「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

9月19日に その2

2022-10-17 07:30:00 | 日記
私は、9時半にやっと洲崎大神に着きました。

昔、この神社に近い場所が勤め先だったので、初詣に来たこともありましたし、春にはお花見に裏山に行ったことはありました。

それは、私がブログを始めるずっと前のことで、洲崎大神はとても鬱蒼とした場所で、何だか怖い印象しか残っていませんでした。

今は、以前に比べてはスッキリとはしていますが、それでも明るい印象の神社ではありませんね。




鳥居の前にある看板を見ると、源頼朝が1192年に千葉県の安房神社から勧請したとある通り歴史は古く、少し前に記事にした品川神社と同じような感じで、当時は本当に海の近くに建てられた神社であったようです。
横浜駅には近い場所とは思えない、古い町並みの中にひっそりとあります。





私は、1人で拝殿でご挨拶をしました。
少し前に来ていたIさんとコニャさんは、蚊の大群に襲われていたようでしたが、私は特にそういうこともありませんでした。


右側にある大きな木は御神木なのかと思いますが、社務所も地味な感じな神社です。

私は、権現山について調べていて、古い絵を見つけました。
権現山の下は、東海道の神奈川宿になるのですね。



権現山と書かれた山のところには、長い階段が描かれていて、ミクネの神(天之常立之神)が昔は山の上に神社があったと言っていた通りかなと思いました。

「かつこ内親王」の記事を検索すると、私が何人かの方と洲崎大神に行ったのは、7年前の2015年の4月29日で、「品川神社の会」の一周年記念でした。
品川神社に集まった後に、洲崎大神と裏山に行ったのですね。
やっぱり、権現山は大事な場所だったようです。

今は、この時より近しくなったSZさんが来てくれていて、彼女にも伝わっていた場所だとよくわかりました。

彼女が参加してくれた時に送ってくれた📩

洲崎神社は去年の9月1日に、まず龍口明神社に行って次に洲崎神社に行って次に品川神社に行ってと言われた気がして行って来ました。
ラインみたいですね。
洲崎にも塚があり獅子がいます。
スサノオ様がいらっしゃいました。


🐶 「品川神社の会」一周年記念 その4

https://nonahouse.blog.fc2.com/blog-entry-1366.html


さて、当日はIさんとコニャさんは、一足先に裏山の幸ヶ谷公園に行っていたので、私は坂道を登って後を追いました。

前日も台風のために雨だったし、この日も雨が降るかと思ったのですが、なんとか降らずにいたのは、ラッキーでした。

幸ヶ谷公園には、石が点在しているのですが、その一つの山のように見える石の上にIさんは何やらいろいろ並べていて、実は九州にいらっしゃるMさんと時間を合わせて、祝詞を挙げることになっていたのです。
それが、10時キッカリとのことだったので準備していたのですね。
英彦山を模したように砂を盛って、キミのような人形を前日に浅草でやっと見つけて置き、ガラスの龍神の背中には水晶の玉を乗せて、お酒とお水と、キミが欲しいと言っていた海苔巻きせんべいもちゃんと用意していました。



幸ヶ谷公園は、たまに人が散歩していましたが、ほぼ私達三人だけの感じだったので、しっかり祝詞を挙げることが出来て良かったです。

9月19日なので、彼岸花が咲いていましたが、なぜか白の彼岸花しかなかったです。


それと、一面に咲いていたのは、萩の花でした。



儀式は終わり、私達はIさんの車に乗って、臨港パークに向かいました。


続きます。


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9月19日に

2022-10-15 07:30:00 | 日記
私とIさんと奥さんのコニャさんで、9月18日から九州の博多に行こうとしていたのは、記事にしていた通りなのですが、突然生まれた台風14号の直撃で飛行機は欠航、新幹線も止まっている状態になり、私達は断念せざるを得ませんでした。

そして、福岡在住のSさんご夫妻は、時間を空けて待っていて下さったのですが、直前にキャンセルをするしかありませんでした。

そもそも、9月19日を指定していたのは、Iさんのお友達の神職のMさんだったので、IさんはMさんとどうしたらいいかを話していたようです。

Mさんは、お休みを取ってIさんご夫妻と19日に英彦山(ひこさん)に登る予定でいました。
私は、夫のこともあり一泊でギリギリだったので、山には登る予定にはしていませんでしたが、Sさんの情報で英彦山は改修工事で立ち入り禁止のところがあるようだとわかったので、Iさんには伝えていました。

改めて調べてみると、英彦山神宮の上宮社殿は148年ぶりの大工事で、今年2022,8,1から2025,12までの予定で立ち入り禁止になるとのことでした。





1991年の台風で被害を受けてから、お借りした写真で見る限り、かなりの傷み具合だとわかりますね。

Iさんからは、19日の前日にこちらで儀式の出来る場所を教えて欲しいと連絡があり、朝からミクネの神(天之常立之神)に聞いてみました。


私)福岡に行けないので、こちらで祝詞を挙げるのはどこでがいいですか?

祝詞を挙げるなら、洲崎神社だな。
洲崎神社の裏山がいいよ。
その後は、みなとみらいの臨港パークだな。


洲崎神社というのは、横浜駅の近くにある洲崎大神のことだとは、すぐにわかりました。
過去に何度か行っていましたから。
みなとみらいの臨港パークも行くように言われたことはあるので、Iさんには伝えていました。

なぜ、そこなのかを聞いてみると、


裏山は、かつて「ツカ」だったからだ。
権現山(ごんげんやま)と言われていた。
山の上に神社があったが、今はないな。
ずいぶん、小さくなってしまった。
洲崎神社の前まで、海だったからな。
臨港パークと言ったのは、宇宙の神に繋がるからだ。
「時の扉(とびら)」も、今年いっぱいは開いているからな。


権現山を調べてみると、今は「幸ヶ谷公園」となっている小高い丘ですが、以前はかなり高い山だったようで、神奈川台場のために削られてしまい、権現山城(1510年廃城)があったらしいですが、跡形もなくなっているのですね。
公園には桜の木が沢山あるので、春になるとお花見の名所になっています。


ミクネの神の次には、ツカヘイの娘のキミが話してきました。


キミです。

明日は横浜の山で祝詞を挙げる予定です。

リモートでやってくれるのですね。

何か欲しい物は、ありますか?

私が欲しいのは、海苔を巻いたせんべいです。

甘いお菓子ではないのですね。

甘いのも好きですが、明日はせんべいがほしいです。

しばらく帰って来ないのですか?

英彦山の宮が出来るまでは、天の龍神になっています。
世奈羅(よなら)の龍神が、話したいと言っています。


世奈羅の龍神です。
英彦山上宮の改修工事が終わるまでは、天にいます。

黒田長政様に就いていたのですか?

黒田長政様に就いていましたよ。
生きている時は。
九州の要(かなめ)でしたからね。
父の黒田官兵衛も、素晴らしい人でした。
黒田官兵衛は、五階層の神ですよ。
元々、神界から来ていましたからね。
英彦山には、4年後に戻ります。
座敷わらしのキミもですよ。


そして、ツカヘイも話してきました。


ツカヘイです。
淋しくなりますが、キミが大きくなるので楽しみです。

ツカヘイさんも、同じようだったのですか?

私も昔、一旦、天の龍神と一緒にいました。
龍神の背中に乗って、いろんなところに行きました。世界中。
世界は、広いですよ。


9月19日当日は、洲崎大神に朝の9時半に待ち合わせをしました。
私の家から、横浜駅までは意外と時間が掛かり、少し遅れそうだと、Iさんに伝えると、コニャさんと先に神社に挨拶をして、裏山にいるとのことでした。

台風は、この時点では静かな感じで、雨は止んでいて、良かったと思いました。


続きます。

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レムリアの神とツカヘイ一家の話

2022-10-13 07:30:00 | 日記
9月8日に、イギリスのエリザベス女王がお亡くなりになりました。
70年もの間、本当にお疲れ様だったと思います。
直前まで公務をしていたそうで、日本では大往生と言われる最後でしたね。
画像はお借りしましたが、この日は、イギリスのバッキンガム宮殿に虹が掛かったそうで、それも話題になりました。


9月10日に、朝からミクネの神(天之常立之神)が話してきました。


ミクネだ。
古代の神が話したいと言っているよ。


ということで、初めての神様が話してきました。


スモと言う。

スモですか?

「ス」は、伸ばすのだよ。

スーモですか?

そうだ。

古代の神様なのですか?

そうだ。
イギリスのエリザベスが、亡くなったな。

はい。

大きく時代は、変わるだろう。

そうなのですね。

頼りにしていたのだよ。
誰もがね。
ヨーロッパの重しになっていた。
重しになるようなところは、後は日本しかないだろう。
天皇制は、ずっと続いているからな。

スーモ様は、いつの時代の神様なのですか?

