九州の八女市に、先週仕事で、行ってきた。お盆の仏壇の提灯立てや、インテリアとして使用されるサン・シェード、すだれの生産工程を工場見学をさせて貰ったが、そこに息づく「伝統工芸品の匠の技」が、今や、後継者に、継承されることなく、グローバル・コンペティションの中では、結局、工学的な数値規格・製造工程管理、ビジュアル・マニュアル化として、海外へ、技術移転せざるを得ないのが、どうやら、現実のようである。10数年前に、かく言う自分も、海老フライや天ぷらのタイ・ベトナムへの生産移転を生業にしてきた一人だが、技術の自国での継承とは、一体、どういうことなのであろうか?漆塗り、木の素材の乾燥度合いによって、木の反り具合が違ったり、ねじれが、程よく、1ミリ以下で、計算、調整されたり、絹も素材の繊細さも、ナノ・テクに生かされたりと、まるで、技術の宝庫のような気がした。ソフトウェアーを、結局は、継承するその人間の育成は、どうやったら、2代目・3代目と時代が変わっても、何世代にも亘って、競争力を維持させつつ、継承できるのであろうかと、考えさせられる。「日本のモノ作り」の原点を、それらの中に、同時に、世界が透けて見えた気がした。
去年は、シジュウカラが、6月と7月の2回、営巣を行い、無事、雛が巣立っていったが、今年も又、7月を前にして、ツィー、ピーピーと、突然、荻窪の玄関先のハナミズキの巣箱から、元気ななき声が、聞こえてきた。前のつがいに、較べて、餌やりが、すこし、少ない気がしないでもないが、元気に、巣立ってくれれば、うれしいなとと、無事な巣立ちを祈りつつ、、、、、。我が家の老犬は、その木陰で、うたた寝中である。
株式投資は、自己責任である。と言われてしまえば、それまでであるが、その責任とは、東電にとっての責任とは、何であろうか?9282名もの株主が、5会場に、分散して、株主総会に、出席したと冒頭に、報告があった。例年の3倍とのことで、会場外に、あふれた株主から、中へ入れろと、怒号が渦巻いていた。1時間余りに、入場したが、既に、6割程度の着席率で、むろん、前列のブロックは、社内株主親衛隊と御用総会屋であることは、後からの拍手で、分かった。会社側の発言には、ほとんど、前のグループが、拍手し、後ろの席からは、ほとんど、反対意見への株主の拍手であった。議長選任からして、大銀行と生命保険会社であろう2大大株主の議決権が、圧倒的な力を有して、結局、議長不信任、議案への賛否の賛成・反対も、全く、挙手の数を数えることなく、基本的には、圧倒的な委任状の信任と大株主の信任を前提とした、開かれざる株主総会の様相を呈した。冒頭から、勝俣代表会長による原子力賠償法の第3条、第16条の解釈の仕方では、(史上稀にみる巨大な地震や津波の)影響によるもので、(免責)をも、視野に入れた、或いは、(電力の安定供給の社会的義務)と(それを満たすための事業・会社の継続)を前提とした国への金融支援により、被災者への賠償や、今後の再生エネルギーの検討などを、経過報告した。むろん、御用地震学者土木学者・政界・財界・地方自治体への補助金、等による(法令に遵守、適合)という錦の御旗という鎧には、役員報酬の過去へ遡った返上論・個人資産の返納や、或いは、情報の公開、都合の悪いデータの改竄への非難・追求は、余裕を持って、跳ね返されてしまった。責任と言う言葉は、(経営責任)、(賠償責任)、(社会的責任)、(道義的責任)、等々は、(法治国家)の厚い壁に、と言うよりも、(自分に、都合の良いように法律を解釈する)最終的な裁判所や、第三者事故原因調査委員会や、検証委員会によって、恐らく、唯一のチャンスを、逃すことになろう。福島や、新潟からも、被災者であり、株主でもある少数株主が、多く、来ていたようであるが、(将来の希望)も、結局、事故の賠償、債務超過の前では、今後の(開かれた株主総会)とは、かけ離れたものになってしまった。果たして、責任を取らないという(東電的な体質)の改善は、この嬲ぬ思想界の手法を見る限り、目途は着かないのではないのかと、今日の日本の現状の姿を、そこに見たような気がした。
