続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

続・続・大きな塚のような山を背にした赤城山龍昌院

2024-07-25 17:47:35 | 群馬県・中毛

ひめちゃんは、赤柴の長老犬・プーちゃんの前を通って、堀之内を北に出ます。

プーちゃんは、ちょうどお食事中です。

岩神沼に、誰かいるかな?

いました

アオサギさんです。

あれ、沼の中にもアオサギさん

枯れ木です

でも、まるでオブジェのよう

よく似てまふね

 

また、プーちゃんの前を通って帰ります。

プーちゃんは、まだお食事中です。

ゆっくり食べるのも、長生きの秘訣かも

 

 

 

 

(7月19日)龍昌院の散策、続けます。

御朱印をお願いしようと庫裏を尋ねますけど、反応がありません

諦めて帰ろうとすると、瀬戸内寂聴さんのようなおばあちゃんが汗をフキフキしながら、出現

「お待たせしました。今、草を抜いていて

 

色々話が弾みました

彼女は、御年85才、現役の隆昌院の住職だそうです。

お孫さんが、若和尚として色々活躍中だそうです。

そして、なんと彼女は、高校の大先輩でした

世代は少し離れますけど、古い女子高の共通する記憶がありました

草ひきの後なので、筆が持ちにくいと言う事で、御朱印は後日再訪していただくことになりました。

 

 

再訪を約して、裏山(古墳らしいです)の大谷隆昌の墓を訪ねます。

「大谷吉継の孫 (宇賀神) 隆昌の墓」とあります

隆昌さんは宇賀神?

此の辺りが大谷家の墓のメイン部分です。

 

宇賀神と思われる石の横に、大谷と隆昌の文字が見えます。

ここが一番メインです。

合掌

 

 

さて、境内の東を走る県道に出て、高山彦九郎の妹・「伊与久きん」さんの墓を尋ねます。

どこが、きんさんの墓か分かりません

とりあえず、中央の宝篋印塔前で、みなさんに合掌

宝篋印塔の文字もよく見えません

 

『ぐんまのお寺 真言宗Ⅱ』(平成13 上毛新聞社)によれば、

当寺は大字伊与久のほぼ中央分の字西馬場(にしばんば)に所在している。明治初年の『上野国郡村誌』には「竜昌院 東西四十間南北廿一間、面積八百二十八歩・・・真言宗新田郡世良田邨総持寺の末、開基不詳」とあり、開基者やその年代については定かでない。ただ当寺には、伊与久村を開いた豪族、旧五十久(いよく)氏墓所がある。五十久氏の当地への土着年代は明らかでないが、墓地には応永(1397~1428)の年号のある五十久重吉の墓塔(宝篋印塔)があることなどから、竜昌院はこのころには、すでに存在していたとみられる。

 

あの中央の宝篋印塔は、伊与久家のご先祖様のものですね

 

 

後日再訪して、いただいた御朱印です。

また色々話が弾みそうでしたけど、当日は、歯医者の予約があったので長居が出来ませんでした

高校の大先輩に会って、話がこんなに弾んだのは初めての体験です

昔の女子高はそれなりによかった

秋にでも、また来まーす

 

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続・大きな塚のような山を背にした赤城山隆昌院

2024-07-24 12:13:51 | 群馬県・中毛

ひめちゃんは、赤柴の超老犬プーちゃんの前を通って、堀之内の西側を歩いてきました。

 

今朝はプーちゃん姿を見せてくれませんでしたけど、2、3日前には元気な姿をみせていました。

換毛もすっかり終わって、きれいになってました。

土を掘り掘り出来る環境が、暑さ対策の一つなのかも

 

去年実っても刈り取られることなく、また今年も田植えされた田んぼを通ります。

今朝はアオサギの姿はありませんでした。

 

 

 

(7月19日)赤城山隆昌院、散策続けます。

ここからメイン部分です。

既に、たくさんの石造物が見えます。

 

いろいろな御利益があって、栄えたお寺なのでしょう

 

 

本堂です。

「あの大谷刑部の孫が伊与久に蟄居し、後に厩橋城主に従って、大坂冬の陣と夏の陣に出征してその功績で伊与久に除地を受領し、隆昌院を建立した」とあります。

どうして伊与久に来たのかな?

まあともあれ合掌

 

 

観音堂にも参拝です。

合掌

観音堂の脇においでのこの方も御利益ありそうです。

合掌

 

 

さて、御朱印をいただきましょう

庫裏で声をかけます。

何度かかけても、反応無しです

残念

帰ろうとすると、瀬戸内寂聴さんのような頭を丸めたおばあちゃんが出現

「お待たせしました 今ちょっと草を抜いていて

え、和尚さん

 

 

(つづく)

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大きな塚のような山を背にした龍昌院

2024-07-22 16:16:13 | 群馬県・中毛

朝から猛烈な日射しです

ひめちゃんは、堀之内を西に出て天神田(字・天神の田んぼ)のあぜ道に入ります。

今日もいました。

アオサギさんです

ズームで焦点を合わせようとすると、どこかに飛び去ってしまいます

ひめちゃんは、情報収集です。

誰か通ったかな?

無量寺界隈を歩いて、帰りました。

ガードレールの影でも、ありがたいでふ

 

 

みやま文庫『上州の観音札所』(昭和55 内山信次)に、

上毛佐波郡卅四所、廿四番に、「伊与久 龍昌院 正観音」があります。

大きな塚のような山を背にした龍正院は、山号を赤城山という。古い地図にこの山の裏に⛩の印がある。現在は社はない。ここは赤城山を配する神仏共存の施設としての長い時があったのであろう。札所の佛は厄除け薬師観音という。

 法のはな 枝折(しおり)て深く 分け入れば ここも赤城の 山のふる寺

 

伊与久沼付近の地図を眺めて、どうして山号が赤城山なんだろうと不思議に思ったものでした。

なんとなく納得です

 

7月19日、新田へ行く途中、寄ってみます。

駐車場には、すでにたくさんの石造物です

 

背中にこんなに子どもを乗せたママさんカエルは、初めてです

紫陽花の次の季節の花、サルスベリやカンナも咲いています

みなさんに合掌

 

新義真言宗ですか

素人にはわかりません

寿久茂塚古墳ですって

裏の山は古墳ですか

 

旧佐波郡でよく見かける、観音霊場巡りの案内があります。

開基由来 当院は、戦国時代の武将大谷平馬吉継の孫の五右衛門隆昌が伊与久に蟄居、厩橋城主酒井公に奉仕、大坂冬の陣と夏の陣に出征。この功績を認められ徳川幕府より五十石受領、伊与久郷に除地拝領し出家し竜昌(隆昌)院を建立したと伝えられている。裏山にこの隆昌の墓地がある。

あの大谷刑部の孫が開基ですって

 

 

さて、これから先は、お寺のメイン部分です。

こちらにも、石造物がいっぱいありそうです

御朱印をいただきましょう

 

 

(つづく)

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何にもないけれど重要な史跡・十三宝塚遺跡

2024-07-10 15:45:29 | 群馬県・中毛

雨が降り出しそうな予報です。

ひめちゃんは不安です

 

おかあたんは、アタチを置いてお出かけするのでふか

雨が降ってきそうでふよ

おかあさんは、東の桐生市に行ってきます。

たぶん、あまり降らないと思うよ

しっかり遮光対策をして、扇風機は六時間タイマーセットしていくよ

 

ガーデンパトロールをして、お洗濯をしてから出かけます。

ムーハウスガーデンは、何時の間にかユリの花盛りです

 

ちょっと個性が強いかな?

好みが別れそうな花です。

増えもせずだけど、毎年しっかり咲いてくれます

 

ちょっと奥の方ですけど、ヤマユリ咲いてくれました

華やかです

 

八重咲きのオニユリです。

 

たくましく、毎年咲いてくれます

あれ、一重はどうしたんだろう

 

七海地蔵のそばのヒマワリは、雷雨で何本も倒れてしまいました

また種を蒔くね

 

そばには、この鮮やかな 百合の花です

 

ママの所から、山吹の向こうにヤマユリと八重オニユリです

近いうちに草むしりするね

もっと見通し良くなって欲しいよね

 

 

 

(7月6日)地図を確認すると、伊与久沼のすぐ東に、史跡・十三法塚遺跡(じゅうさんぽうつかいせき)があります。

行った事ないような?

ちょっと足を延ばしてみましょう

 

迷うことなく辿りつきますけど、駐車スペースすらない

路上停車で、ダッシュで写真を撮ります

十三宝塚遺跡は八世紀前半に建てられた古代寺院です。発見当初は、佐位郡の役所跡ではないかと言われていましたが、階楼に囲まれた中に仏殿、塔を備えた寺院である事が判明しました。主要堂棟は瓦葺きで、上野国分寺と同じ瓦が使われています。これは国分寺造営への協力の結果と考えられています。

 

伽藍想像図を拡大です。

実際はもっと華やかだったかも知れませんね。

多くの人が住み、集まり、通過して行ったことでしょう

西には粕川が流れ、少し東には早川が流れます

上野国山上からも、迷わず行けた事でしょう。

山上多重塔を建立した道輪さんの出自は分かりませんが、彼の思想の土壌の一つともなったかも知れません

 

人々の集まる空間がここにあったのです

 

「ASITAを走ろう」の案内版です。

夢幻と消えてしまったけれど、ここに人々の祈りの壮大な空間があったのです

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蓮の花盛りの伊与久沼

2024-07-09 14:16:21 | 群馬県・中毛

ひめちゃんは、久しぶりに、ミーナちゃんちの石垣前で「はいポーズ」です

ここには、数年前までポメラニアンのミーナちゃんがいました。

七海ママもひめちゃんも、ライバルでした

ここの石は古墳の石でしょう。

この辺りには、たくさんの古墳があったらしいです。

 

ひめちゃんは、堀之内の西側を歩いて帰ります。

おや、去年たわわに実を付けた稲穂が刈り取られずに放置された田んぼに、田植えがしてある

てっきり今年は、そのまま耕作放棄地予備軍になるものと思っていました

一度耕作放棄地になった田んぼの復活は、とても大変なようです。

何はともあれ良かったね

 

ひめちゃんちのブルーベリー、色付き始めました。

今年はなんとなく実が大きいような感じがします

 

 

 

県道2号線を新田に向かう途中、ちょっと南にそれると、伊与久沼(いよくぬま)があります。

以前から気になっていた沼です。

先日、「蓮が咲いてるよ」という情報が寄せられたので、7月6日に行ってきました。

 

迷うことなく到着です

かなり古い付近の案内版です。

右のほうのミドリが、伊与久沼公園です。

工業団地の一角にあります

 

咲いてます

沼いっぱいの元気な若い蓮です

この景色は、地域力があってこその事なのですね

 

元気な若い蓮がいっぱい

あかぼり蓮園より、少し早めに開花したかな

ガマの穂とのコラボも、自然でいいですね

 

奥に進むと、一面白蓮になってきます

ちょっと細身な感じはするけど、これだけの花・花芽があがっているのだから、すごい

 

こんなポスターもあります。

子供達もやってくるのでしょう。

 

さて、戻りましょう

ガマの穂は、結構繁殖しているようです。

うまく共存してね

 

さっきのポスター「用水路やため池で遊ばないでね」とありました。

ここは溜池かな

 

駐車場の一角に、由来記があります。

目をこらしてよくよく眺めます。

よく見えませんけど、江戸時代に、水不足を改善するために掘られた溜池のようです

 

道の南の伊与久沼も確認です。

特に利用されていないようです。

ミドリ沼が始まってる

昨今の農業事情によって溜池の役割が変わりつつあるのでしょう

 

蓮の花咲く北側の伊与久沼を眺めて帰ります。

また、秋にでも来てみましょう

 

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