タイでゴルフ友達になりましょ。

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タイを震撼させて三年!

2007年12月27日 | タイの出来ごと、あれこれ
あぁ~ 忘れもしません。あの3年前の12月26日。ちょうどバンコクから来た友人、同僚3人で銀座の立ちんぼバーで
飲んでいた晩のことでした。タイの友人から“プーケット島が大変なことになっている”という電話が入ったのが・・・・

そうです。スマトラ沖大地震・インド洋大津波でプーケット島とその近辺の大被害を受けた日でした。当時 ワタクシも
{ツバメの巣}の仕入れやら打合せやらで、プーケット島近辺には頻繁に出入りしており、26日は日本へ帰った
来たばかりでしたので、尚更のこと吃驚した記憶が残っています。あれから もう3年も経つんですね。

タイでは地震は無いと言われていましたし、実際に地震に関する被害などありませんでした。
こんな津波の大被害も
初めてのことでしたが、結局 タイ国内の死者・行方不明者は外国人旅行者約3000人を含む約8400人の
人が被害に遭い、プミポン国王のお孫さんも、この津波で亡くなっていると聞きます。
日本人も28名の死亡が確認され、今でも一人が行方不明だそうです。

この地震と津波による全体的な犠牲者と行方不明者は、最終的に23万人前後とされていますが、その遺族や友人などを
加えると、三周忌のこの日は、世界で数百万の人が、再度涙を流しながら、悔しく思ったことでしょう。

タイでは、遺体の身元確認のため諸外国から約8800万バーツ(約3億円)が寄付されましたが、一部が使途不明となっており、
欧米諸国がタイ政府に説明を求めているなど、今だに諸問題が解決されていませんが、昨日の26日は、プーケット島を
中心にタイ南部の各地で追悼式典が行われたようです。

今だからお話し出来ますが、こんな笑い話もありました。

ワタクシも見ましたが、当時プーケット島で地元の新聞などに大きな活字で「津波がやって来る」と、
“津波”と言う日本料理レストランがオープンする広告がやたら流れていました・・・
ところが、まったく皮肉にも本当に津波がやって来てしまいました。

もちろん 当時のオープンは中止されましたが、今はどうなったのでしょう。
タイでも、津波という日本語は、今では“TUNAMI”という言葉として、世界の共通語になりましたので、
使用はしていないでしょうが・・・

処で、被害にあったプーケット島とその近辺のカオラック、ピーピー島はすっかり復興しましたので、各国の観光客が
再び訪れるようになりましたが、日本人観光客だけが以前のようには戻っていないそうです。
現地の人に「なぜ日本人は来てくれないのか」と、よく聞かれ返答に苦慮します。

ワタクシ思いますに、日本も地震、津波の被災国で、テレビで阪神、新潟地震と目の当たりに見ていますので、
とても 日本人は「観光気分でプーケット島に訪れる気持ちにならないのでは」と考えますが、いかがでしょうか? 
決してプーケット島を嫌っているのではありません・・・
ワタクシも次回の訪タイの折、久しぶりにプーケット島へ行くつもりです。


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2 コメント

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時がたつのは早い (タカ)
2007-12-27 11:32:43
津波のあった日はバンコクに滞在してました。
タイ人の仲間とウインドミルでゴルフでしたが、早朝のゴルフ場に行く道が、びっくりするような濃霧でした。
タイ人の車に乗っていましたが、運転する彼もこんな事は初めてと言っていたくらいの濃霧。

ウインドミルに入る道がまったく見え無くて、通いなれた彼が行き過ぎたくらいです。

ゴルフの帰りに彼の親戚がチェンマイから電話をしてきまして、プーケットの親戚の店が水浸しになっていると。

私たちは笑いながらその話を聞いてましたが、地震が起きたらしいとの話に、最初はチェンマイの話と思っていたくらいでした。

バンコクに戻ってレストランに行きますと、TVの前にファランが達が群がってまして、初めて事の重大さに気づく有様でした。

改めて、犠牲になられた方たちのご冥福をお祈りしたいです。
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タカさんへ (nagaichi)
2007-12-27 12:26:38
そうでしたか。

ワタクシの友人は、ゴルフ場で今までに無い、「蚊の多さ」に吃驚したそうですよ。

自然界で何かを感じますね。
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