小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

人口動態統計におもう:

2013年08月31日 | 社会戯評
人口動態統計におもう:
日本の人口が、少子高齢化の影響で、徐々に、減少傾向であるのは知っていたが、改めて、統計調査の結果を読むと、なかなか、難しい問題が見え隠れしていることが、再認識される。既に、6年連続で、自然減更新中であると、とりわけ、65歳以上の人口が、3000万人を突破しつつあり、この調子では、4人に一人から、へたをすれば、3人に1人の割合へと、遠からぬ将来、なりそうである。女性の子育て支援とか、iターンとかの施策だけではなくて、もはや、根本的に、高度な技術を有する海外技術者だけでなく、本格的な移民政策も真剣に考えていかなければ、親富裕層は、一抜けたとばかりに、人口の減少する日本を後にして、富の拡大する発展する国へ、税金の安い国へと、まるで、力王の地下足袋の生産地の変遷に負けずとも劣らない渡り鳥の旅をすることになり、結局、誰が、この国を支えて行くことになるのであろうか?富を生む政策、広く循環する政策が構築されない限り、時間は、待ったなしに、あっという間に、10年くらいは、過ぎてしまい、御輿の担ぎ手も歳をとるだけならまだしも、いなくなり、肩車状態になってしまうのは、明かである。



フルーツ・トマトの形状に見える日本農業:

2013年08月30日 | 社会戯評
フルーツ・トマトの形状に見える日本農業:
昔、日本の商品の特徴を、「重・厚・長・大」に対して、「軽・薄・短・小」と言う言葉や、「安・近・短」とか、「安い・うまい・速い」というキー・ワードで、そのトレンドまでも、良く言い表したものであるが、まさに、最近のトマトの形状を眺めていると、成る程なあとも思えてしまう。昔、子供達が小さかった頃、本の形状をした水耕栽培だったかどうかは忘れたが、ミニ・トマトが、室内やベランダでも簡単に出来るというので、夏休みの自主研究の課題のために、作ったことがあったのを想い出す。随分簡単に、そこそこのレベルのミニ・トマトが、無農薬でも出来るものであると感心したことを覚えている。栽培農家の高齢化に伴い、収穫も、栽培も、箱詰めも、すべて、持ち運びまで、軽量で、簡便に出来る旨を、プロは、常に研究していて、物流も含めて、更には、店頭までのサプライ・チェーンを如何に、効率よく、且つ、無難に、こなすことが可能かどうかを常に、日本という国は、研究・競争しているようである。昔は、取れたてのトマトをタライに冷たい井戸水を濯ぎ、そこに、大きな氷でも入れて、冷やしておいて、おやつにも、ガブリと食いついたものである。今や、何と、フルーツ・トマトというような名称で、形も一口おちょぼ口サイズで、丸型、或いは、少々、楕円がかったイタリアン・トマトのような形のものまで。色も、赤や、オレンジ、黄色と、味も、又、甘くなり、フルーツのような感覚で、或いは、サラダ感覚で、パクリと食べられてしまう。成る程、これなら、収穫も鋏を入れれば、連なって収穫も出来、又、軽量だから、運搬も左程、重たくはない。しかも、これまでは、まな板の上で、ヘタを包丁で切ったり、切ろうとすると、グシャッとつぶれてしまったりと、結構、悩ましいものであったが、今日、指先で、水洗い後に、一寸、捻ればヘタも訳なくもぎ取れて、すぐ、口に入れられよう。時代のニーズというよりも、栽培者のニーズが、市場の嗜好性までも、変えうる力を今日では、有しているのかと思えば、何か、フルーツ・トマトを食していても、少々、面白くなるものである。流石に、未だ、四角いスイカは、一般流通に、至っていないものの、近い将来、果たして、思惑通り、市場に流通するのであろうか?ナガノ・パープルやシャイン・マスカットではないが、種なし・皮ごと食べられる葡萄とか、どんどん、知恵を絞れば、まだまだ、日本農業は、TPPの中でも、十分、生き残れるのではないかとも思われるが、、、、、、、。今年、初めて、川中島という桃を食したが、それ以外にも、皮ごと食べる堅い桃というものを生まれて初めて、食した。何でも、山梨県の南部では、桃と云えば、皮ごと堅い桃を食べるのが当たり前とかで、やわらかい桃は、敬遠されるとか云われているらしい。成る程、逆転の発想ではないが、ものは、考えようであるし、マーケティング手法には、変な憶測と先入観は、確かに、棄てるのが鉄則であるのかも知れない。まだ、あまり、東京では見かけないが、、、、、。なかなか、美味しくて、来年も食べてみたいと思いました。ハウス・ミカンではないが、これの進化するであろう究極のミカンは、きっと、小さな一口サイズで、皮ごと食べられるようなものになるのであろうか?魚だけでなくて、フルーツや野菜の消費量が減少傾向にあると云われているが、農業は大丈夫だろうか?モノグサでグズを自認する私などには、ありがたい話ではありますが、、、、、、。



いよいよ、最終入稿ベースの仕上がりに近づいてきました:

2013年08月29日 | 書評・絵本
いよいよ、最終入稿ベースの仕上がりに近づいてきました:
これまで、企画してきた創作絵本が、OPS出版社によるオン・ディマンド出版による最終入稿ベースの段階に近づきつつある。アナログによる出版では、どうしても、部数が大きくなり、その分、経費が嵩むので、個人が、とりわけ、素人が、手慰みで、本を自主出版しようとしても、何かしら、難しい問題に直面し、且つ、専門家ではないので、どうしても、本を作るノウハウがなくて、難しい専門用語や、あちら任せのオンブに抱っこのいいなりの諸費用見積にならざるを得ない。もっとも、それでも良しとすれば、それはそれで、良いのかも知れないが、、、、、やはり、ついこの間まで、ビジネスの世界に身を置いていた以上、コスト計算やら、コスト・ブレイク・ダウンが妥当かどうかが、気になるところである。物作りは、ある種、分業である以上、ファブレスであれば、自前の工場がなくても、何とか、分業を活用して、IT技術を駆使すれば、それなりのレベルの製品、出版であれば、本のクォリティーなのかも知れないが、何とか、形には、なりそうなものである。流石に、微細な箇所の修正などは、専門家にお任せする以外に手はなさそうであるが、まあまあ、それなりの作品がまもなく、形になろうとしている。英文と日本語の併記での作品なので、海外ネット販売ルートにも、ダメ元で、流通告知してみる方向で、検討中である。更に、書店のアナログ流通とは別に、ネット販売でも入手可能に、或いは、英語とベトナム語での現地翻訳出版も、折角、海外での仕事をこれまで長年関わってきたので、現地のスタッフや、旧い海外の友人達にも、配ってみようかとも考えている。何でも、こういう経費は、しっかりと管理しておけば、青色申告でも、処理できるとか、成る程、ビジネスマンの心意気に、何やら、火が付きそうであるが、、、、、、、。困ったものである。転んでも、タダでは起きない地頭魂だろうか?いよいよ、最終コーナーである。アクション・プログラムの工程表に従えば、9月中旬頃までには、何とか、完成したいものである。まずは、おたのしみである。



里山の時間と都会の時間:

2013年08月28日 | 社会戯評
里山の時間と都会の時間:
深夜の高速道路を走行していると、それは、まるで、走行車線、追い越し車線、そして更に、もう一車線、外側を疾駆してゆく車と、多種多様であり、まるで、里山の時間と都会の時間の縮図のような気がしてならない。何も、チェック・インの時間を気にする必要もないし、ガンガン、追い越して行く必要もない。渋滞で、動かないこともない以上、安全運転で、走行車線をそれなりのスピードで、流れに乗りつつ、オート・クルーズを設定しておいて、ガソリン燃費を一番ベストの速度で、走ることにしている。そう言えば、昔、「ゾウの時間、ネズミの時間」と言う本を読んだ記憶があるが、(動物の違いによる体重と時間速度認識との関係、環境適応性の問題などを、興味深く、説明した内容であったと朧気ながら、想い出すが)都会の時間は、今や、速すぎて、一寸、ついてゆけないモノがある。エスカレーターも、恐らく、一番効率の良い速度に、設定されているのであろうか?異常に、速く感じられる。確かに、現役の頃は、生産性とか、効率とか、人数X時間とかいう概念で、すべての効率や生産性も一定の数値管理の下で判断され、まるで、機械の一種のパーツのように、取り扱われることが当たり前であったし、エネルギー・コストも、水の消費量も、商品・生産物というものは、万物、すべて、この市場経済の中では、時間の概念と共に、数値化を免れないのであろう。何とも、冷徹な資本の原理原則に、とらわれていると云っても過言ではないであろう。Change of Pace や、時間の概念のスイッチの入れ方を、人間というものは、ある程度、何処かで、場面場面で、Gear Changeしないと、ストレスが、たまりかねない。五感を研ぎ澄ませて、研ぎ澄ますまでもなく、せいぜいが、多少とも、五感を感じられるような環境をもっと、身近な生活の中に、都会では、作り出せないものなのであろうか?里山生活に戻ると、そんな気がしてならない。



今年の夏は、蜩が少なくはないだろうか?:

2013年08月27日 | 自然・植物・昆虫
今年の夏は、蜩が少なくはないだろうか?:
春ゼミから、始まった今年の蝉の季節も、ニイニイゼミ、アブラゼミ、そして、ミンミンゼミと、しかしながら、去年のようには、どうやら、蜩が、うるさいほどに、鳴くことがないようである。あんなに、昨年の夏、うるさいほどに鳴いていた蜩は、どうしてしまったのであろうか?この里山では、都会と違って、夏の終わり頃に、聞かれるつくつくほうしの鳴き声を聴くことがない。その代わり、何とも、苦しそうな声で、腹の底から、だみ声を絞り出すかのように、ミーン、ミーン、と、ミンミンゼミが、鳴いている。やがて、9月の声をきくようにでもなると、そのうるさかった蝉たちの声も、いつしか、秋の夜長の虫たちに、主役の座を譲ることになる。もう、そんな季節の訪れの始まりなのだろうか?紫色の桔梗の花が、萎みだし、黄色のおみなえしの花が咲き乱れ、萩の花が咲き始めると同時に、その空気も、夕方頃には、涼しさを増してくる。もう、そんな季節が、すぐそこまで、きているのであろうか?今年は、少々、夏の暑さが、早めに来たせいだろうか、蝉の声も、何とはなしに、早めに、終わってしまうのではないかと、気を揉んでいる今日この頃である。



「谷文晁」生誕250周年展の最終日を観る:

2013年08月26日 | 伝統工芸・展示会
「谷文晁」生誕250周年展の最終日を観る:
もっと、早めに知っていれば、作品が、前期・後期で、入れ替えられているので、両方を観るべきであったと後悔しても、もはや、遅かりし由良之助である。最終日での駆け込み、いつもの出たとこ、勝負だから困ってしまう。残念至極である。今更、悔やんでも仕方ない。アラブの春による政治的な混乱に便乗して、中部エジプトの美術館の歴史的な所蔵品が、ごっそり、持ち去られ、何でも重いモノは、持ち去れないから、破壊にまで及んだというニュースを聞くと、歴史的な遺産は、その保存や継承などは、なかなか、困難なものである。考えてみれば、まだ、子供の頃には、コピーなどという便利なツールは、存在せず、ひたすら、模写や、書き写す作業をしたものである。そう言えば、海外の美術館などでは、画家の卵と思しき学生が、一心不乱に、著名な画家の作品を座り込んで、模写しているのを観ることがある。谷文晁も、確かに、その初めには、まず、模写であると弟子達にも語っている。そして、様式を整えた上で、自分固有の表現に辿り着くことをといているようである。確かに、真似は、学びに通じるものである。そんな風に、考えてみると、成る程、旅日誌の写生画やスケッチも、写本も、文化・芸術・民俗学・果ては、料理や衣装・風俗までも、画家というものは、写真が存在し得なかった時代に、諸国名図、山岳絵図や地図ですら、湾内の様子や街の様子、人々の生活までも、絵巻物でも、木製の版本でも、保存され、今日、我々の目の前に、展開されることになったのかも知れない。パトロンでもあった白河藩主の松平定信や、弟子のその後、シーボルト事件に連座する渡辺崋山にしても、こういう視点から、眺めてみるとなかなか、一人の画家だけの視点とは又、別の何かが見えてこようか、それにしても、石山寺縁起絵巻にしても、400年以上もの時を経て、完成されたとは、誠に驚くべきことである。山水画も、墨絵も、屏風絵、襖絵にしても、花鳥風月画、孔雀図、動物画、草木画、眺望図、仙人図、人物図、観音図、涅槃図、富嶽図、等々、随分と、多種多様なジャンルで、変幻自在な様式で、この絵師は、あまたの作品を残したものである。写本も含めれば、大変な数の作品を残してくれた訳で、それだけでも、美術史だけでなくて、歴史公証学・民俗学的な見地からすれば、大変な足跡にでもなろうか?前期作品を見逃したことは、おおいに、悔やまれてしまいそうである。残念であったが、後の祭りである。影絵のようなシルエットを描いた人物画は、まるで、現代絵画のポスターのようにも思えるものであった。会場を後にすると、そこには、六本木、東京ミッドタウンのコンテンポラリーな容赦ない現実の世界が、迫ってきたような気がした。



茶房、読書の森、「どうらくオルガン、田島征三トーク・ショー」を覗く:

2013年08月25日 | 書評・絵本
茶房、読書の森、「どうらくオルガン、田島征三トーク・ショー」を覗く:
前日の荒天に備えて、テントの設営は、ご苦労様でした。お陰様で、何とか、雨も降ることなく、無事、田嶋征三さんによる講演とコピーヌ・クラブのミニ・ライブを覗くことが出来ました。この痩せこけた偏屈な老人のどこに、そんな情熱があるのかと思われるが、アーチストという人間は、あまり、歳は関係無いのかも知れない。草間彌生にも驚かされるが、筋金入りのアーティストは、音楽であれ、絵画や版画であれ、その絵本や挿絵にしても、空間アートと称されるものでも、子供達の有する自然に内在している「生き抜く力」、或いは、「生きようとする本来の力」を、存分に、引き出す何ものかがあるのかも知れない。それが、多少、偏屈であれ、筋金入りと評されようが、お構いなしに、世間の評価とは、別なところで、生きてゆくことこそが、継続してゆくことこそが、とても、大切なのかも知れない。本人曰くでは、そうした絵本作家とか、アーチストとか謂う肩書きは、全く、無縁なたかみに、もはや、登り詰めて終っているのかも知れない。絵本とは、本当は、子供向けなのかもしれないものの、それだけではなくて、読み手の方の大人にも、生きる意味を問いかけるような力があるのではないだろうか?そんなことをこの偏屈、恥知らずを自認する痩身の老人の精神は、一人一人に、訴えかけているように、思えてならないが、、、、、、。コピーヌ・クラブによる松本がりゅう「ロバの音楽座」を中心とした楽曲のミニ・ライブも、浅間山を一望できる屋外での演奏で、なかなか、難しいにもかかわらず、舞台とも相俟って、宜しかったのではないだろうか?どうらく神様という存在も、身近かなものに感じられたそんな空間と時間であった。



藤圭子と新宿という街:

2013年08月24日 | 社会戯評
藤圭子と新宿という街:
歌は、いつでも、万人を平等に、その歌われた当時に記憶を運んでくれる媒介である。そして、歌と共に、その当時の想い出や臭いすらも、思い起こさせてくれる。それが、楽しかったことであれ、辛い日々であったとしても、、、、、。人は、生活が苦しいから、自死しても、生活に疲れたのかしらとか、その理由を詮索、納得するが、それが、お金に全く、困らなく、歌謡史に燦然と輝く足跡を残して、その子供が、大ヒットを飛ばしたとしても、金銭的に何不自由なく(?)暮らしていたとしても、どこかに、その自死する理由は、心の奧底のどこかに潜む暗闇のように、本人にだけしか分からないものなのかも知れない。1960年代の後半・末頃から70年代初めに掛けては、確かに、高度成長期も一段落つき、構造不況なる言葉が、囁かれ始め、中国では、文化大革命が起こり、ベトナムでは、北爆に伴う反ベトナム戦争運動が、巻き起こり、我が多感だった世代にも、受験勉強をしながらも、ヒシヒシと、時代の激変しつつある感じが、肌身にしみじみと滲みて来るような時代だった。豊かさという言葉を、物質的には、享受できたとしても、まだ、本当の意味での生活の豊かさは、実感できにくく、むしろ、貧乏という言葉が、まだ、人々の記憶の片隅で、実感されるような新宿の街に、後に、広告看板というフェンスで、蔽われて行き交う電車が見えなくなってしまった新宿東口広場も、近くのション便横丁も、まだ、学生で賑わっていた歌舞伎町・花園界隈も、何か、今ほどは、よそよそしくなくて、学生の街だったような気がしてならない。作詞家、石坂まさをに見出された薄幸を演じ切った当時の藤圭子は、「新宿の女」、「圭子の夢は夜ひらく」、「女のブルース」、「命預けます」等、により、当時の新宿の街に象徴されるような、「怨みの歌」、何か、影を引きずる女の情念のようなものを一つの時代背景と相俟って、若い私達の心の片隅にある、罪悪感のようなものに、どこかで共鳴振動、増幅されたような気がしてならない。流石に、忘れかけた頃に、宇多田ヒカルの母親だということを知ったときにも、驚かされたものの、或いは、米国入国時に、千万円単位の現金を所持していて、見つかってしまったという奇行も、世間知らずのお馬鹿さんであると思わなくもなかったが、流石に、転落死か、分からぬが、死んでしまったとは、何とも、当時の「新宿」という街の雰囲気自体が、或いは、その時代の「暗闇のような感じ」そのものが、消失してしまったかのような気がしてならない。当時のアングラの女王と騒がれた浅川マキも逝き、石坂まさをも、又、奇しくも、闘病の末に、今春に亡くなり、いまや、黒い、ドロドロとしたどす黒い「情念や怨念」を醸し出すような歌手が、観られなくなってしまったことは、おおいに、残念である。と同時に、都市も、自ずと、ビルの建て替えに伴って、変貌して行き、人々の心も記憶も、やがて、移ろいゆくことになるのであろうか?「15・16・17と私の人生暗かった!」と勇気を持って断言出来る人も、少なくなってしまった!もう、新宿という街にも、あまり、足が向かなくなりそうである。用事もないかな?



