先日、テレビで北海道の知床半島が映し出されていたのを見て、忘れられない光景がよみがえってきました。もう50年も経つというのに、昨日のことのように覚えている風景と出来事。そして出会いと別れ。
20歳の時の自転車旅行中のことです。
日本最北端の宗谷岬へ到達したあと、オホーツク海沿いを走って数日後、網走へ着いた。網走市内に高校時代の恩師の奥さんの実家があり、そこで何泊かお世話になっていたときのことです。
「せっかくだから、知床を見に行きなさいよ」
と、家族の方に勧められたので、僕は一人で日帰りの知床見物に出かけたのだった。網走から列車に乗り、斜里まで行ってそこからウトロ行きのバスに乗り換えた。バスは満員で、補助席までぎっしりお客で埋まっていた。窓の外には馬鈴薯の花が真っ白に咲き乱れていた。
バスに揺られること1時間20分でウトロへ着いた。そこから僕が乗るのは遊覧船「はまなす号」。知床岬まで行って戻って来るコースだ。
ウトロから知床岬の突端まで行って戻るコース。
船に乗る直前に、僕は一人の女の子と出会った。森繁久弥の「知床旅情」の歌碑の前で僕がじゃがいもの天ぷらを立ち食いしていたとき、
「それ、おいしいですか?」と彼女が聞いてきたのだ。
「はぁ、おいしいです」と僕。
「知床旅情」の歌碑の前で。
それがきっかけで、彼女に頼んで歌碑をバックに写真を撮ってもらい、そのままいっしょに「はまなす号」に乗り込んだ。船では彼女と並んで座り、ほとんど黙ったまま知床半島の断崖と波しぶきの景観を眺めていた。勇壮で圧倒的な眺めだった。断崖の絶壁から滝がひゅーんという感じで流れ落ちている。野鳥の群れ、洞窟、ゴジラ岩、タコ岩、獅子岩…
7月なのに風が冷たい。「はまなす号」は知床岬まで行き、Uターンしてまたウトロに向かった。「これからはもう、同じ景色だもんね」と、何か言い訳でもするように、僕はポツリポツリと彼女に話しかけ始めた。
彼女は神奈川県川崎市に住む大学2年生だという。僕より1学年下である。友だちと旅行していたが、今朝、連れの女性が先に帰り、自分1人が北海道に残って生まれて初めての1人旅がこれから始まるところだ、と言って目をキラキラと輝かせた。船がウトロに着くまでの間、僕らはず~っと、とりとめのない話に興じた。お互いの名前と住所も交換し合った。彼女は、和知律子さんといった。
僕が撮った律子さんの写真です。
向こうに知床半島が見えています。
ウトロに着いて船から下りると、今夜の泊まりはこのウトロに決めていると言う彼女だったけれど、「でも、まだ宿が決まっていないんですよ」と少し戸惑った表情を見せた。「ならいっしょに宿を探してあげる」と、2人で船着場近くの旅館案内所へ行き、女の子が一人でも安全そうな一軒の宿の予約をした。
そこで、ふと腕時計を見て僕は青ざめた。
「わっ、バスが出る時間や!」
このバスに乗り遅れると、網走にはまともな時間に戻れない。
バス停に向かって走り出した僕を、彼女があとから追いかけてくる。
ハァハァ、フーフー、と2人とも息切れ状態。
やがてバスが見えた。今にも出発しそうな気配だ。僕は短距離走の選手がゴールへ飛び込むような猛烈な勢いで突っ走り、バスに飛び乗った。
間一髪、セーフ!