私はレムリアの神だよ。
M子と言うのだろう?
レムリアの神とも話していただろう。

はい。

ニジルとかだな。

そうですね。
海の底にいると言っていました。

そうだよ。
海の底にいる。
レムリアは、かつての文明だからな。
意識しか残っていないよ。
M子は、正確だと聞いた通りだな。
Iという人のところにも行ったよ。
わかったみたいだな。
レムリアのスーモだと教えてやってくれ。


「かつこ内親王」のブログを検索すると、2014,11,23の記事に、スーモが言っていたレムリアのニジルと話している記事がありました。
まだ、会っていなかった頃のIさんがコメントしていたのは、懐かしかったですね。


🐶 ニジルとホカラとハッカ


しばらく前の記事にあるように、私とIさんは、9月19日に合わせて福岡に行く計画を立てていました。

🐶 英彦山の話 その3


実際には台風14号の直撃を受けて、行くことは出来ませんでしたが。

英彦山(ひこさん)の龍神の天帰のために、座敷わらしのツカヘイの娘のキミが修行するということで、そのことを9月14日にツカヘイが話してきました。


ツカヘイです。
後、少しのところなのです。

何がですか?

継ぐ子になるには、修行があるので、キミはがんばっています。


キミです。
苦しいですが、がんばっています。


ヤスケです。
私は、継ぐ子は無理だと思うほどのことをしています。
キミにはがんばって欲しいです。


ハナです。
キミは、毎日ツカヘイさんに就いて、がんばっています。
世奈羅(ヨナラ)の龍神が話したいと言っています。


ツカヘイ一家の話でした。
世奈羅の龍神は、待っていると言っていましたが、台風のせいで私達は行くことは出来ませんでした。


9月15日には、リラ星のラズンが話してきました。


ラズンだ。
スーモが話していたな。
スゴいことだよ。
レムリアの神だからな。
星の神も、海の底の神も話せるのは不思議だな。
アストロンも話したいそうだよ。


そして、寒川神社にたまにいると言っていたアストロン(タセツの神)が、話してきました。


アストロンだ。
寒川神社の秋分の日のお守りを取りに行ってくれ。
「魂の会」のリーダー達に渡せばいいよ。


ということで、9月23日は、私は寒川神社に行きました。

その前に9月19日のお話です。


続きます。
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品川神社 その2

2022-10-11 07:30:00 | 日記
9月12日(月曜日)に、KGさんと品川神社に行ったのは、入院する前に奥さんが訳のわからないことを言っていたからでした。

KGさんは、一晩中話を聞いていたようですが、「キツネがいる」と奥さんは言っていたそうなのです。

それで、彼は私に連絡してきたのですね。

ミクネの神(天之常立之神)に聞くと、品川神社の阿那稲荷(あないなり)神社のキツネだと言っていたのです。

そして、阿那稲荷のキツネが話してきました。


阿那(稲荷)神社のキツネです。
いつも、品川神社に来てくれて、ありがとうございます。
M子さんが宣伝してくれたので、来る人が増えましたよ。
瀬田の龍神もいますしね。
KGの妻のところに行ったのは、見届けのためでした。
ウガノミタマ様に頼まれたのです。


ミクネの神は、阿那稲荷神社の水を取ってくればいいと言っていて、お酒の小瓶は水をいただくためでもありました。

まずは、阿那稲荷神社の上社でご挨拶しました。



赤い鳥居を降りながら、下社に。




そして、「一粒万倍(いちりゅうまんばい)の神水」をお酒の小瓶に入れました。



看板には、上社は「天」を下社は「地」をお祀りしていて、家に水は持ち帰り、四隅に撒くようにと書いてありました。

ミクネの神は、後は煮沸して飲めばいいと言っていて、KGさんには伝えました。

奥さんは、多分免疫力が落ちているので、すぐに病気になってしまうのだと思うので、そう言ってくれたのだと思います。

KGさんは、もちろん品川神社には初めてだったので、阿那稲荷神社の次には、奥にある板垣退助さんのお墓のところにも行きました。

途中の大きな楠木。



幹の下の方に、大きなキノコ。



板垣退助さんのお墓です。



2022,1,12の記事で、板垣退助さんのことは調べていました。
岐阜公園に行った時に、板垣退助の銅像があったのはどうしてかと思ったからですが、品川神社の看板にも、「板垣死すとも、自由は死なず」と言ったのは、岐阜遊説中と書いてありました。


