続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

桃井氏勧請・上八幡宮

2023-05-13 16:18:51 | 桃井郷

雨予報ですけど、朝は大丈夫でした。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、プーちゃんの前を通って堀之内の西側を歩いてきました。

いい写真がありませんので、ひめちゃんきょうだいのアーカイブです

 

11年前の5月の連休、ひめちゃんの同腹のきょうだい、琥珀丸(こはくまる)か千尋(ちひろ)です。

獅子丸はシロタビを履いていました。

たぶん琥珀丸です

獅子丸は、図体は大きいけれど静かな子でした。

琥珀丸は、活発な子でした。

音の出るバナナのぬいぐるみが、お気に入りだったのでしょう

 

連休に、きょうだいたちが養子に行ってしまって、ひめちゃんはママを独り占めです

だいぶ色白になってきました

あれから、もうう11年です

 

 

 

3月15日、桃井城趾の八幡宮への階段を降ります。

梅の花の季節、天満宮は元気ですね

 

階段を降りると、石造物群です。

八幡宮の額が2つもあります。

注連縄の神は堅牢地神?

堅牢地神は、万物を生育し負載する働きを神格したものということです。

豊穣を願ったのでしょう

 

石宮の中にはどなたかおいでです。

どなたかな?

 

 

説明板を確認です。

「足利義兼の第4子桃井義胤が、桃井荘の地頭となって、源氏の氏神八幡宮を勧請した」とあります

全く別の説もあります

「新田義重の子義兼が桃井氏を襲名して、祀ったとも伝えられている」ですって

 

 

新しい社殿です。

2礼2拍1礼です

 

 

隣に真っ赤な鳥居があります。

正一位稲荷大明神です。

2礼2拍1礼です

 

まだ名残の椿があります。

神社の役員さんかな、おじさんが数名います。

 

 

邪魔をしないように退散です

 

ふと左手を見ると、さっきパスした階段です。

思いがけず、上から参拝出来ました

 

桃井城の物見台に戻ります。

桜のつぼみは、まだ堅かった

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桃井郷の桃井城(吉岡町みはらし公園)

2023-05-12 15:11:34 | 桃井郷

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、一昨日、動物病院で狂犬病の予防接種をしてきました。

昨日の朝、そのせいかハイシニアのタバサねーちゃんは、ゆっくり寝ています。

ひめちゃんは先に一人散歩で、プーちゃんの前を通って岩神沼に到着です

アオサギさんがいましたけど、シャッターチャンスを逃がしてしまいました

ちょっと残念だね。

 

沼下のヒマワリ畑、今年もヒマワリ成長中です

 

また、プーちゃんの前を通って帰ります。

プーちゃん換毛中です。

 

今朝は、タバサねーちゃんも一緒に朝散歩です。

プーちゃんの後ろの田んぼには、水が入りました。

プーちゃんちのおじさんが苗代にいます。

ここらへんでは、一番乗りです。

田植えが近そうです

 

 

 

3月15日、金剛寺を後に、細い坂道を上ります。

やっと桃井城に着きました

駐車場には、桃井城の文字はありません

城山の文字がわずかにその雰囲気を遺しています

 

西には「怒る穂」の榛名山が迫ります。

 

まあ、とにかく中心部の方へ行ってみましょう。

 

振り返ると、さっき金剛寺から上って来た細道です。

 

前方に古墳イメージの遊具(?)・ふわふわドームです。

 

ふわふわドームのあたりからの榛名山です。

駐車場は何カ所もありそうです。

 

ふわふわドームから、さらに上のエリア・古墳広場に上ります。

いい眺めです。

確かにみはらし公園です。

 

中央の桜の木の下に、やっとやっと桃井城の文字を見つけました。

さっきのふわふわドームのあたりが本丸ですか

ここは物見台ですか

「ももいじょう」ではなく「もものいじょう」ですか

ここは前方後円墳だったのです。

この城は両首が城中するというより戦闘時に立て籠もる「詰めの城」と思われる。14世紀の南北朝時代に活躍した、足利氏にゆかりのある桃井直常の築城と地域では伝えられている、~(中略)~城趾内には桃井氏が勧請した上八幡宮が鎮座しているが、地域では「元八幡宮」といわれる場所から移されたとも伝えられている。

 

さっきの八幡宮も城趾内です

 

東からのぼっても、そんなに大変ではなかったみたいです。

沼左の細道の先に、桃井直常夫妻の墓と伝わる五輪塔があります

右中央隅のノッポビルは、県庁かな?