彼女も息を弾ませながらここまで走ってついてきてくれた。
さて、
ここでバスの扉が閉まり、僕は彼女に手を振り、彼女も僕に手を振りながら、映画のラストシーンのような粋な別れ…というはずだったが、なぜかバスはエンジンがかかったまま、扉も開いたままで、一向に出発する気配がない。
彼女は外。僕はバスの中の乗降口。お互いに見つめ合って立っている。バスには大勢のお客がいたが、みんなこちらを見ているような気がする。
何度も何度も、「じゃ…」「…気をつけて」とお互いに繰り返すが、バスはまだ出ない。あぁ、なんという間の悪さ。
「あのぉ」
いたたまれなくなった僕は、彼女に、もう見送りはいいから早く宿へ行くように、と言った。彼女も「はい」とうなずき、宿へ向かって歩き始めた。何回かこちらをふり返り、手を振る彼女の姿を見ながら、僕はいつの間にかボーっとしてしまい、いつバスが出たのかも気がつかなかった。
網走に戻ると、
「おかえり。どう、知床はよかったでしょ?」
と、ご家族が温かく迎えてくれた。
この日の夜、アポロ11号が人類で初めて月面着陸に成功した瞬間のテレビ中継を、その方たちといっしょに見た。
1969年(昭和44年)7月21日のことだった。
律子さんから、
「帰りはぜひ川崎市に寄ってくださいね」
と言われたのに、結局行かなかった。東京へは行ったのだが、いろいろな事情があって、東京から房総半島へまわり、そこからフェリーで三浦半島まで渡り、そのまま箱根の方へ向かうというコースをたどったのだ。だから律子さんとは、そのあと一度も会うことはなかった。
あれから50年余。
最近、コロナ禍で家にいる時間が長くなり、昔の日記や手紙を整理することが多くなったけれど、「自転車旅行」のファイルの中からその律子さんの手紙が出てきた時は驚いた。と同時に、胸がときめいた。
大きいめの原稿用紙に書かれた手紙。
無事帰阪とのこと、安心しました。川崎に寄ってくれると思っていました。知床では宿を捜していただきありがとうございました。客は私ひとりで、ちょっと寂しかったけれど、夕方、ウトロの丘に登ってすばらしい夕暮れをみて、ロマンチックな気分にひたることができました。
という書き出しから始まる手紙。
あぁやっぱりあの時、神奈川県川崎市の律子さんのおうちに寄っておいたらよかったなぁ、なんて今ごろ思った僕です(遅すぎるわ)。
さて、これは手紙の2枚目です。
私も男の子だったら、自転車で日本一周してやるのにな。
残念です。
また暇がありましたら、お便りください。
乱筆乱文にて、失礼します。
律子
今も川崎市か、その近くにお住まいなのか。
この歳になっても、まだ胸がときめきます。
モミィが聞いたら、ゲラゲラ笑うでしょうけど。
いつも楽しい日記をありがとうございます。
長旅をしているとこうした出会い、ありますよねぇ。
そして、この歳になっても忘れられない
富山のあの子、神戸のあの子、35年も前ですがお手紙は捨てずにとってあります。
そして私は札幌のあの子と結婚しました。
だから、出会いがあると、忘れられない思い出になります。
BPSさんは、「札幌のあの子」と結婚された!
う~ん。素敵ですよね~
僕も、自分のことを言ってなんですが、知床のこの子、
そして福島県いわき市のあの子、東京の青山学院大学のあの子、
さらに、新潟のエミちゃん(…って、実は男性でしたけど。あはは)
おっしゃるように、長旅をしていると、こうした出会いがあるんですよね~
若い頃の旅は、人生に大きな影響を与えますね。
先程、違うところから、コメントしましたので、再コメントさせていただきます。私もその夏、北大とのサッカーの定期戦のあと、均一周遊券を利用して北海道を一人旅しました。律子さんとはえりも岬の観光バスで隣同士になり、支笏湖の手前のJRの駅までご一緒し、支笏湖は行ったことがあったので、その駅で別れました。JRの長い時間、何を話したか全く覚えておりません。彼女は知床でのんさんと知り合った後、襟裳岬を訪ねたのですね。私の知人が京都の和知町に住んでいたこと、当時プロボイラーの中山律子さんのファンだったので、名前は鮮明に覚えていますし、写真をみて思い出しました。偶然、このコラムを目にし、懐かしいです。彼女は今元気にしておられるのしょうか?
