今回の放送は、前日に甲斐バンドのライブベストが発売されたばかりだし
しかも、松藤さんとご一緒にツアー開幕直前の生放送とあって
いつも以上に楽しみになさっていた方も多いんじゃないでしょうか?(笑)
その甲斐さんの第一声は「なんとね『セイヤング』はですね
1969年6月に…まあ、スタートして
なんと、今月でね、50周年…50年を迎えると…今回、51年目に突入…
僕、あのー、1年間だけ、昔…あの、76年4月からですね
77年3月まで、えー、1年間やったことあるんですけど
タナアミさんってディレクターと全く合わなかったんで(笑)
すぐ『辞めてやる!』って巣立ったんで…(笑)
だって、俺を担当にした渡辺勲って人が
俺が担当になった瞬間、制作から外されたんだよ
まっ、実際は偉くなったんですけどね」
…と『セイヤング』に関する話題でしたが
この渡辺さんが、甲斐さんをパーソナリティに選ばれたのは
甲斐さんが、神田共立講堂のライブで
岩崎宏美さんの【ロマンス】を歌われたのをご覧になって
「あ、こんな『ミーハー』な面もあるのか」って思われたからなんですよね?(笑)
田家秀樹さんの「ポップコーンをほおばって」によれば
渡辺さんは元々、ミキサーとして文化放送に入社され
2年で制作に…という異例の配置替えとなり、歌謡番組を担当なさることに…
深夜放送に移られ「セイヤング」のディレクターになられたものの
甲斐さんに直接「Q出し」されることなく、編成部へ異動…
この点について、田家さんは…「甲斐よしひろのセイヤングは
純粋音楽番組というより、彼のキャラクターとトークを中心にした番組だった
渡辺勲は、洋楽志向の『音楽型』ディレクターだった
76年『洋楽』は、マーケットとしては、決して活発ではなかった
そのことが、彼が、自分で決めたパーソナリティに
Qを振ることなく去る原因になったとも言えるのかも知れない」と記されていて
甲斐さんの話されたような、いわゆる「昇進」とは
少しニュアンスが違う異動だったのかも知れませんね?
もっとも、3年後にまた制作に復帰なさったみたいですけど
某国営放送のディレクターの方といい
甲斐さんとラジオを結びつけられる方って
いわゆる「フツーの会社員」じゃない方が多いんじゃないかと…?(笑)
それはともかく…「そいで、その後に
タナアミさんって、アナウンサー出身の人が、まっ、ディレクターになって
その人が俺を選んだ訳じゃ、まっ、ないんだけど
あの…元アナウンサー出身だから
『語尾が…語尾がハッキリしないなー!』って
『バカヤロー!辞めてやる!』っていう…(笑)」と甲斐さん(笑)
ちなみに、さだまさしさんの「セイヤング」は
そのタナアミさんが、プロデューサーでいらしたらしいんですが
みのもんたさんとの対談で、当時の担当の方々の話が出た際
みのさんが「カミクラは、まだマシかも知れないけど
タナアミさんだとかね、ソノクラさんはもう酒と女とバクチ」
…と話されているのを読んで
「語尾がどうとか言うなよな!」と奥さんご立腹(苦笑)
って、40年以上前の話でしょうに…(笑)
ともあれ…「で、えー、まあ、そのあと2001年…2001年10月から
『セイヤング21』が開始しまして
まあ、そういう意味じゃ、18年ということですね
あと2年経ったら20年ですね
ちょうど来年がヤメ時ですか?19年…(笑)中途半端に気持ちワル~イ(笑)」
…と、おっしゃってましたが、奥さんは、毎週2時間の生放送が
1時間になり、ゲストありの30分番組になり
月イチ放送が隔月に、更には3ヶ月に1度の不定期放送になっても
やっぱり、甲斐さんのラジオ番組は続いて欲しいと思っているらしく
投稿数や番組改編の時期に気を揉むのも
ひとえに、かつてのセイヤングの「予告なし」最終回のショックや
サンスト終了後の、胸にぽっかり穴が空いた…というか
甲斐さんとの繋がりが切れてしまったみたいな空虚な気持ちを
もう味わいたくないからみたいです(苦笑)
まあ、デビュー20周年というのは、安定している感じがしてイヤだと
21年目にアニバーサリー的な活動をなさった「前科(笑)」がおありの方だし
19年目が「ヤメ時」との言葉が
「まんざら冗談に聴こえない」というのも、むべなるかなあと…(苦笑)
しかも、松藤さんとご一緒にツアー開幕直前の生放送とあって
いつも以上に楽しみになさっていた方も多いんじゃないでしょうか?(笑)
その甲斐さんの第一声は「なんとね『セイヤング』はですね
1969年6月に…まあ、スタートして
なんと、今月でね、50周年…50年を迎えると…今回、51年目に突入…
僕、あのー、1年間だけ、昔…あの、76年4月からですね
77年3月まで、えー、1年間やったことあるんですけど
タナアミさんってディレクターと全く合わなかったんで(笑)
すぐ『辞めてやる!』って巣立ったんで…(笑)
だって、俺を担当にした渡辺勲って人が
俺が担当になった瞬間、制作から外されたんだよ
まっ、実際は偉くなったんですけどね」
…と『セイヤング』に関する話題でしたが
この渡辺さんが、甲斐さんをパーソナリティに選ばれたのは
甲斐さんが、神田共立講堂のライブで
岩崎宏美さんの【ロマンス】を歌われたのをご覧になって
「あ、こんな『ミーハー』な面もあるのか」って思われたからなんですよね?(笑)
田家秀樹さんの「ポップコーンをほおばって」によれば
渡辺さんは元々、ミキサーとして文化放送に入社され
2年で制作に…という異例の配置替えとなり、歌謡番組を担当なさることに…
深夜放送に移られ「セイヤング」のディレクターになられたものの
甲斐さんに直接「Q出し」されることなく、編成部へ異動…
この点について、田家さんは…「甲斐よしひろのセイヤングは
純粋音楽番組というより、彼のキャラクターとトークを中心にした番組だった
渡辺勲は、洋楽志向の『音楽型』ディレクターだった
76年『洋楽』は、マーケットとしては、決して活発ではなかった
そのことが、彼が、自分で決めたパーソナリティに
Qを振ることなく去る原因になったとも言えるのかも知れない」と記されていて
甲斐さんの話されたような、いわゆる「昇進」とは
少しニュアンスが違う異動だったのかも知れませんね?
もっとも、3年後にまた制作に復帰なさったみたいですけど
某国営放送のディレクターの方といい
甲斐さんとラジオを結びつけられる方って
いわゆる「フツーの会社員」じゃない方が多いんじゃないかと…?(笑)
それはともかく…「そいで、その後に
タナアミさんって、アナウンサー出身の人が、まっ、ディレクターになって
その人が俺を選んだ訳じゃ、まっ、ないんだけど
あの…元アナウンサー出身だから
『語尾が…語尾がハッキリしないなー!』って
『バカヤロー!辞めてやる!』っていう…(笑)」と甲斐さん(笑)
ちなみに、さだまさしさんの「セイヤング」は
そのタナアミさんが、プロデューサーでいらしたらしいんですが
みのもんたさんとの対談で、当時の担当の方々の話が出た際
みのさんが「カミクラは、まだマシかも知れないけど
タナアミさんだとかね、ソノクラさんはもう酒と女とバクチ」
…と話されているのを読んで
「語尾がどうとか言うなよな!」と奥さんご立腹(苦笑)
って、40年以上前の話でしょうに…(笑)
ともあれ…「で、えー、まあ、そのあと2001年…2001年10月から
『セイヤング21』が開始しまして
まあ、そういう意味じゃ、18年ということですね
あと2年経ったら20年ですね
ちょうど来年がヤメ時ですか?19年…(笑)中途半端に気持ちワル~イ(笑)」
…と、おっしゃってましたが、奥さんは、毎週2時間の生放送が
1時間になり、ゲストありの30分番組になり
月イチ放送が隔月に、更には3ヶ月に1度の不定期放送になっても
やっぱり、甲斐さんのラジオ番組は続いて欲しいと思っているらしく
投稿数や番組改編の時期に気を揉むのも
ひとえに、かつてのセイヤングの「予告なし」最終回のショックや
サンスト終了後の、胸にぽっかり穴が空いた…というか
甲斐さんとの繋がりが切れてしまったみたいな空虚な気持ちを
もう味わいたくないからみたいです(苦笑)
まあ、デビュー20周年というのは、安定している感じがしてイヤだと
21年目にアニバーサリー的な活動をなさった「前科(笑)」がおありの方だし
19年目が「ヤメ時」との言葉が
「まんざら冗談に聴こえない」というのも、むべなるかなあと…(苦笑)