小諸 布引便り

信州の大自然に囲まれて、風を感じ、枝を眺めて、徒然に、社会戯評する日帰り温泉の湯治客です。愛犬の介護が終了しました。

約40年ぶりに酒を酌み交わす:

2015年06月21日 | 健康
約40年ぶりに酒を酌み交わす:
毎年、年賀状では、曲がりなりにも、やり取りをしているから、おおよその生活ぶりは、想像可能であるものの、やはり、約40年ぶりくらいに、再会して、酒を酌み交わしてみると、人生、色々と、あるものであると感じる。もう3人とも、現役を引退しているから、いつでも、逢えると云えば逢えるようであるが、そうでもなさそうである。何でも、3-4年前から、人工透析を受けていて、週三回、毎回、4時間程をベッドに横たわらずを得ないそうである。現役の人が、人工透析を受けながら、働くと云うことは、如何に大変かという事はある程度、想像できていたものの、やはり、引退しても、それでも、関係無いようである。成る程、健康管理というモノは、とにかく、一番の関心事であることに間違いない。この歳になると、何処かしら、身体に不調をきたしてくる。現役時代の長年の無理が、金属疲労のように、身体をじわじわと、侵し始めるものである。元部下が、くも膜下出血で、植物人間になって、80歳になる母親を残して、独身で、未だに意識が戻らず、ベッドに寝たきりの状態であるとか、何とも、どんなに、一生懸命に、働いて、組織に貢献しても、自分が健康を害して、とりわけ、命に直接関わるクリティカルな突発的な病気に襲われることは、全く、何とも、云いようがない不条理であろう。結局、この友人も、人工透析を受けざるを得なくなり、その結果、仕事と命のどちらかを選択せざるを得なくなり、結局、独立してやっていた事業も、銀行の貸しはがしにより、自己破産、離婚と、何とも、やりきれない人生の転変である。それにしても、人生の節目、ライフ・サイクルの節目とは、自分で、果たして、その瞬間、瞬間で、的確に判断出来るものなのであろうか?少なくとも、云えることは、後から、時間を逆廻しにして初めて、可能なのであって、その瞬間には、案外、分からないものであろうか?それが分かっていたら、あんなに、無理してがむしゃらに、働かなかったものを、、、、、、、とも思われる。病気になって初めて、健康の有り難みが分かり、或いは、家族と別れて、両親や兄弟・姉妹を亡くして初めて、過去の時間の共有を想い起こすものであると、何でも、人工透析を始めるときに、医者から、精神科の受診を義務づけられて、まず、命に対する根本的な人生観の修正をせまられたと、つまり、自分一人、勝手に、自由に仕事に生き、勝手に突然、死んでしまっても構わないと言うこの考え方を究極の選択から、矯正されたそうである。そして、長年の喫煙習慣も辞めて、週三回の人工透析専念と健康管理を約束させられたそうである。何とも、他人事では済まされない。白内障の初期症状を呈し始めている様子だったので、私が、処方されている眼薬の名前と、眼科検診を強く、要請しておいた。話は、結局、健康、家族、仕事、空き家、独居老人、政治談義などへと拡がり、あっという間に、3時間が過ぎてしまった。今後は、時間の許せる範囲、定期的に、集合して、この次は、小諸の温泉で、ゆったりと、血圧を下げながら、信州蕎麦などを食べながら、一杯やりたいものであるという事に決して、又の再会を期して、別れてきました。それにしても、もう、50年余りの付き合いだから、お互い、髪の毛の色と量は、推して知るべしであるが、気持は、昔のままである。こうした付き合いは、長く続けたいものである。

膵臓癌検査:

2015年06月16日 | 健康
膵臓癌検査:
学生時代の友人が、何でも、抗がん剤治療に陥っていると手紙で、知らせてきてくれた。あれ程までに、元気で、ゴルフを愉しんでいたのに、、、、、、、。どうしてしまったのであろうか?新聞によれば、味の素が、人間ドックと連携して、血液検査で以て、発見が困難であるとされている膵臓癌の早期発見へ目途をつけられるというではないか!何とも、皮肉な結果である。もう少しでも早く、朗報が得られていれば、友人も早期に膵臓癌が、発見できていたのかも知れない。いずれにせよ、これも又、運命というモノなのであろうか?何とも、コメントがつけようもないくらい、辛い知らせである。味の素に限らず、島津もまた、あの田中フェローなどにより、血液検査から、癌の早期発見の手法が、早く、確立されて、保険適用でも、人間ドックでも、何であれ、具体的に、検査が実施され、普及されることを願ってやまない。大腸癌の内視鏡検査にしても、事前の下剤を飲まなければならないとか、結構、負担が大きいのが実態であろう。その意味で、血液検査で、判明されれば、負担が、少なくなることを期待したいものである。

SARS, MERS, 豚インフルなど、感染症を考える:

2015年06月04日 | 健康
SARS, MERS, 豚インフルなど、感染症を考える:
以前、SARSの影響で、仕事上、大打撃を受けたことを想い起こすが、最大、5年程度に亘って、回復するまでに、時間が掛かり、散々な目に遭った事を忘れない。海外観光旅行関連の事業なるものは、その際たるものであった。感染症というのは、今や、待ったなしに、簡単に、国境を超えて、伝播するものである。鳥も駱駝も牛のBSEも、豚も、エボラ出血熱も、何とも、厄介な問題である。感染症でなくとも、去年の夏のデング熱ではないが、次から次へと、全く、悩ましい限りである。夏風邪にも類似した初期症状で、なかなか、初期には、発見されずに、その間に、二次感染、三次感染が、拡大すると云われている。この間に、海外渡航でも拡大することは、既に、韓国から、中国へ、患者が渡航して、飛び火した事からも明らかである。水際対策のみならず、院内感染とか、二次三次感染を対策化しておかなければならないであろうことは、自明の理である。それにしても、一難去って又一難、火山の爆発にも、観光業は風評被害で、弱いのに、感染症の拡がりとは、どこまで、拡大するのであろうか?日本の防疫体制、感染症対策は大丈夫なのであろうか?この次は、夏のデング熱なのだろうか?全く、厄介な問題ばかりである。

90歳の義理の母に教わる:

2015年06月01日 | 健康
90歳の義理の母に教わる:
自分の両親は、二人とも、既に、合計7年間の介護の末に、逝ってしまっているし、又、義理の父も、既に亡い。今年、既に、90歳になる義理の母は、私の母よりも一つ若く、今でも、元気に、頭もしっかりしていて、江戸時代からの長い歴史を有する農家の後を継いだ義理の弟夫婦や孫夫婦、それに、曾孫に囲まれて、何不自由なく、暮らしている。何でも、流石に、最近では、家庭で消費する畑仕事も、庭の草むしりなども、無理をせずに、腰を痛めない範囲で、行うようにしていると、、、、、、。お金にも、健康にも、家族の人間関係にも、恵まれて、何不自由なく暮らしているように、みえるものの、本人曰くでは、「生きてゆくことは、本当に、大変なことだねぇ!」と云われてしまった。最近では、自分で、死にたくても、死にきれずに、赤の他人を殺傷して、事件を起こしたり、又、虐めなどで、自ら、若い人が、命を絶つことを選ぶような時代であることからすれば、戦争やら、戦後の農地改革で、土地を強制的に、取られてしまったことなどを考えると、確かに大変だったのであろうとは、想像に難くないが、それでも、90歳の皺だらけのお天道様のしたで、真っ黒に日焼けした顔で、節くれだらけの指を見つめながら、そう言われると、何とも、その言葉の響きは、重いモノがある。実際、自分は、そんな歳まで生きているかどうかも不確かな以上、改めて、年老いた何不自由ない幸せそうにしか見れない義理の母から、云われると、考えさせられてしまう。友人の末娘さんのように、生きたいと願っても、若くして、病に、負けてしまうことも、又、親よりも先に、ある友人の如く、先に、若くして、逝ってしまったり、人生、全く、思い通りにはゆかないものである。そんな義理の母の言葉を考えていたら、学生時代の同級生が、全く、健康そのもので、ゴルフも、毎月、愉しんでいたのに、突然、膵臓癌が発見されて、激やせしてしまったということを聞いた。何とも、自分自身で、解決したり、支援できたりする性格ではない以上、如何せん、どうしようもない。電話で、声を聴いても、どのように、言葉を掛ければ良いのであろうか?最近は、同年代の知り合いが、相次いで、病気で、逝ってしまうケースが、余りにも、蔽いのが、気懸かりである。もっとも、自分も、いつ何時、どのような出来事に見舞われるか、予想不能であるが、どうにも仕方ない。取りあえず、手紙と、お見舞いの品でも贈っておくことにすることにしようか?なかなか、電話では、感情が、昂ぶりすぎて、冷静に話が出来ないことであろう。人が亡くなるのに、早すぎるとか、良くぞ、生き抜いたとか、お祝いであるとか、云われるが、決して、そんなことはない。やはり、死は、時間の問題ははない。生かされていることの意味をもう一度、考え直しておかなければならないのかも知れない。

声の再生ということ:

2015年05月08日 | 健康
声の再生ということ:
咽頭癌の摘出のために、声帯を除去してしまった音楽家のつんくの身を削っても命の選択という決断には、言葉を失ってしまう。音楽家として、声を失う、出ないという生活は、如何ほどのモノなのであろうか?それにしても、数多くの人達が、声を失っている現状があると云われている。それに対して、こうした危機を事前に、自分の声を録音しておいて、デジタルで、一音一音拾ってゆき、PCで、声を連続的に再生させるという方法が、どうやら、確立されつつあると云うではないか?こうすれば、機械的なロボットのようなボイスではなくて、その人の発していたこれまでの声の質が保たれて、しかも、ある種の訓練により、声を再生できるという技術であるらしい。そういえば、既に亡くなった人もその画像と共に、生前の声を再生しているCMを見たことがあるような気がする。iPS細胞による再生医療ではないが、機械でも何でも、活用して、声の再生や視覚や聴覚の再生が可能になれば、それに越したことはない。むろん、健康であれば、それに越したことはないが、それでも、救いになればおおいに宜しいではないだろうか?ひょっとすると、これからの世の中は、生前と云っては何であるが、事前に、健康なときに、何でも何処かの組織をバンク登録しておいて、声もあいうえお、と録音しておいて、来たるべき万が一の将来の不具合に対する措置を講じておくようになるやも知れない。薄くなってしまった髪の毛の再生も、可能なのであろうか?要らぬ過剰な期待を、手遅れだとは知りつつ、してしまうのは、どうしたものであろうか?



ワークショップ、布引観音牛を塗る:

2015年05月04日 | 健康
ワークショップ、布引観音牛を塗る:
版画家の田嶋健氏による伝説の布引観音の牛を塗るというワークショップである。例によって、下は、3歳から上は、80代のご婦人まで、老いも若きも、一緒になって、同氏が、事前に、作ったおいた塑像に、アクリル絵の具で、色を塗るという単純な(?)作業である。何とも、説明によれば、塑像を作る過程のほうが、全く、手が込んでいて、申し訳ないくらいである。色を塗る方は、適当に、自分の好きな色を塗るだけであるから、それ程、難しいモノではないと考えていたら、これが、そうでもない。何でも、昔は、こうした手作りのおもちゃが、信州では、一般的で、脚のところに、丸い車をつけると、小さな子供達は、面白いように、喜んで遊んだそうである。結構、年寄りにも、どんな色を塗るか、事前に、構想を巡らしたり、眼をどのように塗るとか、身体の色を何色にするとか、別に、伝説の牛に拘る必要は一切ないそうである。現代ポップ・アートのように、サイケデリックな色使いでも構わず、自由である。私は、どうしても、そうした色使いが不得意なので、極めて、オーソドックスな色使いで、牛も、茶色を主体に、菩薩の化身である牛に錦の布を掛けて、最後に、布を引く様を象徴的に、白いリボンで、牛の角に、貼り付けて、後は、乾くのを待つばかりである。竹のひごは、色つけで、手が汚れないように、竹を持ちながら、製作して、後から、乾いたところで、抜くとのことであった。これで、完成である。色を塗るという作業でも、結構、頭を使い、脳を活性化させる物である。神戸からやってきた三歳の男の子の作品は、なかなか、サイケデリックな色あいで、お母さんに助けられながらも、素晴らしい作品に、出来上がっていた。7年に一度の長野善光寺のご開帳にも重なり、なかなか、良い記念になりました。

アップル・ウォッチ:

2015年03月12日 | 健康
アップル・ウォッチ:
もう、現役ではないから、会議の時間や、アポイントメントの時間を一々、腕時計を見ながら、気にする必要も無いし、海外の取引先の現地時間をチェックする必要もなくなった。だからというわけではないが、腕時計を活用することがなくなってしまった。昔、血圧が高かった頃には、カシオから、腕時計と血圧計が一緒になったものを購入して、一時期、使用していたことがあったが、何でも、アップルから、今度は、スマホではないが、スマホの機能も兼ね備えたようなウォッチが発売されると云うではないか?出来れば、昔の懐中時計のようなものが発売されないであろうか?一応、健康管理も出来るような機能も備わっていたり、これまでの機能とほとんど変わりなく、しかも、メールや通話も可能であるらしい。ウェアラブルの一歩手前のような位置づけになるのであろうか?それにしても、日本のメーカーは、どうしたものなのであろうか?料理家電といい、腕時計型のスマホといい、常に、後塵を拝しているのには、何か、根本的に、製品開発の発想自体に、問題があるのであろうか?まだ、もう少し、時間が掛かるのであろうか?


歯磨きの仕方:

2015年03月02日 | 健康
歯磨きの仕方:
時代の変遷と共に、歯磨きの仕方というものは、随分と、変わってきたものである。大人になってしまうと、何処で一体、正しい歯磨きの仕方を教えて貰えるのであろうか?こんな歳になってから、予防歯科医院で、正しいと云われる方法を教わったわけであるが、もっと早く、教わるべきだったかと、、、、、、、。学校で習うべきものなのか、それとも、家庭で親から教えて貰うものなのか、或いは、きちんと、歯医者で、教えて貰うものなのか?一体、どれが、正解なのであろうか?子供の頃は、縦方向に磨くことを勧められていたのに、今や、今日では、二つくらいの歯を意識して、歯間を更に意識して、歯と歯ブラシの角度を更には意識して、磨くと、汚れもある程度、しっかりと落ちて、歯茎にも宜しいとのことで、電動歯ブラシなども使用する必要は無いとの由であった。とりわけ、歯石が、つきにくくなり、定期的な歯石除去だけでも、充分、虫歯予防になるらしい。何とも、単純なことで、誠に、眼から鱗である。それにしても、歯ブラシの種類とか、歯に当てる角度とか、磨き方とか、手鏡とかを使用すると良いとかなど、様々なアドバイスを貰ったが、少しでもそうした改善効果が現れれば、実に結構なことである。自分流の磨き方では、年寄りの口腔内衛生管理は、覚束ないので、こうした専門家の指導は、確かに、必要であろう。寝たきりになる前に、自前の歯と歯茎は、できる限り多く残しておきたいものである。これまでの歯磨きの時間が、倍を要することになったということは、これまでのそれが、実に、いい加減であったことを意味するのであろう。早めに気が付いて良かった。これで、磨き残しや汚れの落ち方も少しは違うであろう。一寸した日常のことでも、毎日の積み重ねは、恐ろしいことである。

眼鏡使用条件がなくなる:

2015年02月27日 | 健康
眼鏡使用条件がなくなる:
白内障の初期症状を呈し始めてから、約半年程経過したであろうか?白内障の特徴である水晶体の濁りを、少しでも後ろに、遅らせるという眼薬を日に3回点眼することで、併せて、ドライ・アイ予防の眼薬も併用しながら、眼の乾きも防ぐという処方措置であるが、検査結果では、進行が進んでいないことが写真撮影の結果などから、判明したことは喜ばしいことである。それにしても、最近でこそ、減少したが、これまで、現役の頃には、随分と眼を酷使してきたものである。PC画面を覗くだけでなくて、電車の中で、細かな字を読書したりと、眼が良かったから、随分と、酷使もしたものである。最近でこそ、ブルー光線透過防止フィルムなどや専用メガネを掛けるように心掛けているものの、昔は、そんな便利なものは、なかったことを考えると、空恐ろしくなる。それにしても、これまで、免許更新の度に、眼鏡使用条件を強いられてきたのが、嘘のようである。昨年の誕生日月更新では、試しに、ダメ元でメガネなしで、トライしてみたところ、一発で、問題なく、パスしてしまった。確かに、裸眼で、右:1.2 左:1.0で、これなら、文句がないであろう。以前、作った中・近両用のメガネも中距離や遠距離は、むしろ、眼鏡を使用する必要性もないとの眼医者からのお墨付きである。流石に、手許の文字は、読書時やPC作業の場合には、遠視のメガネが必要であるものの、運転時の眼鏡着用義務は、免れたことは大きな成果であろう。もう、最近では、身体のパーツ・パーツを、手前手間で、メインテナンスしてゆく必要を感じざるを得ない。悪化させない、事前の予防策こそが、成る程、必要なのかも知れない。現役の時は、あまり、気にもしていなかったが、部分的に、悪化する前に、手前手間で、歯も眼も耳も、膝も、予防措置を講じることが重要であり、是非、データのアプデートと更新をお薦めしたい。衰えてゆくスピードを少しでも遅らせるのも、一つの考え方ではなかろうか?

見直そうシニア・ペットの食事だそうである:

2015年01月20日 | 健康
見直そうシニア・ペットの食事だそうである:
我が愛犬は、18才と4ヶ月で、(人間で言えば、92才相当だった)2年前に、残念乍ら、逝ってしまったが、生きていたら、今年は、20才、犬の年齢を人間の年齢に換算すれば、100才になっていたことであろう。自然に任せて、天命を全うしたのかも知れない。雑種だったから、様々な病気にも、抵抗力が強かったのかも知れない。もっとも、殺処分される寸前の犬だったから、免疫抵抗力が劣っていて、我が家に引き取られた三ヶ月の幼犬の頃には、一度だけ、死にそうになったことを懐かしく、想い起こす。それにしても、長生きで、散歩が大好きだったから、亡くなったときにも、毛並みは、流石に、若い頃のつやつやした脂ぎった毛並みとは云えないが、それでも、ほとんど、色落ちすることもなく、年寄り犬には、見られなかった。もっとも、流石に、顔の方は、真っ白に、なってしまったが、それでも、元気に、朝晩2回の或いは3回の日課の散歩は、欠かさずに、出掛けたものである。7-10才を過ぎる頃から、いよいよ、シニア使用のドッグフードに切り替えて、与えたが、缶詰ともミックスで併用することで、きっと、うまく、高品質のタンパク質を消化・吸収できたのかも知れない。そのせいなのかどうかは、わからぬが、お陰様で、長生きできたのかもしれない。人間様にも、こんな消化・吸収のよい食品ではないが、そういう代物が提供されれば、きっと、もっと、長生きできるのかもしれないと思ったくらいである。それ程、シニア犬のドッグ・フードは、質が高いものになっていたと思われる。もう、新聞広告やホームセンターのビラで、ドッグフーズに目をやることはなくなってしまったし、売り場にも、行くことがなくなってしまった。時折、横を通るときに、あぁ、そう言えば、よく買ったっけなぁ!と思う。もう、犬を飼うこともないだろうが、ふと、広告に目が入ると、亡き愛犬とともに、過ごした様々な想い出が、脳裏に蘇ってくる。何とも、いつも、居るべきところにいた愛犬が、今は、いないかと思うと、淋しいものである。

湯ふる田中の温水プールの廃止の噂話を聞く:

2014年11月13日 | 健康
湯ふる田中の温水プールの廃止の噂話を聞く:
私の家は、行政区分上では、小諸市に属しているものの、実際、西側南の端で、どちらかと言えば、地政学上では、旧北御牧村に近い御牧ヶ原台地にある関係上、従って、買い物や温泉施設の利用も、お金を落とすところは、東御市になりがちである。東京では、コナミ・スポーツ・クラブの月例会員であったが、田中にある湯ふる田中の月額会員の費用と較べると、東京のそれは、ほぼ、3倍近い金額であったので、結局、温泉とジムと温水プールを、手軽に、しかも、インストラクター付きで、活用できるということもあって、結局、こちらへと鞍替えすることにしたのは、もう、3年程前になるであろうか?おまけに、ジムの運営は、コナミが受託していて、多少、マシーンが、旧型であると云えば、云えなくもないが、それでも、不自由することはない。しかも、週2回の老人体操教室の筋トレ教室などでは、年々、参加者が、増加して、教室も手狭になる盛況ぶりである。流石に、60代から、上は、80代後半のお年寄りまで、スクワット20回を5セットなど、結構、毎週2回もやっていれば、密度が濃くて、足腰が鍛えられるものである。おまけに、若い先生の明るい若々しいキャラクターも加わって、なかなか、人気が高くなりつつある。遠くは、軽井沢、御代田、近くても、小諸、佐久、上田、などからも、参加者が、毎週やってくる盛況ぶりである。延べ人数で云えば、週に2回で、60人くらいは、利用しているであろうか?その教室で、ふと、耳にしたものであるが、付属の温水プールが、何でも、東御市の議会で、予算が付かない関係から、来年の3月で、廃止になるとか、、、、、、、という話である。いくら維持費がかかるとは云え、何の利用者への説明もなく、一方的に、廃止の検討とは、これは、医療費抑制策の一環にもなるわけで、ショッカイさん同様に、こうした健康施設の維持は、これからも、必要になるものであると思われるが、如何なものであろうか?そう言えば、若い頃に、確か、邱永漢が、「夏場しか、利用しない屋外プールではなくて、通年利用可能な温水プールを作るべきである」と、主張していたが、箱物ではなくて、利用方法をもっと、知恵を出して、考えれば、宜しいのではないだろうか?先月も、小学校の生徒が、温水プールと温泉を体験学習で利用していたが、こういう活用方法も、夏期のプールとは別に、或いは、プール歩行など、カリキュラムで、健康管理、医療費抑制の対策として、活用すれば、宜しいように思われるが、、、、、、、。既に、存続の陳情を行っているとも云われているが、果たして、どうなるものやら、、、、、、廃止すると云っても、壊して処理する費用も莫大なものであって、税金が、結局当てられることになるのであろうし、水中歩行や、水泳を楽しんでいる人達には、なかなか、辛いものであろうし、インストラクターの職場を奪うことにもなり、又、地域の貴重な施設を失うことにもなり、誠に、残念な限りである。それにしても、日本という国は、情報開示と説明責任とが、一向に、なされない国であることが、このことからも、わかろうか?一体、何人の役人と議員は、温水プールを利用しているのであろうか?利用者の声は、これまで、どのように、反映されていたのであろうか?