来年の2017年は、日・タイ修好130周年という節目の年となりますネ。
その記念すべきロゴ・ マークが、先週 決定しました。 外務省では130周年記念事業で
使用するロゴマークを日本とタイで公募していました。 が、東京都在住の高橋正広さんの
デザインによるロゴが最高得点で、最優秀デザインを獲得して決まりました。 それが これ!
公募は7月15日~9月15日の期間で行なわれ、日タイ両国から110件もの応募があり、
採点は両国の外務省および関係機関の代表者が、厳正な審査で決定したそうです。
作成者の高橋さんは 「日・タイ両国の国旗と、それぞれのシンボル的イメージを、永遠を表す
無限大記号の形で相互に組み合わせ、それが2カ国の良好な関係が、これからも末永く続く
ことを表現した」 とコメントしています。 どうですか? なかなか良いじゃありませんか ・・・
高橋さんには、タイ国際航空からバンコク行き往復のペアチケットが贈呈されると聞きました。
それにしても130年というは凄いですよねぇ~
1887年で、明治20年ですヨ。 正式には9月26日に、「日暹 (にちせん) 修好通商に関する宣言」、
すなわち日・タイ修好宣言されたことにより、正式に国交が開かれたんだそうです。
<タイでは、1932年 (昭和7年) に 「シャム」 から 「タイ」 に国名が変更されましたが、
昔、シャムは漢字では 「暹」 (せん) と表していました。>
この宣言は、両国が国交を結び、通商・航海を奨励し、将来の条約をもって詳細を規定するという簡単で抽象的な
内容のものでしたが、これは明治の日本政府が東南アジア諸国と外交関係を結んだ最初の条約だったそうです。
<皇室と王室の関係が さらに強いきずなを結びましたね>
しかし、外務省の文献によりますと、日本とタイの交流は、600年前にさかのぼると言われています。
ご存知 当時はアユタヤ時代で、御朱印船による貿易でシャムとは交易を通じていました。 首都
アユタヤには、日本人町が形成されていたことは余りにも有名です。 この民間の交易の他に、徳川
幕府とアユタヤ朝の間でも献上品や書簡の交換が行なわれていました。 でも、正式な国交を基礎とした
ものではありませんでした。 そして、この交流も徳川幕府による鎖国令により衰退していきました。
<アユタヤ時代には山田長政がシャムに>
その後の18世紀、欧米によりアジアの独立国が植民地化される中、日本が明治維新により近代国家
建設を開始したのとほぼ時を同じくして、アユタヤ・トンブリーを経て、バンコク時代に移行されました。
そして タイ王国のラーマ5世の下で、国家の近代化を図りつつ独立を維持している、
まさにこの時期の1887年に、日本とタイは正式な国交を開始したわけですネ。
こうして、我々が 居心地よく タイで生活できるのも こんな歴史があるからですネ、深謝、深謝です!
来年2月に 日・タイ ゴルフフェスティバル が開催されます ・・・
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