小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

「土栗」キノコに、久しぶりに、遭うの巻=

2011年09月30日 | 自然・植物・昆虫
秋になると、地元の人は、趣味で、松茸狩りやら、しめじ採りに、秘伝の場所を求めて、山に分け入り、食するのが、楽しみの一つである。残念ながら、私は、食物アレルギーで、抗ヒスタミン剤を服用しないと、痒みが、全身に、出てきてしまうので、滅多に、食することはないが、それでも、松茸ご飯や、ブナしめじのバター炒めは、年に一度くらいは、季節を感じるために、食べることにしている。老犬と散歩の途中に、何とも、久方ぶりに、「土栗」に、お目に掛かった。昔は、結構、林の中や、我が庭でも、そこ、かしこに、何とも、奇妙な外皮が、めくれたようなまるで、栗のような形のキノコを見かけたものであるが、最近は、余り、お目に掛かることがなかった。むろん、あちら様は、毎年、出ていたのであろうが、こちらは、気がつかなかっただけなのかも知れない。なかなか、雨量・気温等の気候条件やら、枯れ葉や、土の状態が、適合しないと、キノコが、うまく、生えないようであるが、春先の山菜採りや、キノコ採りは、自分ではしないが、「山の恵み」に感謝し、戴き、楽しむのは、とても、贅沢なことのように、思われる。思う存分、自分で、採ってきて、キノコ鍋を作って、たらふく、食べられる人が、羨ましくてならない。


高齢者筋トレ・プログラムに参加する=幸福な「ピンコロ」か、「寝たきり」か?

2011年09月29日 | 社会戯評
65歳以上が対象のプログラムであるが、60歳以上であれば、参加可能とのことで、試しに、参加してみた。20人ほどの参加者の大半は、ご婦人であるが、男性も、3分の1程度の比率である。手足を高く上げて、歩くのであるが、一人、10歩を、声を出しながら数えて、全員で、200歩を歩くが、人により、ペースが異なり、最後の方になると、徐々に、テンポが遅れがちになる。存外、手足を高く上げるというのは、出来ないもの、である。お尻を突き出して、スクワットを30回づつ、途中、小休止を入れて、3セットもすると、身体が、ジワッと、熱くなり、汗が、噴き出してくる。股割スクワット、腹筋、ストレッチ等を、次々に、こなしてゆくと、結構、やる前に、想像していた以上に、ヘトヘトになる。介護サービスの充実も、確かに、私の家族の経験からして、必要だと思うが、介護が必要になる「前の段階」でのこうしたプログラムが、もっと、前から、40代、50代の仕事に多忙な時期にあっても、良いのではないかと思う。今から、「貯筋」に励んで、理想的なピンコロを目指し、寝たきりで、介護費用が、嵩まないように、したいものである。


連帯保証人になるということの意味=一枚の葉書に想う起業家のリスク精神

2011年09月28日 | 社会戯評
よく、亡くなった父から、生前、先物取引と連帯保証書には、判子を押すなと言われたものである。立場上、コピー機のリースを契約することになり、契約書に、捺印するとき、同時に、個人連帯保証人の捺印を要求され、支払い月額が、たいしたことなかったので、退任後も、すっかり、そのことを忘れていた。最近になって、突然、葉書で、支払いの督促状が、もう、何年も経ってから、舞い込んできた。内容をよく読むと、慇懃無礼に、支払いを督促して貰いたいという内容であった。気にも止めずに、暫くいると、再度、同様の通知が舞い込んできた。結局、その会社は、後日、分かったことであるが、破産申告を裁判所に、準備中で、少額のリース代金を、最期に、支払わなかったものと判明した。いずれにせよ、少額だったから、未だ、救われるが、これが、長期住宅ローンや、会社の融資取引の個人連帯保証書だったりしていたら、ことは一大事である。それにしても、個人連帯保証書の契約は、一方的なもので、まともに、内容を読んだら、判子など押せるような白物ではない。しかしながら、現実的には、判子を押印しなければ、多額の融資も、リースすら、おりないのが現実である。これでは、まともに、リスクを背負って、起業しようとする若者は、永久に出てこず、結局は、親の地盤・看板・金庫を、引き継がなければ、設備投資を伴うようなモノ作りの起業は、到底、難しいことになろう。東南アジアにゆけば、相続税もなく、金持ちに生まれた人間は、金持ちの道を歩み、太子党は、親達の既得の特権を、そのまま、継承し、エリートは、子や孫の代までも、変わらず、経済利権と特権を享受している。誠に、日本という国は、隣の大国(?)と異なり、異様な位に、民主的平等という仮面を被ったガチガチの硬直した法治国家である。決して、若いときではなかったが、独立、起業して以来、再度、又、異分野で、起業しようという意欲は、もはや、現状では、起きそうにない。もう、守りに入ると、急には、簡単に、攻めに、転じられない。日本の国の仕組みは、一体、どうなってしまったのであろうか?若い起業家は、IT以外の分野で、果たして、出てくるのであろうか?もう、第二の本田宗一郎は、日本では、出てこないのであろうか?セーフティー・ネットも大切だが、起業家精神をもつ若い人材を、輩出、サポートするようなシステムが、望まれてやまない。


映画「ミツバチの羽音と地球の回転」を観る=未来のエネルギーをどうするのか?

2011年09月27日 | 映画・テレビ批評
原発に反対するか、否かを問わず、「持続的な再生可能自然エネルギー」の活用の必要性は、恐らく、万人が、賛同する喫緊の課題であろうことは、言を俟たない。山口県「祝島」で、27年以上に亘る反原発闘争を担ってきた老人達は、団塊・全共闘世代の我々には、その昔、観た「三里塚成田空港反対闘争」に出てきた、笑顔の「老人行動隊」の面々を彷彿させるものがある。むろん、今日では、ゲバ棒や、ヘルメットは、被っていないが、、、、。自分たちの生活を維持し、その土地に生きるようとする意思の選択をし、後の孫・子の世代に対する責任を担ってゆこうとする姿勢には、まだまだ、「老人パワー」というものは、「日本を変革しうる可能性」があるのではないかと、共感される。若い人達による祝島の特産物である「びわ」や、「ひじき」をネット直販したり、自然エネルギーへの取り組みは、スウェーデンなどの実例を引く迄もなく、過疎地に生きる協同体にとっては、将来に向けての一定の方向性を、見いだすものであろう。エネルギー買取り法案は、通過したものの、依然として、課題である「発電・送電・配電」の分離は、未だ、巨大なエスタブリッシュントの前で、遅々として、改革が進んでいない。スマート・グリッドやメガ・ソーラーも、多様なエネルギーの選択も、何とも、現実味を帯びる兆しが、まだ、出てきていない。核廃棄物処理の問題を、ないがしろにしたまま、原子力政策を国策として、推進し、今や、悪名高い「フクシマ」にしてしまった以上、除染も含めて、どういう方向性に向かっていくのであろうか?青森の六ヶ所村の核廃棄処理施設の隣には、風力発電の巨大な風車が、何基も並んでいるのを見ると、何とも皮肉な感じを禁じ得ない。カンパのつもりで、残り少なくなった「びわ茶」を、土産がてらに買って帰った。中国電力による上関原発推進派の町長が3選されたという報道が、翌日、新聞に載っていた。

http://www5d.biglobe.ne.jp/~jf-iwai/
http://www.iwai100.jp/about.html
http://888earth.net/index.html




