ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。
日射しの強い朝です
諏訪神社の向こうの高台を歩いてきました。
赤城山は、なんとなく明きの雰囲気かな?
帰り道、道ばたの石宮が気になります。
弁天様です。
脇には明治の年号があります。
ここには、池でもあったかな?
獅子丸の墓標代わりだったヒマワリは枯れ果てて、チョコレートコスモスが代役です
七海ママの墓標のお地蔵様と併せて、合掌
先日何気なく見ていた『粕川村誌』(勢多郡粕川村 昭和47)に、女淵観音堂の石橋供養塔がありました。
女淵観音堂は、何度も行ってますけど、石橋供養塔を意識したことはありませんでした。
観音堂の裏の桂川も探訪してみたいし、これは出かけるしかない。
9月27日、タバサねーちゃんと出かけました
こんにちは
今回はここで合掌です
辺りを見回して、隣家とのブロック塀前にある石造物に注目です
これです
村誌には、
土木技術の幼稚な時代、架橋はいかに困難であったか想像以上であった。苦労してかけた橋を水害から守り、渡る人々の安全を願って橋供養塔を建てたことは当寺としては、自然の姿であった。
合掌
さて、観音堂裏の桂川を探訪しましょう
観音堂の隣家脇を入ります。
橋があります。
橋の名はありそうだけど、わかりません。
橋の東から、桂川が回り込んで流れてきます。
あのとんがり屋根が観音堂です。
なるべく川沿いに上ります。
見たことある風景が出現しました
この先辺りの線路下が、地図上の桂川始点になってます
折良く、上毛電鉄の電車がやって来ます
この先で電車が通過した辺りが、一応桂川の始点のようです
これ以上の進軍は無理のようです
左手を見ると、電車は魔住田ヶ淵の南を通過していきます
あの踏切の向こうが魔住田ヶ淵です
タバちゃん、帰ろうね
クンクン、情報収集です。
橋の名がありそうなんだけど
観音堂に戻ります。
不思議な格好の石橋供養塔です
さて、記事にしましょう。
あれ、村誌の写真と違う
先日撮影してきた写真は、村誌の写真とは異なります
あれえ、間違えたかな?
本日確認に行ってきました
横の面に、石橋供養とあります。
村誌は、こちらを正面としています。
女淵観音堂の境内に石橋供養塔が一基ある。碑の正面に石橋供養、左側面日本四国供養右側面願主清誉浄、裏面宝暦第八天寅十一月と刻まれている。この碑文によると、四国八十八ヶ所の霊場の巡拝を無事に果し施主が感謝の気持で、石橋を掛け橋普請も終り、橋開きの時に立てたものであろう。
移動してきて、正面が分からなくなってしまったのかな?