続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

明るくなった新田百観音の寺(金井山東雲寺)

2024-11-15 16:15:45 | 新田紀行

雨あがりの朝です

今朝は、タバサねーちゃんが先にお散歩に出ました。

ひめちゃんが堀之内を北に出ようとすると、タバサねーちゃんが帰ってきます。

ひめちゃんは、さっそくご褒美のツブツブ(ドッグフード)催促です

ひめちゃん、何したっけ

タバサねーちゃん、見えるのかな

こぼれたツブツブを探してるような

 

どんよりした曇り空です

今日も室内犬かな

でも、お昼頃晴れてきて、日差しも出てきました

2人とも、お昼の焼き芋と一緒に、お部屋(テラスのサークル)に帰りました

 

 

 

参道をを蛇川と東武鉄道桐生線が横切る永昌寺は、あの古河公方・足利成氏の墓がある東雲寺も管理しているはずです。

東雲寺は、大分昔に訪問してあります。

哀しき新田百観音

住職の継承に、何か問題があったようでした

どうなっているかな?

 

 

11月11日、ジョイフル本田(新田店)に行く途中、ちょっと寄り道です。

前回は、隣の小金井公会堂(公民館)に駐車です。

今回もそのつもりでしたけど、あれお寺の方に駐車できるそう

 

 

境内に駐車して、山門から入り直しです

新田百観音霊場の大きな石碑が、ちょっと寂しい

 

 

みなさん、ご健在のようです。

でも、功徳主(経済的出資者)は、増えていなそうです。

功徳主名のない方がたくさんいます

功徳主をしっかり確保せずに、見切り発車で建立された感じです

トラブルの原因の一つでしょう。

まあとにかく、みなさんに合掌

 

 

後ろには、六地蔵と御利益ありそうな石宮です。

目薬師様ですって

その昔この値に住んで居た老婆が目の病気を患ったという。何をしても治らずこの中央の祠に願をかけたところお薬師さまが現れ直してくれたという。それからはこの祠を目薬師様と呼地元の信仰を集めている。

合掌

 

 

本堂と庫裏も、きれいになったような

 

 

まだちょっと哀しいけれど、少し明るくなった新田百観音です

 

 

さて、古河公方の墓は何処だったっけ?

見つかりません

諦めて本堂の方に戻ります。

 

参拝のおじさんがやってきます。

「こんにちは

「こんにちは あのう古河公方・足利成氏の墓があるはずなんですけど

「さあ

 

おじさんの進行方向をふと見ると、ありました

少し位置が変わっているような

左の方には、「成氏公之墓」の文字が見えます

おじさんがいうには、これらは初代住職の墓だそうです。

でも、確かに足利成氏の文字が見えます。

『ぐんまのお寺 曹洞宗(平成14上毛新聞社)によれば、

~(前略)~、大永元年(1521)下総国古河城主足利成氏が開基と鳴って創建されたとされる。~(中略)~また、中興開基は大田金山城主由良成繁の家臣である小金井四郎左衛門尉治繁とされている。

 

 

おじさんは近くの墓石を指差します

新宅の墓地に、ここを分けたんだそうです。

部外者にはよく飲み込めない話ですけど、

おじさんちのご先祖の一人が、足利に行った。足利基氏の子孫の娘を妻とし、のちに当地にやってきた。

ということらしいです。

 

 

なんとなく足利氏の記憶がありそうです

小金井四郎左衛門については、何もなさそうです

それと、小金井は「こがない」と発音するそうです

 

 

本堂でご本尊のお姿は拝めないけれど、参拝です。

お賽銭を入れて、猫たちの後ろから合掌

 

トラブルがあったときの和尚さんは、横浜の方から通いだったそうです。

ベンツを2台持っていて、1台は太田駅に置いてあって、そこから運転してやってきたと言うことです

「今の和尚は、軽トラに乗ってるよ

そういえば、さっきまで庫裏の前に軽トラがありました

 

明るくなった新田百観音のお寺です

今度は御朱印を聞いてみましょう

 

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続・脇屋義助の菩提寺・脇屋山正法寺

2024-11-02 14:58:57 | 新田紀行

雨の一日です

ひめちゃんとタバサねーちゃんは貧乏カッパでお散歩です。

 

