太刀 羽山円真
太刀 羽山円真 明治三十四年
比較的反りは浅いが、雉子股茎の仕立てになる、古様式の太刀を手本としたもの。目釘穴の位置も比較的下にあり、太刀の様式を備えている。身幅は広くもなくバランス良く、反りが浅いのはサーベルなど近代の拵に収められた故と考えられる。地鉄は小板目鍛えで微塵の地沸が付き、刃文は浅い湾れ刃で、刃境がほつれ掛かり繊細な金線が走る。円真の得意とする、古作粟田口や来など山城物を手本とした作である。
近世、近代の刀工を馬鹿にしている先生方がいた。その影響を受けて、現在でも新刀以降の作を刀と見ない方もいる。嘆かわしいことだが、事実である。とにかく、古作を偏重するこのような状況を生み出した昔の先生方がいけない。武士の時代を終えた以降も活躍した刀工の作品を紹介している。何が好きかは、個人それぞれあっていい。でも時代の異なる作について、比較して優劣をつけることの愚かさに気付いてほしい。よい作品を遺すべく努力した刀工があり、現代でも、技術を未来に伝えようとしている方々がいるのだ。
太刀 羽山円真 明治三十四年
比較的反りは浅いが、雉子股茎の仕立てになる、古様式の太刀を手本としたもの。目釘穴の位置も比較的下にあり、太刀の様式を備えている。身幅は広くもなくバランス良く、反りが浅いのはサーベルなど近代の拵に収められた故と考えられる。地鉄は小板目鍛えで微塵の地沸が付き、刃文は浅い湾れ刃で、刃境がほつれ掛かり繊細な金線が走る。円真の得意とする、古作粟田口や来など山城物を手本とした作である。
近世、近代の刀工を馬鹿にしている先生方がいた。その影響を受けて、現在でも新刀以降の作を刀と見ない方もいる。嘆かわしいことだが、事実である。とにかく、古作を偏重するこのような状況を生み出した昔の先生方がいけない。武士の時代を終えた以降も活躍した刀工の作品を紹介している。何が好きかは、個人それぞれあっていい。でも時代の異なる作について、比較して優劣をつけることの愚かさに気付いてほしい。よい作品を遺すべく努力した刀工があり、現代でも、技術を未来に伝えようとしている方々がいるのだ。