フライパン燻製作りを試す=手作りベーコン

2011年09月26日 | 男の手料理・食
フライパン燻製作りを試す=手作りベーコン
バーベキューは、大人数で、ワイワイ、ガヤガヤと、ビールでも飲みながら、やるのが楽しい。今年の夏は、どうしたものか、その機会を逸してしまった。テレビで、「燻製」が、フライパンで、簡単に、出来るというので、多少、湿気を帯びた「桜のチップ」(ヒッコリーが、使い切ってしまっていたので、、、、)を、探し出してきて、フライパンに、燻煙が、こびり付かぬように、アルミ・ホイルで、蓋も、しっかり、カバーして、ベーコン用の豚肉(前日、塩漬しておいたもの)と、魚肉ソーセージを(オリーブ・オイルを塗布し)、金網の上に置いて、換気扇を廻しながら、加熱する。我が老犬は、早速、その周りを、肉の良い臭いがしてきたのか、クンクン、盛んに、嗅ぎ廻っている。半分は、試しに、夜の冷たい外気に、当てると良いというので、球根が入っていたネットに入れて、二重窓の間に、置いてみる。既製品の方が、多分、手間暇を考えると割安なのであろうが、「手作りベーコン」ということからすると、味も、程よく、スモークもよく、効いている。ゆで卵や、チーズも、面白そうである。友人のおもてなしには、良い一品かも知れない。翌日、ヒッコリーを買いに、HCに行ったら、燻製のチップが、棚から、見事に無くなっていた。店長は、理由が、分からず、狐につままれた様子でした。マスメディの影響が大きいのにも、舌をまく。

http://www.nhk.or.jp/asaichi/2011/09/20/01.html


洗濯物のたたみ方に想う=「日常の中での常識と非常識」

2011年09月25日 | 社会戯評
洗濯物のたたみ方に想う=「日常の中での常識と非常識」
二人の未だ幼い子供達を抱え、共働き夫婦だった頃、テレビをボーッと見ていた私は、我が女房殿に、「見ながらでもいいから、洗濯物をたたんでも、罰は、当たらないわよ、、、、」というような意味のことを言われたことがある。むろん、直ちに、畳んだのであるが、そのたたみ方たるや、どうやら、お気に召せず、結局、再度、洗濯物を、たたみ直されてしまった。その後、ノウ・ハウの開示をお願いして、何とか、曲がりなりにも、見た目が良く、たためるようになったが、どうも、今ひとつ、未だに、しっくりと来ない。家庭科では、裁縫などは、学習したので、今でも、問題はないが、洗濯物のたたみ方のノウ・ハウは、家庭でのしつけの一環なのだろうか?たまに、一人で、洗濯ものを干して、たたむときに、いつも、このことが、想い出される。「私の日常の中の常識」は、あの時、女房殿にとっては、とんでもない、「非常識であった」ことが、改めて、認識されたのである。洗濯物をたたむときは、心して、することを、肝に銘じておかなければならない。


小諸祇園祭りTシャツを飾る=デザイン美を楽しむ

2011年09月24日 | DIY
野球やサッカー・ファンであれば、よく、お気に入りの選手の背番号を、そのユニフォームごと、額に入れて、壁に飾ったりして、眺め、楽しむことが、まま見られる。小諸祇園祭りを見たときに、その黒いTシャツの上に、白い文字で、ロゴ・マークと御輿再建200年祭、since 1811 というのが気に入ったので、白い壁のオーナメンテーション用として、小諸観光協会で、購入してみた。Tシャツも、こうした用途があるのには、自分でも、驚くほどである。着るだけでなく、デザイン美を、楽しむのも、又、一興ではないだろうか?
http://www.kanko.komoro.org/index.html



「A Clean Desk is a sign of a Sick Mind」=“几帳面妻とズボラ夫”という組み合わせの場合

2011年09月23日 | 社会戯評
LAに駐在していたとき、ガス・ステーションに、給油に行き、洗車拭きをして貰っている間に、楽しみなのは、机の上や、本棚の棚に、一寸、置いておく、プラスティック製の「ジョーク標語」プレートを、色々と、見たり、その作者の意図するところは、何かを想像したりすることであった。又、お気に入りを買って、生真面目な日本人のお客さんに、記念のお土産に手渡したりもした。それらのほとんどが、恐妻家や上司を揶揄したり、社会の行き過ぎたモラルや道徳を、米国流に、皮肉ったり、おちょくったりしたモノで、ほぼ、共通していた。そんな中でも、私の一番のお気に入りで、四半世紀余り経った今でも、私の机を堂々と、見下ろすようにしているのが、巻頭のジョーク・プレートである。何故、そんなことを想い出したかというと、「妻がキレイ過ぎると、夫婦仲が悪くなる」という何とも、興味深い(?)話題を、(自分達夫婦になぞらえた訳では決して無いことは、改めて、断っておかないと、後で大騒動の原因にもなりかねないので、、、、お互いの名誉のために、)たまたま、ネットのニュースで、目にした為である。成る程、夫婦共有空間は、整理整頓、キチンと、キレイにし、それぞれの個別空間は、“几帳面妻とズボラ夫”という組み合わせの場合、家のなかに夫専用のスペースを作って、そこに関しては夫の好きにさせる。それ以外の場所では、ものの出しっぱなしは認めないというように、ルール作りが大切です。。。。。だそうである。雑然としたほうが落ち着くという人も世の中にはいるのです。。。。。だそうです。(思わず、共感のエールを送りたくなるが、、、、)確かに、よく、あそこにあったものが、突然、知らぬ間に、場所が変わっていたことがあるが、、、、、。「断・捨・離」は、やはり、自分には、合わないのかも知れない。「松居一代」に、言ったら、怒られそうだが、、、、。もっとも、「船越英一郎」の気持ちが、決して、分からなくはないのは、どうしたものであろうか、





