小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

アベノ・マスクが届いて思った!

2020年04月28日 | 健康

 

昔、文化大革命の最中に、修正主義者と三角帽子を被らされて自己批判したにも関わらず、それ以後、不倒翁として、復活し、改革開放を推進した鄧小平がいみじくも、<鼠を捕獲する猫は、その毛色に関わらず、黒い猫でも鼠を捕獲する限りは、白い猫と同じだ!>と、宣ったものだが、<アベノ・マスクと揶揄されるこのマスク>も又、布製マスクにその機能性においては、一向に変わりはなく、アベが嫌いだからと言って、私の友人みたいに、<アベノマスクなんぞ、つける気がしないから、誰か欲しい人がいればくれてやる!>と、子供じみた言い訳をして、赤子の如くごねる頑固な年寄りも身近にいる。私は、元来、アレルギー性鼻炎に悩まされ、冬場から春先に掛けては、必ずマスクの備蓄をしているから、不要ではあるものの、折角、血税をはたいてまでも、緊急に、海外から輸入したマスクだから、私は、鄧小平ではないが、<マスクに、イデオロギーの区別はない>と言うことで、喜んで、使わせてもらうことにすると、初めから決め込んでいる。尤も、一部の妊婦用マスクには、虫や毛髪の異物混入が散見されていて、未配布のロットは、全て、配布中止となり、再検品実施とか、何とも、その対費用効果の検証も含めて、お粗末極まりない対応である。果たして、政府の概算予算通りに実際、カネがいくらで、どこに流れているのか、3社以外に、もう一社は公表されていないと謂われているが、、、、、どうしたものなのであろうか?この緊急時に、重箱の隅をつつくようなそんな議論は、御法度だとばかり、あげつらう人もいるが、、、、、。

 それにしても、今回の新型コロナ・ウィルス禍は、<情報の更新と訂正アップデート不足>でありましょう。そもそも、習金平による情報のコントロールで、彼への忖度も含めて、例えば、<若者は軽症である>、<致死率もそれ程高くない>、<接触より飛沫感染中心で>、<無症状患者は感染者の数字に入れない>、<高熱3日間、咳症状>等など、現状では、結局、港や空港での水際阻止対策失敗から、初期のクラスター追跡潰しへ、そして、一挙に、無症状・無自覚者による、エアロゾルや飛沫感染、或いは、接触感染、3密による重なり合う重複条件だけではなくて、今や、一密でも、ジョギングですら後続ランナーやウォーキングには、屋外でも感染する恐れありとか、、、、一体、<状況・事態の推移に応じた情報の修正・アップデート不足>により、感染症対策を自認する高名な専門家と称する先生方ですら、混乱している。尤も、そういうウィルスであることが徐々に分かってきたのかも知れないが、、、、。考えてみれば、国情・国民性・金融財政状況、都市の人口規模や交通網の整備によって、中国モデル・台湾モデル・韓国モデルなど、況んや、北海道モデル、和歌山モデルとか、神奈川モデルとか、個別地域事情に応じて、或いは、感染の進捗状況に応じて、ビジネス・モデルではないが、当然、対策の採用モデルも、異なってくるものであろう。むろん、院内感染による医療崩壊とか、専門病床の確保とか、何故、あれ程、SARSや新型インフルの蔓延の時にでも、PCR検査の体制整備とか、整えられてこなかったのであろうか? 

 海外出張のコネクティング・ルーム・スキャンダルで肝心の大本営が、感染症対策予算の削減を目論んでいたり、全く、<旧帝国・日本軍の失敗の本質>を、70有余年経った今日でも、ガダルカナル方式の小出しのチマチマした、逐時投入方式で、お茶を濁すやり方は、今日でも、変わっていない。しかも、国会議員は、歳費の2割返納だとか、全くまやかしばかりのその他付帯経費はそのまま戴いておいて、お茶を濁す一方で、当初決定されていた30万給付が、公明党(創価学会中心の)連立離脱という恫喝に屈して、一挙に一律10万円という方式で、落としどころを見つけたようである。一体、この支給時期も、いつになるのであろうか?家賃や人件費・リース代などの固定費の支払いが、月末に迫り来る中で、フリーランスも含めて、或いは、非正規雇用労働者や飲食業・旅館業・観光バス等も含めて、<何の為の住民基本台帳やマイナンバーの登録やe-Tax申告推奨>だったのであろうか?

 休業補償とセットでない、外出自粛要請は、一部の品格のない薬物中毒まがいのパチンコ・麻雀やキャバクラ・性風俗店による勧告を無視した営業の継続などは、<単に倫理的な理由ではなくして、法的な網のかけ方の欠陥によるところの盲点>で、謂わば、<補償対象外の企業だからだった>そうである。もし仮にそういう理由が事実であれば、ソリャァ、必死こいて、営業継続する訳である。何故、マスコミは、そういう具体的な事実を公表しなかったのであろうか?評論家の桜井氏ですら、知らなかったとテレビのオンエアーで、公言していたが、、、、、、。又、実態は、国家的な賭博業であり、ある種<賭け依存症中毒症>や超法規的な景品現金化換金とか、こういう時期になって改めて、グレイ・ゾーンを考え直すべきではないでしょうか?何故、街の小さな銭湯が三密になるかと謂えば、スーパー銭湯は営業自粛の対象となるが、小さな銭湯は、線引き外に該当され、対象外であるという理由だそうである。これでは、県境を跨いで、パチンコ屋へ中毒患者が、出かけたり、銭湯へ殺到するわけである。何も、利益の完全補償というわけでなくて、<家賃・リース代金や従業員の賃金だけでも、、、、>非正規・正規とを問わずに、自動的に、On Lineでも申請受理・給付すべきではなかろうか?いくら、緊急事態宣言であったとしても、<走りながら考え、検証し、方針を打ち出す柔軟な思考と行動形態>が、経営者のみならず、官僚にも、政治家にも望まれよう。学費や奨学金も含めて、無利子融資や金融支援も同様ではなかろうか?どうも、<国家の責任と首長への権限委譲という狭間>で、いつも、犠牲になるのは、弱者である国民であり、自宅待機中で、ある日突然、軽症から、重篤化して、入院予定前日に、命を落とす例なども、散見される。これも、病床確保というお題目から、派生した悲劇の一つであろう。それにしても、<国家の責任と首長への権限・指示の丸投げと責任の線引き>が、今回ほど、各地方都市の財政状況の違いから、ハッキリと対立・競合が垣間見られたのは、単なる小池氏の元宣伝広報担当と、政府・与党内部での主導権争いと迷走ぶりを観ても、十分国民目線でも容易に、理解出来よう。

 星野源の人気にあやかろうとしたのかは分からぬが、その真似をした動画の配信では、一度も、自らの言葉で国民へ語ることなく、これ自体、ドイツやイギリス等の指導者とはおおいに異なり、違和感を感じるが、案の定、どちらに転んでも、発言をしても、しなくても、炎上したのだろうが、、、、、、、。スーパーの三密対策にしても、何を今更、家族子ども連れで買い物にはゆかずに、代表一人でとか、3日に1回でとか、そんな当たり前なことも、シミュレーションしていなかったのであろうか?混み具合が分かるアプリの開発など、何故、即時に開発できないのか?今頃になって、ジョギングもウォーキングも公園では、5mとか、8mとか、離れていないと、後続者は、飛沫がもろにかかる危険性が大だとか、、、、、、、、、屋外だからと謂って安全・安心が担保されるわけではないと、当たり前だろう!?現段階では、もはや、過去の3つの蜜が重なり合う条件が一致する条件ではなくて、市中感染が、クラスター追跡が出来ない程の多数になってしまった以上、1蜜でもやばいわけで、そんなことは、<とうの昔に、分かっていた常識>ではないのか?もし、そんなことが事前に、高名な専門家先生方が、分かっていなかったとしたら、そんな専門家に、どんな対策が打てるというのであろうか?<全て、後手、後手、タイムリーではなく>て、<遅きに逸した感あり>である。国民の声は、大半が、WHOに対して同様、<政府の緊急事態宣言も、判断が遅かった>と感じる所以がここにあろう。

 それにしても、日本という国は、<黒船という危機的外圧>がこないと、<行動様式を自ら変えられない>或いは、<技術革新にエンジンが掛けられない国民性>なのであろうか?AIの活用も、On Line診察も、On Line授業も、On Line選挙も、Tele Work も 全て、然り、更には4月入学ではなくて、国際的な9月入学というガイドラインも、就職の活動の通年化という課題も、全て、ICTの活用も含めて、無線LAN導入奨励や、一人一台のLAP TOP PCやスマホ、PAD等も、これまで、幾度となく叫ばれてきたにも関わらず、実現できていなかった。これは。まさに、<コロナ禍は、技術革新のターニング・ポイント>の時期であろう!> それにしても、情報の変質というか、新型コロナ・ウィルスの特徴的な変異というか、まるで忍者のように、変幻自在に、その特徴を変質させて、誤った情報が、そのまま、過去の事例と同じではないかと、例えば、陰性に転換しても、再び、ウィルスが突然復活する、陽性に転じるとか、無症状だから、感染していないという錯覚を生み出させるとか、枚挙に暇がない。最たるものは、免疫性を獲得できるのではないかとかという錯覚、要するに、<情報の修正・過ちのアップデートを柔軟に、対応しない>と、このウィルスは、  どうやら、これまでのSARSやMARSやエボラとは異なる<新型感染症>なのであろう。改めて、個人レベルでの<意識改革と行動様式の変容>が。ICT活用と共に、不可欠なのかもしれない。それでも、医療関係者や介護士や看護師も含めて、或いは、保育士、物流の配送・トラック運転手なお、いわれなき偏見と誹謗中傷が、子供達や家族に対して、どうして、行われるのであろうか?いずれ人類は、近い将来、克服することは、収束を迎えることは間違いないであろうが、その時、<どのような歴史的な検証>がなされ、そして、<どのような反省と間違いを>そして、<どのような将来に対する予防と対策>が、具体的に、とられるのであろうか?その時、我々は、<どんな生活の地平にいて、何を見る>のであろうか?

 最期に、日本という国の改めて、<文化に対する貧困>を垣間見た。所詮、お笑いも含めて、演芸なおも、不要不急で、所詮、どんどんそぎ落としていったら、最期に、一番不要なものなのかも知れないが、、、、実は、<不要の要>こそ、音楽やダンスや絵画や伝統工芸・伝統古典芸術なども、全て、文化という名の下に、保護されなければ、<真の文化国家>とはいわれまい。観光立国、インバウンド誘致も、Cool Japan !も、更には、2021 Olympic Gameすらも、そういう枠組みの中で、しっかりと位置づけられなければならず、いつまで経っても、フランスやドイツの文化政策に劣る、所詮、我が国は、<戦後成り上がり者国家>にいつまでも、止まらざるを得ないせいぜい<二流か、三流の文化国家にすぎない>のかも知れない。一事が万事、危機的な状況の中で初めて、<その国の、或いは国民の本質>が垣間見えてくるのかも知れない。


伯母を伯父と共に、見舞う:

2016年08月17日 | 健康

伯母を伯父と共に、見舞う:

お中元ではないが、季節の便りの梨を伯父から戴いたので、糠地の桃をお礼に持参しながら、久しぶりに、一緒に、介護施設に伯母を見舞うことにした。そう言えば、もう3年も経ってしまったのか、時間が経つのは早いモノである。伯父も、以前、脳梗塞で、大手術を乗り越えて、回復したのに、皮肉にも、あんなに、一生懸命、看病もして、山歩きもしていた元気だった伯母の方が、今度は、自分が、脳梗塞で倒れてしまう、逆に、一命を取り留めながら、右半身が麻痺して、更には、命と引き替えに、胃ろうまでされた上に、曾孫の誕生を待ちかねながら、ニコニコして、見舞い人をどこまで、認識しているのか、どうか、判らないが、出迎えてくれた。もっとも、伯父の方も、脊柱管狭窄症が悪化してきてしまい、看病に、毎日来ていたのに、結局、来られなくなってしまい、見舞い人二人とも、杖をつきながら、車で、来る始末である。もう、伯父伯母も二人づつになってしまったが、二人とも、伯母は、介護施設で、伯父達も、腰が悪くて、一人暮らしを強いられているのが、現状である。何でも、最近では、週二度のヘルパーさんに助けられて、洗濯機や電子レンジの使い方もマスターして、何とか、日常生活を送っていると、後どれくらいの時間が残されているかは、判らないが、思い立ったら、吉日ではないが、気が向いたら、顔を合わせることくらいは、してみることにしようか、そうすれば、亡き母も喜んでくれるかも知れない。それにしても、最近、人生の終末について、色々と考えさせられることが多い様な気がしてならない。

 

 


警察からの突然の電話:

2016年08月04日 | 健康

警察からの突然の電話:

突然、携帯電話に見知らぬ番号から、電話があった。いつもなら、そのまま、パスするところであったが、たまたま、電話がかかってくる予定があったので、電話口で対応すると、何と、宮古島警察署からの電話であった。ヒョッとして、宮古島と云う事は、私の友人で、宮古島在住の彼に何かがあったのかと瞬間思った途端に、向こうから、29日に部屋で、ご遺体で見つかったとの由で、たまたま、私の電話番号が電話帳に記載されていて、家族の連絡先を問い合わせる電話であった。要するに、自宅マンションで、『孤独死』であったらしい。2週間程前に、何でも、突然、突発性の難病に罹り、東京の病院に入院していたとかで、食事も、大好きだった蕎麦も、グルテンが含まれない十割蕎麦が、食べたいというので、アマゾンから、送附して、受領確認がされたばかりだったのに、、、、、、。何とも、人生、複雑な思いである。その時にも、電話で、孤独死にならないようにね、などと、軽口を叩いたのに、全く、人生、分からないものである。高校一年の時の同級生だったから、もう、50有余年の付き合いである。結婚式にも出席したし、レストランを開業したときも、時々、顔を出したり、自由が丘にフレンチのレストランを移転・開業した後も、結構利用したものであったが、離婚にも、遭遇したり、その後も、老母の介護に明け暮れて、その果てには、遺産の財産分与を巡って、兄達との骨肉の争いの果てに、結局、店を閉店して、生前財産分与の一部を返済したり、子供がいなかったために、沖縄、宮古島へ、移住することにしたらしい。5年ほど前のことだったろうか?2回ほど、女房殿と一緒に、宮古島へゴルフ旅行に行ったりしたときに、旧交を温めたりしたり、宮古島のマンゴーを、毎夏、送って貰ったりもしたものである。全く、人生とは何で有り、人生の終わりとは、どのように迎え、その前に、どのように準備したらよいのであろうか?全く、考えさせられてしまう。新聞や、報道で、『孤独死』の問題は、遺品の整理や、遺骨の処置も含めて、様々な問題があることは、見聞きしていたものの、一体、葬式の日程は、遺骨は何処に葬られるのであろうか?熱心な仏教徒だったから、お経の一つも、挙げてやりたいところであるが、どうしたものであろうか?早速、別の『孤独死』候補の友人には、メールしておいたら、『他人事ではないね!』と返信があったが、こちらは、長男がいるから、安心だろうか?もっとも、一人暮らしには、変わりはないが、、、、、。人は、子供の頃、虫や小鳥や魚の死などで、或いは、可愛がっていたペットの死を通じて、更には、祖父や祖母や、或いは、親兄弟などの死を通じて、自分の人生を見つめ直しながら、大人になってくるのかも知れない。その意味では、伊集院ではないが、別れることと別れる力というモノが、生きる力にもなるのかも知れないが、歳をとるにつれて、ある種の喪失感というモノも、芽生え始めるモノであろうか?何とも、残りの人生を改めて、感じる契機となったことは間違いないであろうか、冥福を祈りたいモノである。

 


蛍光管の取り替え作業に考える:

2016年06月15日 | 健康

蛍光管の取り替え作業に考える:

いつごろのことであったろうか、何かのニュースで、一人暮らしのお年寄りが、電球を交換できないので、電気屋さんか、便利屋さんに、依頼して新しいモノに、交換して貰うサービスを利用しているのをみたことがあったが、その時は、いやはや、大変な作業であると、同情していたモノである。突然、部屋の蛍光管が、パカパカと一瞬輝いた後に、プツンと切れてしまった。昔は、結構、頻繁に、電球が切れたモノであるから、電球の交換作業は、子供の仕事で、年寄りからは、お小遣いでも貰うこともあったモノである。しかしながら、こうして、段々と、余輩を重ねてくると、蛍光管が切れたときには、自分で、椅子の上に立って、カバーを開けてから、2本の蛍光管をつけなければならない。もっとも、最近の電球や蛍光管は、LEDではないが、なかなか、寿命が長いから、カバーの開け方なども、良く覚えていないし、そもそも、蛍光管を取り替えた記憶自体が、一体、いつのことやら、覚えていない。椅子の上に、立つ事自体が、バランスが悪くて、そんなに、長い間、カバーをうまく開けて、そのまま、たったまま、2本の蛍光管を上手に、取り付けられるであろうか?いやはや、結構、難しいモノである。しかも、4本のプラグを、所定の位置に接続して、みるが、うまく行かない。思ったよりも、手強い感じである。結局、10分程の悪戦苦闘の末に、無事、何とか、交換が完了したものの、改めて、こんな些細なことも、実は、大変な作業なのであることを、思い知らされた。次の蛍光管交換は、一体、いつになるのであろうか?その時、自分は、一体、幾つなのであろうか?

 


ミニマリストに考える:

2016年03月19日 | 健康

ミニマリストに考える:

その昔、どこかのブランドに、シンプル・ライフなるものが、有ったことを記憶しているが、ミニマリストなる言葉が、最近、聞かれるので、偶然、想い出した。一体、シンプルという意味と、最低限という意味でのミニマムという意味は、どのように違うのであろうか?ものの整理が、日本でも、アメリカでも、心の中で、ときめいたものとときめかないものをひとつの基準として、判断材料として、設定して、捨てるか、捨てないかを、決めると云うが、その意味では、生き方としては、そんなに、シンプルとか、ミニマムとかという言葉で、語られるのであろうか?そう言えば、断・捨・離などというものを如何に処分するかは、可能であろうが、統一的なデザインのシンプルな家具とか、確かに、ものを揃えたり、処分したりは、可能であろうが、心の在り方とか、生き方を、どのように、こうしたコンセプトのもとで、語ろうとしているのであろうか?時代というものは、面白いモノで、バブル期には、間違いなく、こんなミニマリストなる言葉は、受け容れられなかったことであろう、やはり、24時間戦えるだけのエネルギッシュな、大きいものは良いものだ!的な心の有り様が、必要だったのかも知れないし、バブルがはじけると、途端に、清貧の心を、メザシを食べるとかということになるのであろうか?そうした意味合いからすれば、ものの整理も処分方法も、断・捨・離も、或いは、ミニマリストと言う言葉も、所詮は、そういう時代背景を反映したものなのであろうか?それにしても、余りにスッキリ、し過ぎていると、何か、落ち着かないのは、どうしたものだろうか?困ったものである。

 


若年性パーキンソン病:

2016年01月11日 | 健康

若年性パーキンソン病:

もう、40年程も前になるが、アメリカ人の秘書が、もっと、良い給料を求めて、突然辞めてしまった後に、日本人であったが、現地に子供の頃から、在住する英語のうまい日本人秘書を雇ったことがある。とても、英語の発音がネイティブなみに上手で、私などは、足許にも及ばず、英語の手紙などのディクテーションにも、適当に、表現を直して貰ったりもしていた。或る日、仕事中に、突然、筆記の手を止めて、居眠りをし始めたので、大きな声で、注意したところ、何でも、パーキンソン病の薬の服用が原因で、薬が強すぎて、時々、意識を失うと説明があったので、呉々も、運転には、気をつけなさいと、言ったことを想い出すが、それが、私にとって、この病気の患者を身近に感じたことの初めての経験であった。何でも、100以上の業態の外食企業を、一部上場にまで、押し上げることに成功した若い創業者社長が、この若年性パーキンソン病であることを公表したそうである。それにしても、ホーキンス博士で有名になったこの病気は、脳がしっかりしているにも拘わらず、筋肉が収縮して、行動の自由がきかなくなり、最期には、呼吸器までもが、萎縮してしまい、死に至る恐ろしい難病の一種である。しかしながら、外食などと言う業態は、もともと、創業者にカリスマ性が備わっていないと、なかなか、マクドナルドの藤田田や、モスの桜田など同様、うまく、行かないものであろう、どんなに、部下やパートナーや、その継承者が、優秀であっても、それを補うに足るカリスマ性と創造性・指導性・求心力は、創業者には、なかなか、叶わないモノである。それを考慮すると、この先、そんな展開が、この会社には、将来待ち受けているのであろうか?病気と時間との闘いなのであろうか?誠に、残念なことである。若年性アルツハイマーも怖いが、この病気も、或日突然、前触れも無く、襲ってくることを忘れてはならない。

 


後輩の健康を気遣う:

2015年12月09日 | 健康

後輩の健康を気遣う:

昔の会社の上司達も、今や、80を超え始めるとなると、年賀葉書にも、これにて、筆を置きますというような案内が、舞い込んでくるようになる。兎にも角にも、健康で、一緒に食事や酒が美味しく飲めれば、それが、年に一度でも、構わないと、最近では、思うようになってくる。それでも、友人達とは、毎日が、皆、サンデー毎日だから(?)いつでも良さそうであるが、とにかく、せっかちな性格揃いばかりだから、思い立ったら吉日とばかり、一番早い日を設定するのが、だいたい、暗黙の了解である。そんなことで、例によって、中間地点で、落ち会って、会食すると、だいたい、健康談議から、始まり、誰が、癌に罹ったとか、そんな話しか、出てこない。未だ、年齢が近い同年齢であれば、納得が行くものの、後輩だったりすると、複雑な思いがするものである。話題に登った後輩の内で、ひとり、統合失調症に、もう、卒業時代頃から、罹っているものがいるが、いつも、決まって、メールのやり取りも、葉書も、マメに、返してきていたのに、とんと、ここのところ、返事が来ない。思い切って、久しぶりに、電話をしてみたら、お兄さんと称する家族が電話口に出てきて、「もう、一年も前から、入院していて、文字も読み書きもできないし、人物も識別出来ず、看護師をぶん殴ってしまうほどですよ、もはや、出られる状態ではありません。処方された薬を全く服用していなかった為だそうです。」と、とりつく島もない説明であった。辛うじて、病院名を聞き出して、検索し、電話すると、確かに、間違いない。住所・年齢・名前が一致する。それにしても、病状も安定して、回復基調にあったのに、どうしてしまったのであろうか?一人暮らしでは、やはり、薬の管理が出来ないとか、新聞などでも言われているのは、知っているものの、やはり、そうなのであろうか?誠に、難しいことである。一人暮らしの患者というものは、とりわけ、長い間、精神を患う疾病では、社会復帰も覚束ないのであったのであろうか?それなりに、地元では、頭も良かったのであろうし、大学院までも、卒業していたのに、或いは、周りからも、将来を嘱望されていたであろうに、何とも、残念な、残酷な結果である。世の中、なかなか、うまく行かないものである。ギターもうまく、中国語にも、精通していたし、パソコンも独学で、HPを立ち上げたり、川柳に投稿して、入賞したり、同じ病いの患者達への励ましの活動を、ネット上で、激励投稿を継続して、頑張りながら、支援し続けていたのに、その支援する側から、自らが、病に敗れ去ってしまったとは、何とも、虚しさだけが、残るものである。人生、実に、色々である。そして、時間の経過も、これ又、一瞬の瞬きの如しではないだろうか!お見舞いの品を贈ることくらいしか、今の私には、出来ないのも、又、紛れもない真実であろう。何とも、心痛む出来事である。

 


健康に考える:

2015年12月05日 | 健康

健康に考える:

現役の若い頃は、風邪ですら、患ったことは、あまりなかったし、ましてや、寝込むなどということは、滅多になかった程、健康には大層、自信があったものである。考えてみれば、昔は、確かに、夜遅くまで、飲んでいても、翌朝には、朝一番に、二日酔いでも、出社しろなどと、良く言われて、そんな社内教育を、上司から、受けたものである。そんな我々の世代も、既に45年ほども、経過してくると、既に、病を得て、その結果、家族を遺して、帰らぬ人になってしまった友人やら、取引先の人達が何人もいるのが事実である。そして、毎年、年末間近になると、忘年会や懇親会の席には、知り合いの訃報が、知らされて、冒頭の黙祷で、会が、始まったりするものである。今年も又、ご多分に漏れず、同じような有様で、自分の健康もさることながら、友人達も、同じように、身体のパーツが、長い間の金属疲労の結果、耐用年数が過ぎることで、メインテナンスの必要や、取り替え時期に差し掛かかりつつある。それにしても、健康管理だけは、どれ程、声高に、経営者や組織のトップが叫んでみても、最終的には、冷たく、「自己責任」という一言で、ぷっつりと、終了してしまうものである。「便りのないのは、良い知らせである」などと、タカをくくっていると、既に、重篤な病に罹っていて、死の床に、ついているとか、風の噂に聞きつけたり、手紙を書いても、以前は、筆まめに、返信してきてくれたのに、一向に、時候の挨拶も、来なくなると、急に胸騒ぎがしてくるものである。最近では、思いついたときに、すぐに、落ち合って会食したり、できる限り、即実行することを心掛けている。そうでもしておかないと、いつ何時、お互い、どうなるのか、分からないし、後悔することになってしまうかも知れないから、、、、、。喪中葉書が、一段落すると、今度は、年賀葉書に、どんな近況報告が、綴られているのであろうか、お互いに、気になるところである。

 


喪中葉書の変化にみる時代:

2015年11月30日 | 健康

喪中葉書の変化にみる時代:

毎年、11月末から12月掛けては、喪中葉書が、次々と、舞い込んでくる。昔は、友人達からの喪中葉書は、両親が、中心で、それも、60代やら、70代やらが、多いような気がするが、最近のそれは、90代やら、100歳間近で、亡くなってしまったとか、介護から解放されたとか、長寿社会を反映してなのだろうか、何とも、時代を感じるものである。もっとも、両親などの場合には、それはそれで、順番だからとまぁ、納得(?)は、されようが、昨今では、これが、両親、伯父伯母から、徐々に、兄弟や、姉妹、連れ合いだったり、更には、子供や、娘婿だったりと、誠に、自分よりも、ずっと、若い人達の訃報をしたためられると、誠に、心痛いものがある。もっとも、友人達の何人かは、お中元の品を贈ると、必ず、筆まめに、御礼や時候の挨拶を、返してきていたのに、突然、ぷっつりと、返事も来なくなると、おおいに、病状が心配になるところである。誠に、ゆったりとした時間があって、それなりのお金に、困らず、健康で、家族の問題や介護の問題がないなどということは、一生のうちで、そんな条件が揃った時が来ることがあるのであろうか?いつも、喪中葉書を受け取る頃には、色々と、考え込んでしまうものである。そろそろ、年賀葉書の準備をしなければならない時期が、又、やってくることになる。

 


一寸、気になるCM:

2015年11月24日 | 健康

一寸、気になるCM:

ダイワハウスのCMに出てく竹野内豊が、何気なしに、心の裡を語るつぶやきが、何やら、気になって止まない。二人の子供達が、ボール遊びで、天井まで届かんばかりに、ボールが浮き上がっても、結局天井には届かず、思わす、その妻が、「天井が高くていいわねぇ!」と云われたので、「そうだねぇ!」と思わず、本音とは別のつぶやきが、思わず、出てしまった。しかも、それが、一度ならずとも、二度も、自分を偽って(?)同意してしまうのである。それは、丁度、平和な理想的な円満な家庭なのか、それとも、見栄えの良い夫婦関係なのか、或いは、それを演じている自分が、実は、愚かしいいのか?最近、CMには、この種の風景が、やたらと、多いような気がする。リリー・フランキーをして、「俺は、家庭では、野党である」、とか、ラ王のラーメンを作ってくれと、妻に、はっきりと、ものを云えない西島秀俊演じる夫とか、昨今は、こうした、「亭主の心の裡」を吐露するかのような類のCMが、数多く観られると云うことは、それだけ、亭主が、精神的に、誰かの眼に見えない重圧に、押しつぶされてしまっているという時代背景があるのであろうか?私には、それが、分かっていても、誰だなどとは、断言出来る勇気は、残念乍ら、持ち合わせていないからこそ、一寸、気になってしまうのであろうか?昔なら、主客転倒して、髭を生やした偉そうな親爺が、「天井が高い方が、良いなぁ!」と妻に向かって、同意を求めそうなCMであろうが、時代も、変わったモノである。若い現役のご主人達は、如何が、受け止めるのであろうか?気になるところである。

 


病室から眺める日本の現実:

2015年10月30日 | 健康

病室から眺める日本の現実:

若い頃、歳をとってからの手術とか、入院というものは、精神的に、ガックリくるだろうかと思って、事前に、経験を積んで、事前に、予行演習のつもりで、50代になってから、未だ、忙しい頃であったが、痔核の除去手術に、2泊3日で、勇躍入院することにしたことを想い出す。そんな時、80代のおばあさんまでもが、車椅子に乗って、入院していたことをも、同時に、記憶したいる。それから、もう、10年程も経過しただろうか?動脈硬化が進行してきて、いよいよ、心臓の冠動脈に、血管の詰まりが生じて来て、動脈硬化から、狭心症の疑い有りへ、更には、心筋梗塞に至る危険性があるとかで、取りあえず、CTスキャンで、精密検査してみることにした。すると、案の定、2箇所の血管の石灰化と詰まりが発見され、結局、循環器内科の専門のドクターからは、二泊三日の検査入院の上に、出来れば、その結果次第で、追加措置、即ち、左心室の冠動脈へと至るように、右手首から、挿入するステントで、石灰化している部分を拡大・開通化する手術を、行うことにした。それにしても、都会の巨大病院とは、凄まじいまでの、まるで、巨大なマシーンのような様相である。極めて、合理的に、運用されていて、ベルトコンベヤーに乗って、運ばれていくような商品のようなものであろうか?右手首の動脈あるところには、紛れもなく、まるで、リストカットのよう(?)ではないが、小さな針跡が、しっかりと残っている。それにしても、径が3ミリ、長さ15ミリのステイン挿入が、画面を観ながら、3人の専門医ドクターが、実施することになる。僅か、1時間程での検査・手術完了である事に驚く。それにしても、患者は、年寄りが多くて、同室のうち二人は、85歳、95歳で、ほとんど、痴呆症ではないかと疑われるほどで、そんな歳になってから、命の延長をもっとリスクの高い手術を受けなければならないという究極の命の選択をやりたくないものである。それにしても、若い看護師さん達の奮闘には、実に頭が下がる思いがする。朝早くから、シフトがあるとはいえ、夜勤も、これ又、大変である。ナース・コールのやり方が分からない高齢の患者や、転倒防止のマットの上を歩けば、夜中でもすぐに、ステーションから、やってきたりと、フロアーの掃除も、病院食の配膳でも、ベッド・リネンの交換も、実に、大変な事であるものの、確かに、極限まで、合理的なシステム化されているのには、改めて、驚かされる。しかも、救急病院に指定されているので、都心部の救急車が、夜中でも、ピーポ、ピーポと、ひっきりなしに、やってくるのが、寝ていても、理解される。医師不足とか、看護師問題とか、差額ベッドとか、様々な課題が、解決されないままではあるものの、アメリカの医療制度に、較べると、恐らく、ずっと、まだ、日本のそれは、マシなのかも知れない。それにしても、病院食のカロリー・コントロールや塩分の計算には、驚かされる、しかも、1食650キロカロリーで、3食、量までも、全く、それに応じて、個食化されているところをみると、毎日、大皿で、食べ過ぎであることが、反省と共に、再確認された。上品な小さな小鉢が必要になろう。或いは、お子様用の小さめの食器が必要になろうか、もはや、血液が、ドロドロであると宣告された次第であるから、これからは、血液サラサラ食品を食べることと、薬の服用が不可欠となろう!さもなくば、コレステロール値も血糖値も下がらずに、糖尿病予備軍から、正規軍へと進んでいてしまうことは必定であろうと、宣告されてしまった。長年、ヘビー・スモーカーだった、小学校の同級生は、同じ頃、心筋梗塞の発作で、救急車で運ばれた上に、3日3晩、生死の淵を彷徨って、やっと、生還したと、その前の週に、メール連絡してきた。改めて、余命と謂うよりも、健康寿命とは、何年くらいが自分には、妥当するのかを考えさせられてしまう。今回は、事前に、点滴と服薬で、ステロイドの投与をおこない、造影剤によるアレルギー反応で、瞼が垂れ下がったり、頬が火照ったりはせずに済んだが、今後も、気を抜くわけにはゆかない。それにしても、短い期間ながら、病床から眺めた景色は、日本の縮図そのものであることに、気づく。短いながらも、非日常性の中の生活から、実は、日本の現実を見つめさせられるようでいて、実に複雑な思いがする。しっかり、高額医療標準負担の削減認定証の申請も、お陰様で、活用出来るのは、有難いことである。それにしても、人生の終焉を病院で迎える高齢者が増えている現実がある限り、次の入院の時は、一体、どうなるのであろうかと思う。


三拍子はなかなか、人生では、揃わない?:

2015年09月08日 | 健康
三拍子はなかなか、人生では、揃わない?:
もう、友人達と飲んでも、出てくる話は、まずは、初めの1時間程度は、健康問題ばかりで、誰が病気だとか、やれ、亡くなってしまったとか、、、、、である。考えてみれば、金に困らずに、時間があって、健康で、ストレスがなく、夫婦・家族円満などという3拍子・4拍子・5拍子揃うことは、長い(?)人生の中で、あるのであろうか?親から、たんまりと、財産相続を貰うか、テメェの稼ぎで、たんまり、溜め込まないでもしない限り、少なくとも、カネに苦労することはないし、若い時には、がむしゃらに働けば働くほど、中年になってから、間違いなく、そのつけは、自分に、廻ってくるものであることは、友達を見ていても、間違いなく、事実であろう。そんな風に、考えてみると、間違いなく、余裕が出来てくる頃には、何処かしら、ほころびが、出てきてしまうものである。カネがあっても、健康に恵まれずに、健康に恵まれても、仕事がうまく行かずに、或いは、夫婦・家族の問題があったり、時間ができて、さえ、これから、自由な時間を旅行やゴルフ三昧と考えていたら、健康を害したりと、全く、思うようには、ゆかないのが、人生である。仏教の煩悩などと言うものは、よく言ったものである。「これでよいのだ!」などと、赤塚不二雄をして、言わしめたのも、植木等が、「分かちゃいても、やめられない!」という実に、印度哲学並の名言も然りである。突然、左手の握力が衰えて、更には、心臓裏の背中に、違和感を覚えたりすると、スワ、脳梗塞や狭心症の疑い有りやとも、思い悩み、脳ドックやMRIでも検査しなければいけないかなどと、思い始めるものである。実に、健康寿命等というものは、結果論であって、予測不能なものである。白内障の手術で、友人は、両眼のレンズを交換できて、裸眼で、視力1.2まで、回復したから、よかったが、依然として、人工透析は、週三日、各4時間していると云う。部品交換が効くものと効かないものとでは、何とも、辛いものがあろう。そえにしても、人生、3拍子も、4拍子も、なかなか、一気には、揃わないものであることを学んでおかなければならないであろう。そろそろ、金属疲労してきた肉体のオーバーホールの時期にきているように、薄々、感じているが、どうやら、その時期が近づきつつあるような身体の予兆である。寒い時期には、冬眠ならぬ病院での検査入院も視野に入れなければならないか?もっとも、散々、これまで、生命保険料も、納め続けてきているのであうから、保障をエンジョイしても、良さそうである。高齢者医療費が、嵩むなどとは、云わせないぞ。正当なる権利の行使に過ぎない。

戦後70年談話に見るキーワード:

2015年08月17日 | 健康
戦後70年談話に見るキーワード:
今日では、何かをネット検索するときには、所謂、「キーワード」を打ち込むだけで、関連する資料が入手出来る。成る程、これを逆手にとって、談話やスピーチは、逆に、本来、言いたくない言葉でなくても、それらをちりばめておけば、それなりに、表面上は、綺麗なキラキラと輝くような談話にもなるという訳である。そういう意味からすれば、既に、近隣外交問題化してしまったこの問題に対して、世論も含めて、或いは、安保関連法案による支持率の低下を気にするものから、上述のような4つの「キーワード」をちりばめることになったのであろう。それにしても、所詮、こういう努力を払った割には、依然として、反日を国是とする韓国や、抗日戦争を唯一の政治的正当性の存在として目論む中国共産党にとっては、何を言おうが、言うまいが、或いは、キーワードを入れようが、批判の対象にならざるを得ないことは、非をみるより明らかなところであろう。所詮、言葉というものは、明らかに、その発するところは、行動と意識に裏打ちされて初めて、言葉も、輝きを増し、受け容れられるものであることは言を俟たない。その意味で、毎年の全国戦没者慰霊式典に於ける天皇のコメントは、70年戦後談話に較べて、ずっと、その言葉の重みとこれまでの行動において、重いモノがあろう。詳細に、英語の翻訳も読んでみたが、事変が、incidentなる軽い、言葉になっているとは、驚きである、そこには、「事変」によって、どれ程の人々の人生や運命が狂わされてしまったということは、全く感じられず、まるで、他人事みたいに、単なる事件のように、響いてくる。ましてや、将来の孫や子孫に、お詫びを継承させないとなると、一体、日本人は、原爆の際に、「過ちは二度と繰り返しません!」と世界に、誓った 絶対平和主義の理想は、積極的平和主義という言葉の中で、如何なる位置を占めることになるのであろうか?如何なる言葉よりも、今後は、どのように、談話に盛られたキーワードの精神が、具現化されてゆくのかを一人一人の国民が、見守り、作り上げてゆくしか途はないとも思われるし、多いに、監視してゆかなければならない。言葉を言葉たらしめるに足る個々人による行動と実現しか途は残されていないであろう。


四年目の術後診察:

2015年07月24日 | 健康
四年目の術後診察:
もう、丸3年が経過したのか?早いモノである。脊柱管狭窄症による腰・臀部の痺れによる歩行障害の改善の為に、背中の骨に、チタン製のホッチキスのような針を三箇所に埋め込み、更に、骨の固定用にセメントのようなものを注入するという五時間に亘る微妙な全身麻酔による高度医療手術であった。1年に一度、腰の周り6箇所をレントゲン撮影して、前年との経時変化を比較検討するモノである。一応、問題ない範囲で推移している。それにしても、最近では、腰の痛みは、認識行動学ではないが、脳の方で、勝手に、痛みを増幅するとか云う説も現れているものの、私の個人的なケースでは、痛みよりも、むしろ、痺れといおうか、感覚の神経の麻痺で、感覚の伝達が、鈍くなってしまい、歩行が、続かなくなり、休み休み歩かないと駅までの僅か7分程度の歩行も、結局、途中で、3回ほど小休止して、屈伸して、膝・腰を伸ばさないと、筋肉が硬くなって硬直してしまう訳で、結局、3倍ほどの時間を費やさないと歩けなくなってしまったという症状であった。3ヶ月も順番待ちの結果、東京、西五反田のNTT東日本関東病院(旧関東逓信病院)での若い専門医の執刀による全身麻酔の5時間に及ぶ手術と7日ほどのリハビリのお陰で、今や、休み無しに、1時間半ほどでも歩行可能になり、自転車による四国遍路、阿波決め打ちの旅も(1番から17番まで)、可能になりました。今後は、どしどし、運動を重ねてやりたいことをやって下さいと、担当医師から、お墨付きを戴きました。それにしても、何と数多くの整形外科の患者であろう事か?成る程、これでは、医療費も、年々、増加の一途を辿るわけである。又、来年の診察日を決めて、帰ってきましたが、まずは、ホッとしました!。

四国お遍路の旅、阿波決め打ち脚ならし篇:その6:自販機と水:

2015年07月17日 | 健康
四国お遍路の旅、阿波決め打ち脚ならし篇:その6:自販機と水:

歩き遍路の人の説明では、人間は、3日くらい食事をとらなくて、何と言うことはない、決して、死ぬことはないが、水を補給しなければ、間違いなく、死に至ると、とりわけ、山の中に入ってしまったときには、人間は、所詮、水分から出来ていることを改めて再認識すると、成る程、1リットル以上の水を携行していても、雨でも関係無い、汗をかくどころか、水分補給しないと身体が持たないのである。そんな分かりきったことが改めて実感される。走行すればするほど、歩けば歩くほど、水分を身体が必要とするのである。ジュースなども、もはや必要ない。湧き水でも雨水でも良いのである。山中で、喘ぎあえぎ、自転車を押しながら、歩いていると、今度は、ガス欠ならぬ、水欠に気がつき始める。こんな山の中で、一体何処に、水が、入手出来るのか?いざとなれば、沢の水を汲めば宜しいかな?そう思うと案外、気が楽になるも、水を汲もうとして、沢に転落はしないかな?怪我はしないだろうか?何とも、人間とは、色々な最悪の事態を考えるモノである。まぁ、車が通る道だから、倒れても何とか、誰かが、自転車を見つけてくれるであろうか?死ぬことはないであろうと、、、、、、。どれ程先に、自動販売機はあるのであろうか?必要な時には、案外、気にもならないし、自動販売機の存在それ自体に気が付かないモノである。必要でないときには、眼に入らないモノである。そして、本当に、必要とされるときには、手に入らないモノなのであろうか?何か、まるで、銀行からの融資のようではないか?必要な時には、手に入らず、必要で無いときには、結構、備えがされている。今回の旅行も、同じような教訓が導き出される。必要だと思って持参したモノは、あまり、用を足さず、実際、必要になったモノは、持参していなかったとは、実に、皮肉である。雨のために、予備として、持参したモノは、役立たず、アナログのポリ袋のようなモノのほうが、役に立つとは、困ったことである。それにしても、予想と予測、想定内と想定外とは、一体、何処から、こうした差異は、生じてくるのであろうか?まだ、旅行だから良いものの、これが、人生そのものだったら、どうなるのであろうか?安全対策上、被っているヘルメットの中から、耳紐の辺りに、どうやら、熱いお湯のようなモノが、したたり落ちるようになってきた。どうやら、汗が、暖まってしまったようである。いつも、冗談で、冷や汗しかかかないのに、汗は、冷たいモノと思っていたのに、何とも、皮肉なことである。
後で、そんな光景を想い出して、一句浮かんだ。
「冷や汗も 熱くしたたる 鬼龍野(オロノ)谷」
おまけに、行けども行けども、下り坂が終了すると、再び、峠で登りである。又、登りながら自転車を押す。この繰り返しである。やや、街の外れとおぼしきところへ出てきたので、自動販売機も期待できようものの、全く、コンビニも食料品店も自動販売機も見当たらない。いよいよ、残り少ない水を最期の一口残して、飲み干して、自転車を漕いでゆくと、行く手に、お店の横に、自販機が見えてきた。まるで、思わず、手を合わせて、拝みたい気持になるのは、都会の自販機とは大違いである。神山温泉に到着するまでに、結局、2回ほど、自動販売機で、冷たい水分補給をした。しかも、水とビタミン・ドリンクと一寸甘いネクターである。それにしても、車ならば、冷たい飲料水を積み込んでおけばそれで済むわけではあるが、自転車では、そうはゆかないことを改めて、実感する。13番大日寺でお握りを食べ終えてから、難行苦行、神山温泉に到着するまでに、結局4時間ほど、午後5時頃に、ヘトヘトになって、転がり込むことになった。山中、二人同行して貰った金剛杖を丁寧に洗って、床の間を見ると、紫陽花の花が、床の間に活けられていた。窓の外には、水車小屋が目にとまった。やっと、景色にも、目が行くようになったのであろうか?何せ、100m程度先しか、これまでは、見ていなかったような気がしてならない。景色は、本当に天気がよいときでなければ、或いは、心に余裕がなければ、愉しめないモノであることが、再認識された。ヌルッとした天然温泉の神山温泉で、この日は、ゆっくりと、疲れ切った筋肉をほぐし、入浴できた。