羽鳥操の日々あれこれ

「からだはいちばん身近な自然」ほんとうにそうなの?自然さと文化のはざ間で何が起こっているのか、語り合ってみたい。

赤い三角屋根の駅舎

2006年03月23日 15時20分17秒 | Weblog
 春は桜、秋は銀杏、そして四季咲きの木瓜が、道の両脇に色を添える国立。
 この街を開発した箱根土地(現プリンスホテル)が建てた国立駅舎の取り壊しが決まったらしい。
 この赤い三角屋根は、文教地区に指定されている国立の街によくマッチし、80年の歳月のなかで親しまれ愛されてきた。
 3月11日付けの日経新聞では、『国立駅舎保存「立ち往生」』、日経マガジン3月号では『消えいく「絵になる街」』という見出しで、報道されたのでお読みなったかたもおられることだろう。
 「桜と三角屋根」の取り合わせを目に焼き付けるのは、今年が最後のチャンスというのは、寂しいことだ。

 私が、国立に通っていたのは、昭和30年代から40年代。駅舎の向うには、青い空が広がっていた。それが写真を見ると、高いマンションの建物がニョッキリ姿を現している。
 時代によって人は変わる。街も変わる。
それはしかたがないことなのかもしれないが。
しかし、景観を残すことも土地のブランド力だといわれる時代なのだから、国立駅の風景を、なんとか残してもらいたいと思うのは、とっても素直な心情だ。この街を愛するものの一人としては、切望するのだが。

 いみじくも「日経マガジン3月号」では、国立と対照的な田園調布の場合を引き合いに出して、次のように結んでいる。
「東急などの私企業や商法講習所をルーツに持つ大学、一般市民が景観を重視し、官僚養成大学が目先のそろばんを優先する。一見すると「民」と「官」の立場が逆転したかのようだが、官より民の方が環境や景観などの「公」に近い立ち位置にいるのが今の日本かもしれない」(石鍋仁美)

 まったく同感である。
 学校がひけると、駅まで1キロ程度の道を、友人たちと大きな声でシュトラウスの「美しき青きドナウ」や三善晃の「麦藁帽子」等々、コーラスで習っている合唱曲を歌いながら国立駅まで歩いた十代のころを懐かしく思い出す。
 春夏秋冬、めぐる季節ごとに自然の彩りが生きている街・国立。
 
 こうした記事を読むにつれて、日本は、これから、どこに向かっていこうとしているのだろう、と胸に迫るものがある。
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