小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

ピニョノワール苗の植え付け:

2013年04月30日 | 男の手料理・食
ピニョノワール苗の植え付け:
先日の降雪の後で生じた放射冷却の為に、果樹関係は、その萌芽が、ダメージを受けて、25%程度は、生産量が激減すると報道されているが、ブドウは、何とか、免れているようであるが、、、、、、梨や林檎、桃・アンズなどは、大変心配である。未だ、今日は、温度が上がらず、はすみワイナリーのぶどう園は、ひどく、肌寒く感じられた。スタッフの指導と説明に基づいて、白い紐に沿って、決められた適当な間隔で、深さ、30cm程度の穴を掘り、その中心を少し、小山のように盛り土して、その中心に、接ぎ木されたブドウの苗の根を、放射線状に、拡げて、据え付けて、土を戻して、穴を埋め戻す。横に誘引するために、ワイヤーを3段程度に張り、1.8m程度までに背が伸びたモノは、切り戻すらしい。3年後には、ブドウの実が結実して、収穫でき、ワインを仕込むことになるそうである。それにしても、痩せた土地で、陽当たりが良く、雨が少なくて、適当な寒暖差も必要とかで、東御の土地に、どうやら、その気候風土も相性がよいようである。白葡萄酒も悪くはないが、やはり、赤葡萄系も悪くなさそうである。(まあ、呑兵衛にとっては、どちらでも結果的はよいのであるが、、、、、)歩行リハビリ中なので、腰をかがめるわけにもゆかず、結局、メルローのビンテージ・ワインを1本、購入することで、労働奉仕替わりにさせて戴いた。今から、ブドウに、そして、ワインになることが愉しみである。確かに、呑むのも悪くはないが、こうした体験を重ねることも、決して、悪くはないと思う。何か、愛着が湧くものであることは間違いなさそうであろう。




4月28日主権回復(?)の日とは:

2013年04月29日 | 社会戯評
4月28日主権回復(?)の日とは:
4.28と言えば、学生の頃は、沖縄返還・奪還・解放闘争の日という位置づけであったが、沖縄の祖国復帰と同時に、今やその日が、人々の記憶の中から、消え去り、今日、安倍内閣の下で、サンフランシスコ講和会議の主権回復の日を、記念する天皇陛下の列席の下に、挙行されることに相成ってしまった。何とも、沖縄を無視し続けた上に、切り捨てるが如く、仕打ちというモノよりも、むしろ、もっと、政治的な意味合いが深いように感じられてならない。安保条約と同時に、地位協定の問題も、軍事基地の問題も、一向に、解決される兆しが、見られずに、更には、当時の北方領土、歴史認識問題、尖閣列島の問題も、朝鮮戦争勃発後の冷戦下のバランス・オブ・パワーの中で、全て、未解決のままで、今日まで、至っているのは、どう割り引いても、政治の不作為以外の何ものでもない。我々は、現代史のうち、とりわけ、1950年の朝鮮戦争勃発から、1951年の講和会議・日米安全保障条約の締結と1952年4月28日の対日平和条約の発効の間に、どのような歴史的な背景があったのかを改めて、問い直さなければならないであろう。同時にそれは、日韓・日朝、或いは、日中・日台関係史、そして、沖縄・小笠原・北方領土とも、表裏一体となっており、鏡の裏表の関係であることを改めて、考え直さなければならないかも知れない。こうした一連のパッケージの下で、すべて、今日の問題は、読み解かれるべきモノであろうし、安倍内閣の進めようとする次の一手である憲法改正の問題も、本来、読み解かれなければならないと思われるし、天皇陛下の列席というモノも、天皇の政治的な利用に、抵触することはないのか、、、、、等々。改めて、考えさせられる。



第三回さくらさくライブ:

