昔、文化大革命の最中に、修正主義者と三角帽子を被らされて自己批判したにも関わらず、それ以後、不倒翁として、復活し、改革開放を推進した鄧小平がいみじくも、<鼠を捕獲する猫は、その毛色に関わらず、黒い猫でも鼠を捕獲する限りは、白い猫と同じだ!>と、宣ったものだが、<アベノ・マスクと揶揄されるこのマスク>も又、布製マスクにその機能性においては、一向に変わりはなく、アベが嫌いだからと言って、私の友人みたいに、<アベノマスクなんぞ、つける気がしないから、誰か欲しい人がいればくれてやる!>と、子供じみた言い訳をして、赤子の如くごねる頑固な年寄りも身近にいる。私は、元来、アレルギー性鼻炎に悩まされ、冬場から春先に掛けては、必ずマスクの備蓄をしているから、不要ではあるものの、折角、血税をはたいてまでも、緊急に、海外から輸入したマスクだから、私は、鄧小平ではないが、<マスクに、イデオロギーの区別はない>と言うことで、喜んで、使わせてもらうことにすると、初めから決め込んでいる。尤も、一部の妊婦用マスクには、虫や毛髪の異物混入が散見されていて、未配布のロットは、全て、配布中止となり、再検品実施とか、何とも、その対費用効果の検証も含めて、お粗末極まりない対応である。果たして、政府の概算予算通りに実際、カネがいくらで、どこに流れているのか、3社以外に、もう一社は公表されていないと謂われているが、、、、、どうしたものなのであろうか?この緊急時に、重箱の隅をつつくようなそんな議論は、御法度だとばかり、あげつらう人もいるが、、、、、。
それにしても、今回の新型コロナ・ウィルス禍は、<情報の更新と訂正アップデート不足>でありましょう。そもそも、習金平による情報のコントロールで、彼への忖度も含めて、例えば、<若者は軽症である>、<致死率もそれ程高くない>、<接触より飛沫感染中心で>、<無症状患者は感染者の数字に入れない>、<高熱3日間、咳症状>等など、現状では、結局、港や空港での水際阻止対策失敗から、初期のクラスター追跡潰しへ、そして、一挙に、無症状・無自覚者による、エアロゾルや飛沫感染、或いは、接触感染、3密による重なり合う重複条件だけではなくて、今や、一密でも、ジョギングですら後続ランナーやウォーキングには、屋外でも感染する恐れありとか、、、、一体、<状況・事態の推移に応じた情報の修正・アップデート不足>により、感染症対策を自認する高名な専門家と称する先生方ですら、混乱している。尤も、そういうウィルスであることが徐々に分かってきたのかも知れないが、、、、。考えてみれば、国情・国民性・金融財政状況、都市の人口規模や交通網の整備によって、中国モデル・台湾モデル・韓国モデルなど、況んや、北海道モデル、和歌山モデルとか、神奈川モデルとか、個別地域事情に応じて、或いは、感染の進捗状況に応じて、ビジネス・モデルではないが、当然、対策の採用モデルも、異なってくるものであろう。むろん、院内感染による医療崩壊とか、専門病床の確保とか、何故、あれ程、SARSや新型インフルの蔓延の時にでも、PCR検査の体制整備とか、整えられてこなかったのであろうか?
海外出張のコネクティング・ルーム・スキャンダルで肝心の大本営が、感染症対策予算の削減を目論んでいたり、全く、<旧帝国・日本軍の失敗の本質>を、70有余年経った今日でも、ガダルカナル方式の小出しのチマチマした、逐時投入方式で、お茶を濁すやり方は、今日でも、変わっていない。しかも、国会議員は、歳費の2割返納だとか、全くまやかしばかりのその他付帯経費はそのまま戴いておいて、お茶を濁す一方で、当初決定されていた30万給付が、公明党(創価学会中心の)連立離脱という恫喝に屈して、一挙に一律10万円という方式で、落としどころを見つけたようである。一体、この支給時期も、いつになるのであろうか?家賃や人件費・リース代などの固定費の支払いが、月末に迫り来る中で、フリーランスも含めて、或いは、非正規雇用労働者や飲食業・旅館業・観光バス等も含めて、<何の為の住民基本台帳やマイナンバーの登録やe-Tax申告推奨>だったのであろうか?
