の部分に、神経痛が、出てきて、痛がる仕草をみせ始めている。眼も耳も不自由になり、散歩も、時間的に、短くなってきた。いずれ、来るであろう「その日」には、しっかりと、この腕の中で、包み込んであげて、連れてきた子犬の最初の日同様に、指をたっぷり舐めさせて、安心させてあげたいものである。そんなことを知ってか、知らずか、丸くなって、毛布の上で、すやすやと、寝入っている。
茶房 読書の森、小諸 里山の愉しみ:
http://satoyama06.exblog.jp/
日曜日だというのに、どういう訳か、6時前に、目が覚めてしまった。歳のせいだろうか?まだ、暗いが、うっすらとしていて、窓のカーテンを開けると、白い朝霧が、周りの景色をかき消している。寒気のところに、暖かい空気と雨が、降ったせいだろうか、木々の間に、霧が、漂っていて、幻想的である。野鳥たちが、ギーとか、ヒョロリとか、ピーピーとか、ギャッギャッとか、様々な鳴き声が、聞こえてくる。コジュウカラの群れが、一団となって、餌台めがけて、飛んで行く。大きな苔むしたナラの樹木には、いつものコゲラが、けたたましく、ドリルのように、或いは、コンコンと、立て続けに、幹をつっついている。パラパラと、その樹皮が、数秒おきに、上から、落ちる様が、確認される。真夏の朝霧も、涼しくてよいが、春先のまだ、肌寒い頃の真白な朝霧も、なかなか、水墨画を思わせるようで、一興である。道端の残雪は、夜半の雨のせいだろうか、ほぼ、大半が、溶け出して、残り僅かである。雪は、あればあったで、やっかいだが、溶けてなくなると、今度は、これも、又、何とも、寂しいものである。人間とは、随分、勝手なものであると思う。すっかり、周りの景色が、白い霧に、覆われて、見えなくなってしまった。スッポリと、静かに、自然の中に、包まれてしまった。一時、自然の恵みを満喫することにしよう。
「燻し銀」、「哀愁漂う」感、人生の年輪を感じさせる男性を讃える映画を御紹介下さいというブログトーナメントに、たまたま、眼がとまったので、スポット参戦してみた。相変わらず、特に、リンクやバナーを貼るわけではないので、ひっそりと、これまでに、書いていたものの中から、今回は、リノ・ヴァンチュラ(Lino Ventura)を紹介してみた。イタリア出身で、主として、フランス映画で、活躍した俳優で、1987年に、68歳の若さで、亡くなった。「現金に手を出すな」、「死刑台のエレベーター」、等、主に、ギャング役で、見いだされたが、もっと、老年の演技を見てみたかった俳優の一人でもあった。ならず者やお尋ね者でならしたジャン・ギャバン(Jean Gabin)もよいが、どちらも、もっと、年齢を重ねた70代後半とか、80代での演技も、見たかったものである。今では、「レオン」のジョン・レノあたりが、フランスを代表する渋い俳優になるのであろうか?それにしても、CMに、ドラえもんでは、何ともいただけないと感じるが、私一人だけの感慨だろうか?最近は、ハリウッド映画に押され気味であるが、往年のフランス映画の栄華を、又、再び、見たいものである。アラン・ドロンも、今年で、77歳になるそうである。若いときの印象が強烈であるが、一方で、年相応の役回りも、見たい気がする。皆さんは、どう思われるであろうか?
シブいオヤジ映画ブログトーナメント
シブいオヤジ映画ブログトーナメント
我々、団塊の世代、とりわけ、全共闘世代にとっては、60年代に、思想的な影響をもっとも強く、受けた思想家ではなかろうか?当時は、埴谷雄高、吉本隆明、高橋和己、三島由紀夫、大江健三郎、等、戦後民主主義の対局に、何らかの新しい思想の地平を切り拓こうとして、暗中模索していた時代でもあった。「親との思想的な相克」、「思想的な自立」、等、どれも、若い頃の葛藤であった。もっとも、それは、今日でも、別の意味で、改めて、問われていることに、変わりはないし、これからも、ずっと、そうであるかも知れない。今、本棚を眺めると、そこには、様々な著作が、並んでいる。「吉本隆明全著作集」、「共同幻想論」、「自立の思想的拠点」、「擬制の終焉」「情況」、「心的現象論序説」、「世界認識の方法」、「転向論」、そして、右側に、「高村光太郎」、「源実朝」、「最後の親鸞」、「初期歌謡論」、「言語にとって美とは何か」、等、もっとも、その後のエヴァゲリオン等のサブ・カルチャーやポップ・カルチャー論に、関しては、若干、ついて行けなくなったが、その年齢からして、「文学と対等」の立場に、位置づける勇気は、流石である。2年程前、ETVで、長時間に亘る講演の番組を、久しぶりに、見たが、溺れて死にかけた印象は、微塵も感じられなかったが、、、、、、ここら辺が、肉声を聞くのは、最期かとも思わせるものがあった。ひとつの時代が、やはり、終わったという観が無きにしも非ずである。今や、初老となった当時の「思想的な自立」を目指した憂鬱だった青年達は、これから、どのように、思想的に、生き抜いて行くのか?ここにも、やはり、「指標無き時代」の中で、生きて行かなければならないのだろう定めがある。政治も、経済も、思想も、文芸も、混迷を極める中、新たな指標は、どのように、形作らなければならないのか、改めて、その死後に、難しい課題を突きつけられたような気がする。やや、後期の著作は、読むことがなかったが、これを機に、何冊か、読んでみたくなった。時代は異なるが、安田與重郎などは、当時、日本浪漫派の中で、こんな感じで、当時の思想界に、小さな軍国少年に、影響を与えたのではないかと、何とはなしに、ふと、想像する。吉本ばななが、父として、評価しているツイターには、何故か、救われる気がした。