「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

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消えてしまった記事について その5

2020-10-15 07:30:00 | 日記
🌟2019.6.9 真珠島の弁天の話 その3



前々回に記事にした通りの話だったのだと思いました。

真珠島の弁天が言っていた「玉」とは、今は竹生島にある面向不背の玉(めんこうふはいのたま)』のことですね。


真珠島を改めて調べてみました。

大正時代から、埋め立ては始まっていたようで、今は陸地の奥にあることが、地図を見てよくわかりました。


私が住んでいる横浜も、埋め立てで出来ているので、
どちらも同じようなことだとは思いますね。

続きです。


龍の飾りがあることで、行けなかったのです。

守っていたのは、とんでもない欲の塊でした。

○○家(Nさんの旧姓)の人のではありません。

栄えている人には、妬みの念が集まるのです。

妬みの念は、龍の飾りに集まっていました。

だから、捨てて良かったのです。

N(ミミさん)には、シドの神が就いていました。

シドの神は、○○家の守り神だったからです。

玄関にあった龍の飾りのせいで、シドの神は行けなくなっていたのです。

だから、残念なことでした。

真珠島の弁天は、今もいます。

Nが来てくれて、嬉しかったです。

シドの神も、M子さんと話せてトンカツ嬉しかったと言っていました。

「肩の荷」が下りたと思います。

Nを助けてくれてありがとうございます。

シドの神が話したいと言っています。



彼女と会えたのは、周りの神様達のお陰様だったのだなと、今感じています。

そして、シドの神が話してきました。



シドの神だ。

ありがとう。

隅田川サイダー(トーキョーサイダー)飲みたかったから、嬉しかったよ。

私は、真珠島の弁天のところにも行ってくれたのが、嬉しかった。

真珠島は、昔、志度の宝だったからな。

埋め立ててしまったから、仕方ないが、、、

らーーーーかーーーーんーーーー(羅漢)になったよ。

Nと会ってくれて、ありがとう。

タイミングが良かったな。

あんなことは普通ないので、小田和正が呼んでくれて良かったよ。

小田和正の声は、人の琴線に触れるように出来ているので、涙が出るのだよ。

神が与えた声だな。

本人の努力の賜物だけどな。

魂の声だから、まだがんばるだろう。

Nを頼むよ。

四国に来てくれよ。

いつでもいいからな。



確かに、シドの神が言っているように、小田和正さんのコンサートがなければ、私はNさんと会う話にはならなかったでしょう。

小田和正さんは、もちろんオフコースの時代から知っていますが、根強いファンが沢山いらっしゃるようで、Nさんもその1人だったのですね。


Iさんに、この話をすると、



俺は、小田さんのことは、若い時ちょっとバカにしていたんだけど、コンサートで、第一声で泣いてしまったんだよ。

やっぱり、スゴい人なんだね。

もう、70を越えてあの声はスゴいわ。

体鍛えてるからな。

ゴルファーになろうとしていたしな。



と、いう話をしていて、Nさんに言うと、当然ファンなので、よく知っていました。



Nさんからの📩


M子さま


520日に予定通り実家は明け渡しとなり、私は手伝いに行きませんでしたが夜遅くまでかかって荷物を運び出していたようです。


【中略】


小田さんのコンサートで地元以外のに行くことはこれまでほとんどなくて、去年からチケットがかつてないくらい取りづらくなったことと、実家のゴタゴタにある程度の目処が立ったので、自分へのご褒美として、行けそうなところや友達がいる県のチケット抽選には申し込んでいました。

夫は小田さんには興味ないのですが、生きてるうちに行けるところには行き、会いたい人には会っておきなさいと、家を空ける妻を快く送り出してくれ、心置きなく出かけられたことに感謝しかありません。

横浜、博多、四日市と、抽選に当たったのもありがたいご縁だったのかなぁと思います。神様が仰ったとおり、やはり小田さんが呼んでくれてるのかも。。


【中略】


先週の横浜から始まった小田旅で、一緒に行く中学の友人とは別の友人にも会えましたし、なによりM子さんに会えました。

博多では博多在住の友人に会い、その後、佐賀に移動して佐賀の友人にも会えました。

佐賀から別件の用があって大阪に移動し、滋賀の友人にも会えました。


【中略】


この旅で品川神社にも深川不動堂にも行けました。

カラツの神様の唐津神社にもお参りできましたし、竹生島にもご挨拶に行けました。

M子さんのブログで知った草場一壽さんの工房が佐賀にあり、そこにも行って陶彩画というものを初めて見ることができました。

草場さんの生家の古民家を改装してギャラリーにしているのですが、草場さんはこのおうちで龍を見たのだそうです。

工房には海の龍宮の絵が掛けてあって、海女の話を思い出していました。

そして、Nさんは、竹生島に行かれたことを詳しく伝えてくれました。



ミミさんの📩は、かなり割愛致しました。


この話が一年後に具体的になるとは、この時は全く思っていませんでした。



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