続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

足利長尾氏の記憶・長尾弁財天

2024-12-19 18:18:53 | 足利紀行

ひめちゃんとタバサねーちゃんは、最近ずっとおうち犬しています

テラスのサークルで、ちょっと寂しい、ねむねむ獅子くんです

せめてお花で賑やかにしようね

 

今朝、ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

 

あれ、遙かに遠い雪をかぶった山々が見えます。

日本アルプス?

浅間山も、凜として寒そうです。

南の方には、ほんのりと白い山が出現です。

かなり遠くの高い山だと思いますけど、だれもその名を知りません。

冬の間だけ出現します。

 

ひめちゃんは天神田を歩いて、庚申塚古墳を通って帰ります。

双体道祖神さんに、おはようございますです

 

 

 

『上州坪弓老談記』によれば、金山城主・由良国繁と足利城主・長尾顕長は小田原に幽閉され、金山城は小田原勢に攻められました。

由良勢は籠城し、なかなか落城せず、膠着状態になったことがありました。

その時、和睦の使者として、小田原に行ったのが、金龍寺と長輪寺の僧です。

金龍寺は金山の麓の、由良氏の菩提寺です。

長輪寺は、長林寺でしょう。

足利長尾氏累代の墓があります。

 

11月1日、長林寺を尋ねました。

まず、途中にある長尾弁天にも寄って行きます。

道の反対側に、公共施設の駐車場があります。

ちょっとの間失礼します

 

横断歩道を渡って参拝です。

 

真っ赤な鳥居から入り直しです。

りっぱな鳥居です

額は厳島神社(いつくしまじんじゃ)です。

社殿も赤に、同じ雰囲気に統一されています

 

長尾弁財天の説明板です。

足利領主三代目の長尾景長が、西宮の長林寺に祀ったものであり、長尾七弁天の一つとされている。その後、明治元年の神仏分離令により、現在地に遷座し、厳島神社となった。以来地域の守護神として厚く敬神され、安芸の宮島を見学してそれを模した鳥居も奉納された。この地域は、水害、火災もなく、各家庭や町内が仲良く和合して人情も厚い。弁天様のおかげと深く信仰され、清掃もみんなで行っている。弁天様は、水の神であり、芸術の神であり、財宝利得をもたらす女神である。

 

鳥居はあの宮島の厳島神社の鳥居を模したものだったのです

 

もう一枚説明板です。

大山講の灯籠ですって

足利では、江戸時代から昭和50年頃まで、織物の旦那衆を注進に「大山講」が組織され、神奈川賢伊勢原市の大山阿夫利神社に参詣していました。

社殿の中に保存されています。

 

お姿はよく見えませんけれど、弁天様に、2礼2拍1礼です

御朱印がほしいところですけど、何もありません

残念

毎日自治会の方が来ているのだったら、書き置きでも置いてくれないかな

ぜひ御朱印がほしい長尾弁天です。

 

横断歩道を渡って、駐車場に戻ります。

厳島神社風の赤い鳥居とそれに似合う社殿の長尾弁天でした

 

さて、駐車場隣の道を上って、長林寺を目指します。

足利には長林寺が2寺あって、目指すのは西宮の長林寺です。

 

(つづく)

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