竹生島の階段をハァハァ言いながら昇って行くと、宝厳寺の本堂に着きました。
本堂の右側には、鮮やかな色の不動明王像がありました。
不動さんと言えば、K会長なのでK会長の言挙げ(ことあげ)をみんなで聞いていました。
丁度、時期的に梅の見頃だったのですね。
紅白の梅が咲き乱れていました。
本堂の右側には、鮮やかな色の不動明王像がありました。
不動さんと言えば、K会長なのでK会長の言挙げ(ことあげ)をみんなで聞いていました。
K会長も、私達と出会ってから、すっかり有動(ゆうどう)さんになりましたけどね。
本堂の中には、Iさんのブログにも出ていた「弁天様の幸せ願いダルマ」がありました。
沢山の願い事が詰まっている感じですね。
今回の旅のメインイベントは、「面向不背(めんこうふはい)の珠」を見るということでしたので、宝物殿にみんなで向かいました。
宝物殿の展示物はそれほど多くはありませんでしたが、弁財天像はかなり大きく立派でした。
撮影は禁止だったので、画像をお借りします。
奥の方に、「面向不背の珠」がありました。
ガラスケースの中にある物でしたが、みんなで近づいて行くと、珠の上の下がっている飾りが、ブルブルと震えるように動いているのが見えました。
地震かな?と思う程の揺れ方だったので、みんなで驚いて見ていました。
画像でははっきりわからないですが、ライトアップもしてあるので、四方どちらから見ても、釈迦三尊像が見えるようになっていて、金色に輝いていました。
私はぐるぐる回りながら見てみましたが、どうやって作っているのか、本当に不思議でした。
藤原不比等の時代ですから、1000年以上前の物ですからね。
これは、世阿弥の能楽「海士」の話に出てくるのです。
藤原房前(ふじわらふささき)は、自分の母親が
「讃岐の志度の浦で亡くなった海女(あま)である」と聞き、その追善のために志度を訪れます。
そこで知った伝説とは…
父の藤原不比等は、藤原氏二代目であり
後の藤原氏の繁栄の源を築いたやり手
唐の王の嫁に行った妹から授かった珠を
都へ帰る途中、龍神に奪われてしまいます。
取り返すために志度の浦に留まり
そこの海女と恋仲となり、子どもをもうけます。
「その子を藤原氏の跡取りとする」ことを約束すると
海女は龍神のもとへ珠を取返しに
深い海へと潜ります。
「玉の段」では、取り戻した珠を無くさぬように
海女は胸をかき切って、珠を納めました。
陸へ上がってきた時にはこと切れていた海女。
子を想う母の命懸けの冒険でした。
そこで知った伝説とは…
父の藤原不比等は、藤原氏二代目であり
後の藤原氏の繁栄の源を築いたやり手
唐の王の嫁に行った妹から授かった珠を
都へ帰る途中、龍神に奪われてしまいます。
取り返すために志度の浦に留まり
そこの海女と恋仲となり、子どもをもうけます。
「その子を藤原氏の跡取りとする」ことを約束すると
海女は龍神のもとへ珠を取返しに
深い海へと潜ります。
「玉の段」では、取り戻した珠を無くさぬように
海女は胸をかき切って、珠を納めました。
陸へ上がってきた時にはこと切れていた海女。
子を想う母の命懸けの冒険でした。
この話は、四国の志度の近くにお住まいのミミさんに出会わなければ、私は一生知らなかった話だったと思いますが、知ってからはずっと続きの話になっていて、まさかの1年後にこの場所に来ることになるとは思いませんでした。
🐶 真珠島の弁天の話
続きます。
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