以前に甲斐さんが「ケータイが普及して『固い約束』をしなくなった」
…と話されてましたが
四方田犬彦さんの「待つことの悦び」というエッセーに…
約束の場所に早めに着いて、彼女を待つ
地下鉄の改札から駆け上がって来る姿を想像しながら…
しかし、彼女は来ない
心配はやがて苛立ちに変わり、彼女の誠意が疑わしくなる
そして訪れる孤独と絶望
その後の彼女の到着は奇跡のようにも感じた
「遅れたことの他愛のない原因を説明する彼女は
なんと美しく、魅力に満ちていることか」と
気持ちを揺さぶるような「待つ」を記されていて
ケータイやスマホがなかった不便さが
あの「ドキドキ」を味わせてくれたんだなあ…と
遠い目になってしまいました(苦笑)
甲斐さんも高校時代に彼女と初めて待ち合わせをなさった時
「30分待っていたけれど、来ない
そういう子じゃないんだけど…と思って、ふと後ろを見ると
彼女もそこで1時間以上も待っていたという
ちょっとキザな少女小説の書き出しのような感じだった」んですよね?(笑)
待ちぼうけ、待ち遠しい、待ち焦がれる、待ちわびる…など
大切な人や大事な何かを「待つこと」を表現する言葉の数々は
その辛さを含みつつも、楽しみや悦びの方をより強く感じさせます
が、今やボクもスマホの便利さにすっかり心を奪われ(笑)
これがなかった頃のことなんて考えられないくらい
思いっきり依存してるんだけど(苦笑)
さすがに「歩きスマホ」はやりません
もっとも、奥さんに言わせると…
「歩きスマホ」の「スマホ」がメインになってるから迷惑な訳で
例えば、スマホで地図を見ながら目的地を探している場合など
「歩き」がメインなら良いんじゃないか?と…(苦笑)
確かに、英語で「歩きスマホ」を「スマートフォン・ゾンビ」と呼ぶように
画面しか見ていないから表情は虚ろに、歩き方は覚束なげに見え
言い得て妙と言うか何と言うか…(苦笑)
作家の藤原智美さんは「人間は歩いている時、周囲の状況に目を配り
頭の中では、様々な思いや考えをめぐらす」ものだった筈なのに
「二足歩行を始めて以来の在り方が変わってしまった」と嘆かれてますが
かつて「漫画もテレビも思考力を奪う」と批判されたことを思えば
いずれはスマホも…とおっしゃる方もおられるんだとか…
でも、今のゾンビ軍団を見ていると
その光景がフツーになり、見慣れてしまう可能性の方が高い気が…?(汗)
それにもう一つ、今の角界を騒がせている件も
元はと言えば「スマホを操作して目の前の人を無視する
『ファビング』」という行為が原因になっているらしいし
もちろん、暴力は許されることじゃないけど
ムッとする気持ちは理解できます(苦笑)
でも、コトは個人レベルの話にとどまらず
一般の企業でも、会議中に緊急な用件のためや
議題に関した資料を探すために端末を操作することが増えているみたいで(汗)
発言者の方にとっては、かなりのストレスになるんじゃないかなあ…?
あのアップル創業者のスティーブ・ジョブズは
家で子供たちがPCに触れる時間を制限したり
夕食の時には、自身も含めた家族の誰もPCに触らず
食卓を囲んで話すことが大事だと言っていたそうで
それは、自らが作り上げた機器の副作用を誰よりも判っていたかららしい
その点では「食事の時はテレビを点けない」甲斐家と違って
ニュースやドラマ、バラエティ番組にツッコミを入れながらの食事が
「三度のメシより好き(笑)」な我が家は
「ゾンビ」の皆さんをとやかく言えないですね(苦笑)
文明の機器に振り回されると言えば
これから、ますます脅威になりそうなのが「AI」(汗)
先日読んだコラムに…中国に駐在中の男性が
ケータイの使用料を支払ってるにも関わらず、電話が使えなくなったため
理由を確かめたくて、お客様窓口に電話をかけたところ
応対してくれたのがAIだったらしく
「日常会話は中国語でもそれほど支障を感じないが
どう説明すれば良いかと考えていると
『はっきりと簡潔に』とたたみかけて来る
ダメだ、やはり近所の営業所に行こう
営業所の担当者も、お客様窓口に電話をかけた
やはり、AIが出たようだ
どう説明するのかと耳を澄ましていると
担当者は、はっきりした口調で言った…『人に繋いで下さい』」(笑)
そう!最後はやっぱり、人と人なんですよねぇ(笑)
余談ですが…イーグルスの名曲【ホテル・カリフォルニア】の歌詞…
「チェックアウトは いつでも出来るが
ここを去ることは ついに出来ない」
…という一節は「1960年代末のカウンターカルチャーの高揚を
虚しく懐かしむだけのこの場所からは誰も抜け出せない」と
警鐘を鳴らしたものみたいだけど
最近では、金融緩和政策の出口が見えない状況を指して
「ホテル・カリフォルニア化」と言うらしい(苦笑)
その内、人類みなスマホの奴隷となり「ホテル・カリフォルニア化」するのかも知れません(汗)