今はやりの若手有名俳優では、果たして、60年代後半の時代背景が、うまく伝わるかどうか、期待できないので、原作を読むことにした。「連帯を求めて、孤立を恐れず、力尽くして挫けることを恐れないが、力尽くさずして、挫折することを拒否する」、「自己否定、日常性の否定」「実存をかけているか」,等等、未だ、二十歳前後の自分が、感じていたことが、そのまま、自分自身に、その言葉達は、襲いかかってくる。奥浩平(青春の墓標)、高野悦子(二十歳の原点)高橋和巳(邪宗門)、吉本隆明などを、読んでは、模擬試験の後で、京大生博昭君の死の知らせを聞いた翌年には、当時、何も出来なかった自分と、死んでいった同世代の若者との違いは、どこにあったのかを知ろうと必至に、遅ればせながら、参加した。入学後、米軍資金導入阻止、産学協同粉砕、学費値上げ反対、等、一連の団塊の世代は、全共闘運動へと、なだれ込んでいくことになる。4.28,6.15,10.8,10.21,等、葉隠れを読んでは明日は、本当に、死ぬ覚悟が出来ているだろうか等と、友人の下宿や、喫茶店で、しゃべり、批判し、批判され、本を読み、議論し、思想と行動を、総括する胸に、棘さすことばかりの日々だった。書斎の本棚に、目をやれば、その時、読んだ本達が、あたかも、見返してくるようである。時代の先を読む力、見通す能力からか、その運動の先行きに、何の展望も、見いだせずに、安田講堂、よど号ハイジャック、連合赤軍リンチへと、一連の総括の間もなく、自壊しながら、あるものは、銀行へ、マスコミへ、広告業界へ、或いは、政治家へ、社会へ、又、あるものは、ドロップアウトして、みんな、社会の中へ、多少のずれはあったが、旅立っていった。並木座の映画館で、見た俳優の拳を丸めて、出て行くときの仕草を今も、どういうわけか、自然とやってします今の自分、長年の仕事のストレスから、少しづつ、解放される日々の今の初老の自分と、明日が来ることを、毎日、苦しく思っていた二十歳の頃の自分と、読後、改めて、ガラスで、負傷した手の平を見つめると、これからの人生、如何に、生きるべきか、60年代後半のあの時の自分が、改めて、問いかけてくるような気がしてならない。我が家の老犬は、それでも、幸せな様子で、目も、耳も、不自由になりながらも、こちらをじっと、眺めている。
もう、40数余年前になるだろうか、銀座の並木通りで、未だ、任侠映画が盛んだった頃、学校の帰りに、新宿の場末の映画館で、フランス映画を、(影の軍隊)と(鷲は、舞い降りた)の2本立てで、前者は、ナチに対するレジスタンス運動、後者は、フォーサイスの小説の映画化で、ドゴール大統領の暗殺未遂事件をヒントにした、今でいうところのテロリストの話だったが、友人と観賞した。たまたま、BSで、(影の軍隊)を放映していたので、再び、観る機会を得た。未だ、二十歳前後の自分が、観た当時に、タイム・スリップした感が、あった。もうその頃に、出演していた著名な俳優も、シャンソン歌手も、みんな、鬼籍に入ってしまった。その出演者全員が、ナチに、拷問で、殺されたり、処刑されたり、レジスタンス仲間に、殺されたり、更には、命を助けて貰った仲間をも、殺害しなければならない等々、ことごとく、みんな死んでいっ手しまうのである。特に、映画の冒頭で、仲間を売った若いレジスタンスの青年を、声を出させないで、太い紐で、声を立てないように、静かに、絞め殺すシーンは、殺す側も、又、納得して殺される側も、結局、その時に、殺した側も、最終的には、ナチに、殺されてしまうのだが、非常に、息が詰まる、胸裂かれるシーンであったことが、又、思い起こされた。殺される最後の瞬間の、その若者の涙は、何だったのだろうかと、又、ナチの拷問途中で、名前を言わないと、一生、偽名のままで、歴史の闇の中に、埋もれることになるゾという恫喝も、その(無名性)の闇の恐ろしさ、不気味さを、若い自分は、当時、何か、ひどく、恐ろしいものとして感じられた。40数余年の時間を経て、再び、同じ映画を観たとき、一人で、無茶をやってた自分と、初老を迎えようとしている(今の自分)は、いかばかりのものがあるであろうか?折しも、沖縄戦の終結特集で、勝者となった日本人をやむなく殺した若い米軍兵士も、同じく、友人家族を殺されても、生き延びた沖縄の少年兵も、(共通する何か)を、共有していたのかかも、知れないと感じた。レジスタンスの同じ仲間を組織防衛の目的のために、抹殺したもの達も、結局、又、同じように、歴史の中で、殺されていったが、それが、歴史の一コマなのかも知れない。そういう(草莽の人々の魂)を、その(無名性)の中に、再び、感じられたことは、自分に、とって、40数余年前の自分に、又、出会えたようで、嬉しく感じた。その時に、一緒に、映画を観た友達も、若くして、自ら、その思想に殉じてから、早、40数余年が、経過した。そんな中、(マイ・バック・ページ)という映画のタイトルが、目に飛び込んできた。
やたらと作るのには、手間暇・時間が掛かるのに、食べるのは、あっという間という食べ物がある。シュー・クリームも、そんな食べ物の代表であろうか。生地が、ああだ、こうだ、柔らかい、固い、食感がないとか、クリームが、甘すぎるのどうだ、かんだと、作る手間の割には、評価が、手厳しいものである。その落差が、大きすぎます。スーパーの棚に、いかにも、失敗のなさそうな、生地もふっくり、膨らみ、焦げ目も程々に、焼けそうで、しかも、カスタード・クリームも、簡単に、出来そうなおいしそうな説明・写真入りのキットを見つけたので、挑戦してみることにした。しかも、電気オーブンを、本格的に使用して、作るキットである。成る程、これなら、まず、間違いなく、そこそこのレベルで、自分の腕に、自己満足しそうである。何より、失敗がないであろうということが、強く、購買意欲をそそったのは、間違いない事実である。生地をこねた後、オーブンで焼いている間に、手際よく、段取り、第一で、カスタード・クリームを好みの柔らかさと味に整え、30分余りで、完成させ、熱をさまして、フィリングに、成功した。若干、小ぶりの形の悪いものは、即、口の中へ、一口に、、、、、。証拠を隠滅した。フロスト・シュガーを上から、ケーキ屋さんのように、(パティシエとは、未だ、呼ぶには、おこがましいので、、、、、、、)振りかけると、いかにも、上品に、見えるのであろうが、、、、、。そこまでは、気が廻らなかった。(残念!)次は、本格的に、エクレアにでも、挑戦してみようか(?)多少、時間をおいて、ほとぼりが冷めた頃にでも、、、、。オーブンも、こんなに、便利だとは、思わなかった。手作りピザも、いいかなあと思い始めた今日この頃である。
まだ、両親の介護が必要だった頃、玄関の階段から、車いすで、出るのが、大変だったので、居間から、庭におりて、車庫の横から、車にのれるようにと、電動のこぎりを購入して、合板製のスロープを作ってみたことが、あったが、その後、巣箱やら、ベランダの補強等に、活躍している。脊柱管狭窄症の為か、近い将来の心配からか、突然、階段に、手すりを作ってみようかと、考え、頭の中で、色々と、大まかな設計図を描いてみた。納期が限られていないので、工期の心配も入らないし、注文主の依頼も、作り手が、同一人物だから、煩わしさも、ない。自己責任と自己満足である。ノミも、用途に応じて、色々とあるものである。使い方も、ネットで、親切に、教えてくれて、素人の私にも、やる気を出させてくれる。穴を掘る角度が、なかなか、難しい。そこで、補強に、蝶番を利用してみた。一寸、ラティスの部材は、割れやすく、途中で、亀裂が、生じたが、何とか、木工用ボンドで、ごまかした。土台は、当初、コンクリートを考えていたが、ラティスのベースが、売られていたので、土に、打ち込むだけで、手間を省いた。雨よけに、水道パイプの凍結防止用発泡スチロールのビニール・カバーを、巻いてみた。もう片方の手すりは、いつになるやら、気まぐれ気分次第である。
