小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

人は死して後、ヒトを残せるのか?:追悼野村克也

2020年02月20日 | 社会戯評

人は死して後、ヒトを残せるのか?:追悼野村克也

 

小さな子どもの頃は、23区内でも、家の周りには、未だ、空き地や雑木林が散在していて、友達同士で、ゴロ・ベースや三角ベースで、野球を、学校帰りには、陽が暮れるのも忘れて、暗くなってから、帰宅して、よく、母親から叱られたものである。その頃は、遊びやスポーツと謂えば、今日のように、多様化していなくて、サッカーとか、Vリーグとかではなくて、相撲か、野球と相場が決まっていたものである。

子どもの詠む少年誌には、必ずと言って良いほど、その当時のスタープレイヤーが、バットを持って、或いは、グローブを振りかぶって、今にも剛速球を投げそうな写真が、表紙を飾っていたものである。千葉・大下・川上や、稲尾や中西や、杉下、金田とか、往年の名選手達が、そして、その後の世代では、長嶋・王・野村・張本と続いたものである。そんな中で、三原の西鉄黄金時代の後から、南海で現役選手兼任で、監督に就任した野村のことは、どういうわけか、記憶に残っている。確か、就任した頃は、余り成績が振るわず、やはり、名選手は、必ずしも、監督としては成功しないものであると、喧伝されたことを思い起こす。後に、監督に就任した金田や長嶋も、皮肉にも、就任間もない頃は、似たような結果に陥ることになるのであるが、同じ日本一を勝ち得ても、野村語録のような、或いは、野村再生工場のような、そんな<ヒトを育てる>という、<死して、虎は皮を残す>というような評価は、残すことはなかった。今や、<昔の巨人・大鵬・卵焼き>の世代には、今日の金権まみれの渡辺路線には、大いに、違和感を覚えることになろう。

それとは対照的に、野村は、ID野球と称して、頭を使うこと、プレイヤーの前に、<考えるヒトを作ること>を、育てることに、舵を切ることになる。確かに、それは、勝者の論理に対抗すべき<弱者の論理>だったのかもしれない。今日の育成選手を一軍に、あげてゆくような手法なのかもしれない。なかなか、<野村語録>というモノは、興味深いものがある。<勝ちに不思議の勝ちあり、負けに、不思議の負けはなし>、成る程、これはもはや、まるであの<失敗の本質>をわかりやすく謂っているようなものである。

それにしても、野球の監督業というモノは、優勝すれば、そのリーダーシップや野球理論に関する書物が、公開されて、まるで、あまたあるゴルフ理論のようなモノで、三原マジックの路代、川上の哲のカーテン、西本・仰木の時代、<勝てば官軍>ではないが、勝ち将軍の監督は、<商品の賞味期限と同じ>で、いつの日にか、劣化が始まるし、選手の世代交代は、長嶋や王の引退後の例をみるまでもなく、悲惨なものがある。監督業とは、コーチ業との差は、一体どこにあるのであろうか、私は、相撲やボクシングを見ていて、いつも、不思議に思えるのは、システムとして、ボクシングのように、具体的な名伯楽コーチが存在しているのに対して、相撲などは、旧態依然たるしごき体質が蔓延していて、相変わらず、近代的な合理的な分業態勢ではない。恐らく、野村が監督をしていた時代のコーチは、誰だったのであろうか?選手は、確かに、小早川や山崎のような野村再生工場の代表格はわかりやすいし、又、赤星などの走塁の分業専門家を育成発掘したことなど、納得できるが、それならば、何故、直接薫陶を得た古田のような選手は、監督として、成功しえなかったのであろうか?どこにその差は、あるのであろうか?戦争孤児・母子家庭の赤貧の中で育ち、ユニフォームも買えない中で、野球に励み、甲子園とも無縁な中で、閑古鳥の鳴くパリーグの球場で、ひたすら、まばゆい太陽を夢見つつ、月を眺めながら、自らを<月見草>と揶揄してきた、反骨の人生は、ぼやきを、<その選手の性格やTPO>に応じて、使い分ける手法は、まさに、人生そのもの、普遍的な人の生き方、処世術にも、繋がるモノではなかろうか?

昔、<数字の裏を読め>とよく言われたが、ID野球もビッグ・データ分析野球も、結局は、昔の鉄道系や新聞社系から、今や、IT関連企業に変貌しつつある以上、本来ならば、ソフトバンクも楽天も、或いは、DNAにしても、もっともっと、素晴らしい成績をビッグ・データから解析して、活用できるはずだが、そうもゆかないところをみると、やはり、<データを解析するヒト>次第なのであろうか?やはり、泥臭い話なのであろうか?

それにしても、杉下も稲尾も金田も、そして、後任として、バトンタッチした星野も、そして、野村が鬼籍に入り、もう残るのは、ライバルだった巨人のOBだけだろうか?何とも、さみしい限りである。新たなヒーローと野村イズムを継承発展させられる人間の登場を待ち望むのは、ひとり、私だけではなかろう。球春も、間近である。

 


絵本、<いつでも会える>を読む:

2020年02月03日 | 書評・絵本

絵本、<いつでも会える>を読む:

1999年に、ボローニャ国際児童図書展児童賞の特別賞を受賞し欧州各国で100万部以上を販売した、イラストレーターでもある、菊田まりこ氏による、絵本を電子書籍で読んでみた。もう愛犬の介護を終えてから、既に、6年余りの時を経過していても、思わず、読みながら、涙が頬を伝って落ちてきてしまう。

犬の寿命がいくら延びたからと謂っても、普通は、どう見ても、人間の寿命の方が長くて、従って、人間の目からみたところの、<ペット・ロス>が、主眼となるのに、この本の主人公である、<みきちゃんという小さな女の子の子犬のシロ>は、ご主人さまというよりも、むしろ、お友達とでも謂う関係性のみきちゃんと、幸せの真っ只中で、<突然の永遠のお別れ>を、逆に、強いられることになる。いつも、一緒に遊んでいた、一緒に並んでお食事をしていたみきちゃんが、いなくなってしまった。幸福の絶頂から、不幸のどん底へ、子犬のシロは突き落とされてしまう。病死なのか、事故死なのか?理由は分からぬが、<突然のお別れ>だけは、間違いない現実であることは、否定しがたい事実である。どこを探しても、いない、いつも一緒にいたのに、隣にはいない、<ずっと、一緒にいられると思っていた>のに、悲しくて、とても、さみしくて、せつなくて、、、、、、、。そして、ある日、子犬のシロは、<目をつむってと、考える>と、みきちゃんのなつかしい声が、聞こえてきて、<今も、これからも、ずっと変わらない>、<まぶたのうちで、僕らは変わらない、あの時のまま>、<とおくて近いところにいたんだね>と、、、、、、、改めて納得するのです。

 一緒に生活していたペット・ロスという視点とは逆に、子犬のシロは、人間の子どもに置き換えても、或いは、家族や長年生活を共にした連れ合いだったり、様々なシーンの中で、突然の別れを受け入れ、そして、立ち直る力を取り戻せるのかを、考えさせられるものがある。我が愛犬は、3ヶ月の保護犬で、口笛の呼びかけに応じて、自分から近寄ってきてから、18歳4ヶ月の齢を全うしたが、考えてみれば、一緒にかわいがってくれていた子供達の成長や成人の日や独立を見送ったし、父や母との別れをも見送ってくれたわけであり、最期は、私が看取ってあげたわけだが、<動物の一生から、人の一生を勉強させて貰った>わけである。ちいさな子供達と共に、一緒に、読み聞かせたい絵本である。

我が家では、部屋中に、亡き愛犬の写真や絵やイラスト画を、飾ってあり、<いつでも会えるように>、<いつも、変わらず、一緒である>。