虹の向こうに

4人の子どもの父親をしています。
リバ剣、段位は三段。
なぜか少年野球の監督してます。

そっちじゃない

2006年11月17日 | ひとりごと
いじめが問題になっています。

自殺の予告文が話題になり、実際に自殺の連鎖が起きています。

どっかの都知事が、「あれ(予告文)は大人のいたずら。予告して自殺するようなやつはいない」なんて、とんでもなくデリカシーを欠いた発言してましたね。

そうやって高をくくっている無責任な大人に向けての警告だったのかもしれません、あの予告文は。


いじめの問題はず~っと扱われてきてる。

子どものいじめをなくそうと(大人社会でもいじめがあることなんてすっかり棚に上げちゃってる)大人はがんばる。

そしてメッセージを送る。


「いじめられていても負けるな」

「君には味方がいる」

「強く生きるんだ」

「がんばれ」

「死ぬな」

・・・


そういった一言一言が徐々に「いじめられっ子」の心に届いて・・・プレッシャーを与え、追い込んでいます。

今のいじめにある根本のトコロや、そこに置かれている弱者の気持ちを汲んでいないから、励ましてるつもりでもそれが「いじめられっ子」にとっては重荷になる。

下手するといじめになる。


今のいじめは陰湿で、

構図が単純で(加害者・被害者・傍観者のみで構成されている)、

被害者に非のない場合が多く(どうしようもなく被害者に非がある場合もある)、

加害者が自己中心的で、

没人格的です。


それをわかっていない。

昔のいじめは、人間関係のできたコミュニティーの中で起きていた。

常に立場が逆転する可能性を秘めていたし、そもそもいじめの中にも互いに仲間意識みたいのはあったように思う。

そして、多くの大人がその昔にとらわれている。

だから、メッセージに何となく「いつまでもめそめそしてないで、自分の力ではねのけてみろよ」と「いじめられっ子」を突き放しているように見えるところがある。


そっちじゃない。

何とかしなきゃいけないのは、「いじめっ子」のほう。

「いじめっ子」を放し飼いにしている親や地域や時には教師のほう。

そして傍観者。


加害者も実は別の場所や違う角度ではなんらかの被害者って場合もある。

でも、だからこそ「いじめっ子」に目を向けた、照準を合わせた対策をしなくちゃいけないんじゃないだろうか。

「いじめっ子」もなにか抱えていないか。

「いじめっ子」の親は自分の子が行っているいじめに気付き、認めているのだろうか。

学校はいじめに対して能動的に対応しているのだろうか。
(「いじめられっ子」に「辛いことがあったらいつでも相談しなさい」といえばそれで対応した気になっていないか)


いじめ問題を解決するには、まずは「いじめっ子」から。

それに気付けるほど、日本の行政や学校が進んだ考えを持っていればいいけど・・・