2013年04月28日 | 映画・テレビ批評
 第三回さくらさくライブ:
とにかく、野外ライブは、天候に恵まれるのが、何よりである。多少、風が強くて、しかも、懐古園の桜が既に葉桜だったのが残念と言えば残念であるが、それを差し引いても、回を重ねるに従って、パワー・アップし、観客層の拡がりも着実に浸透しているのではないだろうか?とりわけても、今回は、各ミュージシャンという分野だけではなくて、アーティストの境を超えたコラボレーションが、実に宜しかったのではなかろうか?小諸高校の吹奏楽部の演奏とか、これからの若い人達が、積極的に、こういう催しに関わり、参加すること自体が、自然と、拡がりにも、厚みを増してゆくのではないだろうか?書道家による即興でのインスピレーションに基づいた言葉とそれを墨で音楽を聴きながら描くというパフォーマンス、しかも、じょんがら三味線や無国籍ミュージックなどとのコラボレーション、或いは、佐久ケーブルテレビでも取り上げられている時代劇の主役を演じた女優による創作舞踊というか、巫女風の踊りとでも言おうか、坂口ユキコ氏の音楽と合わせた舞踊、そして、その最たるモノであるサブニュマによる西アフリカン音楽ダンス、しかも、総勢、子供も含めた20数名によるまさに身体を張ったエネルギッシュなダンスの壮観さと言ったら、聴衆の中のご老人・ご婦人達は、唯々、「よく、まぁ、こんなに、長いこと、息も切らさずに、おどれるものねぇ!」と感嘆の声を拍手と共に挙げていた。見るたびに、そのエネルギーと底抜けの明るさは、どこに由来するのであろうかと感心する次第である。一寸気になるミュージシャンとして、尺八の杉沼左千雄氏と、或いは、オギタカ&星山剛&ショウとともに、セッションを組んだ和太鼓奏者である。一寸、座頭市風に、目を細めて、只、耳に全神経を集中させて、ドラムのスティックの代わりに、太いバチと大きな重低音の和太鼓を、全身全霊で、まるで、自らが、音楽に合わせて、舞い踊るかのように、演奏していたのには、驚かされた。しかも、それが、ジャズっぽくアレンジされた音楽であるとは、二重の驚きである。尺八は、音が、風に大層影響されるとかで、杉沼氏は、ご苦労されたようであるが、それを差し引いても、余りある素晴らしいコラボアレーションであったと思います。老犬の介護もあり、全部を通して、最後まで見れなかったのは、残念であったが、吹奏楽、シャンべ、和太鼓、三味線、舞踏、パーカッション、クラシック、等…復興支援ライブとはいうものの、内容の濃さは、幅を又、一段、拡げたのではなかろうかと思われる。殊に、ジャンルを超えたコラボレーションは、素人の目にも、極めて、新鮮に見てとれました。スタッフや主催者の皆様のご苦労に、改めて、御礼を申し上げたいし、参加した全てのミュージシャン、パフォーマーの今後の活躍が、一寸、気になって、応援したくなりました。パンフレットの出演者達の似顔絵もなかなか、うまいモノですね!
来年の企画・構成が愉しみになりました。


実践日本語会話教室を開講する:

2013年04月27日 | 社会戯評
実践日本語会話教室を開講する:
海外ウーファーとの会話は、勿論英語が主体になるが、これまでの40年余りに亘る海外出張と5年間の駐在の経験から、何カ国かの最低限度の必須日常会話を、単語帳に、纏めている。これを、今度は、逆に、海外ウーファー達に、日本語を教えるときに、使おうと思い立ち、いよいよ、初めは、タイからのウーファーであるポーさんに、日常会話のみならず、エチケットも含めて、教えることに相成りました。私の経験から、基本は、とにかく、シンプルに、何々を下さい、わがままに、何々、したい、、、、、と、私の単語帳には、これらを、レストラン、タクシー、ホテル、等のカテゴリー別に、タイ語・ベトナム語・スペイン語で、纏めてあります。何せ、ハングリーになれば、外国語は、間違いなく、覚えられますね!まずは、メニュー下さい。ビール下さい。コーヒー下さい。あれと、これと、それも、ついでに、覚える。とにかく、何々を下さい。そうすれば、間違いなく、くれますし、手に入ります。更に、自分の食べられる料理の名前を覚えることも大切です。そして、何々をしたい、、、、。ご飯を食べたい。どこどこに、行きたい。等…、我が儘で結構です、遠慮は要りませんよ。何せ、外国人なんですから、、、、、、、、。これと並行して、いくらですか?数字を覚える。何せ、自分は、外国人であるのですから、相手は、多少間違っていても、発音が、違っていても、こちらの言いたいことを聴いてくれます。従って、とにかく、何度でも話すこと。これらが、肝要ですね!そうしているうちに、自信がついてきます。とにかく、食べるために、会話をマスターするのが、肝要ですね!肉体的な生存が会話を学ぶ原動力ですね。そして、日に日に、この講座の成果が、食事の時に、とりわけ、現れてきました。実に嬉しい限りです。あれをパスして下さい。すると、パスタが、ちゃんと、手に入ります。お水を下さい。お水が来ます。有り難う御座いました。着実に、bキャブラリーが、増えてきました。私の経験では、もっとも、タイ語で、トゥクトゥク(三輪車タクシー)のドライバーに、値段交渉しても、いつも、どういう訳か、日本語で、高い値段を、提示されてしまうのは、非常に、残念でしたけれども、、、、、、、。そんなに、見てくれが、日本人に似ていたのでしょうか?ところで、韓国のキーセンではないが、椅子の上でも、食事の最中に、膝を立てて、或いは、あぐらをかいて、食べるので、これは、一言言っておいて方が宜しかろうと言うことで、懇切丁寧に、説明して上げたところ、ビックリされましたが、タイでは、当たり前でも、日本では、品格が問われかねないと、説明して、納得して貰いました。私の子供の頃には、ひっぱたかれたと言ったところ、大層、驚かれました。なかなか、難しいモノですねぇ!続きは、又、、、、、、。



「リラックマ」と「多世代交流」:

2013年04月26日 | 社会戯評
「リラックマ」と「多世代交流」:
インターナショナルお絵かきの続編である。大学生の年代は、もはや、自分にとっては、子供達よりも若い世代になり、なかなか、お付き合いの機会はないものである。それにもかかわらず、FBなどで、お友達になるきっかけを得て、或いは、イベントなどで、若い世代の人達と話をする機会ができると、こうした多世代交流も、まんざら、悪いモノではない。もっとも、若干、ショックであることは、自分の知らないものが、実は、海外でも、人気があり、しかも、それが、驚いたことに、日本発であったことを知ったときには、更に、唖然とした次第であります。それも、日本人ではなくて、若いタイ人のウーファーさんに、教えられるとは、、、、、、、???最初は、その英語が、意味不明で、思わず、何の意味なのかを尋ねたところ、どうやら、チャラクターなるもので、スマホの写真を見せられて初めて、何処かで、見たことはあるが、その名前を知らず、成る程、これが、その意味するところの「リラックマ」であると、思い知らされたわけです。早速、これは、我が家族、取り分けても、女房殿を試す絶好の機会であることは間違いありません。いやはや、知らないと言うことは、全く、恐ろしいモノであります。せいぜいが、「テディー・ベアー」、或いは、最近のゆるキャラの「くまモン」どまりでしょうかねぇ。(そうそう、アルクマもありましたっけ!)このくらいまでは、ついてゆけますが、今度から、知らないキャラクターには、注釈でも付けておいてくれないと困ってしまいます。お絵かきゲームのお題に出てこなくてよかった。ホッ!としました。それにしても、若い人から、色々なことを教わります。未だ知らない人は、検索して見て下さい。そして、知らぬ顔して、知ったかぶりしながら、女房殿を試してみては如何でしょうか?会話の小さなきっかけになるやも知れませんが、その結果は、保証出来かねます。



農地集約へ新仲介機構:

2013年04月25日 | 社会戯評
農地集約へ新仲介機構:
農業強化政策の一環として、意欲のある農業専業者に対して、耕作放棄地や遊休農地を、仲介し、集約して、提供するということだそうである。長野県でも、この20年間で、耕作放棄地の増加に伴い、53%も、その面積が増加しているそうである。これまで、農業強化策の一環として、打ち出してきた政策には、一体何処に欠陥が在り、何故、有効に機能してこなかったのだろうか?法整備に欠陥があったのであろうか?それとも、支援する財源上の余裕がなかったからなのだろうか?それとも、貸す側の一方的な狭小な我が儘が、先祖伝来の土地を貸し渋っていたからなのであろうか?それにしても、何とも不作為による農業の衰退化が止まらない。大体、都会のホームレス支援や若者貧困対策と称して膨大な予算を費やすのであれば、もっと、前向きな意味での農業専業者への転職の斡旋なども、考えるべきではないだろうか?その方が、新宿公園での炊き出し巡りよりは、ずっと、効果的であるかと思うが、、、、、。むろん、都会の貧困対策を否定するつもりはないものの、若い労働力のミスマッチではなかろうか。それとは別に、労働力の成長分野へのスムースな移転の問題は、やや、解雇権なるモノを促進するようなニュアンスで、正しく、伝えられていないところがあるものの、こうした問題は、決して、農業の強化策と同時に、避けて通れない課題であろう。農業所得の保障等と言わずに、もっと、抜本的なやる気のある農業者に、本当に、チャンスを与えられるような政策の実現を望みたいところである。今後が、たのしみである。




インターナショナルお絵かきゲームに興ずるの巻:

2013年04月24日 | 社会戯評
インターナショナルお絵かきゲームに興ずるの巻:
いつもは、絵画は、観る側専門の勝手気儘な無手勝流の自称、評論家である。今回は、国際的なウーファーさん達の通訳で、内々の食事会にお邪魔させて貰ったついでに、描く側に廻った。ウーファーの一人は、女性陣にイケメンの噂の高いイタリア出身の彫刻家で、日本人をお父様に持つハーフのタカノリさん、(むろん、イタリア語は得意ですよ!)、もう一人は、タイのタマサート大学で、言語学を学ぶカワイイ、ポーさん、これまでにも、ハンガリー、アメリカ、台湾、香港などのインターナショナルなウーファーさん達が、10日から2週間程度、滞在しながら、住み込み書生の立場で、草の根の交流を、労働奉仕を通じて、行なってきているが、、、、、、。そういう訳で、食事の後で、余興に、お絵かき大会となりました。用意するモノは、一度書いたら書き直しが聞かないボールペンと小さな紙切れだけです。コストが掛からなくて宜しいですよ。お題は、今回、世代や国籍を問わずに、誰でも知っているような人物と言うことに相成りました。例えば、マイケル・ジャクソン、プレジデント・オバマ、バービー人形、スモウ・レスラー、これを、題毎に、皆で、一斉に、書き始めます。そして、書き終えたら、その絵を時計廻りに、お隣さんに見せながら廻します。そして、お互いに、評価し合う訳です。もう、言葉は、そこには、要りません。只、あるのは、笑いと奇妙な感動(?)、そして、自戒に満ちた反省(?)でしょうか?!実に、もどかしいのは、頭の中で、イメージは、はっきり出来ているのに、それを自分の手で、絵に描き出すという作業は、全く、別物だと言うことが分かりました。その歯がゆさが、面白いのです。オバマ大領の髪型は、目つきは、耳の形は、、、、、、バービー人形は、どんなだったかなぁ、、、、、、、と、一度、家族で、お孫さんと一緒に、おやりになられたら、私の言いたいことが、実に、よく実感されると確信します。モンタージュ画や、似顔絵など、よく描けると思いますね。そこで、後からその変型として、出てきたのは、そこに描かれた絵を回収しておいて、他のメンバーが、参加したときに、今度は、逆に、その描かれた絵から、お題を類推・当てるというゲームです。これは、なかなか、より難しいかも知れませんネ!ビンゴなどで、景品をゲットするよりも、年齢・性別・国籍や、ましてやこれまでのキャリアなどを問わずに、ひたすら、「絶対的な平等条件」の下に、全員参加出来て面白いかも知れません。全く、知性のかけらは、必要ありません。そんなものは、持ち合わせていないって?それなら、話は、より早いかも知れませんネ!一度、お試し下さい。お父さんやお母さんの権威を壊すのは、実に、簡単です。逆に、意外と隠れた才能を発見するきっかけになるやも知れません。イラストレーターや画家は、大したモノである。