読者プレゼント不正を考える:

2013年08月23日 | 社会戯評
読者プレゼント不正を考える:
思えば、読者プレゼントの当選者の発表には、「当選者の発表は、発送にかえさせて戴きます」という何気ない言葉を、私達は、「そんなものかなぁ、」とばかりに、発送者の「善意とモラル」を何気なしに、これまで、「一寸、おかしいな」と思いつつも、(多少は、心底疑いつつも、)信じ込んでしまうことがある。しかしながら、よくよく考えてみれば、景品法という法律も、可笑しなものである。恐らく、大半の主催者は、真面目に、当選者の記録をきちんと、管理して、証明できうる証拠書類があるのであろうが、内部告発でしか、こういう事態を一罰百戒のごとく、告発によるものでしか、露見されないとは、どこか、疑問が残る。何とも、可笑しな仕組みであるし、又、それが、長い間、善良なモラルと社会規範によって、何とか、保たれてきつつも、告発者への不当な解雇権の濫用にまで、発展してしまうとなると、もうこれは、出版業という範疇にしては、誠に、何をや況んやあろう。何でもかんでも、法律的な罰則的な規則の適用で、事足れりとする議論は、如何なものかとも思われるが、今や、「善意とモラルだけ」に頼るような仕組みは、通用しなくなりつつあるようなものなのであろうか?景気低迷による景品の提供も少なくなり、又、メディアの傾向分析もアンケート調査による手法では、「ネットの即時的な双方向性」には、もはや、勝つことも難しくなりつつある以上、一体、出版に於ける市場調査・アンケート調査というものは、その双方向性という意味合いからすれば、どんな価値とどのような具体的な手段が、実用不可欠になるのであろうか?それとも、もはや、それすらも、難しい状況に追い込まれつつあるのであろうか?勝ち残るためには、ナンバー1を維持するためには、これでもか、これでもかとばかりに、新機軸のコンテンツを提供し続けなければ生き残れないLINEのような生き方も、対極では、現在進行中であるが、、、、、、、。「外れクジしかないクジ引き」や、「当選者の存在しない景品」やら、或いは、個人情報のセキューリティーもままならない、犯罪にも利用されかねない危険の潜む可能性を有するシステムの利用の蔓延化傾向など、消費者庁の思惑を遙かに超えるところで、事態は、深刻化しつつあるのが、現状なのであろうか?「かしこい消費者」は、どのように、育てられ、或いは、生み出されるのであろうか?家庭での教育、学校での教育は、どうしたらよいのであろうか?残念乍ら、今日まで、そういうものを教えられることはなかったような気がする。では、どのように、学んできたのであろうか?ふと、疑問を禁じ得ないが、、、、、。自己責任と自己防衛手段だけでは、なかなか、難しくなりつつあるのであろうか?



映画「少年H」を夫婦で観る:

2013年08月22日 | 映画・テレビ批評
映画「少年H」を夫婦で観る:
特に、水谷豊のファンでもなければ、ましてや、その妻である伊藤蘭のファンであるわけでもない。勿論、キャンディーズのファンでもない。ただ、一寸、降旗康男監督の作品だから、気になってしまったのか、それとも、宮崎駿監督の「風立ちぬ」が、どうも、その世間一般の評判とは裏腹に、一寸、その描き方に、違和感を覚えてしまった為なのか、或いは、米国流の「終戦のエンペラー」を観ることを躊躇ってしまった為なのか?なかなか、確たる説明がつかぬまま、結局、この映画を観る選択をしてしまったことになる。原作や、アニメやドラマの内容とは、若干異なる描き方や人物像ではあるものの、或いは、山中恒による原作への批判とは別にしても、私の従兄弟達の一番年上か、一番若い叔父達が、丁度、主人公達と同じ世代に当たる頃の物語である。確かに、未来から、当時を振り返ることは、一定の歴史的判断と事実に即してみれば、本当に、そんな反戦的な心情で、皇国少年達が、家庭の中でも、クリスチャンの一家の中でも、生き延びることが出来たのかは、作品上での存在であって、果たして、本当に自伝的なものであったのかは、判断がつき兼ねるものの、(そうであろうかとは思うが)少年が戦後に発する叫びに近い、「この戦争は、何だったのか?」という自問の言葉は、そっくりそのまま、当時の大人達の戦後に於ける変節と、それでも尚、飢餓の中で家族を守り、生き抜かなければならなかったその時代に対して、明らかに、鋭い刃を突きつけているような気がしてなりません。それは、同時に、いつも正しかったであろう父母に対しても、同様な問いかけだったのかも知れない。エピソードとして、登場する、結局は、病弱の母を残して自殺してしまったオトコ姉ちゃんや、非合法活動で警察に検挙されるうどんやの赤盤の兄ちゃん、クリスチャンの米国人宣教師からの絵はがき、或いは、クリスチャンへの迫害、教練での軍人・退役軍人・教師・上級生や同級生等、神戸の外人居留地やユダヤ人難民の話、疎開の別れ、神戸の大空襲による、花火のように思えた焼夷弾の雨霰と焦土と化した自宅や焼け野原と、象徴的に描かれた焼けただれたミシンの残骸、そして、戦後の闇市の風景、白米のおにぎり、傷痍軍人、大人達の変容、等、世代により、この映画の受け止め方は、それぞれ、様々な思いではなかろうか?意外と、お年寄り客が、数多く、観賞していたことに驚きました。それにしても、沖縄戦では、少年兵が、最前線で、戦死の憂き目に遭ったのに対して、本土決戦に至らず、この少年達は、死なずに済んだことは、歴史の皮肉であろうか、それとも、必然だったのか?毎年、この熱い夏の時期は、原爆・戦争を考える季節である。観る者、各世代毎に、この作品に対する評価は、様々かも知れない。この家族には、直接的な戦争被害者は、幸いにして、描かれていないが、我が両親の兄弟、姉妹、親族らの被害に思いを巡らせるとと、胸が熱くなるのを禁じ得ない。