 

梅の郷は、梅が満開のようです

 

でも、梅ではなく、八幡宮の方に行ってみます。

天満宮です。

八幡宮には、あそこから降りるようです

 

 

(つづく)

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無言で静かにお参りしましょう(金剛寺)

2023-05-09 18:23:30 | 桃井郷

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

ちょっと寒いけど爽やかな朝です

タバサねーちゃんも、元気にお散歩です

諏訪神社の向こうの高台を歩きます。

浅間山は霞んで見えません。

前には、元気な黒柴の男の子です。

獅子くんを、思い出しちゃうね

 

ミニドッグランにあるホオノキに花が咲きました。

ホオノキはかなりの高木で、花を確認したのは初めてです

 

 

 

3月15日、桃井塚の後、桃井城に向かいます。

西側の駐車場に行きましょう。

 

 

城跡の南側に廻り込みます。

 

あれ、鳥居です

八幡宮ですって。

でも、階段が多いなあ

とりあえずパス

 

 

少し行くと、南無不動明王と旗めいています。

このくらいの階段なら、寄って行きましょう

御堂の前の石仏群、お首が変な方もいます

一番手前は、どなたかな?

2猿がいるような

 

階段を登って参拝です。

「無言で静かにお参りしましょう」ですって。

あれ、厨子の前には御真言です

不動明王の御真言は唱えた方が御利益ありそうですけど、無言で合掌

 

不動堂の右には、金剛寺の宝篋印塔とあります。

ここは、金剛寺なのです

小さい方が町指定の重要文化財です。

室町時代初期のものですね。

 

大小の宝篋印塔の間には、ふくよかな如意輪観音です

ふくよか

 

個性的な文字の庚申塔もあります

いい感じ

 

 

不動堂の左手にも、たくさんの石造物です

哀愁の赤い椿と石造物です

『ぐんまのお寺 天台宗Ⅱ』(平成12 上毛新聞社)によれば、

『寺院明細帳』によれば、榛東村山子田にある柳沢寺の末寺となっており、本尊は阿弥陀如来、不動尊で、由緒不詳、本堂は二軒半、境内は135坪、境外地として田2畝25歩、畑1反4畝2歩を所有、檀徒7人とある。

 

本堂は現在はありませんね。

7軒で維持してる?

現役でしっかり維持されています

 

脇の細い坂道を上れば、桃井城跡の駐車場のようです

 

 

(つづく)

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桃井郷の桃井塚

2023-05-08 18:13:49 | 桃井郷

朝は冷たい雨の中、貧乏カッパでお散歩です

昼間は、寒いながらも晴れました

タバサねーちゃんと南の方にお散歩です。

やっぱり晴れのお散歩がいいね

 

 

 

3月15日、三度目の榛東・吉岡方面(桃井郷)探訪、出かけました。

今回は、桃井塚・桃井城探訪です。

 

国道17号線(上武道路)を、道の駅・よしおか温泉方面に降ります。

菜の花もだいぶ咲き進んでいました

西には、怒る穂の榛名山が霞んでいます。

 

まだ、道の駅・前橋赤城がオープン前で、国道17号線の渋滞などはありませんでした。

北に霞んで見えるのは、子持山かな?

道の駅・よしおか温泉を左に出て、4年ぶりに桃井塚を目指します。

確かゴミ置き場の陰でした

今回も見落とさないように、ストリートビューをよくよく見て来ました

 

何故か表示も何もありません

この角を曲がってすぐです。

 

ありました

大小2基の五輪塔が、桃井直常夫妻の墓ということです。

いちおう大切にされているようです

 

今回は、道祖神の文字が気になります

かなり個性的です

 

修験者・無幻道人のイメージです

無幻道人は、群馬郡下野田村(北群馬郡吉岡町)の生まれだそうです。

先日、赤城歴史資料館で、かつての企画展の冊子を購入してきました。

 

説明板を確認です。

桃井播磨守直常は元弘三年(1333)足利尊氏に従い六波羅攻めに参加し、その後播磨守に任ぜられ、越中国守護に封ぜられた。観応の擾乱では足利直義方につき直義亡き後は南朝方に味方し、貞治五年(1366)足利義政と越中に戦った。直常の終焉については判然としないが桃井荘に隠棲し、ここに没しこの地に葬られたと伝えられている。