ひめちゃんとタバサねーちゃんには、「ののこねーちゃん」というおねーちゃんがいました

ののこは、2007年の10月に生まれました。

なので、血統書名は、上州の秋の女神のイメージで「風の竜田姫(かぜのたつたひめ)」です。

今日は、赤ちゃん「ののこねーちゃん」のアーカイブです

ののちゃん、気は強いけれど、ちょっと神経が細い子でした。

小次郎パパ、いっぱい遊んでくれました

ののこねーちゃんは長い間煩って、13歳と8ヶ月で逝きました

昨日今日とは思はざりしを(ののこは生きました)

 

 

 

9月9日、脇屋山正法寺(わきやさんしょうほうじ)の探訪続きます。

 

立派な観音堂です

現在は本堂としても使われているそうです。

うーむ、観音様のお姿は見えません

とにかく、合掌

かつては、格式の高いお寺だったのでしょう

 

 

左手奥に、脇屋義助さんの石像です。

こんにちは

辞世の歌かな?

 

 

遺髪塚です。

兄の新田義貞と共に鎌倉攻めに囚人、義貞の死後も南朝方として戦い、四国で病没したとか。

誰かが遺髪を届けたのかな

 

 

正法寺が元あった観音免からの出土物です。

 

 

銅製地蔵菩薩座像です。

太田市文化財リーフレット「正法寺とその周辺の文化財」によれば、下野国佐野の天明(てんみょう)鋳物師の作です。

「江戸時代の梵鐘・半鐘はほとんど天明産である」ともあります。

また、由良鄕についても、「鎌倉時代には新田本家宗家の所領であり、新田政義以降本宗家の館があったと考えられる。新田義貞・脇屋義助兄弟も由良鄕で生まれたものと想定される。新田義貞没落後は岩松氏本宗家の所領となった。」

だから、岩松氏の被官・横瀬氏は新田の子孫を自称して、新田本家宗家の所領・由良から由良と改姓したのです

 

 

オクマン山古墳の石です。

そういえば、春先に蛇川親水公園で、移築されたオクマン山古墳に逢いました。

あの鷹匠くん埴輪が出土したのです。

蛇川親水公園の記事も、もう秋なのにまだ待機中です

 

 

本堂(観音堂)脇から、仁王門を望みます。

 

 

庫裏に寄って御朱印をお願いします。

御朱印は書き置きでした。

尋ねても 祈りをかけよ さしもくさ 正しき法の 寺を印に

 

さしもくさ、お灸に使うヨモギですね。

「思い」とか「燃える」イメージです

御利益があるから絶対に来てねというような、力強いご詠歌です

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脇屋義助の菩提寺・脇屋山正法寺

2024-11-01 19:45:55 | 新田紀行

ひめちゃんは、赤柴の超老犬・プーちゃんの前を通ります。

完全にシカトして通り過ぎます

プーちゃんは、呼んでます。

アタチは今でもケンくんが好きなのです

 

岩神沼は、すっかり秋の雰囲気です。

誰もいません

誰もいないと寂しいでふ。

 

 

 

9月末のみちのく紀行の記事を先にアップしたので、記事になるのを待っている訪問地がいくつもあります

少し季節は戻りますけど、まずは、9月9日の脇屋山正法寺(わきやさんしょうほうじ)です。

 

春先、蛇川紀行でうろうろしていた時に、何気なく付近を通りました。

脇屋の地名を目にしました

そうだ脇屋の正法寺、久しぶりに訪問したいなあ

大分昔に訪問した記憶があります。

新田義貞の弟・脇屋義助(わきやよしすけ)の菩提寺です。

新里の人は今でも、新田義貞は善昌寺にいかってる(埋葬されている)と信じています

新田生まれのひめちゃんちのおかあさんは、そんなバナナ

新里の人は、義貞の弟・脇屋義助を知らないみたいです

9月9日、新田へ行くついでに、数年ぶりに立ち寄ってみました

 

 

落ち着いた雰囲気の仁王門が見えます

参道の杉の実です。

けっこういっぱいなるんだ

 

説明板があります。

元暦年間(1184~1185)には新田義重が堂宇を修理し、元弘年間(1331~1334)には脇屋義助が所領の由良鄕脇屋村及び大般若教六百巻を指針したと伝え、脇屋義助の菩提寺ともなった。

正法寺は古くは現在地の盗難1kmにある脇屋館跡(脇屋義助の館とされる)隣接地の観音免にあったといわれる。この観音免遺跡からは板樋・五輪塔・層塔などが出土しているが、現在層塔は本堂左手奥の脇屋義助公遺髪塚脇に移設されている。

ここは由良鄕の脇屋村なのですね

 

今年設置された新しい説明板です。

聖観音像が、県の重要文化財です

 

 

小さいながらも、太鼓橋を渡って聖なる世界に入ります。

 

仁王門の額は、脇屋山です。

シンプルで力強い

 

仁王様にこんにちは

 

あれ、大きなわらじも奉納されてます

足腰が丈夫になるようにの願いかな

足下に、邪気はいません。

 

大鰐口があります。

元からあった大鰐口は素晴らしい音色だったけれど、太平洋戦争に供出させられてしまったのですね

近年再建されたのです。

 

 

仁王門をくぐって、観音堂です。

元々は観音堂であるけれども、本堂消失後は、本堂とされているということです。

 

あれ、灯籠の脇に観音札所のご詠歌があります

尋ねても 祈りをかけよ さしもくさ 正しきのりの 寺をしるしに

 

帰りに庫裏に寄っていただいて行きましょう

 

 

 

(つづく)

 

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矢止めの松と耕作放棄地のハス

2024-09-14 14:34:01 | 新田紀行

今朝は少し遅めのお散歩です。

ひめちゃんは堀之内を北に出て岩神沼に到着です。

おかあさんは、少し上の高縄の摩崖仏まで足を延ばしたいのですけど、なかなか同意してくれません。

もう少し涼しくなったら、寄って行こうね

誰もいません。

あれ、誰もいないと思ったけど、黒いカモさん家族が出てきました

住んでるのかもでふね

 

堀之内に戻ると、刈り残した稲穂のそばにシラサギさんです。

こっちに出張中だったんでふね

 

 

 

8月26日、太田からの帰りにジョイフル本田・新田店に寄って行きます。

矢止めの松の近くを通ります。

ムム、奥の方に白い大きな影です。

何だろう

シラサギだ

何羽かいます。

すぐ近くのコンビニに駐車して、歩いて戻ります。

もうその姿はありません。

付近の田んぼに移動してしまったようです。

 

まあ、折角だから久しぶりに矢止の松を確認です。

 

説明の石碑はよく見えません

一般に言われていることは、「新田義貞が生品神社で挙兵した時、吉凶を占うために鎌倉方面にむけて放った矢が当たった」とか。

新田義貞の記憶・矢止めの松と冠掛の松

付近にはシラサギの姿もあります

もしかしたら松の上で、付近を見ていることもあるかな?

 

反町館へ行く時に、この先にはハスがあったぞ

確認していきます。

  

大繁殖してるみたいだけど、花は少ない

 

耕作放棄地を農地に戻すためにハスやレンコンが植えられているのです。

一度耕作放棄地になってしまうと、すぐにはお米を作れないのです

農地に戻れるといいね

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新田義貞誕生伝説地・台源氏館跡

2024-09-12 16:24:54 | 新田紀行

ひめちゃんが朝散歩に出てすぐ、目の前を何かが横切りました。

キジの雌かな?

ひめちゃん、ハンターモードです

ハンターモードのひめちゃんは、堀之内を北に出て岩神沼を目指します。

今朝は誰かいるかな?

いました、いました

何名ものシラサギさんです。

アオサギさんも目立たなく1名います。

ひめちゃんもおかあさんも、ここでこんなにたくさんの鷺(さぎ)さんにあったのは初めてです

今日は何かいいことあるかな

 

 

 

 

台源氏館跡、以前から気になっていましたけど、行けそうで行けない場所でした

8月26日、やっと訪問しました

付近をストリートビューでよくよく確認して、少し先の北之庄公園の駐車場から歩きます

 

ここが、新田義貞生誕の地という台源氏館跡です。

居館跡の土塁があったのですね。

四阿(あずまや)があるけれど、ゆっくりしていく雰囲気でもないなあ

 

細い路地の先に見える森の南は、円福寺です

 

この夏、「おおたんのスタンプラリー・スタンプ」求めて訪問した、御室山円福寺です。

この辺りが由良郷、由良城跡は円福寺南東約500mの所です

「老談記」の類いによく出てくる由良はこの辺りなのですね

 

新田氏累代の墓もあります。

横瀬氏が由良と改姓し、源氏の子孫と称したのも納得の地名です。

 

台源氏館跡から、北之庄公園に戻ります。

道路ではなく、公園内の通路を通ってみます。

百日紅(ひゃくじっこう、サルスベリ)の花がきれいです。

実も付き始まってる

駐車場の奥には遊具が見えます。

遊具も現役のようです

 

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