寒い寒い、お散歩地面も凍った朝です
ひめちゃんは、堀之内を北に出る道に入ります。
今朝は、カーブミラーの所を右に、葛塚城の堀切跡を越えて東の方に行きます。
草も冬の寒さでウチバです
今なら通れます
長安寺跡に出ました。
おや、見かけない大きな塔が建ってます
今朝はもっと東の方に行くでふよ
県道を渡って、サマンサ坂を下ります。
獅子くんと、よく南から来てこの坂を登って帰ったね。
ここは、サマンサおばちゃんの魂が天に昇って行った所だよ。
ヤギハウスの脇を通ります。
ここには、ヤギの家族が住んでいました。
ある日、「ヤギに食べ物をあげないで×」の貼り紙が出されました。
そして、そのうちにヤギさん家族は誰もいなくなりました
黒毛和牛の牛舎前を通ります。
牛さん、おはよう
後ろに積んだ「わらロール」、貯蔵と防寒を兼ねてるんだね
この細道に、道標があります。
かつては、多くの人が行き交った幹線道路だったのです。
長安寺跡の見なれない物体、どうしてあそこに出来たんだろう
何故、あそこに建つのだろう?
2月26日、長命寺の後、貴先(きさき)神社を訪問です。
何年ぶりかな?
前回は、行事か何かで、人が大勢いました。
「きざき神社ですか? きさき神社ですか?」と問いかけると、「きさき神社だよ おきさき様の后だよ」と、教えていただきました。
鳥居から参拝です。
額の文字がはっきり見えません
社殿は、元気そうです
向拝の彫刻、日光例幣使街道・木崎宿ならではのものです
例幣使の行列です
あれ、一人首がない
どうしたんだろう
馬子に牽かれた馬が、なんともかわいい
ホッと和む彫刻です
横からの社殿です。
本殿、後ろからです。
それなりに凝った彫刻です
ここには、若干の石造物がありますけど、多くはありません。
新田の名木があります。
確かにすごい格好です
でも、長命寺のカヤの木も、それなりの木だと思うけど
新田町誌基礎資料第8号『村々の沿革と絵図』(平成3)によれば、地名の伝承として、
「往古、后と呼ばれる高貴な方が故あってこの地に移り住し、里人この地をきさきと呼び、後に木崎となった」と。また、「創建年代は不詳だが、荒茫たる原野に一祠あり貴先神社といった。人々が原野を開拓しやがて集落を形成、地名を神社に由来して貴先と考えたが、神社と同文字では不敬であるとして木崎とした」などがある。
~(中略)~地名については伝承のみで確証に乏しく、今後の研究課題である。
研究、進んだかな?
高校生の頃、木崎の駅から東武鉄道の電車で通学していました。
駅の北側には、サッポロビールの大きな工場がありました。
その北の方の木崎の街が、例幣使街道・木崎宿として賑わっていたなんて知りませんでした。