続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

五色沼と林子平の碑

2024-10-28 18:01:27 | みちのく紀行

雨の朝です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、貧乏カッパでお散歩です。

「アタチ挟まってまふ」の子が出ると困るので、二人とも今日は室内犬です。

朝ご飯の後、おかあさんはガーデンパトロールです。

昨日は、先住犬たちのお墓に、チューリップの球根を埋めました

あれ、何かの足跡がある

犬か猫か

あれあれ、獅子丸のカバさんのぬいぐるみの後ろに、球根が落ちてます

何が出てるんだろう

 

三四郎地蔵&サマンサ地蔵&ののこ地蔵はどうかな?

やっぱり何か出たかな

 

ひめちゃんは、おかあさんのベッドの上で熟睡中です。

だいぶ白い毛が増えてきたね。

ひめちゃんも、12才と8ヶ月です

 

 

 

(9月26日)仙台城大手門跡を通って、三の丸跡の博物館に向かいます。

道の向こう側、大手門脇櫓前の坂を下ります。

マンホールの蓋は、ここの風景です

 

 

ほどなく仙台市博物館です。

何年ぶりだろう

ここの五色沼は、日本のフギアスケート発祥の地でした。

五色沼は青葉城のお堀の跡なんですね

こんなオブジェあったっけ

オブジェも説明板も昔はなかったような

 

子門(ねのもん)を通ります。

付近の位置関係がよく分かる案内図です。

ここには木造二階建ての瓦葺きの門が建っていたのですね。

 

 

目指す林子平の碑は、博物館の建物の向こうにあると言うことです。

とりあえず、博物館前を素通りです。

 

博物館周辺の案内図です。

子平の碑は、魯迅の碑の奥です

 

 

魯迅さんは、一目で分かります

 

 

魯迅さんの奥に、目立たなく林子平の碑です

こんにちは

碑文はよく見えません

仙台市立博物館のHPキッズコーナーに、

仙台藩士林子平は「無禄厄介(むろくやっかい)」という待遇(たいぐう)で、給与もなく兄の世話を受けて生活していました。しかし、子平はこの身軽さを利用して自由に江戸や長崎に行き見聞を広めました。そしてその後、そこで得た新知識をもとに、『三国通覧図説(さんごくつうらんずせつ)』、『海国兵談(かいこくへいだん)』を著し、海防が急務であることを力説しました。しかし、鎖国(さこく)主義を守る幕府はいたずらに世間をまどわす行為(こうい)としてこれを取り締まり、版木(はんぎ)没収・出版の中止を命じ、子平を処罰しました。兄の家にちっ居となった子平は1793(寛政5)年6月21日、56才で行動的だったその生涯(しょうがい)を閉じました。
このあと幕府は相次ぐ異国船の渡来や開国と通商の要求などの対策にたいへん苦しむことになり、子平の考えが正しかったことを歴史が証明することになります。

 

上野の高山彦九郎・下野の蒲生君平と共に、寛政の三奇人の一人なのですね

 

 

さて、博物館も覗いていきましょう

「親鸞と東北の念仏」という企画展を開催中です。

みなさん熱心に見てますけど、待ち合わせ時間があるのでサーとです。

そういえば、昔「親鸞」を卒論のテーマに選んだ同級生がいました。

どうしてるかな?

ただ常設展で、仙台市宮城野の東光寺の摩崖仏レプリカとても印象に残りました

そのうち訪問したいな

 

 

五色沼を通って大手門跡を通って、支倉常長の像の脇の小径に入ります。

仙台の町を見下ろします。

ン十年前、この街に住んでたんだ

仙台で4年間過ごさせてくれた両親に感謝

そしてご先祖様にも感謝

 

付近の案内図を確認です。

地下鉄の国際センター駅も、扇坂を下ればすぐです。

 

 

萩ホール・モーツアルトで、旧友と待ち合わせしてランチです。

何年ぶりだろう

久しぶりなので積もる話もたくさんあります。

でも、小山で停車する新幹線は少ないので、14:00発の新幹線には絶対に遅れないようにしなければなりません。

またの再会を約して、扇坂を下りました

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

扇坂(藩士の登城口)

2024-10-26 16:09:24 | みちのく紀行

ひめちゃんは、赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通ります。

プーちゃんは、「遊ぼうぜ

ひめちゃんはシカトです

ごめんね、バイバイ

アタチの好みではありませんでふ

アタチは今でもケンくんが好きでふよ

堀之内の西を歩いて帰りました。

今日はスッキリ晴れないかもでふね

 

ひめちゃんちの菊の蕾に、やっと色が差し始めました

小菊の里も咲き始めるかな

もう少ししたら、またお出かけしようね

 

 

 

9月25日、松島から帰ると、仙台は雨でした

午後の予定では、まだ行った事のない林子平のお墓を訪ねようと思っていました。

夏休みに行った高山彦九郎記念館(太田市)で、寛政の三奇人の話が出ました。

今年は珍しく、話が弾みました

そういえば仙台市民をしていたのに、林子平の墓は行ったことがありませんでした

是非行きたいと思ってきたのですけど、本降りです

折りたたみの傘ではちょっと心許ない

無理をせず、又の機会にしましょう

駅地下でお土産を買い集めて、発送です

 

 

翌26日、旧友と青葉城趾(仙台城趾)の萩ホールで待ち合わせてランチし、て午後の新幹線で帰ります

ホテルをチェックアウトして、仙台駅のコインロッカーに荷物を預けて、早めに地下鉄で向かいます。

 

 

最寄り駅の国際センター駅で降りて歩きます。

ストリートビューでよくよく見て来たので、迷うことなく扇坂(おおぎざか)に到着です

ここを登るのは初めてです。

 

説明板を確認します。

藩士にとって、この扇坂と二の丸北方の千貫橋が通常の登城口であった。

そうなんですか

 

仙台城趾の説明板です。

いつから、青葉城ではなく仙台城というようになったのかな

ひめちゃんちのおかあさんが仙台市民の頃は、普通に青葉城でした。

大手門の写真や絵図が残っているのですね

待ち合わせ場所を確認したら、大手門南の、博物館に寄ってみましょう

 

 

扇坂の階段を登ります。

振り返って扇坂です。

足腰が弱くなったら、きつい

 

付近の案内です。

 

 

待ち合わせ場所を確認して、三の丸跡の博物館へ行きます。

大手門跡へ向かいます。

昔、赤い点線の大手門ルートで、何度も本丸跡に行きました。

 

この道です。

今は通行止めのようです。

去年も通行止めで、「ループル仙台」も八木山周りで、バス停・仙台城跡、昔の青葉城趾埋門(あおばじょうしうずみもん)に行ってました。

 

 

支倉常長像です。

こんにちは

去年、北仙台のお墓に詣でましたよ

東日本大震災でここら辺は被害を受けたのですね

 

なんとなく白壁が新しい雰囲気です。

さて、道の反対側に渡って博物館に行ってみましょう

 

 

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

比翼塚・夫婦町の由縁(めおとまちのゆえん)

2024-10-23 15:37:39 | みちのく紀行

一昨日、獅子丸のお部屋(サークル)を大掃除して、ねむねむ獅子くんのぬいぐるみも洗いました。

昨日は、乾いた獅子くんを冬バージョンのお部屋に戻しました。

 

そして、先住犬たちのお墓も大掃除です。

チューリップの球根を埋めてビオラを植えるつもりです。

七海地蔵の後ろを草むしりしていると、土の中かな何かが出ています

掘り出してみると、獅子丸と一緒に埋めたぬいぐるみでした

あれからもうじき3年が経つのに、痛んでません

獅子くんは、ぬいぐるみを大事にする子でした。

ひめちゃんのように、解体新書をしたりしませんでした。

獅子くん、お部屋を大掃除したので、うれしかったのかな

このぬいぐるみをどうしようか

サークルに連れ帰ろうとも思いましたけど、獅子くんと一緒の方がいいよね

 

三四郎地蔵には、バッタです

 

今朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんが朝ご飯を終えると、雨雲レーダーは、「25分後に雨が降り始めます

大急ぎで、みんなのお墓にビオラだけ植えます。

 

獅子くんのぬいぐるみ、昨日より元気です

植えている最中に降り出しました

チューリップの球根は、また後で埋めるからね

 

 

 

(9月25日)

瑞巌寺を出て、円通院への細道を辿ります。

 

左手に、クラシックな建物があります。

お殿様が、松島遊覧をする時の舟を操った人々の住まいですって

 

 

その先に、目指す比翼塚は、目立たなくひっそりとありました

合掌

説明板があります。

ちょっとわかりにくい話です。

松島町のHPによると、

鎌倉時代、北条時頼が家臣・蜂谷美濃守を松島円福寺(瑞巌寺)守護のために派遣。子孫が松島に土着しました。
そして、子孫・蜂谷掃部(かもん)は、子宝に恵まれぬことから、観音さまに祈願したところ、やがて男の子が誕生、名は小太郎と名づけられました。
小太郎は、観音堂に梅の若木を植えてこよなく愛していました。
小太郎が十五歳の春、父が伊勢参りで道連れとなった象潟の商人と親しくなり、小太郎と商人の娘との結婚を約束したのです。
ところが、帰国した父は小太郎が病死したことを知ります。
掃部は泣きながら商人の娘に訳を話しましたが、娘は松島の人となり、掃部夫妻に孝養をつくしたのです。
後に娘は髪をおろして名を紅蓮と改めました。
小太郎が愛した梅の木が軒端の梅で、娘のもとには紅蓮尼と小太郎の碑・比翼塚が建てられています。
蜂谷氏が観音仏を守っていたことから、その後、瑞巌百一鵬雲が観音を本尊とし、左に達磨、右に菅公を配した三聖堂を建立しました。

 

北条時賴は、乱れた状態の天台宗の延福寺の僧たちを武力で追い出し、法身禅師を開山とする円福寺(後の瑞巌寺)を建立したのでした。

その後も天台宗勢力は、活動場所を変えて併存したという事です。

蜂谷美濃守がやって来たのは納得です。

逢った事もない人を慕って、その両親に仕えるなんて、すごいことです

きっと両親も彼女を大事にしたのでしょう

だから、松島で人生を全うできたのでしょう

 

 

隣にまたクラシックな茅葺きの御堂です。

三聖堂です。

合掌

説明板を確認です。

松島町のHPよると、観音様は蜂谷氏が守っていたものとあります

それを天和2年(1682)にご本尊として、左右に達磨大師像と菅原道真像を安置したのですね。

 

 

円通院への道に出て、去年意味の分からなかった「松島町とにかほ市(旧象潟町)は夫婦町です。」の表示を確認です。

今年は比翼塚に詣でて、納得です

 

今年は円通院には寄らずに、松島海岸駅に戻ります。

仙石線で仙台に戻ります。

 

海を眺めながら、帰ります。

塩釜で、あれ祭り仕様の舟かな?

気になるけれど、今回は塩釜パスです。

何時の日かまた訪問したいのですけど

 

仙台駅に着いて外に出ると、雨でした

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

再びの法身窟(法身禅師と無住道暁と行仙上人は同時代を生きた)

2024-10-21 18:32:43 | みちのく紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

早々と用を足したタバサねーちゃんは、Uターンして帰ります。

いつも一人散歩、ちょっと寂しいでふね

うっすらと浅間山が見えます

左折して、天神田を歩きます。

赤城山はきれいに見えます

酪農王国を夢見た残骸が見えます

けっこう多くの農家が夢見たようです

 

先日、小鳥の訪問を受けた椿、開花です

ピンク系の花が、早めに咲いているようです

 

 

 

(9月25日)

瑞巌寺の本来の参道に出ます。

人力車がいます。

ロマンがありそうだけど

 

自販機で拝観券を買って受付を済まし、御朱印もお願いします

去年は瑞巌寺の後五大堂に行ったので、御朱印をいただき損ねました。

今年は、一年遅れてだけど、一緒にお願いします。

 

 

さて、左手に法身窟です

合掌

去年はさほどの感動もなかったけれど、今回は大感動です

去年何気なく購入して帰った「まつしま法身禅師ものがたり」、とても感動の物語でした

法身禅師の略年譜に、寛元3年(1245)

