続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

子育地蔵尊がお出迎え・日輪山南光寺

2024-11-12 16:10:40 | 蛇川紀行

秋晴れの朝です

ひめちゃんは諏訪神社前を左折、あぜ道を進みます。

このまま山上城を北から攻めるのかと思いきや、脇の畑道に入ります。

案の定行き止まりです

なんとか戻って、山上城です。

山上城、草刈りもしてあって、落ち葉もまだ少なく、歩きやすかったでふよ

 

天神田を通って帰ります。

赤城山がきれいに見えます

 

 

 

 

9月10日、阿左美(あざみ)の蛇川源流の少し上、みどり市笠懸町の南光寺を尋ねました。

駐車場には、子育て地蔵尊がお出迎えです

 

うわー、庚申塔がいっぱい

ここは、阿左美幼稚園だったんだ

子育て地蔵尊がお出迎え、納得

 

 

門柱の脇には、古い五凝灰岩の輪塔です。

その脇にも、たくさんの石造物です。

現代風の馬頭観音です

 

 

門を入ると、左手には七福神です。

あれ、8名様がいる

 

 

本堂前には、大きな不動明王です。

笠懸不動尊です。

悪霊退散・疫病退散、お願いしますね

合掌

 

 

本堂前で、ご本尊のお姿は見えないけれど、合掌

 

 

左手に、超クラシックな仁王様が見えます。

 

「如法」堂?

どなたかがおいでです。

開山堂かな?

合掌

 

後ろにもまだまだ石造物がいっぱいあります。

古い由緒のお寺なのでしょう

 

 

庫裏によって、御朱印をお願いします。

「何番ですか?」

「え

ここは3つの霊場になっています。

「全部、お願いします

お姿もいただきました。

笠懸不動尊、大きい

 

「あのう、七福神が8名いるようですけど、何かいわれがあるのですか?」

「実は七福神は諸説あるのです。名前の挙がっている方、全員お祀りしています

「そうですか。ありがとうございます。」

 

『ぐんまのお寺・真言宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成13)には、

寺伝によると、南光寺は鎌倉時代に弘法大師巡錫の霊地に行基作の白衣観音を本尊として開創された。その後、建武年間(13334~1338)に南光比丘尼(後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王の側室であった藤原保藤の娘で、南の方と呼ばれた)が、弘和2年(1382)に新田氏を頼ってやってきて親王の菩提を弔ったというが、世良田長楽寺の『永禄日記』には、すでに南光寺の名がみえるので、創建はそれ以前と考えられる。

 

いずれにせよ、古い由緒のお寺です

 

 

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蛇川か新田堀か(恵雲山永昌寺)

2024-11-11 16:12:10 | 蛇川紀行

朝は今にも泣きそうな曇り空でした

ひめちゃんは、堀之内の西を歩いてきました。

朝ご飯はおうちの中です。

暫くすると、天気予報通り晴れてきました

ひめちゃんは、2度目の朝散歩です

田んぼの淵のおいしそうな草に夢中です

やっと顔を上げると、怒り顔です

まさか、このままお外のサークルに帰るんじゃあないでふよね

いや、そうですよ。

おかあたんは、ちょっとお出かけだから、お外のお部屋でお留守番していてね

 

獅子くんのお部屋前の、お土産に買ってきたながめの菊、きれいに咲いてます

春が来たら、地植えにしましょう

 

 

 

9月10日の訪問記事になります。

 

阿左美生品神社の東方辺りから流れ出した蛇川は、やがて東武鉄道桐生線と平行してしばらく流れます。

強戸小学校の近くに、参道を東武鉄道と蛇川が横切るお寺があります。

今はもう参道という感じではないですけど、庚申塔などの石造物があります。

 

 

県道を左折して参道を入ります。

線路と川を渡ります。

『ぐんまのお寺 曹洞宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成14)に

県道大田・大間々線沿いの市立強戸小学校の反対側を北進し、東武鉄道桐生線の線路と新田堀用水路を渡ると、そこに永昌寺がある。

川は蛇川、橋の名は「けいうんばし」です。

新田堀といった時代もあったのかな?

 

 

お寺は、恵雲山永昌寺(けいうんざんえいしょうじ)です。

静かな境内です。

 

ちょうど、紅い百日紅が満開です

 

「須永好之碑」とあります。

須永好さん、何した人かな?