休業補償とセットでない、外出自粛要請は、一部の品格のない薬物中毒まがいのパチンコ・麻雀やキャバクラ・性風俗店による勧告を無視した営業の継続などは、<単に倫理的な理由ではなくして、法的な網のかけ方の欠陥によるところの盲点>で、謂わば、<補償対象外の企業だからだった>そうである。もし仮にそういう理由が事実であれば、ソリャァ、必死こいて、営業継続する訳である。何故、マスコミは、そういう具体的な事実を公表しなかったのであろうか?評論家の桜井氏ですら、知らなかったとテレビのオンエアーで、公言していたが、、、、、、。又、実態は、国家的な賭博業であり、ある種<賭け依存症中毒症>や超法規的な景品現金化換金とか、こういう時期になって改めて、グレイ・ゾーンを考え直すべきではないでしょうか?何故、街の小さな銭湯が三密になるかと謂えば、スーパー銭湯は営業自粛の対象となるが、小さな銭湯は、線引き外に該当され、対象外であるという理由だそうである。これでは、県境を跨いで、パチンコ屋へ中毒患者が、出かけたり、銭湯へ殺到するわけである。何も、利益の完全補償というわけでなくて、<家賃・リース代金や従業員の賃金だけでも、、、、>非正規・正規とを問わずに、自動的に、On Lineでも申請受理・給付すべきではなかろうか?いくら、緊急事態宣言であったとしても、<走りながら考え、検証し、方針を打ち出す柔軟な思考と行動形態>が、経営者のみならず、官僚にも、政治家にも望まれよう。学費や奨学金も含めて、無利子融資や金融支援も同様ではなかろうか?どうも、<国家の責任と首長への権限委譲という狭間>で、いつも、犠牲になるのは、弱者である国民であり、自宅待機中で、ある日突然、軽症から、重篤化して、入院予定前日に、命を落とす例なども、散見される。これも、病床確保というお題目から、派生した悲劇の一つであろう。それにしても、<国家の責任と首長への権限・指示の丸投げと責任の線引き>が、今回ほど、各地方都市の財政状況の違いから、ハッキリと対立・競合が垣間見られたのは、単なる小池氏の元宣伝広報担当と、政府・与党内部での主導権争いと迷走ぶりを観ても、十分国民目線でも容易に、理解出来よう。
星野源の人気にあやかろうとしたのかは分からぬが、その真似をした動画の配信では、一度も、自らの言葉で国民へ語ることなく、これ自体、ドイツやイギリス等の指導者とはおおいに異なり、違和感を感じるが、案の定、どちらに転んでも、発言をしても、しなくても、炎上したのだろうが、、、、、、、。スーパーの三密対策にしても、何を今更、家族子ども連れで買い物にはゆかずに、代表一人でとか、3日に1回でとか、そんな当たり前なことも、シミュレーションしていなかったのであろうか?混み具合が分かるアプリの開発など、何故、即時に開発できないのか?今頃になって、ジョギングもウォーキングも公園では、5mとか、8mとか、離れていないと、後続者は、飛沫がもろにかかる危険性が大だとか、、、、、、、、、屋外だからと謂って安全・安心が担保されるわけではないと、当たり前だろう!?現段階では、もはや、過去の3つの蜜が重なり合う条件が一致する条件ではなくて、市中感染が、クラスター追跡が出来ない程の多数になってしまった以上、1蜜でもやばいわけで、そんなことは、<とうの昔に、分かっていた常識>ではないのか?もし、そんなことが事前に、高名な専門家先生方が、分かっていなかったとしたら、そんな専門家に、どんな対策が打てるというのであろうか?<全て、後手、後手、タイムリーではなく>て、<遅きに逸した感あり>である。国民の声は、大半が、WHOに対して同様、<政府の緊急事態宣言も、判断が遅かった>と感じる所以がここにあろう。
それにしても、日本という国は、<黒船という危機的外圧>がこないと、<行動様式を自ら変えられない>或いは、<技術革新にエンジンが掛けられない国民性>なのであろうか?AIの活用も、On Line診察も、On Line授業も、On Line選挙も、Tele Work も 全て、然り、更には4月入学ではなくて、国際的な9月入学というガイドラインも、就職の活動の通年化という課題も、全て、ICTの活用も含めて、無線LAN導入奨励や、一人一台のLAP TOP PCやスマホ、PAD等も、これまで、幾度となく叫ばれてきたにも関わらず、実現できていなかった。これは。まさに、<コロナ禍は、技術革新のターニング・ポイント>の時期であろう!> それにしても、情報の変質というか、新型コロナ・ウィルスの特徴的な変異というか、まるで忍者のように、変幻自在に、その特徴を変質させて、誤った情報が、そのまま、過去の事例と同じではないかと、例えば、陰性に転換しても、再び、ウィルスが突然復活する、陽性に転じるとか、無症状だから、感染していないという錯覚を生み出させるとか、枚挙に暇がない。最たるものは、免疫性を獲得できるのではないかとかという錯覚、要するに、<情報の修正・過ちのアップデートを柔軟に、対応しない>と、このウィルスは、 どうやら、これまでのSARSやMARSやエボラとは異なる<新型感染症>なのであろう。改めて、個人レベルでの<意識改革と行動様式の変容>が。ICT活用と共に、不可欠なのかもしれない。それでも、医療関係者や介護士や看護師も含めて、或いは、保育士、物流の配送・トラック運転手なお、いわれなき偏見と誹謗中傷が、子供達や家族に対して、どうして、行われるのであろうか?いずれ人類は、近い将来、克服することは、収束を迎えることは間違いないであろうが、その時、<どのような歴史的な検証>がなされ、そして、<どのような反省と間違いを>そして、<どのような将来に対する予防と対策>が、具体的に、とられるのであろうか?その時、我々は、<どんな生活の地平にいて、何を見る>のであろうか?
最期に、日本という国の改めて、<文化に対する貧困>を垣間見た。所詮、お笑いも含めて、演芸なおも、不要不急で、所詮、どんどんそぎ落としていったら、最期に、一番不要なものなのかも知れないが、、、、実は、<不要の要>こそ、音楽やダンスや絵画や伝統工芸・伝統古典芸術なども、全て、文化という名の下に、保護されなければ、<真の文化国家>とはいわれまい。観光立国、インバウンド誘致も、Cool Japan !も、更には、2021 Olympic Gameすらも、そういう枠組みの中で、しっかりと位置づけられなければならず、いつまで経っても、フランスやドイツの文化政策に劣る、所詮、我が国は、<戦後成り上がり者国家>にいつまでも、止まらざるを得ないせいぜい<二流か、三流の文化国家にすぎない>のかも知れない。一事が万事、危機的な状況の中で初めて、<その国の、或いは国民の本質>が垣間見えてくるのかも知れない。