長野マラソン完走者リストなるもの:

2013年04月23日 | 社会戯評
長野マラソン完走者リストなるもの:
ボストン・マラソンの爆破事件の余波もあろうかと思われたものの、厳重な警備よりもむしろ、予想だにしていなかった突然の春の雪の方が、むしろ、大敵では無かったのではないだろうか?それにしても、東京マラソンなどの完走者リストなるものが、新聞に載るなどということは、きっと、ないであろうが、翌日の信濃毎日新聞には、当日のマラソンの完走者の氏名と公式時間が、載っているではないか?長野冬季オリンピックを記念して、開催された同マラソンも、今回で、15回になるそうである。しかも、9068人のエントリーの内、7784人が、何と完走したというではないか?雪により、車椅子マラソンは、残念乍ら、中止を余儀なくされたのは、参加を予定して、練習に励んでいた人達には、さぞかし、残念なことであったことであろう。男子の一般の部での日本人初の優勝に輝いた川内選手を筆頭に、女子の部も含めて、全部で、11頁の紙面で、完走者の名前とネット・ランニング・タイム、出身地・所属が、記載されている。全て、一々読むわけにもいかないが、それぞれの人生を想像するだけでも実に面白いモノである。それにしても、すごい人数であるし、又、雪が降りしきる中でも、ボランティアで、沿道で応援したり、給水や警備を手伝ったりする人達が、大勢いたことにも驚く。別にマラソン・ランナーでなくとも、こういうローカルな大会には、声援と拍手を送りたくなるのは、不思議なモノである。東京マラソンなどは、都心の交通規制が、広域に亘り、甚だしく、不便になるものの、こういう地域のマラソン大会は、なかなか、興味深いモノがある。経済的な効果などと、狭小なセコい考え方は止めた方が、長期的には、大会自体が盛り上がるかも知れないであろう。



三國連太郎と佐藤浩市という親子関係:

2013年04月22日 | 社会戯評
三國連太郎と佐藤浩市という親子関係:
俳優という世界では、息子が、俳優になるという決断をした瞬間に、親子の関係を絶ち、一独立した個人的な役者としての関係になったと、三国は言っているし、佐藤浩市も、それを当然のように受け止めたからこそ、今日の地位を確立できているのではないだろうか?映画、美味しんぼでの両人の競演は、最初で最後になってしまったものの、出来れば、もう一度、和解(?)というよりも、三国が佐藤を俳優として、「認知した」と言った方が、当たっているのかも知れないが、、、、、認知してからの競演が、観たかったものである。それにしても、歌舞伎やその他の親子関係の俳優と異なり、この親子の関係性は、なかなか、興味深いモノがある。そもそも、親爺と息子という関係は、常に、ある種の男としての競合というか、乗り越えなければならない壁のようなものがその底流には、常に、つきまとうものなのであろうか?それが、偉大な父親であればある程、壁が分厚く、大きなものに映るものなのであろう。佐藤浩市にとっては、三國連太郎という偉大な俳優を失って初めて、その偉大さに、多いに、改めて、気付かされたのではないだろうか?父という存在は、そんな息子に乗り越えられるような存在であって宜しいのではないだろうか?「親爺の背中を見て育った」などという言葉に、表されているように、まさに、言葉で、伝えなくても、阿吽の呼吸で、以心伝心、どこかで、一点、通じ合えれば、良いのではないだろうか?その点、母娘関係というものとも、若干異なるのようにも思えてならない。もっとも、父娘関係というものとも、明らかに、異なるものである。私の場合には、よき相談相手として、風呂に入りながら、色々なことを、社会人になってから、父とは、ゆっくり話もしたし、独立するときにも、随分と、色々とアドバイスをもらったものであるが、そんな父とも、もう風呂に入ることは出来なくなってしまった。もっと、じっくり、話をしておけばよかった、酒も酌み交わしておけばよかったと思っても、もはや、それは出来ない相談である。今や、立場が、逆になり、佐藤浩市の立場が、分からなくはないし、三國連太郎の気持ちも、同時に、分からなくもない。ただ、少なくとも云えることは、後、何十年も、時間が残っていないことであることは事実である。




春の雪

2013年04月21日 | 自然・植物・昆虫
春の雪:
驚きましたね!スタッドレス・タイヤを履き替えたのに、、、、、、、。前日の夜から、降り始めた雪が、明け方にかけてなのだろうか、朝起きてみたら、一面、銀世界である。私の人生で、恐らく、一番遅い雪の経験であろう。約一週間ほど前にも、雪が開花した桜に、降り積もったものであるが、今朝の雪は、うっすらどころか、松の枝ですら、たわわに、しなっている。黄色いレンギョウの花は、咲き誇ったまま、雪の笠帽子を被ったようである。山桜の花は、どうなってしまったのか、雪で見えない。これでは、農家の人も大変であろう、植えたばかりの苗などは、大丈夫であろうか?大きな被害がなければよいが、、、、、。もう、今日は、籠城を決め込む以外に、手はないのだろうか?取りあえず、冷蔵庫の中身を大掃除して、部屋の掃除をする絶好の機会であろうか?野鳥が、餌を求めてだろうか、さえずりにも、少々緊迫感があります。餌台に、向日葵の種でも置いて上げるとしようか?それにしても、遅い春の雪である。



AKB 総選挙なるものに思う:

2013年04月20日 | 社会戯評
AKB 総選挙なるものに思う:
別に、今更、アキバのオタクという世代でもない。天野祐吉風に、言ってしまえば、それは、ほとんど、現実社会の縮図のようなものであろうか?誰が、立候補しようと、一位になろうが、何票得票を得たかも、別に、そんなことは、私の知ったことではない「はず」なのである。しかしながら、一寸、気に懸かる点があるとすれば、それが、「社会の縮図が、反映されている」と言うことであろう。髙須クリニックの三男であるいい年をした人間が、何でも、資金力に物を言わせて、投票権に相当するCDを買い占めて、ひいき筋の候補者を自分の意のままに、上位へ押し上げようとしているらしい、又、それに、呼応して、小林よしのり氏が、対抗するかのように、一票の格差ならぬ異議申し立てのような抗議と反論を展開するなど、始まる前から、既に、場外乱闘の有様であるらしい。(何で、おまえは、そんなことを知っているのか?と、、、、、、たまたま、ネット・ニュースに出ていただけのことである)それにしても、どういう歌手が、どういう名前で、どこに所属しているのかなどは、知ったことか、知らぬが、面白いことに、こういうことが芸能ニュースで、報じられる度に、何気なしではあるが、その顔と名前を不思議と覚えてしまうものである。一種の刷り込みだろうか?そして、その後、テレビCM等で、その歌手が出てくると、成る程、今度は、顔と名前が、自然と一致して、認識されるという仕組みであることが、初めて、納得される。これはもうほとんど、リアル選挙でのやり方と同じではないだろうか?若者対策か知らぬが、自民党も、石破幹事長自ら、露出する理由も、成る程、これなら、分からなくもない。海江田君あたりも、しっかりと、対策を打たなければ、若者票が、流れてしまうのではないかと、要らぬお世話かも知れないが、、、、、、。それにしても、海外移籍組の参加容認とか、立候補制の採用とか、秋元康氏のこうした新たな企画の手法は、ジャンケン大会も含めて、なかなか、手強いモノがあるのではないでしょうか。ネット選挙解禁だけでなくて、政党も、しっかりと、横目で、チェックしておかないと、とんだ余波を被るかも知れませんネ!恐るべきAKB社会現象であろう。ゲッベルスあたりは、こうした社会現象を、何と論評するであろうか?



何と、東京で道に迷ってしまった!:

2013年04月19日 | 社会戯評
何と、東京で道に迷ってしまった!:
全く、困ったものである。もう東京に住み始めて、60有余年、そして、通勤に、都心に40年余り通っていたというのに、何と、しかも、新宿の地下鉄から降りて、地上へ出た途端に、勝手に、先入観から、思い込んでいた道を辿れど、行き先の建物が見当たらない。どうやら、地上出口の番号を勝手に、自分の思い込みで、間違った逆方向へ出てしまったようである。しかも、電話を掛ければ、対応は音声対応で、なかなか、オペレーターに辿り着くまでに、何度も、番号選択を押さなければならなかった。いやはや、何とも、だらしがないものである。全く大都会という所は、地下が迷路で、とりわけ、地下鉄は、大の苦手で、乗り口、降り口を間違えると、ほとんど、一駅は、完全に、端から端まで、歩かなければならず、しかも、地上へと繋がる出口は、あちら側とこちら側では、地上に出た景色が、全く異なっていて、困ったものである。別に、ナビを持っているわけではないし、ネットに接続して、地図を捜すのも、実際、面倒である。行き交う一団の中に、修学旅行生とおぼしき4人くらいの中学生が、全員、スマホで、何やら、地図でも見ながら、検索しながらだろうか、行き過ぎてゆくのに出会せた。何とも、皮肉である。やっと、街角にある地図を再確認して初めて、自分が、全く、目的地とは逆方向へ来ていることを知り、かくして、ようやく、目的の場所へ辿り着けたものである。何とも、自称、「都会の田舎っぺ」とは、よく言ったものであるが、本当に、その通りになってしまったとは、、、、、、、。実に、困ったものである。こんな経験は、初めてで、全く、精神的に、ショック以外の何ものでもない。とりわけ、勝手知ったる所では、尚更であろう。それにしても、お店も紀伊國屋と中村屋と伊勢丹くらいは、変わっていないが、後は、みんな変わったように思えたのには、驚いたが、全く浦島太郎の心境であろうか、、、、、、。




我が老犬の狂犬病注射免除手続きの件:

2013年04月18日 | 動物・ペット
我が老犬の狂犬病注射免除手続きの件:
毎年、4月初旬には、狂犬病の注射を打ちに行っているが、今年も、又、通知と共に、その季節がやってきた。そこで、かかりつけの動物病院へ、出掛けなければならないが、果たして、ほんの僅かな数百メートルの道のりも、自分で、歩いて行けるのであろうか?恐らく、まともに歩けば、30分は、最低でも掛かるかも知れない。案の定、外に出しても、自分の脚で、歩いて行こうとはしない、ましてや、知ってか知らずか、分からぬが、注射となれば、これまでは、全く、問題なく、診察台の上に、チョコンと乗せられると大人しく、我慢していたのに、、、、、、今年は、仕方なしに、抱っこをして、私が、歩くことになってしまった。これも、又、歩行リハビリの訓練であろうか?順番が来ると、抱きかかえるのにも、これまでは、威嚇などしないのに、もう、目が不自由なせいだろうか、珍しく、ヘルパーのスタッフを威嚇する、結局私が、乗せて、獣医に診てもらったが、体重も、12キロあったものが、10キロを割り込んで、痩せてきている。食欲はあるのであるが、食べる量は、減り気味である。そのせいだろうか、或いは、腫瘍の肥大化に伴ってだろうか?獣医の女医によれば、「ここまで、生きることは、大変ですよねぇ!」と言うことで、結局今年から、保健所に、狂犬病注射の特別免除願いを提出する手続きを執ることに決した。何でも角膜が傷ついていて、ドライアイ用保水眼薬を2時間毎に、差して貰いたいと言われたが、、、、、、正直言って、なかなか、難しい要請である。すっかり、元気を無くして、帰り道は、トボトボ、いつもの調子で、自宅まで、臭いを嗅ぎ嗅ぎ、ゆっくりと、老犬共々、歩いて戻って来た。今日は、暖かくなったので、事前に、シャンプーもしてあげて、冬毛が、すっかり、大量に、抜け落ちて、櫛にまとわりついたものである。注射を打たれなかったせいだろうか、一安心して、再び、自分のベッドで、早速、居眠りである。



カスタマー・フレンドリーとは?:

2013年04月17日 | 社会戯評
カスタマー・フレンドリーとは?:
何とも、奇妙な言葉である。たまたま、小諸では、某チャンネルの番組が放映されていないので、知人に、テレビ番組の録画を依頼したところ、送られてきたディスクが、BDのディスクであった。我が家は、ブルーレイ・ディスクが、録画機も、PCも、共に、認識せず、これでは見られないので、色々な所へ、インターネットで検索しては、電話しても、ブルーレイから、DVDへのディスク変換ダビングも、著作権の関係で、出来ないと断られ、おまけに、インターネット・カフェでも、プレイステーション3で、見られるかどうか、保証しかねると、とにかく、一度、来て貰って、試して貰う以外に手はないと言われてしまった。何とも、カスタマー・アンフレドリーではないか?だから、ソニーは、嫌いなのである。もっとも、井深大や盛田の時代には、ウォークマンの頃までは、愛用していたが、米国駐在時代に、β方式の録画機は、アメリカだけで使えて、日本では、もはや、VHSが、主力で、結局購入した機器は、現地の後任者へ、二束三文で、置いてきたが、、、、、。大体、昔から、私は、独占的に、技術の囲い込みを行う企業が、余り好きではない。NTTのISDNにも、多いに、騙されたし、HDD録画機でも、スキャジー、USBでも、そうである。PCの購入した当時の高価な機器類やソフトに至っては、接続不能だけで、今や活用出来ない時代である。これで、何が、企業としての「カスタマー・フレンドリー」なのであろうか?そんなこんなしている内に、東京へ所用で、戻って来たら、BSで、再放送があると云うではないか?折角、インターネット・カフェでの初デビューを、密かに期待していたのに、、、、、、これで、プレイ・ステーション3とやらも、一生、使うことはなくなってしまった!残念・無念!誰か、昔の機器を革命的に、接続させるような技術を開発してくれないだろうか?或いは、互換性とやらをクリアーするような機器が、出来ないものであろうか?そうすれば、XPも、サポートがなくなっても、何とか、使えるのではないだろうか?そんな「カスター・フレンドリー」な技術は、出てこないのでありましょうか?皆さんは、如何でしょうか?そんなことを夢想するのは、私だけでしょうか?期待する方が、間違っているのでしょうか?本当のカスタマー・フレンドリーとは?一寸、考えさせられました。



TPPと各国FTA:

2013年04月16日 | 社会戯評
TPPと各国FTA:
既に、TPPが、経済安全保障と密接な関係があることが、徐々にではあるが、ハッキリとしてきた。一方で、中国・韓国とのFTA交渉の開始に伴い、中国も韓国も、ここにきて、対日本との経済関係を如何にして、TPPの交渉推移を見ながら、自国権益を死守していったらよいのかを、真剣に、考え始めてきている。併せて、日本も韓国に遅れていたとはいえ、遅ればせながらも、EUとのFTA交渉を開始する段取りとなりつつある。いずれにしても、重層的な、というよりも、もっと、複雑な多国間、或いは、強力な経済大国同士の二国間交渉によるFTAが、蠢き始めている。自動車の関税や、農業・酪農乳製品の自由化など、それぞれ、各国の利害が、その「弱みと強み」との狭間で、激しく、ぶつかり合うことになりそうである。考えてみれば、中国にしても、TPPの枠外に、置かれるだけでは、全く、利益がないわけで、これを如何にして、自国に有利になるように、各国とのFTA交渉の中で、闘い取るべく、血眼になって、対応してくるであろうし、それによって、又、他方、TPP交渉各国も、新たに対応してこよう。こちらで、譲りながら、あちらで、勝ち取ったり、取りつ、取られつ、自ずと、次第に、その姿が、徐々に、見え始めてくるであろう。農産物が、sensitiveな問題であることは、何処の国でも、政治問題化するわけであり、決して、日本だけの弱みでは必ずしもないであろう。もっとも、日本の場合には、何とも、不可思議であるが、「産業界と農業団体の対立」という世論を二分する構図になってしまっているのは、問題であろう。最終的に、その弱みと強みを如何にして、バランスよく、良い意味で、妥協しながら、有利に、引き出すかという交渉力、実際には、国力を背景にした無言の圧力のせめぎ合いが、これから、しばらくは、各グループ間毎に、続きそうである。なかなか、目が離せない。