生物学者の福岡伸一さんによると…
北斗七星の「ひしゃく」の柄の先端にあたる星を7番目とすると
その手前にミザールという、6番目の星があり
そのミザールのすぐ横にアルコスという小さな星が存在していて
本当は「北斗八星」らしいんだけど
14世紀のアラビアでは、ミザールとアルコスが
ちゃんと分離して見えるかどうかで視力を測っていたくらい
アルコスという星は、かそけき光なんだとか…
年齢と共に視覚が衰えて来られたという福岡さんいわく…
自然界にある全てのものが
くっきりとした輪郭を持って見えていた少年の頃が懐かしい
その代わり、年齢と共に見えざるものに思いを馳せる
思索の深度が、いくばくか深まったと思いたい
…って、ボクも人様のことはとやかく言えない立派な老眼なんですが(汗)
近視になったのは30歳を過ぎてからで
子供の頃は全てのものが、くっきりはっきり見えていた…筈です(笑)
が、奥さんみたいに、小学校の視力検査のたびに
「見える所まで前に出て来なさい」と言われ続けていた人は
メガネやコンタクトレンズを通して初めて
「くっきりはっきり」を知ったらしく
甲斐さんがおっしゃっていたように
「はっきりとモノが見えないってことは
どっかでイマジネーションを働かせている訳で
小さい頃から、そういう訓練をしている訳だし
イマジネーションを得るには最大の武器かも知れない」んじゃないかと…
ただ「克明に見える坂本(教授)は、メロディメーカーとして
見えない俺は歌詞を書くっていうのがあるかも知れない」との言葉に
見えていた頃にわき上がるメロディもなく
見えなくなった30代からはイマジネーションのカケラもない身としては
せめて老眼になった今、思索の深度は深めたいと
切に願わずにはいられません(汗)
ともあれ、歌詞といえば…
ミュージシャンの後藤正文さんのコラムに
「『クリシェ=決まり文句』というのは共感を得やすいので
歌う側も聴く側も気持ちが良い
だから、ポップミュージックには
『会いたい』だとか『守りたい』という言葉が頻出する
ヒットソングに使われる『クリシェ』は、その時代において
最も共有されている言葉の一つであり
イメージや感情でもあるだろう
多くの人が買い求める訳だから
社会の潜在的な欲望の表出なのかも知れない
一方で、売れる売れないに関わらず
大衆音楽の歌詞に使われる言葉やイメージの多寡は
社会の多様性と文化的な豊かさや貧しさを反映していると思う
多様性を押し広げるべく
僕はクリシェを避けて作詞に奮闘している
ところが、ヒットソングがまるで書けない…悲しい」と書かれていたんですが
そこはそれ「頑張っている人に『頑張れ』と言うのは失礼」とか
「ストレートな『応援歌』を作ってどーする」と思っておられる
某ミュージシャンの方(笑)のように
『夜汽車』『煙草』『舗道』『街角』『酒場』といった
日常的な単語を使って、多くの人々とイメージを共有しつつ
例えば「1メートル君は60センチ とても素敵さ」とか
「熱があっても39度 首ったけ」とか「ねぇ 暗い舗道」という風に
「唐突でいて妙に引っかかりのある
ユニークな言いまわし」を
参考になさってはいかがでしょうか?(笑)
余談ですが…最近、後藤さんは「なるべく自室のスピーカーから
音楽を聴くようにしている」そうで
それは「コンピューターとインターネット
音楽制作ソフトや記録メディアの発達によって
高価な録音機材や楽器がなくとも、マウス一つで架空の管弦楽団や
メンバーの実在しないバンドの演奏が録音できるようになり
簡単に言えば、空気の振動である『音楽』の、その揺れ方を楽しむはずが
一度もスタジオや部屋の空気を振動させずに
作者の頭の中でだけ鳴っていた音楽が
そのままリスナーの耳の中で鳴る時代が到来してしまった
誰かのコンピューター内部で鳴ったと見なされた音が記録され
僕のコンピューターやスマホはデータを読み込んで
楽曲がイヤホンから再生される
少しの空気を必要としているとはいえ、この時使われる空気の総量は
僕と作者の耳の中を合わせて数立方センチがいいところだろう
脳に電極を差し込む日も遠くないと思ってしまう」から、なんだとか…(笑)
確かに、それでもウットリと聞き惚れてる図を想像すると
空恐ろしいモノがありますねぇ…(汗)