…と話されてましたが
四方田犬彦さんの「待つことの悦び」というエッセーに…
約束の場所に早めに着いて、彼女を待つ
地下鉄の改札から駆け上がって来る姿を想像しながら…
しかし、彼女は来ない
心配はやがて苛立ちに変わり、彼女の誠意が疑わしくなる
そして訪れる孤独と絶望
その後の彼女の到着は奇跡のようにも感じた
「遅れたことの他愛のない原因を説明する彼女は
なんと美しく、魅力に満ちていることか」と
気持ちを揺さぶるような「待つ」を記されていて
ケータイやスマホがなかった不便さが
あの「ドキドキ」を味わせてくれたんだなあ…と
遠い目になってしまいました(苦笑)
甲斐さんも高校時代に彼女と初めて待ち合わせをなさった時
「30分待っていたけれど、来ない
そういう子じゃないんだけど…と思って、ふと後ろを見ると
彼女もそこで1時間以上も待っていたという
ちょっとキザな少女小説の書き出しのような感じだった」んですよね?(笑)
待ちぼうけ、待ち遠しい、待ち焦がれる、待ちわびる…など
大切な人や大事な何かを「待つこと」を表現する言葉の数々は
その辛さを含みつつも、楽しみや悦びの方をより強く感じさせます
が、今やボクもスマホの便利さにすっかり心を奪われ(笑)
これがなかった頃のことなんて考えられないくらい
思いっきり依存してるんだけど(苦笑)
さすがに「歩きスマホ」はやりません
もっとも、奥さんに言わせると…
「歩きスマホ」の「スマホ」がメインになってるから迷惑な訳で
例えば、スマホで地図を見ながら目的地を探している場合など
「歩き」がメインなら良いんじゃないか?と…(苦笑)
確かに、英語で「歩きスマホ」を「スマートフォン・ゾンビ」と呼ぶように
画面しか見ていないから表情は虚ろに、歩き方は覚束なげに見え
言い得て妙と言うか何と言うか…(苦笑)
作家の藤原智美さんは「人間は歩いている時、周囲の状況に目を配り
頭の中では、様々な思いや考えをめぐらす」ものだった筈なのに
「二足歩行を始めて以来の在り方が変わってしまった」と嘆かれてますが
かつて「漫画もテレビも思考力を奪う」と批判されたことを思えば
いずれはスマホも…とおっしゃる方もおられるんだとか…
でも、今のゾンビ軍団を見ていると
その光景がフツーになり、見慣れてしまう可能性の方が高い気が…?(汗)
それにもう一つ、今の角界を騒がせている件も
元はと言えば「スマホを操作して目の前の人を無視する
『ファビング』」という行為が原因になっているらしいし
もちろん、暴力は許されることじゃないけど
ムッとする気持ちは理解できます(苦笑)
でも、コトは個人レベルの話にとどまらず
一般の企業でも、会議中に緊急な用件のためや
議題に関した資料を探すために端末を操作することが増えているみたいで(汗)
発言者の方にとっては、かなりのストレスになるんじゃないかなあ…?
あのアップル創業者のスティーブ・ジョブズは
家で子供たちがPCに触れる時間を制限したり
夕食の時には、自身も含めた家族の誰もPCに触らず
食卓を囲んで話すことが大事だと言っていたそうで
それは、自らが作り上げた機器の副作用を誰よりも判っていたかららしい
その点では「食事の時はテレビを点けない」甲斐家と違って
ニュースやドラマ、バラエティ番組にツッコミを入れながらの食事が
「三度のメシより好き(笑)」な我が家は
「ゾンビ」の皆さんをとやかく言えないですね(苦笑)
文明の機器に振り回されると言えば
これから、ますます脅威になりそうなのが「AI」(汗)
先日読んだコラムに…中国に駐在中の男性が
ケータイの使用料を支払ってるにも関わらず、電話が使えなくなったため
理由を確かめたくて、お客様窓口に電話をかけたところ
応対してくれたのがAIだったらしく
「日常会話は中国語でもそれほど支障を感じないが
どう説明すれば良いかと考えていると
『はっきりと簡潔に』とたたみかけて来る
ダメだ、やはり近所の営業所に行こう
営業所の担当者も、お客様窓口に電話をかけた
やはり、AIが出たようだ
どう説明するのかと耳を澄ましていると
担当者は、はっきりした口調で言った…『人に繋いで下さい』」(笑)
そう!最後はやっぱり、人と人なんですよねぇ(笑)
余談ですが…イーグルスの名曲【ホテル・カリフォルニア】の歌詞…
「チェックアウトは いつでも出来るが
ここを去ることは ついに出来ない」
…という一節は「1960年代末のカウンターカルチャーの高揚を
虚しく懐かしむだけのこの場所からは誰も抜け出せない」と
警鐘を鳴らしたものみたいだけど
最近では、金融緩和政策の出口が見えない状況を指して
「ホテル・カリフォルニア化」と言うらしい(苦笑)
その内、人類みなスマホの奴隷となり「ホテル・カリフォルニア化」するのかも知れません(汗)