僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

 死 闘 PL学園対近大付属

2008年07月28日 | スポーツの話題

その瞬間、僕は「やったぁ」と叫ぶこともなく、パチパチパチと拍手をして小躍りすることもなく、ただ息を潜めてテレビの画面を見つめているだけだった。3時間半を超える熱闘の末、延長12回裏、近大付属高校が、PL学園をサヨナラ勝ちで破り、15年ぶりの甲子園出場を決めたその瞬間である。

第90回全国高校野球選手権の南大阪大会決勝戦は、昨日午後1時に始まった。
前日、北大阪大会決勝では大阪桐陰が甲子園出場を決めていた。

僕は1時から中継されるテレビの前で、ほんの少し緊張していた。
南大阪大会の決勝戦は、PL学園と近大付属高校との対戦である。

僕の住む藤井寺から近く、同じ私鉄沿線にある富田林市のPL学園は、周知のとおり高校野球では一番と言っていい有名校であり、僕たちの誇りであった。今年4月に桑田が引退したときには、PL学園の思い出をこのブログに書いたこともある。
         
http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/24b8cd9a3493fed96c5328bb33fc1712

その有名校のPLも、ここ数年、甲子園出場から遠ざかっていた。
「やっぱり、大阪代表はPLやないとなぁ…。相手への威圧感が違うわ」
そんなことを思いつつ、今年の予選結果をずっと新聞で追っていた。
そして、PLは、清原以来という1年生の4番打者勧野を擁し、決勝まで勝ち上がってきたのである。当然、決勝戦はPLを応援したいところである。ところが…

PLの対戦相手である近畿大学付属高校は、僕の母校であった。

きょうだけは、PLを応援するわけにはいかなかった。
ぜひ近大付に甲子園に行ってもらいたい。
もう14年間も夏の甲子園には行っていないのだ。

近大付の生徒だった3年間、野球部を応援し続けた。僕のクラスに野球部員が大勢いたので、予選になると球場へ行き、みんなで応援した。しかし近大付はいつもPL学園に敗れ、宿願を果たせなかった。それが、ついに甲子園に初出場を果たしたのは、僕が卒業した時の、4月の選抜大会であった。僕はなりたてほやほやの卒業生OBとして、甲子園に応援に行った。

遠い昔を思い出しながら、胸を締め付けられるような気持ちでテレビを見た。
甲子園出場をかけた大一番で、PLと近大付が激突する…。
まさか今年、近大付がここまで健闘するとは思わなかった。決勝戦で強豪PLを破って甲子園への栄光を射止める…という確率は、きわめて低い。下手をすればボロ負けするかも知れない。そんな思いを抱いて、テレビ画面を凝視していた。

初回、いきなり近大付が先制点を取ったときも、「スミイチ」という言葉がすぐに浮かんだ。1点くらい、PL打線にすぐにひっくり返されてしまうであろう。

案の定、3回に「清原2世」1年生の勧野に本塁打を打たれるなどして3点を取られ、あっさり逆転された。しかし5回に1点を返したときは「おぉっ」と思った。
大敗は免れるかも知れない、という程度だったが…。

7回にPLはタイムリーを連ね3点を取った。6対2。4点差がついた。
8回裏、4点を追う近大付の攻撃。この時点で僕はほとんどあきらめていた。
PLの選手にも「よっしゃ、勝ったぞ」という心の隙があったのかもしれない。
8回裏に、近大付は3点を返したのである。まさか…1点差への追い上げ。
テレビの前に寝転んでいた僕は、身体を起こして背中を伸ばした。

目の前の展開が信じられなかった。
9回裏、近大付は怖ろしい粘りを発揮して、一死満塁と攻め立てた。
しかし、ここで打者は当たりそこないの三塁ゴロ。
うぅ~、三塁ランナー封殺…と思ったら三塁手がボールをお手玉した。
どたん場で、ついに同点に追いついた。
一気に逆転サヨナラ機を迎えたが、ここはPLの投手に抑えられて延長戦。

う~ん。ピンチの後にチャンスありだ。PLは延長10回の表に二死から1点を挙げた。しかし10回裏の近大付もまだまだ粘る。無死1、2塁のチャンス。だが、ここで強攻策が裏目に出て、ダブルプレーで二死3塁となった。「なんでバントで送らなかったのだぁ!」と、僕はテレビに向かって叫んだ。もうダメ、と思っていたら、次の打者の打球が、ライトのラインギリギリのところへ落ちてまた同点に追いついた。もう僕は独り言を叫ぶのにも疲れ、深呼吸しながらそのシーンを見つめていた。

11回は両軍無得点。
12回表もPLは0点に終わった。
12回裏に、最後のドラマが待っていた。
一死2塁で、近大付のバッターが相手ピッチャーの足元へゴロを放った。
ピッチャーはそれを取り逃がす。
球はセカンドベース付近へ転がり、遊撃手がつかんで一塁めがけてびゅ~んと投げた。だが、非情にもそのボールは大きく逸れて一塁手に届かず、ファウルグラウンドに転々ところがっていった。その間に、近大付の二塁ランナーが三塁ベースを蹴り、ホームに走りこんだ。

歓喜に飛び跳ねて抱き合う近大付の選手たち。
グラウンドに泣き伏せるPLの選手たち。
あまりにも残酷な明暗に心が引けて、僕は喜びの声が出なかった。

8対7。延長12回、サヨナラ勝ち。
近大付が、PLを制して15年ぶりの甲子園出場を決めた瞬間だった。

    ………………………………………………………………

試合終了後、近大付の校歌が球場に鳴り響いた。
テレビ画面の下に出た歌詞は、僕にもなじみ深いものだった。
3年間、毎朝、学校での朝礼のときに、この校歌が流れ、日の丸と校旗がスルスル上がって行くのを、気をつけの姿勢で眺めていたのを、なつかしく思い出した。

 


 
 7月28日 朝日新聞大阪河内版
 

 

 

コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする