先日、朝日新聞の「声」の欄に、19歳の女性のこんな投稿がありました。
つき合っている彼がいるのだけれど、彼は2人で道を歩くとき、いつも自分をかばうように車道側を歩く。そして、食事などの代金はすべて支払ってくれる。うれしい気持もある反面、なぜ自分が守られてばかりなのかと思い、彼に見下されているような気持にもなる…
…というような内容でした。
そして今日の「声」の欄に、その投稿に対しての賛成、反対の両方の意見が掲載されていました。
まあ女性もいろいろ、男性もいろいろですから、この19歳の女性のように感じる人もいるのは特に不思議なことではないかも知れないし、男性が無意識のうちに「男性上位」の思いを抱いていた…ということがあったのかも知れません。
でも僕は、相手の男性が彼女を見下しているとは思えないんですよね。彼女への愛情や優しさが、そのまま行動に出ているだけ、というように感じるわけです。それはなぜかというと、ま、むずかしい話は別として、自分の若い頃のことを思い出すからです。
……………………………………………………………………
僕は大学生の時に今の妻と知り合いました。その時、妻はすでに社会人でした。夜間の速記学校で知り合ったのですが、その帰りに毎日のように喫茶店に寄って遅くまで話し込んだものです。そのときは、ほとんど妻がお金を払ってくれました。そんな時、僕は「守られている」とか「見下されている」な~んて、絶対に思いませんでしたものね(男女があべこべになってますが → 笑)。
その後、大学の卒業式直前に結婚式を挙げ、僕は、とある小さな和楽器店に就職しました。しかしすぐに転職を決め、妻の勧めで公務員になろうと思い、6月には和楽器店を退職しました。わずか3ヵ月ほどの就職でした。
そして家でぶらぶらしながらチャンスを待っていたら、7月のある日、新聞の求人欄に小さく「松原市職員募集」というのを見つけました。中途採用の職員募集でした。あの頃は市役所も人手不足だったんでしょうか。
当時僕たちが住んでいた柏原市から、松原市はそう遠くないので受けることにしました。そして8月に合格通知をもらい、その月から松原の市職員としてスタートしたわけです。
で、前職場を6月に辞めてから、8月下旬に市役所に勤め始めるまでの約2か月間、妻は働いていましたが、僕は家で、家事も何もせず、ぶらぶらしていました。つまり養ってもらっていたわけ。
ごく一時期ですが、そんな生活もあったのですが、それでも僕は「なぜ自分は守られなければならないのか」な~んて、むろん考えなかったし、見下されるなんてこと、思いもしていません。第一、妻はそういう人ではなかったですしね。
…という経験談なのですが、
なんだか…
冒頭の話とはちょっと意味が違ってきていますか?
そうそう。全然別の話になっちゃっているみたいですね~
「あのなぁ、それはあんたの場合、ただのヒモやがな」
という声が、どこからか聞えてきそうです。
そうですね。ヒモでしたね。
ヒモ…
う~ん、懐かしい言葉ですねぇ。
それで、ヒモが、
「なぜ自分は守られてばかりなのか? 見下されているのか?」
な~んて疑問を、持つわけありませんわね。
しかしまあ、こう言ってはナンですが、
ヒモの生活も、なかなかええもんでっせ~。
…と、どうも品性に欠けるオチでした。
まことに申し訳ございません。
厳粛に、厳粛に、厳粛に受け止めたいと思います。
(ここ、稲田防衛大臣の真似です)