ふくの映画ブログさんの記事に『Perfect Days』が取り上げられていました。
今年の夏に「THE TOKYO TOILET」プロジェクトで作られた公衆トイレを何か所か見学しに行ったことがありました。
この「THE TOKYO TOILET」のプロモーション企画として作られた映画が『Perfect Days』です。ふくの映画ブログさんの記事を拝読して、もしかしてまだ上映している映画館があるのかと思い調べてみたところ、TOHOシネマズシャンテで上映していたので早速足を運んでみることにしました。
観に行くことにしてから気付いたのですが、『Perfect Days』はヴィム・ヴェンダース監督作品なのですね。数ヶ月前に参加したアレック・ソス氏の写真展でも、同じくヴィム・ヴェンダース監督作品である『パリ、テキサス』がテーマに取り上げられていたので、最近僕が興味を持って接していた事物が、気付かぬうちにリンクしていて不思議な心持ちになりました。
『Perfect Days』を観ての感想は、とても散文的な映画だと感じました。劇中に繰り返し出てくる公衆トイレ、影、木。掘り下げられることのない主人公を取り巻く人々とのエピソード。ストーリー性を求めて映画を観ることを好む人であれば、欲求不満になってしまうかも知れません。
例えば公衆トイレを利用するシーンを考えたとき、私たちはそのトイレに何度も通うことはあるでしょうか? 恐らく多くの人はたまたま公衆トイレの傍を通り掛かり、たまたま催してしまったので、その公衆トイレを利用するのではないでしょうか。そしてまた再びその公衆トイレを訪れることはほとんどないことでしょう。
『Perfect Days』の主人公の職場は公衆トイレであり、彼にとって公衆トイレは日常で、退職するまで半永久的に存在し続けるものです。一方のトイレ利用者はたまたまそこを通り掛かり、一期一会に近い形で公衆トイレを利用するだけです。お互いの人生がある一瞬だけ交差して接点を持つものの、次に交わることはないかも知れません。
木と人にも同じようなことが言えますよね。木の樹齢を考えると、人の人生の期間など一瞬でしょう。木からすれば長い寿命の中である人間と接する期間など、本当に一瞬の出来事と言えます。日の光と木々の陰影が織りなす木漏れ日のように、万事は刻一刻と変化していくのです。
しかし、そうした一瞬の出来事は木のように穏やかに存在し続けるものに何の変化ももたらさないのでしょうか? もちろん、そんなことはないはずです。小さな出来事の積み重ねが今の木の形に大きく影響を及ぼしてきたはずです。僕が当初散文的に感じたエピソードの数々も、規則正しく変わることのないように見える劇中の主人公に何かの変化を与えているのでしょう。
いろいろと感じることの多い良作でした。
私のブログも取り上げて頂いて、とても嬉しいです
自宅で観ましたので、感じた単調な風景も、
劇場鑑賞でしたら素晴らしさが違いますよね
日々をつづる映画は映画好きのための映画と思っています
私も「パリ・テキサス」は少し前に初めて観たばかりなんですよ
もう少し作品を観たい監督さんです
引き続きたくさん素敵な映画を教えて下さい。
わざわざご訪問頂きありがとうございました!