軽井沢・和美パー3コースで、ならし運転ゴルフ実施:

2013年08月21日 | スポーツ
軽井沢・和美パー3コースで、ならし運転ゴルフ実施:
そろそろ、夏空の下で、ゴルフをしたいという欲望を抑えられず、かといって、いきなり、ロング・コースで、へたってしまっても、何とも、情けないので、まずは、練習場とパー3での女房殿をパートナーとして、ならし運転の開始である。もう、体幹(背骨)を軸として、腰のひねりを反発で、回転させてゴルフ・ボールを遠くに、跳ばす理論では、無理である。跳ばす理論を宗旨替えしなければならない。そこで、ゆるゆるグリップで、クラブの振り子理論への再挑戦である。これなら、多少、下半身がぐらついても、何とか、ショート・アイアン程度であれば、何とか、アプローチも含めて、ついてゆけそうである。流石に、練習場では、もう、15ヶ月ぶりにクラブを握るのであるから、ワン・クラブ程度、距離が、落ちているようである。もう、重いヘッドを筋力で、振り抜くのではなくて、インパクトの瞬間と、スウィート・スポットを如何にして、タイミングで、捉えられるかということに力点を移さなければならないだろう。まあ、今日のところは、ドライバーを使用する必要がないので、せいぜい、9番アイアン止まりだから、ドライバーのほうは、後日、練習をしておかなければならないかも知れない。180-200ヤード程度でも、真っ直ぐに、飛ばすことが出来れば、後は、ミドル・アイアンで、刻んで、グリーン周りまで、辿り着き、第三打勝負で、そこから、2パットで、ボギーを目指すところだろうか?アマチュア・ゴルファーにとって、スコア・メイクのポイントは、ドライバーやアイアンがある程度、マスターできれば、後は、100ヤード圏内で、如何に、ショート・アイアンで、ワン・オンして、ワン・パット以内に、つけるか、さもなくば、こぼしても、アプローチで、しぶとく、拾いまくるかの勝負であろう。もっとも、若い時も、せいぜい、ハンディ・キャップが、16程度だったのであるから、90台のボギー・ペースが、良いところで、現状の体力事情からすれば、これに、コースの起伏アップ&ダウンを考慮すれば、せいぜい、ベストが、95~100が、良いところであろう。パー3のショートコース、9ホールだから、パー27のところを、いきなり、1/2番ホールで、二段グリーンの上から、行ったり来たりの4パットとは、情けない、トリプル・ダボの連続とは、一体この先どうなることやらと多いに心配したものの、その後は、手堅く、パーを5つ、ボギーを2つ、すべて、2パットに納めて、トータル・スコア34とボギー・ペースを少し、上廻る結果で、まだ、腕は、錆び付いていなかったようである、まずは、一安心!パートナーの女房殿の方も、38と、手堅く、纏めて、お互い、一応、ゴルフ気分を短時間でも、十分満喫出来ました。やれやれというところですね。途中からは、前が、一寸、詰まったものですから、2球づつ、練習のつもりで、打つことが出来、お陰様で、一球当たりのコストを下げることが出来ました。ご免なさい!次は、多少練習でも積んだ上で、馬越ゴルフコースの9ホールのロングを、プル・カートで、試し打ちを試みてみることにしようかとも、考えている次第です。それにしても、ゴルフというものは、やはり、愉しいスポーツであることを、お陰様で、再認識できました。やはり、健康第一でありますね。次回は、ホワイト・ティーではなくて、女房殿と一緒に、レディース・ティーでのプレイでしょうかねぇ?!もう、昔のアメリカ時代のブルーやブラックティーは、お呼びではありません。ゴルフが出来ればそれだけで宜しいではないでしょうか?そういう気分です。



新富裕層なるものを考える:

2013年08月20日 | 映画・テレビ批評
新富裕層なるものを考える:
国策による新富裕層なるものが出現して以来、瞬く間に、国境を超えて、グローバリゼーションとIT技術と金融の融合化に伴い、自国の富が、さまよえるオランダ人ではないが、租税の低い国へと、或いは、タックス・ヘブンを求めて、今や、ヒト・モノ・カネが、一緒に、海外へと移動し始めていると謂われている。OECDによる国際的な租税条約の情報の共有化対策も始まったばかりであるものの、まだまだ、その効果たるや、及ぶところではない。むしろ、世界第二の富裕層のいる日本を狙って、ますます、海外移住の甘い誘惑は、近い将来不可避であろう増税政策のツケを今から、しっかりと対処すべく、新規起業成功者をも巻き込んで、現在進行中であるらしい。何か、ものつくりに立脚した成功者の例に較べて、どうも、この種の新富裕層なる者は、国策によって生じたようなものであるから、いまひとつ、伊集院静ではないが、「品格・品性を感じられない」とは、どうしたものであろうか?誰しもが、税金の課税額を比較する資料を見せられれば、日本とシンガポール、或いは、プエルトリコでも、どちらが、得をして、損をしているか、一目瞭然である。株式の売却益への課税無し、所得税・法人税も安いときたら、余程の「大金持ち」でない限り、祖国に住み続ける必然性が、見当たらないと言っても過言ではない。フェラーリ・クラブなる閉鎖的な親睦団体による同じ富裕層同士による情報交換で、ますます、富める者達は、富み栄え、一方、その余波で、不動産価格は、高騰し、海外からの安い移民出稼ぎ労働者に商業の機会を奪われた労働者達は、ますます、「貧困の連鎖」に陥りつつある。まるで、狐と狸の騙し合いのような関係でもあり、又、寄生虫と宿主の関係とでの言えようか、もはや、眼に見えない国家を超越した新たな国家(ロバート・フランク氏の命名したRICHISTANという言葉)の誕生とでも言えようか?デトロイトではないが、市政の財政が破綻し、公共サービスも低下し、税収がますます落ち込み、ヒト・モノ・カネ、すべて、水は低きに流れるではないが、カネは、(税率の)低きへ、海外へと流出し、賃金は上がらず、幅広い広範な層への富の再分配は、行われず、金持ちだけが、自己防衛で海外へ出て行き、出て行けない弱者・貧者だけが、そこに在留・浮遊せざるを得ないという現実が、生じつつある。今や、デトロイトや夕張市だけの問題ではない。国策による新富裕層の創出というその行き着く先にあるのは、果たして、「富は、分かち合えるのか?」、完全、平等に、とまでは、謂わないが、国策によるその矛先は、今や、怒りと失望の裏腹で、フェラーリに向かうのではなくて、国家そのものにも、いつ何時、向かわないとは限らない。それは、あの成功を収めたルック・イーストを見習ったと謂われた国でも、或いは、豊になれる人間から先に、豊になれと囃し立てた鄧小平・習金平の中国でも同じであろう。自らを振り返ってみれば、両親の介護や、子供でもいなければ、きっと、海外移住でもしていたかも知れない。もっとも、独自資金がなかったからこそ、国内ではなくて、海外貿易を通じての海外での工場運営という手法と三国間水平分業を時流に沿って、行えただけの事なのであろうが、300万程度の貯金さえ積めば、簡単に、今やタイでの長期ビザも入手出来、海外移住できる今日、何が、その国に、つなぎ止め得る価値、存在理由なのであろうか?際限なき利潤の追求、富への飽くなき、終わりのない挑戦は、初期資本主義の精神と、どこかで、歯車が、狂ってしまったのだろうか?現代のマックス・ウェーバーは、出てこないのであろうか?別に、近い将来に来たるべき増税政策を前に、新富裕層でならずとも、考えさせられてしまう。カネを如何に稼ぐのか、如何に残すのか?如何に増やすのか?目減りを防ぐのか?そして、何よりも、「富は、本当に、分かち合えるのか?」と、それは、どうしたら、可能なのであろうか?100億円の豪邸を建設して、そこに済む人間の考え方は、どういうものなのであろうか?番組中では、インタビューされることは決して、なかったことは残念である。



松江市教育委員会による「はだしのゲン」閉架措置から透けて見えるもの:

2013年08月19日 | 社会戯評
松江市教育委員会による「はだしのゲン」閉架措置から透けて見えるもの:
何とも、教育委員会という存在そのものも、又、その権限の強大さにも唖然としてしまうが、それよりも、何よりも、学校側の校長始め、図書室の閉架措置をそのまま、実施しようとするその行為自体に、改めて、驚愕を禁じ得ない。それ程、保守色の強い地方都市なのであろうか?それにしても、ポルノ漫画の表現の自由問題の対極にでも位置するかのような問題であるが、基本的には、両者とも、ヒョッとして、同根なのかも知れない。新聞記事では、見出しが、ほんの小さなものであったが、ネットでは、そこそこ、批判が大きく、従って、見出しも上位のほうにあったようである。何が過激な表現であり、何が、そうでないのか?振り返ってみれば、子供の頃、少年マガジンが出版された頃にも、水木しげるの漫画も、子供達に、とりわけ、「健全な善良な」青少年の心身の発達に、害を及ぼしかねないという理由で、「有害図書、撲滅運動」が、繰り広げられたり、白土三平の漫画にも、切られた腕や血しぶきが飛び散るのが残酷であると、非難を浴びされたが、立派に、漫画史の中で燦然と輝かしい評価を得ている。虐めの第三者委員会による検証だけでは、どうやら、この教育委員会という怪物は、済まされないようである。世界的にも、作品の評価が、高まっている最中に、もっとも、別の意味で、注目を浴びる結果になるやも知れないが、、、、、、子供というものは、見てはいけないと言われれば言われるほど、逆に、読みたくなるものであろう。それにしても、学校側の対応は、どうなっていたのであろうか?こういうことが、公然と決められる仕組み自体に、問題はなかったのであろうか?検証然るべきであろう。それにしても、何ともお粗末でもあるし、末恐ろしい限りである。



