ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

ラジオ

2012-11-06 20:59:18 | メディア
明日は、甲斐さんのセイヤング21の放送日

『マンスリー・プレミアム』と冠されて久しいけど
やはり、甲斐さんの近況や今後の動向を知る上で
ファンには欠かせないものだろう

奥さんにとっては
雑誌に載る、テレビに出るといった情報そのものよりも

何故その番組に出るのか?とか
収録時にあった出来事とか
その時の甲斐さんの気持ちを聞くことが楽しみみたいだ

10代の頃には、まさに人生のバイブルだったという
聴いた時には判らなかったことや間違って解釈していたことを

自分が、話し手だった甲斐さんの年齢になった時に
肌身で感じて理解できた経験もあったらしい


では、甲斐さんにとってラジオとは何なんだろう?

甲斐さんは、1976年から『セイヤング』のDJを始められた

台本なしで、選曲もご自身でやりたい
自分が納得できる形にしたいとおっしゃったそうだ

『ラジオでは全身を使って喋る
そういう意味では、ライブと同じ』
そうしないと何も伝わらないからだという

構成作家の寺崎要さんが、知り合いのパーソナリティ全員に
『何故ラジオで話すのか?』と質問されたことがあったそうだ

中島みゆきさんが『伝えたいことがあるから』
と答えたのが『正解だと思う』とおっしゃっていた

甲斐さんはライブのMCで
曲を書いた時や歌う時の想いを話す
あるいは、ツアーのメインとなるアルバムのコンセプトを説明するという

これは、60~70年代のフォーク・シンガーのMCが
歌い終えた曲の余韻に関係がなく
といって次の曲に繋がる訳でもない話なのがイヤだったかららしい(笑)

ステージは『一貫して見せる』ショーにしたいと思っていたそうだ

ラジオで身近な日常…
昨日●●があったとか●●を見たとかを喋っていると
ステージでは曲のことだけ話せばいい

ラジオをやってない時には
ファンサービスの意味もあって
近況報告みたいな話をステージで喋っていたらしい(笑)

でも…甲斐さんて基本的に話好きですよね?(爆)


『サウンドストリート』の頃に
『俺がこの番組をやっているのは
なんの規制もなく本音を吐けるからだ』とおっしゃったそうだ(爆)

奥さんいわく…
一見、NHKらしからぬ内容だったけどね(笑)
でも、親や先生の言うことより
よっぽど勉強になったよ

甲斐バンドがまだ、人口2千人みたいな町には行けなかった頃に

NHKのラジオに出るというのも
甲斐さんの想いが感じられるという
確かに国営放送なら、津々浦々で聞けるね

奥さんも中学生の頃にセイヤングを聞くのは大変だったようだ

ノイズばかりで、甲斐さんの声が聞こえないことも頻繁で
チャンネルを調整するためだけに
起きているみたいなものだったらしい(苦笑)


そのセイヤングの最終回…
中野サンプラザでのライブが終わった4時間後に
いきなり『今日で終わる。元気でな』だったそうだ(汗)

サンストの時には
聴取率や投稿はがきの枚数を考えれば
そういう終り方は出来なかっただろう

ツアーの合間を縫って帰京したり
1週間に2000通以上、多い時には5000通ものはがきに目を通したり…
この数は、NHK開局以来の最高記録らしい

番組の内容も含めて文字通り
甲斐さん自身の身を削って放送されてきた

『引き出しが空になった』という言葉で降板が発表されたけど

【太陽日】もしくは【星組】宛てにはがきの受付けは継続されることになった

奥さんいわく…
それまで甲斐さんが話すことを道しるべにして来たけど

これからはもう俺に頼らずに
自分で考えて生きて行け!と言われて

しばらくは、何かにつけて
『甲斐さんだったら、どうするだろう?』
『甲斐さんは、何て言うだろう』って
考えることが止められなかったそうだ(苦笑)

ライブにしろ、ラジオにしろ
ずっと甲斐さんに叱られながら生きて来たんだもんね…


今は、ガリガリ君や香川選手の話を
ダジャレ混じりに熱く語る甲斐さんに
ツッコミを入れながら聴いてます(笑)
コメント
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