その「板垣死すとも、自由は死なず」の石碑が佐藤栄作さんの書であります。



佐藤栄作さんは、安倍晋三さんの義理の大叔父さんに当たる方ですね。
私が子供の頃の総理大臣は佐藤栄作さんだったので良く覚えています。


品川神社では、最後に富士塚に登り、回りを見渡して、降りて行きました。
一番下の猿田彦神社。



下から階段を振り返ると、太陽が見えていました。



そして、新馬場の駅から、品川宿の商店街を少し散歩して北品川駅から帰路に着きました。
北品川の近くにレトロな履物店がありました。



店頭にあったサンダルを買おうと、店内に入ると、下駄や草履を鼻緒の組み合わせで作ってくれるようで、沢山の鼻緒が飾ってありました。
「丸屋履物店」というお店で、お店の人に聞いてみると、明治時代の前の慶応時代からの歴史のあるお店で、六代目の方が応対してくださいました。

KGさんの奥さんは、思いの外早く回復して、15日(木曜日)に退院することが出来て、気は抜けないとは思いますが、一安心したと連絡がありました。

訳のわからないことを言っていたのは、入院する前だけで、今は問題ないそうです。


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品川神社

2022-10-08 07:30:00 | 日記
セカヒロ「魂の会」の話を先にしましたが、英彦山(ひこさん)の話の前に先日記事にした「車の運転の話」に出てきた、私に運転を教えてくれているKGさんの話をしようと思います。


🐶 車の運転の話



KGさんと知り合いになったのは、ずいぶん前からのことですが、何年か前に急に連絡がきて、一緒に食事をした時から、一層親しくなりました。

その時、彼は病気のために手術をしたばかりで、同じ年代の私と話したかったのだと思います。

私は、話の流れで私の振り子の話をして、彼はそのままを受け入れてくれたことが大きかったのですが、話の大半は奥さんの話でした。

奥さんは、以前から病弱とは聞いていましたが、急性白血病になっていて骨髄移植もしていたのです。

KGさんと奥さんは、前世でも繋がりがあったようで、だから今も夫婦になっているみたいだと私が言うと、とても納得していたのですね。

KGさんのお母様に、奥さんは「彼を産んでくれてありがとうございます」と、手紙を書いていたそうで、とにかく愛し合っているご夫婦なのです。

私が車を買った話をしたのは今年の3月のことですが、この頃奥さんはお店の階段で転んで足を骨折してしまい、その入院中にコロナにも罹患してしまい、KGさんはあまりの心配で痩せてしまっていました。

車の運転を教えてもらう度に、

ところで、奥さんは大丈夫?

と聞くところから始まるのですが、実は奥さんのお母様も同居していて、介護状態のお母様も面倒を見ているとても偉い方なのです。

9月の始め頃に、その奥さんがまた具合が悪くなったのですね。
夜に何だか理解出来ない話を言い出したそうで、尋常ではないので、掛かり付けの病院に連れて行って入院かと思っていると、入院するほどではないと一旦家に帰ると、ますますおかしくなって、結局救急車で行くことになりやっぱり入院することになったのです。

この話についてミクネの神(天之常立之神)に聞いてみると、品川神社に行ったらいいと言われました。

私はしばらく品川神社に行っていなかったので、一緒に行くことを提案して、9月1日にIさんが丁度品川神社のことを記事にしていたので、KGさんにラインで送って、予習してもらっていました。


🐷 品川徒然



そして、二人で都合を合わせて9月12日(月曜日)の14:00に、待ち合わせて、品川神社の最寄り駅の新馬場に向かいました。

ミクネの神は、お酒を持って行くように言っていたので、私は小瓶のお酒を持って行きました。





品川神社は、私にとっては原点の神社です。

先日「魂の会」を開催して60人くらいの方々とお会いしたのですが、一番始めに企画したのが、私も行ったことがなかった品川神社だったからです。

その時に「かつこ内親王」のブログで募集して来てくれたのが、「蒼いとびら」を作ってくれたみこちゃん、今回もリーダーをしてくれたきょんぴいさん、そして、参加してくれたノブエさん、noteさん、ミワンちゃんだった訳で、こんなに長いお付き合いになるとは思いませんでした。
ありがたいことですね。


🐶 第一回 品川神社ツアー


初めて行った品川神社を思い出すと、今はかなりキレイになったと思います。
今回も、掃き清められた境内を歩いて左手のいつもセナの神(ニギハヤヒ)がいると言っていた植木を見て、拝殿でご挨拶しました。





お酒は、どうしたらいいかをミクネの神に聞いてみると、御嶽神社の狛犬の頭の穴に注ぐように言われて注ぎました。






続きます。

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