前掲書によれば、

須永は一介の農民から身を起こして小作人組合の創立、無産派による村政の執行、日本労働等の結成など大きな役割を果たし、また衆議院議員としてひたすら農民のために尽くし、「農民の父」と言われている。

そんなすごい人がいたんだ

 

 

聖観音ですね。

合掌

 

 

 

めだつ如意輪観音です。

この如意輪観音が「歯ぼとけ様」です。

合掌

前掲書によれば、

この供養塔は江戸時代から大正時代ごろまで「歯ぼとけ様」と称して、歯痛防止の仏さまとして村民からあつく進行されていた。仏さまの姿が、ちょうど虫歯の痛みをじっと我慢している人に似ているところから、進行がうまれたもので、塔維持は祈願したと痛い歯のあたりに墨をぬると、不思議と痛みが遠のいてくれたという。

 

 

百日紅が咲く静かな境内です。

大きな碑があるけれど、文字が読めません

 

 

ご本尊も、聖観音でしょう。

本堂前で、お姿は見えないけれど、合掌

 

庫裏を尋ねて、「御朱印は、出ますか

「うちは、やっていません。」

「それは失礼しました

 

 

ちょうど電車がやってきます

やっぱり、電車が来るとうれしいです

 

ところで、この永昌寺は、あの古河公方・足利成氏が開基という東雲寺も管理しているんじゃなかったかな

2017年秋に訪問したとき、東雲寺は何かもめ事があったみたいでした

哀しき新田百観音

新田百観音、どうなったかな?

 

 

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シラサギとかかまる

2024-06-27 14:06:55 | 蛇川紀行

ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

諏訪神社の鳥居前で、紫陽花とコラボです

何故か、大あくびです

昨夜よく眠れなかったかな?

ウーン、彼は通ってないみたいでふよ

ひめちゃんは、最近このあたりで、よく黒柴の男の子に会うんですけど。

 

諏訪神社の向こうの高台を、突き当たりまで行って南に下ります。

山上多重の塔近くのヒマワリ畑、咲き始まってます

早く、いっぱい咲いてくれるといいでふね

 

 

 

6月20日、太田市内に用事があって出かけました。

県道78号線で、ひたすら行きます。

帰りも、78号線です。

東武鉄道桐生線・薮塚(やぶづか)駅を過ぎて、なんとなく右折してしまいました

 

この道は、三島神社への道だったような

地図だと蛇川は三島神社のそばを流れてるはずだけど

田んぼにシラサギがいます

うまく駐車出来ずに、いい写真が撮れません

三島神社の駐車場には、お昼休み中の外回り仕事のおじさん達(?)の車がいっぱいです

特に、木陰のある駐車場は満杯です

歩いて田んぼのシラサギに逢うことは諦めます

 

神社・東の「かかまる」駐車場に入ります。

ここも満杯ではないけれど、車が入ってます。

しゃあない、日本一の一本足の大案山子「かかまる」くんにご挨拶だけして帰りましょう

 

かかまるくん、こんにちは

今日は電車が通りません

電車が通ってくれると、さまになるんだけど

 

なんとなく居心地のよくない「かかまる」駐車場も退去して、もう一度シラサギに逢っていこう

あれ、また大案山子だ

ここ薮塚は、小玉スイカ発祥の地でしたね

蛇川を意識している余裕はありませんでしたけど、今にして思えば、あの白いガードレールのあたりが蛇川の流れだったのでしょう

蛇川も大河ではなく、農業用水のような流れだったのでしょう。

そのうち、後ろに見える西山古墳や温泉街の温泉神社も一緒に、ゆっくり探訪したいですね

 

 

田植えの済んだ田んぼにカモの姿があります

シラサギがいてカモがいて、日本の農村の風景です

ここは、農薬の散布がない、または少ないのかな?