「知」のデジタル化を考える:

2013年08月18日 | 社会戯評
「知」のデジタル化を考える:
iPadを活用している友人によれば、電子書籍を、ダウンロードして、海外旅行などの時に、飛行機の中などで、読むそうであるが、一方で、国立国会図書館でのデーター・ベースのデジタル化が、現在進行中であるそうである。これだけ、インターネットが発達している以上、著作権や知財の活用などの問題は、未だ大きな課題として残るも、万人に知財の恩恵を、くまなく、何も東京に行かなければ、そこでしか、閲覧できないのではなくて、いつでも、どこでも、閲覧できるような法的な対応が、出来ないものであろうか?海外の大英博物館やスミソニアン博物館でのデータ・ベース化とデジタル化への試みは、多いに参考になろう。アマゾンが良いかどうか、分からないが、うかうかしていると、海外の方が、先に、日本の貴重な知的財産が、海外で、公開されてしまうと謂う皮肉な結果になってしまうかも知れない。今や、今日では、人類共有の知的財産は、そのアナログ保存だけではなくて、少なくとも、デジタル化による記録の保存から、一歩進んだ、検索や共有財産としての知財への、情報アクセス権の公開へと法的にも、進んで行く道を模索しなければならない時ではないだろうか?何も国会図書館に限らず、地域の図書館にしても、知財のデジタル化の取り組みと知へのアクセアス権の公開は、独自にでも、進めて行くべきではないでしょうか?もっとも、不況化の出版界に、デジタル化や電子書籍化が更なる業界の苦難を強いることになるのか、どうか、課題も甚だ多いのは事実ではあるものの、そんなことを行っているうちに、何処かで、知らぬ間に、外堀が埋まり、風穴が空いてしまうのではないだろうか?



あれから、二ヶ月が過ぎようとしています:

2013年08月17日 | 動物・ペット
あれから、二ヶ月が過ぎようとしています:
我が愛犬を看取ってから、二ヶ月が過ぎようとしています。やっと、涙が出てこなくなり、やや、落ち着きを取り戻しつつあります。先日、女房殿が買い物をしている間に、椅子に腰掛けているのも暇なものですから、偶然、ペット・ショップの中を覗きましたが、もう、オムツやペット・シーツやドッグ・フードも買うこともありません。何気なしに、子犬の入っているサークルを眺めてみましたが、どうも、手を出す勇気が湧いてきません。きっと、又、手をペロペロなめられたら、犬を飼いたいなる衝動が抑えられなくなるのが、怖かったためかも知れませんネ!遠巻きに、子犬たちが、爪先立ちしているのを眺めているだけでした。愛犬が子犬の頃は、まだ、現役で、日中は、働いていたわけですから、それ程、正直言って、昼間、何をしていたのかを覚えてはいません。写真も、まだ、ウィンドウズ95が、出た頃でしたから、デジカメの写真もありません。アルバムに貼られた子犬時代の写真を、先日、子供達のアルバムの中に、見つけました。まだ、子供達も中学生頃の写真で、ちょこんと一緒に写っています。最近では、ホーム・センターにも、めっきり、ご無沙汰になりました。あれ程、餌を買いによく行っていたのに、ポイント・カードも折角作ったのに、何の役にも立ちません。あれ程、朝に、晩に、一緒にしていた散歩も今や、中断です。亡くなる前日の朝、オムツを着替えさせて、玄関脇の椅子の上で、私の膝に抱きかかえて、前脚を持って鼻筋を撫でてあげると、嬉しそうに、私の腕に、前脚を置いて、クンクンと何か、臭いを嗅ぐのでしょうか、鼻先を上に向けて、嬉しそうに、空気を吸っていたのを、何故か、想い出します。きっと、もっと、生きたかったのかも知れません。まさか、その翌日には、逝ってしまうとは思いませんでしたが、、、、、、。うぅーん、又、涙が溢れてきました。よく頑張ったね!18歳と4ヶ月、そして、共に過ごした人生の歳月と家族としての想い出に、有り難うと、、、、、。ゆっくり、おやすみなさい。でも、もう一度だけ、逢いたいねぇ!