タニタの体重計を買ったとき、シュレッダーも一緒に買った。
これも以前から買おう買おうと思っていたものである。長い年月の間に、わが家に溜まり溜まったったさまざまな書類や写真などを処分するためだ。
これを“導入”して、最近の僕たち夫婦の課題である身辺整理を加速させよう…という算段である。
ところで来月には、結婚してまる42年になる。何とまぁ早いことだ。42年なんて…気の遠くなるような歳月だ。ウソだろっ、と叫びたくなる。
で、その間、家の中にはいろいろなものがいっぱい溜まってきた。ほとんどが不要といえば不要なものである。この「不要といえば不要…」がクセものなのだ。つまり、たぶん要らないモノなのだけれど、何となく捨てかねている。もう使うこともないのに、ポイと捨てるふんぎりがつかない…
そういうものが(どこの家もそうだろうけど)僕たち夫婦の身のまわりにいっぱいある。
しかし、いつまでもそういうものを置いておくわけにもいかない。衣類や書籍などはわりに処分しやすいけれど(それでも未練がましく置いているものもありますが)「思い出の品」となると、やはりためらってしまう。
たとえば僕の、子どもの頃の通知簿や、何十年も前の日記やメモ、手帳、新聞・雑誌の切り抜き帳、さらには息子たちの幼稚園や小学生時代の通知簿、作文帳やお絵かき、紙の工作物などが、押入れの上のほうに紙袋に詰め込んでギッシリ並んでいる。息子たちも今は当然独立して、日々の生活に追われている。こういう「思い出の品」にはさして関心がないようなので、卒業証書や卒業アルバムのようなものだけを残し、あとは処分することにした。(面白そうなものはデジカメで撮影して、パソコンに保存した)
また、妻も、わが家の家計やさまざまな書類の管理を一手に引き受けてくれているが、保管の必要のないものも多くなってきたのでそろそろ整理したい…と言っていたところでもある。
それと、最も判断に迷うのは、膨大な量の写真アルバムである。これも、僕たち夫婦や子供たちの写真が、小さい頃からず~っと、数十冊ものアルバムの中に貼られたままで、それが山のように積み重なっている。あまりに多いので、これも、いつまでもそのままにしておくわけにはいかない。
…ということで、そこからどうしても残しておきたい写真だけ選び、それ以外の写真は、他の書類とともにシュレッダーにかけた。妻はこの1ヶ月間ほど、家事の合間にせっせと写真整理作業を続け、最近ようやく「完了」したようだ。
捨てる前に「こんな写真もあったよ」と、妻がいろんな写真を僕に見せてくれたけれど、忘れているものもあればよく覚えているのもある。確かに写真は懐かしく貴重なものだけど、しかし枚数が何千枚もあるのだから多すぎる。僕たちが2人とも死んだ後、息子たちがこれを重宝するかどうか疑問だ。今のうちに整理するべきなのだ。そろそろそういう時期が来ている…という自覚が、僕たち夫婦にも芽生えてきたわけだ(デジカメ時代になってから、パソコン内にある膨大な写真群もなんとか整理しなきゃ~ね)。
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最近よく聞く言葉に「断捨離」というのがある。そのコンセプトは…
モノへの執着を捨てて、身の周りをキレイにするだけでなく、心もストレスから解放されてスッキリする。必要もないもの、使わないものを手放すことで、本当に必要なもの、本当に価値のあるものが浮かび上がってくる。
ということだそうである。よ~く、わかる。
新聞の本の宣伝欄などを見ていると、
「シニアの生活整理術」…老後を見つめて自分と対話。とか、
「終(しま)い支度」…上手にものを手放す方法。とか、
「エンディングノート」…延命治療や葬儀、家や貯金のことなどを記しておくとひと安心。とか…
そういうものが、やたらに目につく。
「身辺整理」は、熟年世代でブームになっているようだ。
僕も正直な話、最近そういうものに無関心ではいられなくなってきた。
タニタの体重計で毎日、体脂肪や筋肉量、骨量、基礎代謝量などをはかって健康維持につとめながら、一方では、「その時」に備えて、身辺整理をぼちぼちとやり始めている僕たちなのである。