秋晴れの朝です
ひめちゃんは諏訪神社前を左折、あぜ道を進みます。
このまま山上城を北から攻めるのかと思いきや、脇の畑道に入ります。
案の定行き止まりです
なんとか戻って、山上城です。
山上城、草刈りもしてあって、落ち葉もまだ少なく、歩きやすかったでふよ
天神田を通って帰ります。
赤城山がきれいに見えます
9月10日、阿左美(あざみ)の蛇川源流の少し上、みどり市笠懸町の南光寺を尋ねました。
駐車場には、子育て地蔵尊がお出迎えです
うわー、庚申塔がいっぱい
ここは、阿左美幼稚園だったんだ
子育て地蔵尊がお出迎え、納得
門柱の脇には、古い五凝灰岩の輪塔です。
その脇にも、たくさんの石造物です。
現代風の馬頭観音です
門を入ると、左手には七福神です。
あれ、8名様がいる
本堂前には、大きな不動明王です。
笠懸不動尊です。
悪霊退散・疫病退散、お願いしますね
合掌
本堂前で、ご本尊のお姿は見えないけれど、合掌
左手に、超クラシックな仁王様が見えます。
「如法」堂?
どなたかがおいでです。
開山堂かな?
合掌
後ろにもまだまだ石造物がいっぱいあります。
古い由緒のお寺なのでしょう
庫裏によって、御朱印をお願いします。
「何番ですか?」
「え」
ここは3つの霊場になっています。
「全部、お願いします」
お姿もいただきました。
笠懸不動尊、大きい
「あのう、七福神が8名いるようですけど、何かいわれがあるのですか?」
「実は七福神は諸説あるのです。名前の挙がっている方、全員お祀りしています」
「そうですか。ありがとうございます。」
『ぐんまのお寺・真言宗Ⅰ』(上毛新聞社 平成13)には、
寺伝によると、南光寺は鎌倉時代に弘法大師巡錫の霊地に行基作の白衣観音を本尊として開創された。その後、建武年間(13334~1338)に南光比丘尼(後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王の側室であった藤原保藤の娘で、南の方と呼ばれた)が、弘和2年(1382)に新田氏を頼ってやってきて親王の菩提を弔ったというが、世良田長楽寺の『永禄日記』には、すでに南光寺の名がみえるので、創建はそれ以前と考えられる。
いずれにせよ、古い由緒のお寺です