ひめちゃんとタバサねーちゃんは、堀之内を西に出ます。
ちょっと寒いけど、爽やかな朝です
今朝は、浅間山がはっきりとは見えません。
ひめちゃんたちは、諏訪神社の向こうの高台を歩きます。
山上城跡公園の南を通って帰ります。
二人で押合いへし合い、譲らずに情報収集している所がありました。
喧嘩にならないのはいいね
ケンくんでも、通ったかな?
山上城の東を帰ります。
わらロールって、こういう風に作るんだ
今は、あちこちにわらロールが出現しています。
江戸時代に書かれた老談記の類には、由良勢が黒川衆を攻めるときに、塩沢の奈良坂に陣取ったという話が出てきます。
塩沢の奈良坂は、塩沢の楢坂のようです。
そして、山の向こうは、黒保根の八木原です。
『大間々町誌 別巻7 石造物編』(馬持講中の馬頭観音と風の神)に、
道の一番登りつめた」ところは、塩沢と隣村黒保根村八木原の酒井になるこの道は、日光足尾への街道で、銅山街道が之受けられる前は、一時足尾から馬の背で銅も運ばれていたときもあり、生活物資なども運んだ重要な道であった。
由良勢が新田から遠い山奥に本当に陣取ったかは疑問が残るところです
でも、作者はこの道を知っていたのです
山を越えて、塩沢と八木原が往来が出来たことを知っていたのです
塩原の神明宮、穴原薬師堂や舟渡し場、松源寺、塩原神社などは訪問しました。
塩原の北隣・塩沢ってどんなところだろう?
10月21日、とりあえず、赤城神社(上の神社仏閣の地図116)を目指します
松源寺少し東の道を直進、迷うことなく到着です。
上野国塩沢村赤城神社とあります
塩沢村にこだわりを感じます
大間々町になっても、みどり市になっても、ここは塩沢村です。
石の鳥居から参拝です。
下には赤い木の鳥居です。
タバちゃん一緒なので、険しい多い(?)階段省略です。
ごめんなさい
新しそうな社殿です。
2礼2拍1礼です
社殿の左手に由緒があります。
でも、よく読めません
三夜沢赤城神社の分霊を祀ったとあるようです。
『大間々町の社寺』(平成9)には、
所在地として、群馬県上野国勢多郡塩沢村相返 とあります
塩沢村は、黒川衆の黒保根村と同じ勢多郡だったのです
境内社は多くはありません。
一番奥に、大きな石宮です。
何様かな?
さて、階段を下りるよ
前向きに上手に、下りられました
下りられたよ
まだまだ、若いもんには負けられません
赤い実がきれいです
ガマズミかな?
さて、もう少し奥まで行ってみましょう
(つづく)