 

りっぱな経歴ですね

 

実はなんと、ひめちゃんちのある旧新里村にも桃井塚はあるのです

桐生市のHPによると、

延元3年(1338)に越前(福井県)藤島で激しい戦いとなりましたが、義貞の死によって戦乱は終わりを告げました。義貞の家臣として参戦した桃井次郎尚常は、さらし首となった主君の首級を密かに義昌寺に届け、その後、新川の大屋の地で主君の後を追い、自害したと伝わってます。

どうも別人です

 

新里では、「桃井次郎尚常が新田義貞の首を義昌寺の船田義昌に届け、その後桃井塚で腹を切った」と、ほとんどみんなが信じてます

腹を切る必要はありませんね。

出家して菩提を弔えばいいじゃありませんか。

腹を切るという発想、江戸時代のものですね。

新田郡出身のひめちゃんちのおかあさんには、どうしてもこの話に納得がいきません

新里村新川に西毛からやって来た人達が持ち込んだ、桃井の記憶のような感じがします

 

向こうに見える桃井城は、4年前は整備中でした。

公園としてオープンされているようです

梅の花咲く桃井城、探訪します

 

 

(つづく)

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伊香保風に吹かれて常将神社

2023-05-07 15:04:00 | 桃井郷

朝、ひめちゃんとタバサねーちゃんがお散歩に出ようとすると、雨が降り出しました

急遽、貧乏カッパでお散歩です。

 

昨日は、2人で堀之内の西を歩いてきました

ひめちゃんは、草を食べます。

でも、最近は除草剤が撒かれていることが多いです

草の様子をよくみなければなりません。

タバサねーちゃんは、道草を食べません。

田植えの準備が始まりそうでした。

 

本日のガーデンに咲いたジャーマンアイリスです。

雨に濡れた花もいいものです

 

 

 

3月9日、柳沢寺の後、常将神社に向かいます。

約5分くらいだったと思います。

まもなく到着です。

 

鳥居から参拝です。

伊香保風が吹いています

 

階段を登ると、右手にオレンジの屋根の社務所です。

 

 

拝殿前に神社の案内図です。

あれ、ここには「船尾山・柳沢寺再興にも深い係わりを以て常将主従をまつり」とあります。

常将は、船尾山・柳沢寺を焼き討ちにしたんじゃなかったんだ

 

もう1ヶ所、石に刻まれた由緒があります。

上総ノ介千葉左衛門常将公は上総ノ介平忠常ノ嫡子ニシテ其先桓武天皇第五皇子葛原親王ヨリ出デ正系七代武将ナリ。寛弘七年九月十五日誕生、永元中、忠常ノ家督ヲ継ギ上総ノ介ニ任ゼラル。承保三年六月卒ス。享年六十七才。

常将公子ナキヲ憂ヒ、上野国群馬郡船尾山等覚院柳沢寺ノ観世音ヲ祈願、成就ノ上ハ諸堂ヲ改築修繕シ、以テ奉賽セント立願シ、嫡子相満若ヲ設ケ大ニ喜ビ、諸堂ヲ改築修繕セントシテ、志ヲ果タサズ遂ニ卒セリ。

常将公ノ没後、其室夫常将ノ意思ヲ継ギ、永暦三年諸堂宇ヲ改築修繕シ奉賽セリ。依テ一層光彩ヲ添タリ

其功徳ニヨリ常将公ヲ常将大明神ト斎キ奉り、船尾山ノ総鎮守ト奉祀シ其付近ヲ神田ト称セリ、之常将宮草創ナリ。

 

だいぶ違う話です

それにしても、あの平忠常の乱(1028年)を起こした平忠常の嫡子・平常将が、どうして上野国のここまで子供授かりを祈願にやって来たのでしょう

千葉から遙々と

 

 

階段を上がって、拝殿で2礼2拍1礼です

 

駒犬さん、こんにちは

ちょっと、メイドインジャパンではないような

 

 

神楽殿は、保護されています。

現役で大切に使われているようです。

上総ノ介(千葉ノ介)平常将公、上野で絶大なパワーを発揮しているのです

千葉ではどうなのかな?

 

 

境内に鳥居があります。

天神宮です。

やっぱり、天神様には梅ですね

 

 

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