パク・インビ選手らが 大活躍していた同世代に、なかなか 追いつけなかった
イ・ボミ選手は、ついに スイング改造に走ります。 昨日からの続きです ・・・
<この頃が一番 辛かったのかなぁ~…>
ちょうどその頃は、韓国が経済大不況に陥っていた時代、誰もが国の行く末を 心配していたこと、
そして米ツアーで活躍していた朴セリ選手という存在があったこと、この二つが、イ・ボミ選手の
ハングリー精神を 太く強くしたといいます。 スイング改造は、多少の焦りもあったのかも知れません。
体の動きを 徹底的に洗い直し、より以上の飛距離と正確性を 得ることに成功。 その努力が奏功し、
めきめき力を つけ、高校3年の19歳の時に ようやく韓国ナショナルチーム予備軍に昇格しました。
しかし、本軍には昇格することはありませんでした。 そして翌年の20歳の2007年、プロに転向します。
<頑張っていた高校時代…>
けど、すぐに頭角を 現せるほどプロは甘くはありません。 下部ツアーを 経て韓国のレギュラー
ツアーに参戦できるようになったのは 2009年でした。 この年に初勝利を 挙げて、いきなり賞金
ランク5位に食い込みます。 翌年には、更に潜在能力を 開花させ、年間3勝を ゲットし、ついに
念願の韓国ツアー賞金女王を 獲得。 年間最多勝、最少ストローク、最優秀選手と4冠にも輝きました。
ただ この時点でも、イ・ボミ選手の中では まだ同世代の選手たちに追いついていない気持ちの
方が強かった。 むしろ ようやくスタートラインに立つことが出来たという感覚だったといいます。
<12年にコハマタイヤゴルフPRGRレディスカップで初優勝…>
ライバルたちに追いつくには、海外で戦う必要があります。 米国ツアーか日本ツアーのどちらに
行くか、随分と悩んだようですが、日本のトーナメント中継を 見て 雰囲気が良かったこと、日本の
レベルの方が高いと感じたこと、それが第一歩を 日本ツアーに参戦することに決めさせました。
日本ツアーのクォリファイリング トーナメント (QT) だけを 受けた結果、10位に入り、翌年の
出場権を 獲得し、2011年がイ・ボミ選手の日本ツアー デビューとなりました。 14試合に出場し
未勝利に終わったものの、全試合で予選を 通過。 賞金ランキング40位に入り、初のシード権を
獲得しました。 その後も着々と実績を 重ねていきます ・・・
2012年には3勝を 挙げ 賞金ランク2位。 翌年も2勝を 挙げ 同7位と完全にツアーの顔となり、
今年は7月末現在で、賞金ランク2位、平均ストローク2位、パーオン率2位、パーセーブ率2位と
ショット、アプローチとも精度が高く、大崩れしない選手として 最も安定したゴルフを しています。
建国大学大学院で心理学をも学ぶ才色兼備は、日本に順応し、ルックス、実力とも兼ね備えた
スター選手となりました。 次のステップは、悩んでいた米国ツアーへの参戦かと思いきや、今では
米国ツアーに挑戦するつもりは、一切ないと断言しています。 どうしてでしょう?
長くなりますので、明日に続きます ・・・
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