葡萄の新品種改良に、又しても、驚く=「シャイン・マスカット」、他

2011年09月22日 | 自然・植物・昆虫
「種なしで、皮毎食べられる」という「究極の(?)」赤葡萄系の「ナガノ・パープル」を食して、先日、大感激したのもつかの間、あかつき21号(スチューベンXアレキサンドリア)と、はくなん(カッタグルカンX甲斐路)を、掛け合わせて、甘みが強く、マスカット系の芳醇な香りが、口一杯に、拡がる白葡萄系のシャイン・マスカットという新品種が、販売されているというので、早速、試しに、買ってみた。昼夜の寒暖差、日照時間の長さを利用して、品種改良を重ねているらしい。(まるで、メロン栽培のようである。)東御市の「巨峰まつり」では、他にも、「紅ふじ」というとても、甘みが強い大きな粒の赤葡萄が、販売されていた。それにしても、市場での新種改良の競争が、激しいのには、全く、驚ろかされる。一体、どこまで、行き着くのであろうか?「究極の葡萄」とは、一体、何なのであろうか?消費者としては、ありがたいが、生産者・流通業者も、全てが、恩恵を受けられる体制が、望ましいが、、、、、。私のような無精者は、「種なし、皮毎たべられて、甘い葡萄」に、ついつい、手が出てしまう。知的所有権は、チャンと、確保されているかと、人事ならず、心配してしまう。又、どこなの隣国が、不当に、真似する恐れはないだろうかと、、、、、。


洋なしと林檎のコンポートを作ってみる=贅沢な錯覚か、自己満足か、

2011年09月21日 | 男の手料理・食
久しぶりのデザート作りである。男の料理は、飽くまでも、趣味で、且つ、おもいつくまま、気の向くままに、やりたくなったら、やれば良い。これが、基本的なコンセプトである。夏から秋に掛けて、出回る果物の種類が、とにかく、豊富であるし、実に、これが、又、おいしいのである。白桃、葡萄、林檎、梨、洋なし、プルーン、いちじく、びわ、等、生で、食するだけでなく、たまには、コンポートでも、作ってみようかと思い、洋なしとサン津軽林檎を使用して、今では、洋酒棚の片隅で、肥やしと化したような嘗てのバブル時代の名残であるコニャック・ブランディーと、残り少なくなったサンデマンのポート・ワインを活用して、コトコト、弱火で、じっくり、砂糖水と一緒に、煮込み、一昼夜、冷蔵庫で、芯まで、浸しておき、アイス・クリームと、ミルク寒天(トロピカル・フルーツ入り)を添えて、食してみる。煮汁は、別に、伊那の寒天に溶かして、別に、副産物として、活用してみた。何となく、フランス料理のデザートを食べたような、そんな贅沢な錯覚(?)に陥ったのは、どうしたものであろうか?