思いも寄らないコメントをいただき、大変驚いています。
あの夏、北海道で律子さんと会われたとは! 律子さんはあれから襟裳岬へ行かれたのですか。そしてMonさんと観光バスで隣同士になり、いろいろとお話されたのですね。そしてまた、僕のブログをお読みいただいてそれを知らせてくださったという、こんな奇跡みたいな偶然ってあるんですね。本当にびっくりしました。
ブログに書きましたように、律子さんからお手紙はいただいていますが、それきり連絡は交わしていません。当時のご住所はわかりますが、今もそこにおられるかどうかはわかりませんしね。
僕が川崎市の近くに住んでいたら、当時の律子さんのご住所の場所を訪ねてみるのも面白いかな~と思ったりしています。きっとお元気にされていることでしょう。
Monさんは当時は仙台の学生さんだったのですね。
そして長年勤められた後、今また仙台にお住まいとのこと。
そして今もお忙しくされているんですね。充実した毎日を送られているご様子、何よりです。
仙台は僕が最も好きな街のひとつで、いろいろと思い出の深いところです。
あの自転車旅行でも、北海道を走り終えたあと本州に入り、国道4号線を走って仙台にも行きました。あれが初めての仙台でした。
それにしても律子さんとお会いされた方からコメントをいただけるとは思ってもみなかったです。
本当に不思議なご縁です。
また、このブログに遊びに来て下さいね。ありがとうございました。
何度もお返事いただきありがとうござました。若い頃を思い出し、懐かしいひと時でした。彼女とは、のんさんのようなロマンチックな別れでなく、”お元気で!”と言えなかったことを今は悔やんでいます。彼女が幸福な人生をおくられたのか、今も元気にしておおられたのか、時々ぼんやり考えます。年を取るとはこういうことなのですね。
のんさんのブログは、文才のない私には書けないような上手で、面白いブログなので、これからも、時々、訪問させていただきます。今後ともよろしくお願いします。
Monさん。お礼を言うのはこちらのほうです。ありがとうございます。
あの、自分の人生にとって生涯忘れられない自転車旅行での懐かしい知床での思い出が、まさか、このブログを読んでいただいた方とつながるとは、いまだに信じられない思いです。
美空ひばりさんの愛燦燦(あいさんさん)」の歌詞、
「人生って 不思議なものですね~」
という一節が思い浮かびます。
これからもよろしくお願いしますね~
Monです、大変、申し訳ないのですが、このコメント欄を個人的に利用させていただきます。
律子さん、このブログを見ていられることを祈って、記させいただきます。
元気にされていると思います。のんさんのブログを偶然見て律子さんのことをなつかしく思いました。私は、52年前、旅先で律子さんと襟裳岬から支笏湖までご一緒した者です。8年前に会社を定年退職し、その翌月から母校に奉職し、現在、仙台に住んでおります。先月、実家で終活の準備を始めたところ、律子さんからの手紙の中にお借りしたまま、返却しなかった物が見つかり、慌てています。処分してくださいと言われるかもしれませんが、自分で処分するのは気が引けるので、ぜひお返ししたいと思っております。送り先を連絡していただけないでしょうか。自宅住所を教えたくない場合は、郵便局留め、職場あて等で十分です。お手数ですが、私への連絡先は、以下から検索していただき、そこに記されたアドレスへメールか手紙で連絡していただければ光栄に存じます。(律子さんがこのブログを見ておられない可能性の方が高いので、もし、律子さんのお知り合いも方がおられたら、律子さんに連絡していただければ幸いです)
①PCかスマフォで、OOOO(私の名前:忘れておられたらこのコメントらに連絡をください)、oo大学(私の卒業大学)
②いくつか表示されている中のOO研究室と書かれたホームページを選んでください。
③50数名の在籍者リストが表示されます。その中の私のところにメールアドレスが記載されています。
④あるいは、そのホームページの最終ページの一番下に所属研究室の住所と電話番号が記されています。
以上、よろしくお願いします