ひめちゃんちの当たりでは、滅多に水鳥の姿を見かけなくなりました

 

田んぼの向こう、神社のこちらの流れが蛇川でしょう。

さっきのシラサギたちでしょう。

日本の農村の景色です

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桜の鳥之郷・菅原神社

2024-04-06 16:53:25 | 蛇川紀行

スッキリしないお天気の朝です。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。

 

諏訪神社の桜も咲いています

神社の一の鳥居は、東日本大震災で崩れ落ちました

諏訪大明神の額は、かつての二ノ鳥居に付いてます。

ひめちゃんは、自力で階段を登ります

タバサねーちゃんは、抱っこしてもらって登ります。

 

きれいに咲いてます

 

でもちょっと寂しいかな

春祭りの話もないなあ

そのうち、氏子募集なんてならなければいいけど

まあ、地域の公民館が境内にあるから大丈夫でしょう

 

春が進んで、ムーハウスガーデンに遅咲きの椿が咲き始めました

 

 

基本的に一重好みだったはずだけど、こんな椿もあったんだ

 

 

桜の木がクビアカツヤカミキリに苦戦中の、鳥山上町の菅原神社を訪問してから、だいぶ経ちました。

クビアカツヤカミキリに苦戦中の天神様(鳥山菅原神社)

桜はどうなったか、昨日、小雨の中ですけど、三度目の訪問です。

 

咲いています

新しい苗木も植えられてます

老木にもしっかり花が咲いてます

1ヶ月前に咲いていた梅の花は、きれいに片づいてます

でも、何か作業中のようです

 

桜の花の下に、遊具があるのはいいですね

子どもがいればもっといいんだけど。

 

見上げて桜

 

 

墳丘の方にも、新しい苗木が植えられています。

しだれ桜です。

 

 

花桃も植わってます。

 

今回は、社殿後ろの墳丘には登りませんでしたけど、古墳の雰囲気は、最初に来た時から感じました

このあたりも、古墳の多い所だったのでしょう。

 

以前来た時よりも、明るく元気な、鳥山上町(旧鳥之郷村)の菅原神社です

作業の邪魔にならないように、脇から拝殿前に出て参拝です。

屋根の上の獅子くん、気になりました。

しっかり神社を守ってね

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鳥之郷の菅原神社

2024-04-05 16:15:34 | 蛇川紀行

スッキリしないお天気です。

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、昨日、久しぶりにシャンプーやさんに行ってきました。

湯上がり美女のアタチが、引き立ちませんでふ

ひめちゃんは、堀之内を南に出ます。

赤柴・ケンくんちの南方、無量寺を廻って帰ります。

ここは廃寺ではなく、新川の善昌寺が兼務しているという事です。

既に堂宇はなく、東半分は民家になってます。

墓地の一角に、大前田一家の侠客のお墓があります。

以前、捜索を頼まれて探しました。

あの、墓石が密集している辺りにあったと思います。

この辺りは、大前田一家の縄張りだったのです。

 

今は民家の一角においでのこの方々、以前はお寺の参道の方だったのでしょう。

なぜここにおいでか、理解するまでに、時間がかかりました。

今日は、おうち犬でふよね

しゃあない、そうだね

 

 

 

3月3日、鶴山古墳から見えた林の菅原神社にも寄ります。

ここはしばらく前(2021年8月)に来た事があります。

クロアカツヤカミキリに苦戦中の天神様(鳥山菅原神社)

桜の木はどうなったかな?

 

脇の駐車場から、参拝です

あれ、花が咲いています

梅か、花桃か?

時期的に、花桃は早過ぎる

天神様だから、花梅

2礼2泊1礼です

 

隣は八坂神社です。

御神輿が見えます

この前は、この後ろを登りました

 

今日は登らずに、社殿一周です。

 

古墳の雰囲気の裏山です

 

以前より、明るい雰囲気になってます

 

境内には、シンプルな神楽殿と地域の集会所(鳥山上町会館)です。

 

御神木です。

 

平成天皇って、上皇様ですよね。

もう90才にもおなりですか

 

桜の古木は、生きながらえているようです

鳥居から入り直しです。

 

村社、ここは鳥之郷(とりのごう)村の村社だったのです。

そしてここが、鳥之郷村2号墳の亀山古墳です

 

説明板等はありませんが、亀山古墳と菅原神社の住所(太田市鳥山上町1509)が一致します。

『群馬県古墳総覧』(2017 群馬県教育委員会)によれば、

亀山古墳 太田市鳥山上町1509 現状○ 円か前方後円(墳) 直径35m 鳥之郷村2

とあります。

 

桜の季節に来なければ行けませんね。

 

本日、お使いついでに行ってきました

報告は明日です

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