松本健一氏の死を悼む:
小さな訃報を告げる記事である。あるシンガーの死亡記事の隣であった。歳で云えば、2才ほど、上の世代である。戦後精神史を、或いは、アジア文化史と云われる分野を丁寧に、様々な人物を見直すことにより、右翼とか、左翼とかという範疇ではなくて、現代史的な観点から、日本人の考え方を見直し、且つ、その思考方式や行動様式を、再考させるという地道な著作が多かったように思えてならない。それは、丸山真男や竹内好、橋川文三等の系譜にも連なるであろうし、或いは、俗に言うところの司馬遼太郎とは一寸、系譜を異なるかも知れないが、並行して流れるある種の系譜であったのかも知れない。とりわけ、学生時代、日本ファシズムの源流を勉強していた関係から、橘孝三郎などの農本主義や保田与重郎、蓮田善明らの日本浪漫派の思想や、或いは、2.26事件の黒幕と云われた北一輝の思想系譜を、広く、アジア文化史にまで遡って、三島事件で、精神的にガックリきていた僕たち世代に、「評伝 北一輝論」等は、とりわけ、アンチ・テーゼを示すきっかけにもなった気がする。戦後には、単なる右翼とかいう十把一絡げの範疇に模された大川周明や東山満、或いは、高橋和己の「邪宗門」のモデルになった大本教の教祖、出口和仁三郎などを、幕末から戦中・戦後に掛けての精神史の中で、ある意味、丁寧に、誤解を解く作業は、なかなか、当時の雰囲気の中でも、勇気の要る作業ではなかったかとも思われる。既に、谷川雁も、村上一郎も、司馬遼太郎も、ましてや、吉本龍明も、今はなく、三島由紀夫すら、遠い昔の存在になりつつある今日、又しても、近い世代で、「知の巨人達」の系譜を継ぐ松本健一も逝ってしまった。一体全体、今日の閉塞した日韓・日中の、とりわけ、アジアでの外交的な行き詰まりに対して、草の根のアンチ・テーゼたるべき大きな指針を、若い世代の中で、掲げられるそうした少壮のオピニオン・リーダーが、出てくる可能性があるのであろうか?誠に、我ら「憂鬱な世代」には、心配の種である。又、本棚を引っかき回してみることにしようか?
小さな訃報を告げる記事である。あるシンガーの死亡記事の隣であった。歳で云えば、2才ほど、上の世代である。戦後精神史を、或いは、アジア文化史と云われる分野を丁寧に、様々な人物を見直すことにより、右翼とか、左翼とかという範疇ではなくて、現代史的な観点から、日本人の考え方を見直し、且つ、その思考方式や行動様式を、再考させるという地道な著作が多かったように思えてならない。それは、丸山真男や竹内好、橋川文三等の系譜にも連なるであろうし、或いは、俗に言うところの司馬遼太郎とは一寸、系譜を異なるかも知れないが、並行して流れるある種の系譜であったのかも知れない。とりわけ、学生時代、日本ファシズムの源流を勉強していた関係から、橘孝三郎などの農本主義や保田与重郎、蓮田善明らの日本浪漫派の思想や、或いは、2.26事件の黒幕と云われた北一輝の思想系譜を、広く、アジア文化史にまで遡って、三島事件で、精神的にガックリきていた僕たち世代に、「評伝 北一輝論」等は、とりわけ、アンチ・テーゼを示すきっかけにもなった気がする。戦後には、単なる右翼とかいう十把一絡げの範疇に模された大川周明や東山満、或いは、高橋和己の「邪宗門」のモデルになった大本教の教祖、出口和仁三郎などを、幕末から戦中・戦後に掛けての精神史の中で、ある意味、丁寧に、誤解を解く作業は、なかなか、当時の雰囲気の中でも、勇気の要る作業ではなかったかとも思われる。既に、谷川雁も、村上一郎も、司馬遼太郎も、ましてや、吉本龍明も、今はなく、三島由紀夫すら、遠い昔の存在になりつつある今日、又しても、近い世代で、「知の巨人達」の系譜を継ぐ松本健一も逝ってしまった。一体全体、今日の閉塞した日韓・日中の、とりわけ、アジアでの外交的な行き詰まりに対して、草の根のアンチ・テーゼたるべき大きな指針を、若い世代の中で、掲げられるそうした少壮のオピニオン・リーダーが、出てくる可能性があるのであろうか?誠に、我ら「憂鬱な世代」には、心配の種である。又、本棚を引っかき回してみることにしようか?