この頃、「円相に丁字」の公案によって悟り、証明を受けて日本に帰る。

この頃、『妙法蓮華経玄義』を講義し、無住道暁、それを聞く。

とあります。    

 

無住道暁(むじゅうどうぎょう)は、『沙石集』で「上野国山上の行仙上人の事」を書きました。

そして、その数人あとに、「法心房の上人の事」を書きました。

奥州松島の長老、法心房は、晩出家の人にて、一文不通なりけれども、渡宋して、径山の無準の下にて、仏法の心地ある上人と聞こえき。公案を得て、座禅する事多年、居敷に瘡出て、膿むみ腐り、虫出来るほどなりけれども、退せざりけり。 

 

無住道暁は、行仙上人と法身禅師と同時代を生きて、接点があったのです。

感動

 

改めて、合掌

 

御利益ありそうなマニ車です。     

廻したつもりで合掌

 

 

さて、本堂に向かいましょう。

崖沿いの道を行きます。

 

 

格式の高そうな門です。

向こうに本堂が見えるけれども、ここからは観光客は入れません。

 

 

右にある庫裏から入ります。

庫裏は国宝だったんだ

庫裏及び本堂はカメラ禁止です。

 

庫裏を出て宝物館に向かいます。

振り返って庫裏です。

さすが国宝の庫裏です。

5本の幟で山上多重塔を再び国宝にと目指す、新里文化財保護協会のみなさん、国宝ですよ

是非、おいで下さいね

 

 

宝物館も撮影禁止です。

大きな円空仏、今年も逢えました。

合掌

釈迦如来かな

 

 

受付に戻って、御朱印をいただきます。

ありがとうございます

 

 

ブロンズの延命地蔵の前を左折します。

この先にも、確認したいところがあります

 

 

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

瑞巌寺・洞窟群と西国三十三観音

2024-10-19 16:18:58 | みちのく紀行

ひめちゃんは赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通ります。

小屋からプーちゃんの白い手が出てます。

おはよう

 

堀之内の西を歩いて帰ります。

去年実っても刈り取られることなかった田んぼ、稲がだいぶ頭を垂れてきました。

大丈夫かな

マリーゴールドがまだ咲いてます

ムーハウスガーデンのマリーゴールド、来年は草に負けないように祈りますでふ

 

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、お外のお部屋で朝ご飯です。

ふと見ると、椿の枝が揺れてます。

何だろう

小鳥さんの訪問です

 

 

 

 

(9月25日)海岸沿いの県道を歩いて、瑞巌寺門柱に到着です。

 

門柱とコラボして、記念写真を撮っているおばさん達がいます。

門柱にカメラを向けにくい

日本人はこういう行動をするかな

 

 

総門をくぐります。

直進すると、拝観受付ですけど、右折します

右手の洞窟群と西国三十三観音を再拝したいのです。

門の額には「桑海禅林」、「扶桑(日本)の海辺の禅寺」という意味で瑞巌寺のことと瑞巌寺HPにはあります。

去年は帰りに総門から出たので、洞窟群の前の西国三十三観音、33番から逆に参拝でした。

今年は1番から参拝しまーす

 

瑞巌寺についての説明板も確認です。

瑞巌寺前身・臨済宗円福寺の開山・法身禅師と北条時賴が出会ったという、法身窟も再訪したいのです。

 

 

西国三十三観音、始まります

昭和9年に安置されたのですか。

劣化はまだウチバですね

どうも、多面多肢多眼の方が多いような

 

洞窟群の説明です。

元来納骨や供養の為の施設で、造営は鎌倉時代に遡り、江戸時代まで続いた。松島は古来「奥州の高野」と呼ばれ、浄土往生を記念する神聖な場所であった

 

昨年の訪問で、松島の洞窟群に衝撃を受けました。

若きのイヤな松島のイメージが吹っ飛びました

霊地・松島を知りました

 

崩落の危険でもあるのかな?

少し離れての巡拝です。

皆さんに合掌

 

それにしても、多面多手多眼の方が多かったような

 

さて、拝観受付前です。

あれ、人力車がいる

去年は、「瑞巌寺近道⇒」の表示に誘われて、この左手から来ました。

 

 

(つづく)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする