今朝のニュースで、大阪の高校生たちが新型インフルエンザに感染していたことが確認された…と報じられていた。わが国では初めてのことである。
ついに国内で感染者が出たということだが、この高校生たちは海外から帰国した空港内で感染が確認されたもので、日本国内で感染したものではない。やっぱりこの時期の海外旅行や研修は要注意だ。とくに米大陸の諸国は怖い。今回のこの人たちは、カナダのオンタリオ州に滞在していたという。
カナダのオンタリオ州といえば、今年1月に行って来たばかりである。
それも、厳寒のナイアガラなどへ行って、ぶるぶる震えながらの旅だった。
シーズン・オフなので、見所も少なく、閉鎖していたところも多かった。
「こんなことなら、どうせ4月から退職して暇になるのだから、4月か5月の気候のいいときに来たほうが、ずっとよかったよねぇ」
同行の妻たちと、そんなことを言い合ったものである。
だから、成り行き次第では僕らもこの時期にカナダへ行っていたかも知れない。おまけにアメリカのデトロイトで乗り換える便、というのも同じである。
そう思うと、ちょっと背筋が寒くなる。
まあ、寒い1月でも何でも、早く行っておいてよかったんだなぁ…と思う。
まったく、人生は一寸先は闇だというが、本当に何が起こるかわからない。
だいたい、これまで僕は、海外旅行を予定すると、何かしらアクシデントが起きる…ということが多かったように思う。
僕にとって、初めての海外旅行だったニューヨークシティマラソンへの参加は1983年10月であったが、飛行機は大阪からソウルで乗り換え、そして大韓航空でアラスカ経由のニューヨーク行きの便であった。その1ヶ月前の9月1日、それと全く同じ大韓航空の便が、ソ連戦闘機のミサイルで撃墜され、大きな国際問題になっていた。
「撃ち落されたあれと、おんなじ飛行機に乗っていくねん」
と言ったら、うちの母親が、
「あんた、そんな飛行機に乗って大丈夫か」と していた。
1995年は秋にパリへ旅行したが、この直前にヨーロッパではテロ騒ぎがあり、パリの街の中は、僕たちの旅行中、街のどこもかしこも警察官や軍隊(?)だらけで、ルーブル美術館やベルサイユ宮殿などは言うに及ばず、ちょっとした本屋に入ろうとするだけでも、厳重な荷物検査などが行われ、うんざりした。おまけに、ゴミ箱を置いておくと爆弾を仕掛けられる恐れがあるということで、街の中のすべてのゴミ箱が撤去され、パリの街はゴミだらけであった。
2001年の10月には、妻と2人でニューヨークへ行く計画を立てた。旅行社に代金を支払い終えたあとで、あの同時多発テロが起きた、僕たちは仕方なく、急きょ行く先をスペインに変更した。しかしスペインはアメリカの同盟国であり、アメリカ・英国に次ぐ危険な国だと後から知った。しかも、マドリッドで滞在したホテルは、最も危ないといわれていたアメリカ大使館の真ん前だった。(旅行社も、もっとちゃんとしてくれぇ)
2003年には、クイズに当たってハワイへ行くことになった。
ゴールデンウィーク直前の4月だった。
しかし行こうと思った矢先に「SARS」騒動が起きた。
このときは、マウイ島とオアフ島に行ったわけだが、入国審査のチェックの厳しかったこと、厳しかったこと。それに、飛行機の中でも、自分の健康状態に関するカードを、細かく書かされたことを覚えている。
思えば、何かそういう運の悪いときに旅行がぶつかってしまうことが多かった。今回、この時期にカナダ旅行をする可能性もあったことを考えると、どうやら、そういう悪いめぐり合わせからはひとまず解放されたのかな、と思う。
しかし、この新型インフルエンザ騒ぎは、いつまで続くのであろうか。
今回は「震源地」のメキシコを中心に、アメリカ、カナダなどの北米から、昨日はアルゼンチンなどの南米にまで、多くの感染者広がっていることが報じられていた。アルゼンチンなぁ…。
9月に、アルゼンチンに行く予定である。
観光だけではなく、首都のブエノスアイレスでレストランのシェフをしている甥に会いに行く。しかし今のままだったら、とても行ける状態ではない。
まあ、まだ4ヶ月も先のことだし…。
それまでには、完全に収束してくれるとは思いますけどね~
頼んまっせ、ほんまに