信州上田・真田まつりを見る=真田鉄砲隊、黒獅子舞演舞、他

2011年09月20日 | 伝統工芸・展示会
皮肉にも、徳川側についた真田信之が、松代へ、移封され、93歳まで、藩主として、生き延びたお陰で、真田一族の名前が、連綿として、受け継がれ、3代(幸隆・昌幸・幸村)の生き方が、400年余り経過した今でも、人々の記憶の中に、こうした祭りとして、残っていることが窺える。同じ関ヶ原でも、敗れた石田三成は、裏切りにあい、一族もろとも、歴史の闇の中に、葬り去られたが、佐和山では、その遺徳は、果たして、伝承されているのであろうか?幸村・信之の対照的な死にざま・生きざまに対して、三成の豊臣への忠義は、徳川の250年余に亘る治世の中で、葬り去られてしまったのか?日本人の歴史的な人物評価には、興味が尽きない。松本城を初めて、訪れたときに、「火縄銃」の伝播の歴史展が、開かれていたが、その当時の日本人職人の技術水準の高さ、各種銃、各地毎の製法技法の発展、火薬の開発、打ち方、使用戦術の多様化など、当時のテクノロジーの進歩とその伝播の早さには、舌を巻いたものである。今の世にも伝承されている鉄砲隊の演舞は、空砲とはいえ、その火薬の発射音だけでも、当時のよすがを、想像させるのに十分である。色々な生き方・死に方が、それぞれ、武者行列の中には、恐らく、悲喜こもごも込められていたのであろうかと、当時に、想いを馳せざるを得ない時間と空間であった。400年前の歴史の一瞬に、タイム・スリップ出来たことは、貴重な経験である。コスプレも歴女も、戦国おもてなしたいも、よしとしよう。天気に恵まれ、半年遅れでも、実行されたことは、何よりでした。



蕎麦の白い花に想う= 山間葉たばこ栽培農家の廃作

2011年09月19日 | 社会戯評
信州は、蕎麦処である。今、白い蕎麦の花が、美しく、咲き誇っている。散歩道を、一寸、外れると、いつも、葉たばこの生産農家の前へ出る。毎年、大きな葉が茂り、それを、乾燥させて、終わると、冬の準備到来である。今年は、少し、事情が違っていて、いつも、葉たばこの木というか、太い黄緑色をしたその苗木が、見当たらない。どうやら、今年から、葉たばこ栽培を止めて、蕎麦の作付けに、転作したらしい。長野県の新潟県境の栄村では、地震の影響で、灌漑設備が壊滅し、山間部の稲作の棚田が、耕作できなくなり、今年は、手間の掛からない蕎麦の栽培を行い、間もなく、収穫を迎えるらしい。確かに、牧師をしている私の友人も、タイやフィリピンの山間部の海外貧困支援事業で、蕎麦の栽培を奨励し、実際に、収穫、買い付け、輸入支援している。葉たばこも、山間耕作地には、収益性の良い作物で、買い付け価格も、安定しており、長い間、こうした山間耕作地の農業を支えてきたのは、事実である。嫌煙ブームの進行と相次ぐたばこの価格の高騰による消費低迷の煽りからか、全国で、約4割の生産者が、廃作を選択せざるを得ないようである。馬鈴薯の作付けも、一部が、今年から、蕎麦の作付けに、転作したのか、美しい蕎麦の花が、馬鈴薯畑の隣に、静かに、拡がっていた。まもなく、新もの蕎麦が、おいしい季節であるが、、、、、、、、、。




「SHINANO GOLD」=農産物の輸出政策の新たな方向性

2011年09月18日 | 社会戯評
林檎のジュース輸入プロジェクトで、昔、NZに出張していたときに、どうして、日本で、長年、苦労して開発された「ふじ」が、こんなに、簡単に、海外で、栽培されてしまったのかと、実に、不思議でした。苗木を、なし崩し的に、海外に持ち出され、「知的所有権」という当時は、農産物でも、余り気を付けていなかったそのつけが、廻ってきた代償だったとは、、、、、、。長野県が、こうしたことに早くから気付き、イタリアでの商標登録「SHINANO GOLD」や、契約栽培の交渉で、得べかりしライセンス料も含めて、主張したことは、今後の日本の農産物の輸出に、新たな一地平と方向性を付けることになるのではないでしょうか?その意味で、シナノ・ゴールドの今後の進展は、目を離せないと思います。単なる農産物の「モノ」の輸出ではなくて、こうした新しい、一定の許諾料(果実や、苗木に対して)を享受すると言うことは、「ブランド力」、「知的所有権」の確保という意味では、「新しい輸出振興策」ではないかと信じます。今後の進展に、多いに、期待するところである。そろそろ、林檎も、おいしい季節である。