これまで、なかなか、やれなかったケーキを、簡単に、且つ、確実に失敗することなく、そこそこのレベルの味で、作ってみた。しかも、古い炊飯器で、簡単に、出来るそうである。干しぶどうを、ラム酒に、浸して、ラム・レーズンを作っている。何せ、大切に、四半世紀以上、飲まれずに、貯蔵していた(?)ウィスキーやら、ブランデーや、飲まない洋酒が、腐るほど、ガラス越しに、覗いている。当時の価格は、今や、地に落ちてしまう程、デフレで、価値が、下がってしまったが、味は、何とか、変わらずに、いるが、、、、、。バナナをスライスして、更に、生クリームをホイップして、一応、ケーキ風に、仕立てて、挑戦だ!仕事で、海老フライを、ベトナムで、生産しているが、成る程、生産・品質の管理も、段取りも、ものつくりの奥義は、ケーキ作りにも、共通していて、面白いものです。そこそこ、失敗がないことが、何よりも、嬉しいですね!ネットで、レシピーやら、作り方を情報収集出来ることも、とても、感慨深いものです。これからは、クレープ、シュークリームなどへも、挑戦だ!
別荘地内には、リスや、フクロウ、蛇、野ウサギ、狸、ハクビシンや野鳥が、数多く見られるが、何年か前には、冬場に、日本カモシカが、草を食んでいるのに、出くわしたことがある。GWに、老犬の朝の散歩に、出掛けたら、カラスが、やたらうるさく、よく見ると、体長1.5m程の牝の親鹿が、交通事故にあった模様で、息絶えていた。丁度、獣道の崖と舗装道路が、ぶつかるところで、運悪く、ぶつかったようである。その夕方、森の奧から、甲高い短い声で、ピーという鳴き声が、聞こえて、子鹿が、数頭、目の前を横切って言った。母鹿を恋い慕っているのか、何とも、物寂しい声であった。又、どこかで、大きくなって、会えるといいなあと思いながら、無事を祈りつつ、、、、、、。
信濃毎日新聞に、(フォト俳句)という欄があったが、情景を想い出させる想像力が、無限に、楽しいものである。正岡子規は、脊椎カリエスで、寝込んでいた寝床からも、眺めたその小さな庭に、全世界を見いだしたと言うが、その想像する力こそが、生命力そのもののような気がしてならない。ベトナムのメコン川で、竹林で、一休みしたときに、感じた時間のゆったりとして感じが、何とも、言えず、心地よかった。ジャック・フルーツの木を間近に、眺めたとき、テト攻勢を思い起こした。
Green Bamboo
Quiet Shade from the sun
Time passes
Time stands still
For the tall jack-fruit
Vietnam War
Tropical fruits
Lined up in neat rows
Dusty Road Stand
http://www.asahi.com/english/haiku/090306.html
Winter Moon
Our Old Dog Trembling
At our feet
http://www.asahi.com/english/haiku/090130.html
Green Bamboo
Quiet Shade from the sun
Time passes
Time stands still
For the tall jack-fruit
Vietnam War
Tropical fruits
Lined up in neat rows
Dusty Road Stand
http://www.asahi.com/english/haiku/090306.html
Winter Moon
Our Old Dog Trembling
At our feet
http://www.asahi.com/english/haiku/090130.html
姿は、本でしか見たことがないが、その音色は、とても、綺麗で、声が聞こえなくなると秋の終わりを感じます。姿を見れない分、はかなさと趣を感じさせる音色です。金沢に行ったときに、「忍ぶ笛」という、京風の小さな箱庭を愛でながら、隣室から聞こえてくる笛の奏者を当てるという風雅な遊びを体験しましたが、むろん、観光コースなので、現代風に、録音テープでの笛の音色でしたが、丁度、姿が見えない「草ヒバリ」の鳴き声を聞いていると、小さな虫の短い命の奏者を想像するという何とも、贅沢な風雅な遊びを想い起こさせます。