大正十五年四月の朝日新聞には次のような記事が見られる。
このリーグ戦の新聞から拾えた試合結果は、5月1日・國學院14-4高師、5月8日・日大13-4高師の二試合しか未だわからない。ただ、昭和十一年の“この日”と題する新聞記事には、
記事中には専修大學の名前がないが、國學院の成績からみると六校で各二試合づつ十試合行ったと思われる。
いづれにせよ、このリーグもまた一シーズン限りで解散してしまい、この年の秋には国民新聞社後援による新リーグ戦が行われる。
リーグ戦の開始は十日からとなっているが、開始に先立って「両リーグからピック・アップ・チーム」を作ってこの記事の当日(九日)の午後三時から番外紅白試合を行うとし、メンバーを載せている。
但し、この試合は雨天の為中止となっている。
二リーグ制を取り入れたり、紅白戦(発想としてはオールスター戦と言えようか)で前景気を煽るなど、当初はかなり力を入れていたように思われる。
試合結果については次稿にまとめて行くこととする。
既成六大学野球リーグに対抗して起てる國學院、日本大學、専修大學、高師、東洋大學、大正大學の六チームより成れる新大學リーグ戰は左記の日程によって行はる。(『朝日新聞大正15年4月20日』)この分に引き続き四月三十日から五月二十八日までの日程が掲げられており、二回戦制で行われ球場は駒沢、国分寺、目白となっている。
このリーグ戦の新聞から拾えた試合結果は、5月1日・國學院14-4高師、5月8日・日大13-4高師の二試合しか未だわからない。ただ、昭和十一年の“この日”と題する新聞記事には、
大正十五年の此日(七月九日)は日大、國大、高師、東洋大、大正大からなる新大學野球リーグ戰は國大八勝一敗一分けで優勝したが、國學院が脱退した為に一時リーグを解散することとなった(『朝日新聞昭和11年7月9日朝刊』)とある。
記事中には専修大學の名前がないが、國學院の成績からみると六校で各二試合づつ十試合行ったと思われる。
いづれにせよ、このリーグもまた一シーズン限りで解散してしまい、この年の秋には国民新聞社後援による新リーグ戦が行われる。
縱来の新大學野球リーグは今春リーグ戰終了と同時に解散を宣して都下十五大學専門學校を中心として別項の如く大學専門學校野球聯盟を組織し八日午後三時から本社会議室に於いて各大學二名の委員出席協議の結果大學専門學校野球リーグ戰を本社後援によって今秋より開始するに決した。今秋は参加十校を五校宛紅白リーグに分けて勝敗率をもって兩リーグの覇者で優勝戦を行ふ米國大リーグ形式をとることになった。(『国民新聞大正15年10月9日』)なぜ十五校のうち十校でのリーグ戦となったのかは不明だが、その内訳は以下の通りである。
紅 組: | 日本大・國學院・上智大・帝農大(現東大農学部)・高等工芸(現千葉大工学部) |
---|---|
白 組: | 東農大・青山学院・高千穂高商(現高千穂大)・東洋大・早大高師(現早大教育学部) |
不参加: | 明治学院・専修大・駒澤大・大正大・高等工業(現東工大) |
リーグ戦の開始は十日からとなっているが、開始に先立って「両リーグからピック・アップ・チーム」を作ってこの記事の当日(九日)の午後三時から番外紅白試合を行うとし、メンバーを載せている。
紅組 | 白組 | |||
大谷 | (日大) | 投 | 鈴木 | (農大) |
遠藤 | (日大) | 捕 | 大槻 | (青学) |
有利 | (国学) | 一 | 谷 | (高千穂) |
古谷 | (上智) | 二 | 藤澤 | (農大) |
江村 | (帝農) | 三 | 宮崎 | (東洋) |
---|---|---|---|---|
阿部 | (高芸) | 遊 | 大木 | (高千穂) |
大洞 | (帝農) | 左 | 志賀 | (早高師) |
山 | (上智) | 中 | 有吉 | (東洋) |
猪狩 | (国学) | 右 | 飯野 | (早高師) |
西山 | (高芸) | 右 |
但し、この試合は雨天の為中止となっている。
二リーグ制を取り入れたり、紅白戦(発想としてはオールスター戦と言えようか)で前景気を煽るなど、当初はかなり力を入れていたように思われる。
試合結果については次稿にまとめて行くこととする。
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