北斗七星の「ひしゃく」の柄の先端にあたる星を7番目とすると
その手前にミザールという、6番目の星があり
そのミザールのすぐ横にアルコスという小さな星が存在していて
本当は「北斗八星」らしいんだけど
14世紀のアラビアでは、ミザールとアルコスが
ちゃんと分離して見えるかどうかで視力を測っていたくらい
アルコスという星は、かそけき光なんだとか…
年齢と共に視覚が衰えて来られたという福岡さんいわく…
自然界にある全てのものが
くっきりとした輪郭を持って見えていた少年の頃が懐かしい
その代わり、年齢と共に見えざるものに思いを馳せる
思索の深度が、いくばくか深まったと思いたい
…って、ボクも人様のことはとやかく言えない立派な老眼なんですが(汗)
近視になったのは30歳を過ぎてからで
子供の頃は全てのものが、くっきりはっきり見えていた…筈です(笑)
が、奥さんみたいに、小学校の視力検査のたびに
「見える所まで前に出て来なさい」と言われ続けていた人は
メガネやコンタクトレンズを通して初めて
「くっきりはっきり」を知ったらしく
甲斐さんがおっしゃっていたように
「はっきりとモノが見えないってことは
どっかでイマジネーションを働かせている訳で
小さい頃から、そういう訓練をしている訳だし
イマジネーションを得るには最大の武器かも知れない」んじゃないかと…
ただ「克明に見える坂本(教授)は、メロディメーカーとして
見えない俺は歌詞を書くっていうのがあるかも知れない」との言葉に
見えていた頃にわき上がるメロディもなく
見えなくなった30代からはイマジネーションのカケラもない身としては
せめて老眼になった今、思索の深度は深めたいと
切に願わずにはいられません(汗)
ともあれ、歌詞といえば…
ミュージシャンの後藤正文さんのコラムに
「『クリシェ=決まり文句』というのは共感を得やすいので
歌う側も聴く側も気持ちが良い
だから、ポップミュージックには
『会いたい』だとか『守りたい』という言葉が頻出する
ヒットソングに使われる『クリシェ』は、その時代において
最も共有されている言葉の一つであり
イメージや感情でもあるだろう
多くの人が買い求める訳だから
社会の潜在的な欲望の表出なのかも知れない
一方で、売れる売れないに関わらず
大衆音楽の歌詞に使われる言葉やイメージの多寡は
社会の多様性と文化的な豊かさや貧しさを反映していると思う
多様性を押し広げるべく
僕はクリシェを避けて作詞に奮闘している
ところが、ヒットソングがまるで書けない…悲しい」と書かれていたんですが
そこはそれ「頑張っている人に『頑張れ』と言うのは失礼」とか
「ストレートな『応援歌』を作ってどーする」と思っておられる
某ミュージシャンの方(笑)のように
『夜汽車』『煙草』『舗道』『街角』『酒場』といった
日常的な単語を使って、多くの人々とイメージを共有しつつ
例えば「1メートル君は60センチ とても素敵さ」とか
「熱があっても39度 首ったけ」とか「ねぇ 暗い舗道」という風に
「唐突でいて妙に引っかかりのある
ユニークな言いまわし」を
参考になさってはいかがでしょうか?(笑)
余談ですが…最近、後藤さんは「なるべく自室のスピーカーから
音楽を聴くようにしている」そうで
それは「コンピューターとインターネット
音楽制作ソフトや記録メディアの発達によって
高価な録音機材や楽器がなくとも、マウス一つで架空の管弦楽団や
メンバーの実在しないバンドの演奏が録音できるようになり
簡単に言えば、空気の振動である『音楽』の、その揺れ方を楽しむはずが
一度もスタジオや部屋の空気を振動させずに
作者の頭の中でだけ鳴っていた音楽が
そのままリスナーの耳の中で鳴る時代が到来してしまった
誰かのコンピューター内部で鳴ったと見なされた音が記録され
僕のコンピューターやスマホはデータを読み込んで
楽曲がイヤホンから再生される
少しの空気を必要としているとはいえ、この時使われる空気の総量は
僕と作者の耳の中を合わせて数立方センチがいいところだろう
脳に電極を差し込む日も遠くないと思ってしまう」から、なんだとか…(笑)
確かに、それでもウットリと聞き惚れてる図を想像すると
空恐ろしいモノがありますねぇ…(汗)