続・黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

上野国山上・葛塚城堀之内に住んでます。ひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

金色の地蔵菩薩坐像(水族館建設で移転)

2024-10-17 16:44:49 | みちのく紀行

ひめちゃんは、堀之内を西に出ます。

ひっつき草が咲き実をつけ始まってます

この草の実が付くと痛いし離れない、いやでふね

 

なるべく近づかないように通りましょう

蕨沢川を渡らずに、天神田を歩いて帰りました。

赤城山の地蔵岳、頂上の建造物が霞みながらも、見えるようになりました

 

 

 

(9月25日)雄島探訪、最後は真珠稲荷を参拝です。

 

 

鳥居を出て、渡月橋に戻ります。

振り返ると、あれ、あんな所にも仏がおいでです

なんとなく釈迦如来?

合掌

ここにも一円玉がいっぱいあがっています。

雄島では5円玉を見ませんでした。

どうしてかな?

 

 

渡月橋を渡って、雄島にさようならです。

振り返って真珠稲荷です。

今度来たら、階段を登って、最初に参拝します

 

 

橋の上からの雄島の景色です。

 

 

橋の上から、対岸の景色です。

今度来る事があれば、この右側の道から来ましょう

今回は、左から帰ってみます。

 

 

元来た道を戻ります。

松島離宮という大きな建物があります。

何屋さんかな?

大きな大きなアミューズメントパークのように見えます。

今回は、瑞巌寺にも寄りたいのでパスです。

 

 

道の反対側に、ひっそりと御堂があります。

ちょっと、寄ってみましょう

かなりというか消える寸前ですけど、説明板があります。

解脱院・地蔵菩薩坐像ですって

よく見えないけれど、

?から水族館の場所に移され、昭和12年水族館建設によって現在の地に移されました。

 

松島水族館を検索すると、なんと水族館の跡地には松島離宮が出来たと言うことです。

昔初めて松島に来たときは、強引な勧誘でモーターボートで湾内を廻って、水族館なんて寄りませんでした。

それ以来、松島は嫌いでした

去年たまたまやって来て、はじめて霊地・松島を知りました

水族館も寄りたかったな

 

 

さて、お地蔵様に鈴を鳴らして参拝です。

合掌

 

ちょっとお姿拝見

金色(こんじき)のお地蔵様です

もう、一度合掌

 

 

松島海岸駅方面に戻ります。

今回は、瑞巌寺近道の表示に誘われず、瑞巌寺山門を目指します

 

 

(つづく)

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続・続・松島地名発祥の地雄島探訪

2024-10-15 14:55:19 | みちのく紀行

ひめちゃんは堀之内を北に出て、岩神沼に到着です。

 

いますでふよ

 

向こう岸にアオサギさんがいます。

視線に気づいたのか、彼は弾丸のように飛び去っていきました

ここのところ、サギさんの姿がなくなりました。

逢えて良かったね

 

サルビアの小径を帰ります。

サルビアって、案外花の時期が長いんだね。

来年は、植えようか

 

 

 

(9月25日)雄島探訪続きます。

 

 

島の真ん中辺だと思いますけど、奥の細道の記憶を確認しました

向こうに建物が見えます。

松島というイメージの海が見えます

 

 

坂道を登ります。

「把不住」とあります。

先の案内図によれば、座禅堂との事です。

島の中央の建物になりそうです

今でも座禅をするのかな

 

 

さらに進みます。

ここが、この島のメインとも言うべき、頼賢碑です。

 

松島の海もよく見えます

対岸も見えます

今回は、あそこから来たのです。

 

覆屋の中の頼賢碑です。

なんとなく文字がありそうだけど、ほぼ読めません

説明板を確認です。

この石碑は、鎌倉時代末期の徳治2年(1307)、松島妙覚庵の主であった頼賢の徳行を後世に伝えるため、頼賢の弟子達が雄島の南端に造立したものです。頼賢は22年間島で修行したことから、同じくこの地で長きにわたって修行を積んだ平安時代の高僧見仏の再来と讃えられました。

 

ともかく、合掌

 

 

海沿いの道を下ります。

奥の細道の記憶を横目に、渡月橋を目指します。

 

 

橋の手前に神社です。

額は読めません

先の案内図だと、真珠稲荷です

 

鳥居の足下に、何だろう

新右衛門稲荷の文字が見えます。

天明の頃雄島の狐が・・・・・・?

 

元々は新右衛門稲荷?

検索すると、ここは海難防止の守り神との事です。

1円玉を上げて鈴を鳴らして、2礼2拍1礼です

 

ちょっと横に廻ります。

渡月橋から、最初に見えたパワースポットです

今度雄島探訪することあれば  最初に参拝しましょう

 

 

(つづく)

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続・松島の地名発祥の地雄島探訪

2024-10-13 15:33:15 | みちのく紀行

しっかり晴れました

ひめちゃんは堀之内を西に出て、天神田(字・天神の田んぼ)を歩いて来ました。

ちょっと強くなりそうな日射しでふよ

赤城山は、きれいにその姿を見せています。

今日は、ライダーさんが赤城山にいっぱい登っていくかも

早く帰って朝ご飯にしましょう

 

 

 

(9月25日)雄島探訪続けます。

短いながらもトンネルです。

手で掘ったのでしょうね

須花(栃木県佐野市田沼町)の手で掘った明治のトンネルを思い出します。

須花・手掘りの明治トンネル

 

トンネルを抜けると、さらに霊場の雰囲気が増します

 

この先は海です。

妙覚庵跡の文字が見えます。

遊覧船のある松島の風景です。

若い日に高校の同級生とやって来た時には、強引に遊覧ボートに誘われて、松島の霊場としての面など感じずに帰りました

マイナーなイメージの松島が、去年のまで続いていました

 

 

海岸縁を進みます。

句碑群?

 

 

高台にあがると、薬師堂跡です。

薬師様がおいでです。

合掌

雄島最古の板碑ですって

こんな形の板碑があるんだ

大日如来?

弘安8年(1285)て、鎌倉時代ですね。

この薬師堂跡は、去年の瑞巌寺企画展のチラシにも、入り口の案内図にもありません

 

 

隣は松吟庵跡です。

松の向こうに、松島の海です

 

 

海沿いの道を辿ります。

「奥の細道」の文字が見えます

ここには芭蕉の句碑と曽良の句碑が仲良く並んでいると言う事です。

階段を登ってみます。

うーむ、これは違いますね。

曽良の句、「松島や鶴に身をかれほととぎす」です。

仲良く並んでいると、雄島入り口の案内版にありましたけど。

ありません

奥の細道出立前に詠まれた「朝よさを誰まつしまぞ片心」の芭蕉の句碑がありません。

「松島が呼んでいる、なんとしても松島に行きたい」みたいな、奥の細道を歩く原動力の一つになった句なのに

どうしたのかな?

震災で崩れ落ちてしまったのかな?

 

 

雄島探訪、半分近く来たようです。

まだまだ続きます

 

 

(つづく)

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松島地名発祥の地・雄島探訪

2024-10-12 14:48:30 | みちのく紀行

今朝はなんとなく秋の空気です

ひめちゃんは堀之内を北に出て、岩神沼に到着です。

 

アオサギさんがいます。

朝ご飯探してるかな?

ひめちゃんとおかあさんの視線に気づいて、彼は弾丸のように飛び去っていきました。

 

今日は日向ぼっこしながら、お外犬です。

タバサねーちゃんも熟睡してます

 

 

 

9月25日、松島海岸に行こうと、仙台駅の仙石線ホームで急いで飛び乗った電車は、東塩釜止まりでした

最後尾の車両だったので、車掌さんの姿が見えました

「松島海岸まで行きたいのですけど、東塩釜で降りたらそのまま、次を待てばいいですか?」

「何処で降りても大丈夫ですよ。3本目が松島海岸まで行きますよ

このあとの2本は東塩釜泊まりで、その先に行くのは3本目と言う事のようです

 

去年降りた事のある多賀城駅で降ります

歌枕・沖の井と末の松山を探訪して、国府多賀城駅までバスで移動しました。

向こうのホームに停車している電車には、アニメのキャラクターが描かれています。

上電だけでなく、JRでもキャラクター電車があるんだ

それにしても、昔々の仙台市民は電車に乗るのも大変、分からないことだらけです

 

そういえば、昨日もまごつきました

多賀城跡最寄りの国府多賀城駅は、東北本線の駅です。

JR東北本線の乗り場がわからない

新幹線改札近くの案内所で「国府多賀城に行きたいんですけど

「次は2番線から、13時13分です」

「ありがとう

車内アナウンスでは、「この電車は東北仙石ラインです。塩釜までは東北線、塩釜から先は仙石線を走る石巻行きです。」

ええ、そんな走り方があるんだ

まあ、めでたく国府多賀城駅に着きました

 

 

多賀城駅で2本の列車を見送って、3本目の電車に乗って、やっと松島海岸駅に着きました

 

まず雄島(おしま)探訪です。

去年、瑞巌寺の宝物館で雄島を紹介する企画展をやっていました。

昨年の企画展チラシに、「観覧後は雄島へと足を運び、霊地としての面影を肌で感じて見ませんか?」とありました。

でも、準備不足で、雄島が何処なのかも知りませんでした。

もちろん、雄島にも足を運びませんでした。

 

 

今回は、まず雄島を目指します。

松島海岸の駅を出て、去年の企画展のチラシを片手に、右の海岸方面への道を辿ります。

渡月橋を目指します。

 

しばらく行くと、雄島300mの案内です

 

さらに行くと、雄島の案内図があります。

後から考えると、ここを左折すればよかったのです

 

松島の地名発祥の地なんだ

 

更に行くと、大きな駐車場です。

案内図を確認です。

左下に現在地があります。

 

雄島100mの表示です

向こうにみえるあの島が、雄島です。

松がいっぱいだ

 

島に渡るには、赤い渡月橋を渡ります。

密ではないけれど、それなりの人出のようです。

後に続いて、渡月橋を渡ります。

 

左後方を振り返ると、霊場の雰囲気の場所が見えます。

さっきの所を曲がっていたら、あそこを通って来たのでしょう

 

橋を渡って、なんとなく左へ行きます。

石仏のみなさんには、何故か1円玉です。

どうしてかな?

持ち合わせの1円玉を上げて合掌

 

トンネルです。

トンネルの向こうはどんな世界が広がっているのでしょう?

 

 

(つづく)

 

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四ッ谷用水とX橋の記憶

2024-10-10 15:33:39 | みちのく紀行

ひめちゃんは、久しぶりに堀之内を西に出ます。

あれ、何かいたかな?

行っちゃったね

 

このまま進んで、諏訪神社の向こうの高台を突き当たりまで行きます。

南に下ると、アケビがなってる

懐かしい実です。

やっぱり日当たりは必要だね

 

山上城跡公園の方に回り込みます。

耕作放棄地っぽいけれど、お花畑になってます

右に見える山上城跡公園の南の道を帰ります。

 

この秋ムーハウスガーデンの椿・一番開花です

 

今年は、椿は何故か実をいっぱい付けてます。

花はどうかな?

 

 

 

9月24日、多賀城から戻り、仙台駅近くのホテルで無事にチェックイン完了。

一休みして、夕食ついでにお土産探しをしようと、仙台駅に戻ります。

近道でなく、アエル広場を通ります。

以前はずっと利用していた道です。

去年から、近道を発見して、最短距離の道も利用しています。

 

あれ、ミニ地蔵だ

気づきましたけど、キッチンカーがそばで営業中です

カメラを向けにくい

やむなく通り過ぎます。

人々の服装は、すっかり秋モードです。

 

 

翌日(25日)の朝、キッチンカーが未だ出ないうちに通ります。

あれ、いつからおいでですか?

初めまして、合掌

 

ここには四ッ谷用水の記憶がありました

さりげなく、いろいろ説明板があります。

小高い段丘地に立地した仙台は、水利に乏しかった。そのため上流郷六の広瀬川から、四ッ谷用水が城下に導入された。その本流は段丘の高所を東に流れ、これから幾つかの支流にが別れて城下をくまなく貫流し、都市用水として多面的な役割を果たした。いわば「もうひとつの広瀬川」ともいうべきものであった。

 

あれ、もう1枚、光の関係でボケボケですけど

ここは、四ッ谷用水エリアとX橋エリアがあるんだ

明治20年に上野仙台間に鉄道が敷かれ、大正10年に鉄道をまたいで橋が架けられたんですね

しあわせ地蔵は、X橋ゲートの近くなんだ。

そのうちにX橋エリアもう少し探検したいな

 

そこの階段を登って、仙台駅に行きます。

今日は松島に行ってきます

 

 

(つづく)

 

 

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