中国SMAP外交に視る=「夜空の向こうに」見えるもの

2011年09月17日 | 社会戯評
その昔、「ピンポン外交」と言うものがあったが、スポーツでも、芸術でも、文化ですら、何でも、外交の一手段に、ソフトパワーとして、したたかに、使われるものであることを、思い知らされたことがある。台湾出身のテレサ・テンは、「私は、どこに暮らそうと、チャイニーズである」と、自己主張し、北京の天安門広場で、唄を歌うことを願っていたが、それは、「天安門事件」と、その後の彼女の政治的な民主化を願うメッセージ性のために、結局、実現されなかった。「昼は、鄧(小平)が、支配し、夜は、別の鄧(麗君:テレサ・テンの中国名)が、支配する」として、当時は、唄が、禁止された。しかし、結局、彼女の唄は、密かに、聴かれ続けた。秋葉原の「オタク文化」、や、「カワイイ」、「Cool Japan」も、「アニメ文化」も、「韓流ドラマ」も、基本的には、官製文化輸出の枠内でしかないのであろうか? したたかな反日教育政策の裏側で、或いは、尖閣列島問題で、ギクシャクした日中関係の打破に、音楽すらも、外交カードに、使用されるとは、日本の外交官は、どう考えているのであろうか?日本の政治や経済の力が、一定程度、影響力を失い、漂流する中で、一体、中国語で、歌われた唄のメッセージ性は、何だったのであろうか?「夜空の向こう」には、一体、何が、見えたのであろうか?そして、中国の市民に、とりわけ、反日教育を受けて育った若者に、どういうメッセージ性を、伝えることが出来たのであろうか、抜け目なく、公演のDVDは、間違いなく、海賊版で、今日にも、発売され、誰かが、ボロ儲けすることは、言を俟たない。ヒタヒタと、欧州発の危機が、近づいているが、、、、、、、。


「紀元2600年」再読、木村剛久訳、=消費と観光のナショナリズム

2011年09月16日 | 書評・絵本
紀元2600年と言われても、今の若い人達には、「2001年宇宙への旅」と、錯覚してしまいそうだが、紛れもなく、西暦に対して、こういう呼び方が、まかり通っていた時代があった。昨年の暮れ間近に、友人である訳者の木村剛久君から,戴いた本(ケネス・ルオフ著)を、改めて読み返してみた。著者は、「国民の天皇」=戦後日本の民主主義と天皇制を著しているが、戦争が激しくなる前に、空前の消費と朝鮮半島・満州国等への観光旅行が、巻き起こり、それらが、軍事的なロジスティックに、安全を裏打ちされたものであり、且つ、百貨店などの催し物とのリンクで、一大消費ブームと化した時代があった。後半の章で、取り上げられた「日本人」、とりわけ、「海外植民地に在住する日本人のアイデンティティー」に対する論述に、今日的な課題として、大変、興味を持った。ナチス・ドイツのようなゲルマン民族の血統を、重んじるのではなくて、飽くまでも、大和魂的なイデオロギーを、中核にしつつも、海外に移民した2世・3世の抱く、祖父母や曾祖父母の母国、日本に対する想いと、現実に住んで、生活を営んでいるその国に対するロイヤリティーとの「矛盾的狭間と相剋」は、戦後、今日に至るまで、どうやら、新しい創造的な概念を描ききれず、解決・止揚しきれていないように、思われる。むしろ、内向きに、萎縮してしまった感が強い。当時の大和魂や大和なでしこの概念に対して、現代の「中華思想」や、「海外華人ネットワーク」は、どうなのであろうか?そして、「日僑」と呼ばれる海外在住者の存在の増加や、経済グローバリズムの中で、その国に、土着を任務とせざるを得ない日本人は、どのような国家意識を、アイデンティティーを核に、有し、子供達に、伝えてゆくのであろうか?大変、興味深い課題だと思う。小松左京の「日本沈没」ではないが、日本人は、どこへ,漂流してゆくのであろうか?

http://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/