ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

シビレる言葉 AGAIN 9

2017-12-26 14:50:00 | 日記
以前に甲斐さんが「恋をしたら100曲書ける
失恋したらその倍は書ける」とおっしゃったそうですが

瀬戸内寂聴さんも「100冊の本を読むより、1回の恋愛
たくさん恋をして、たくさん傷つけば、人への思いやりが生まれる」と話されてます

また、ある音楽教師の方は「100回のレッスンより1回のステージ」
…というのが口癖だそうで
恋愛も音楽も、真剣に思いをぶつける相手がいないと
深みを増さないということでしょうか?

一方で、横尾忠則さんは…
「時間よりも、むしろ何を何回やったかという『回数』の方が大事なんです
恋人たちの逢瀬でも客商売でも、1回の時間より
何度会えるか、来てくれたかが大事」とおっしゃっていて
まあ、確かに、お百度参りも千羽鶴も、その「数」が肝心だしなあと…

童話作家・原正和さんも「お父さんとお話のなかへ」の中で…
娘につける名前に悩む父親が、人から言われた言葉として
「大切なのは、名前じゃないよ
つけた名前をどれだけたくさん呼ぶかさ」…と書いておられたり

定年後に畑仕事を始められた男性が
先輩方から「『作物が大丈夫かと思いやって足繁く通っていれば
その足音が肥料になる』と褒められた」…と話されていたり

サン・テグジュペリは「星の王子さま」がキツネに
「『なつく』って、どういうこと?」と訊ねた時…
「バラをかけがえのないものにしたのは
君がバラのために費やした時間だったんだ
他の誰とも違う君の足音が(バラにも)判るようになる」と答えた…と記していて

回数を重ねれば重ねるほど
その相手に「自分は気遣われている」「忘れ去られていない」
という思いを実感させるようですが
「続けるという行為は、得てして新しいことに取り組むよりも
エネルギーのいることかも知れない」とおっしゃる方も…

もっとも、思いつきで始めたこのブログに関しては
そこまでエネルギーを消費してる感じはないんだけど(笑)
「釣った魚に餌…」という言葉もありますしねぇ…(苦笑)

フランスの文筆家ミシェル・シュネデールによれば…
「バッハの『ゴールドベルク変奏曲』は
最初のアリアが、最後にもう一度奏でられる
同じ旋律だが、ピアニストが紡ぐ響きは同じではない

ただ音楽のみが、反復してもただの反復で終わらないのだ
そこに音楽の力と狂気がある」そうだけど
それは、ただその1曲の中のことだけではなく
時と場所を変えるごとに違う響きになるということでしょうね?

「音楽の力」といえば…
寺山修司さんが「新・書を捨てよ、町へ出よう」の中で
「音楽で人を殺せるか?音楽が人の感情を揺さぶりながら
生活の中では、ついに無害なのは何故か?」と記されてますが

ご自身も歌人・演劇家として「人の感情を揺さぶる」側でいらした訳だから
おそらく、命を削るような思いで創られた作品でも
ほんの一時、人の心に波風を立てただけで忘れ去られて行くことを
自嘲的、自虐的に綴られたんじゃないかと…?

ストーンズも「It's Only Rock'n'Roll(But I Like It)」
「たかがロックンロール」と突き放したようなタイトルを付けてるし…
ただ、すぐに「でも好きなんだ」と添えられているトコに
当時の社会や「眉をひそめた大人たち」に対する反発がチラリ…(笑)

かつて、甲斐さんも「歌はさあ、歌よ、しょせん」とか
「『たかが歌だ』という言い方は嫌いじゃないんだ
歌ってるヤツの生き方ひとつで『たかが歌』に過ぎないものが
歌以上のものになるんだから」とおっしゃってましたよね?

我が家には、その「たかが歌」に
日常生活に支障を来すくらい、ヤられてる人間がおりますが(笑)
カズオ・イシグロさんは、ノーベル賞記念講演で
「ロックスターを夢見る長髪の若者だった」と明かされ

「私はこれまで、幾つもの場面で
歌手の歌声から重要な教訓を学んで来ました
歌う時の人間の声は、底知れないほど複雑に絡み合った感情でも表現できるものです

歌詞から何かを感じた時、私は自分に『そう、これだ』と言います
『あの場面にこれを…これに近い何かを取り込まねば』と…
それは、言葉では表現しきれない感情ですが
歌手の歌声にはちゃんとあって
私は目指すべき何かを貰ったと感じます」と話されてました

甲斐さん絶賛の「日の名残り」は
いったん書き終えられたものの「何かが欠けていると思っていた時」に
トム・ウェイツの【ルビーズ・アームズ】…
「タフガイを貫いて来た男の『心が張り裂けそうだ』という叫び」
…をお聴きになって

主人公の「執事」…感情に壁を作り、自分自身を見せず
他人にも見せない…という人物像を
「物語の終わりに近いどこかで、一度だけ覆そう
まとった鎧に一筋のひび割れを起こさせよう」と考えられたらしい

ちなみに、イシグロさんは、このエピソードを披露された時
その【ルビーズ・アームズ】を「この場で歌ってみることも考えた」
と、おっしゃったんだとか…(笑)

余談ですが…「たかが服、されど服」という言葉について
鷲田清一さんは…「服はしょせんうわべだと人は言う
その人の現実を繕い、時に偽るものだと…
服ごときに人生の全てを注ぐのは愚かだとも…

が、服は人を支えもする
受け入れがたい現実を押し返すため
はねつけるためにも服はある
そうした抵抗、もしくは矜持を人はしばしばその装いに託す
服は、折れそうな心をまるでギプスのように支えてくれる
重要な装備でもあるのだ」…と説明されてます

人にこう見られたいという自己アピールの手段でもあれば
「勝負服」の如く、自分を鼓舞するために身に着けるものでもある訳で
「たかが」とおっしゃる方も、暗に「人は見た目じゃない」と
アピールなさっていることになるのかと思うと
「されど」と添えたくなりますね(笑)
コメント
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