猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

東洋大学野球部の歴史-戦前⑤大正14年秋

2008-02-08 20:50:00 | インポート
大正14年の秋には東都五大学聯盟戦の名称でリーグ戦が行われた記録が『時事年鑑』に載っている。

東都五大学聯盟戦―國學院、日本、専修、東洋、宗教五大學第一回戦は、十月四日より十一月六日迄下澁谷氷川裏、目白海上、大泉三球場にて随時開催、成績並得點左の如し。

(優勝)國學院大學 八戦八勝
日本大學 六勝二敗  専修大學 四勝五敗
東洋大學 三勝六敗  宗教大學 八戦八敗


【各校得點】

勝 得點 敗  勝 得點 敗
國學院22-0宗教大國學院9-3専修大
国学院10A-4東洋大専修大11-3宗教大
日本大4-2東洋大 東洋大11-6宗教大
日本大6-0専修大 東洋大6A-1 専修大
国学院6A-2日本大 日本大 棄権 宗教大
東洋大6-2宗教大 日本大9A-3専修大
国学院6A-5日本大
(原文は縦書き)


当時の新聞も縮刷版で当たってみたが、ほぼ同じ試合結果しか拾えなかった。『時事年間』も新聞から結果を得たのであろうか。勝敗と合わないが、今のところ判明しているのはここまでである。




テーマ別インデックス「資料編」 :通算本塁打・投手勝敗・開幕カードスタメンなど
「記録」:個人記録についての話題
「戦前」:新聞記事で拾った戦前の記録
「動画」:神宮で生観戦した際の動画
「エピソード」
「人物」
 





大場をアシスト?していた桧山の一発=東洋大学野球部の歴史ーエピソード①

2008-02-04 23:20:00 | インポート
今日のスポーツニュースを見ていたら、ホークスに入団した大場投手のキャンプ初の休日の模様が取り上げれていた。宮崎地鶏の炭火焼に挑戦?したとの由。味付けに失敗して塩味を効かせ過ぎてしまったようなのだが、本人の談は「味が濃くておいしかったです」とピッチング同様強気のコメント。昨年春のリーグ戦で、それまで亜大・小池投手の持っていたシーズン奪三振記録111を上回る115の新記録を打ち立てた大場投手。この強気のままでシーズンに突入していってほしいものだ。

小池投手が111個の奪三振を記録したのは、平成二年(1990)のことだが、そのシーズンの対東洋一回戦を伝える毎日新聞にこんな記事が。
毎日新聞平成2年5月2日付朝刊
―東都奪三振男は降板―
東都の奪三振男、亜大・小池は五回途中、無念?の降板。今季通算の奪三振数は、わずか4個上積みの「59」個にとどまった。
四回まで3人ずつに片付ける上々のスタートだったが五回、先頭・桧山に1-0からの2球目を右翼席に運ばれ、さらに動揺したのか、続く丸塚にも中前に痛打された。ここで内田監督がアドバイスしようとタイムをとって、マウンドに歩み寄ったまではよかったが、どうしたのか、前後してブルペン捕手の森田一までが不用意にマウンドに駆け寄ってしまった。
東洋大・高橋監督の「2度のアドバイスにあたる」とのアピールで審判団が協議。結局「1イニングに同一投手のもとへ2度行けば、その投手は自動的に試合から退かなければならない」とする野球規則に基づき、小池は降板を余儀なくされてしまった。


予定外の降板のためか小池投手は翌日の二回戦にも先発で登板、完投して12個の三振を奪い、翌三回戦でもリリーフで登板、3三振を奪っている。あくまで“たら・れば”話であるが桧山に一発喰らわなければ記録も多少違っていたかもしれない。

*但し、小池投手はこのシーズン延長戦での完投が三試合もある。日大一回戦12回、三回戦10回、専大三回戦14回。延長で1試合分の回数を投げているので、最終的な収支はとんとんだったとも言えるかもしれない。




テーマ別インデックス「資料編」 :通算本塁打・投手勝敗・開幕カードスタメンなど
「記録」:個人記録についての話題
「戦前」:新聞記事で拾った戦前の記録
「動画」:神宮で生観戦した際の動画
「エピソード」
「人物」
 





東洋大学野球部の歴史-人物②安田昌功さん

2008-02-02 09:21:00 | インポート
先日、スポーツ紙で桑田投手の御子息が桜美林高進学、という記事を見た。桜美林と言えば少々年代が上の世代にとっては昭和五十一年夏の甲子園での初出場初優勝が思い浮かぶのではなかろうか。伏兵的な存在だった上に、決勝の相手がPL学園ということで、“東西対決”で盛り上がったものだが、今では当時のメンバーの息子世代でも、“ハンカチ王子”様を呼び捨てにできる立場にあるのだから、ずいぶん昔の話になってしまった。

桜美林の優勝から四年後の昭和五十五年の『週刊ベースボール増刊』の秋のリーグ戦決算号に「オベリンナーそれぞれの道」という記事が載っていた。大学で野球を続けている者や草野球を楽しんでいる者、といった近況報告のような内容なのだが、その中の次の一節を引用してみる。
「内野席にも人影がまばらな神宮球場、10月15日東都リーグ東洋大-中央大の1回戦。バックネット裏には学生服の“偵察部隊”が陣取っている。最前列には3人のビデオ係がグラウンドのプレーを追う。その後方にスコアブックを手にした安田昌功がいた。
甲子園1回戦では大会7号の本塁打を放った彼も、東都リーグでは公式戦出場の機会を得られずに、最終シーズンをむかえる。小柄な体のハンデのため打撃面で伸び悩んだのが、ベンチ入りできない原因だった。
高校時代“東京一の遊撃手”と折り紙をつけられた守備を買われ、今年の夏のオープン戦には出場の機会も得た。しかし、ショートの守備は無難にこなしたものの、2打席ノーヒットで“貧打”に泣いた。
現在の彼は試合の前日までに相手投手のデータを揃え、当日は、3回毎に投手の配球を監督に伝える。地味な役割だが、「野球を見る眼が肥えてくる」楽しさがある。
春のシーズン2週目の対亜大2回戦、相手投手の宮本が右打者の内角を攻める配球をつかんだ。彼の情報によって東洋大の各打者はベース上にかぶさるようにバッターボックスに立つ。結果、宮本は死四球を連発して自滅。2安打で8点という“戦果”をもたらした。」

記事中の55年春の亜大2回戦は次のような結果だった。

東洋大 100 008 000  9  望月 森 ○仁村-浜田
亜 大 110 030 002  7  辻本 ●宮本 赤木 福本-田中

朝日新聞に「東洋大が六回、亜大投手陣の乱れにつけ込み、8四死球と2安打で大量8点をあげ、新人・仁村(上尾高出)の好リリーフで逆転勝ちした」と短い記事があるだけのこの試合は、甲子園では一発に泣いた仁村徹が初勝利を飾った試合でもあったのだ。その陰には甲子園で頂点に立ちながら、神宮のグラウンドには立てなかった安田さんの支えが有ったのである。




画像










テーマ別インデックス「資料編」 :通算本塁打・投手勝敗・開幕カードスタメンなど
「記録」:個人記録についての話題
「戦前」:新聞記事で拾った戦前の記録
「動画」:神宮で生観戦した際の動画
「エピソード」
「人物」