ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

久保孝司さん

2012-11-11 16:11:32 | 日記
妙安寺ファミリーバンドでギターと作曲を担当されていた方です

度々ご紹介している門田一郎さんとは同い年のご学友で

門田さんが妙安寺のリーダー兼スポークスマンなら
久保さんはサウンド面での中核を担っておられたようだ


ギターに限らず、どんな楽器でも器用にこなし
2~3回聞いただけの曲を完璧にコピーしたり
曲の流れに合った独自のギターコードを創作したりと
非凡な才能を持った方だという

フォークソング愛好会の後輩だった大森さんが
よくギターを教えてもらっていたらしい

甲斐さんが、ハッピー・フォーク・コンテストで優勝した時に
大森さん、長岡さんと共にバックバンドでピアノを務めておられたそうだ

…ということは
賞金山分けのメンバーだったってことですね(笑)

さらには、サンプラザ・ホテルの浴槽に
カップ麺を投げ入れた事件にも…(爆)

ちなみに、妙安寺としても2回出場されて
どちらも銀賞を獲得されている

照和には、福岡大1年の時に出演しておられたようだけど
そのバンドの解散以降は少しブランクあったらしい

妙安寺に出演のオファーが来た時には即座に断ったそうだ(苦笑)

当時のマネージャーだった広津さんが、仲介役の長岡さんと
『合宿所』へ直々に出向いたらしいけど
甲斐さんいわく…これは俺の差し金(爆)

チューリップ、海援隊なきあとの照和に復帰した甲斐さんが
オリジナル曲を演れるバンドを発掘するために
オーディションを繰り返していた頃のことだったそうだ

この合宿所を借りる際、大家さんには
妙安寺のメンバーと一緒に住むことを告げず
留年した門田さんに代わって
就職が内定していた久保さんが住むと言って借りたそうだけど…

同居人が全員学生ということもあり
ご本人も学生時代の生活のまま過ごす内に
会社へ出勤することなく、一週間で辞めてしまったらしい(笑)


無職になり、親からの仕送りも打ち切られた久保さんは
迷うことなく『居候』になったという(爆)

それ以来、意見が分かれた時の決定権は
門田さんが握ったようである(笑)

照和に出演することも
勿論、門田さんの意見が通ったそうだ(笑)

ただ、どんなにお酒が入った賑やかな席でも
久保さんが、真面目に話し出すと
メンバー全員が自然と耳を傾けるという特技?を持っていたらしい


甲斐さんが、バンドとしてデビューすることを決めて
デビューの時期を半年遅らせ
メンバー探しをしていた時

久保さんに頼みたいと門田さんに相談したという

チューリップがデビューする際
財津さんが、アチコチのバンドからメンバーを引き抜いたことで

解散を余儀なくされたバンドから非難されたそうだ

海援隊もドラムが居なくなり
それまでジャックスのコピー等をするロックバンドだったのが
今の3人になったという(苦笑)

門田さんは、甲斐さんに
妙安寺が解散することになっても
久保さんが行きたいなら、自分は止めないとおっしゃったそうだ

甲斐さんがメンバー探しで焦っていることを知っていたし
何より甲斐さんのことが好きだったのと
久保さんがプロになれるなら、その方が良いと思ったからだという
結局、久保さんには断られたけれど…

ちなみに甲斐さんは、石橋凌さんにも声をかけたそうだ

イチローさんが、リンドンを解散した後に
甲斐さんにメンバー探しの相談をした時にも
石橋さんを推薦したらしい(笑)


もしも久保さんがメンバーになっていたら…?
なんて、想像もつきませんね(苦笑)
コメント
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