「ノナの家」nonahouseは かつこ内親王、かつこ内親王2の続きのブログです。

神様達の名前は、沢山出てきますが、宗教とは全く関係ありません。
mikunenona@gmail.com

緒畑稲荷神社

2024-05-15 07:30:00 | 日記
緒畑稲荷神社は、見晴らしの良い山の上の公園の奥にありました。

調べてみると、山王山(さんのうやま)という縄文の頃からの遺跡がある場所で、公園は千句塚(せんくづか)公園というらしいです。 
 



千句塚公園は、名古屋の町が一望出来る気持ちの良い公園でした。
3月だったので、キレイに花も咲いていました。

私達は、奥にある緒畑稲荷神社に向いました。



真新しい鳥居は、令和三年に荒熊神社から奉納された物でした。

以前に記事にしましたが、しばらく荒れてしまっていたのを、荒熊神社の信者さん達で掃除をしていたそうで、キレイにスッキリとしていました。


 
私が感動したのは、前回の記事に改めて再録した「小俣大明神」と書かれたお札が拝殿の真ん中にあったことでした。

現宮司様になった英勝さんにそのことを言うと、私の電話の後に、すぐに持っていかれたとのことでした。

拝殿を過ぎて後ろの階段を降りていく途中に洞穴のようになっている祠がありました。



KIさんが、

ここは、若い頃に清元さんが修行で籠もっていた場所だそうですよ。
蚊と戦いながらだったらしいです。

と、教えてくれました。

今年の3月1日で、御年99歳になられた元宮司様の清元さんが修行をしていたのは、60年も前のことだと思いますが、本当に大変な修行をしていたのだろうと想像出来る場所でした。

階段を降りて行くと、こちらが正面なのだろうという鳥居がありました。



これも、令和三年の荒熊神社からの奉納でした。

それにしても、大きなキツネさんですね。
いきなり見ると、ビックリしてしまうと思いますよ。


私達は、お仕事のギリギリまで案内してくださったKIさんに感謝して、それぞれに別れました。

まーさんご夫妻は、そのまま伊勢神宮に向けて旅の続きに行かれました。

みーららさんが車で送ってくれて、私とのぶえさんは名古屋駅から東京に帰りました。

1月にまーさんに言われなければ、こんなに濃い旅にならなかったと思います。


そして、旅に行く直前の3月4日に話したことです。

猿田彦が話してきました。


猿田彦だ。

荒熊神社に行くことは、多いのですか?

荒熊神社の山で、一服する時が多いよ。
息子と娘がいるからな。
玉姫は、(知多半島の)先端にいるからな。
重要な場所だったのだよ。


Iさんと私が初めて荒熊神社に行ったのは2016年10月1日でしたが、その時荒熊神社の後に行ったのは先端にある羽豆神社でした。

2016/10/22の記事の抜粋です。


🌟羽豆岬(はずみさき)は、愛知県知多郡南知多町にある岬。
知多半島の最南端に位置し、東側を三河湾、西側を伊勢湾に挟まれている。

岬にある明神山には羽豆神社が鎮座しており、社叢は国の天然記念物に指定されているほか、三河湾国定公園の特別保護地区となっている。


羽豆神社で、お参りにをした中に、小さな社が、少し離れてあって、そこには「玉姫」と、書かれてありました。


☆ 知多半島の話 その5



猿田彦は、この時も言っていましたが、荒熊の神は息子で玉姫は娘のようですよ。

玉姫は荒熊の神のお姉さんみたいです。


続きます。


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成海神社、緒畑稲荷神社

2024-05-12 07:30:00 | 日記
鳴海八幡宮の次に行ったのは、成海神社でした。

成海神社は、かなり駐車場も広くて立派な神社でした。




本殿に向かう途中に、沢山の赤いダルマさんがいました。
ダルマ塚と言うそうです。




その近くに周辺地図の看板がありました。




リフレッシュサロン「Le•Loop(リ•ループ)」は、KIさんのお店だとわかりました。
鳴海駅の構内にあるそうですよ。

成海神社の本殿で、ご挨拶しました。



🌟主祭神
日本武尊(やまとたけるのみこと)

🌟配祀
宮簀媛命(みやずひめのみこと)
建稲種命(たけいなだねのみこと)

宮簀媛命

尾張国造の乎止与命と真敷刀俾命の子で、日本武尊の后の一人。
伊吹山に赴く日本武尊から草薙剣を預かり、後に熱田神宮を創祀した。

建稲種命

宮簀媛命の兄で、日本武尊の東征の際、副将軍として随従した。


成海神社の後にKIさんが連れて行ってくれたのは、緒畑稲荷神社でした。

私は以前に荒熊神社の清水清元様の話に出てきて、行ってみたいと思っていたので、ありがたかったです。


2022/7/24と7/27の記事を抜粋します。


6月7日に清水宮司様からお電話がありました。
最近、何かいろいろ身に起こっていて、それについてわかることがあれば教えて欲しいということでした。
とても気になっているのは、名古屋にある緒畑稲荷神社のところにいた金龍がいなくなってしまったのはなぜか?ということでした。


☆荒熊神社の清水宮司様の話 その2

https://blog.goo.ne.jp/nonahouse/e/5f5e8ea87a5400f510626aabd95e4af0


緒畑稲荷神社の金龍が、オバタの神が話したいと言っていると伝えてきたので、呼んでみました。


オバタの神だ。

何か清水宮司様に伝えることがあるのですか?

緒畑神社のことは、キレイにしてくれて喜んでいる。
ただ、私がいる場所がないのだ。

どうすればいいですか?

戸ーーーーは、作れないだろうから、御簾(みす)の内側に「オバタ大明神」と札に書いて置いてほしい。
それだけでいい。
清水には悪いことをしたと思っている。
知らせたかったのだと、伝えてくれ。

字は、どのように書いたらいいですか?

字は、「小」さいに「俣」だよ。
「小俣」は、伊勢に繋がっているからな。
「小俣大明神」と札に書いて置いてくれればいい。


荒熊神社の清水宮司様の話 その3

https://blog.goo.ne.jp/nonahouse/e/7b64e84b14544a246225eea859f27977


緒畑稲荷神社は、住宅地の山の上にありました。


続きます。


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鳴海八幡宮

2024-05-09 07:30:00 | 日記
熱田神宮を巡った私達は、境内にある「宮きしめん」を食べに行きました。

2016年に行った時とは、「宮きしめん」のお店が全然変わってしまったことに驚きました。
すっかりカフェのようになってしまったからですね。






画像は、お借りしましたが、KIさんが皆様にと、「宮まんじゅう」をお土産にくださいました。
ありがたいことですね。

「宮きしめん」ももちろん美味しくいただきました。

境内を歩いている時に、KIさんが瀬織津姫の話から、鳴海八幡宮の鳥居の外側にある祠の話をしていました。

そこには、瀬織津姫の名前があったのに、消えてしまったということでした。

熱田神宮の後は、「名古屋では最近人気のある大須商店街が楽しいと思います」と、KIさんは計画してくださっていたのですが、「宮きしめん」を食べた後に振り子で聞いてみると、ミクネの神(天之常立之神)に、

ナルミに行け

と言われて、道々話していたのをしっかり聞いていたようですね。

KIさんも驚いていましたが、計画変更で、そこから鳴海八幡宮に向いました。

鳴海と言われても、私は地理的に良くわからなかったのですが、KIさんがお仕事をいつもしているお店の近くだったことが後でわかりました。

まずは、話に出ていた鳴海八幡宮へ連れて行ってくださいました。


鳥居の左側に、KIさんが言っていた小さな祠がありました。



他に人もいなかったので、私が祝詞を挙げました。
今回は、ちゃんと挙げられて良かったです。

境内の真ん中辺りに、ご神木のクスノキがありました。



調べると、室町時代からあるようで、樹齢1000年以上のようですよ。

本殿でご挨拶しました。



隣には、鳴海稲荷神社がありました。



🌟鳴海八幡宮

創建は不明。
貞永元年(1232年)に久野家初代が社職となった記録がある。

境内に聳える大楠は室町時代には既に大木であったと伝えられており、樹齢1000年~1200年と推定され、御神木とされている。

🌟境内社

高良社:建内宿禰命
北野天満社:菅原道真公
秋葉社:軻遇突智命
国造社:大国主神
須佐之男社:須佐之男命
金刀比羅社:大物主神
御鍬社:天照大神、豊受大神
稲荷社:宇迦之御魂大神
香良洲社:稚日女命
祓戸社:瀬織津比咩神、気吹戸主神

かなり沢山の神社が合祀されたのかと思いますね。
祓戸社は最後に記されていますが、祓戸社だから鳥居の外にあるのかと、私は思いました。


KIさんが次に連れて行ってくれたのは、成海神社でした。


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熱田神宮 その2

2024-05-06 07:30:00 | 日記
熱田神宮の本宮の奥にある「こころの小径」は、以前に来た2016年の時にIさんが言っていましたが、ずっと禁足地になっていたとのことでした。

調べてみると、2012年12月に開放された場所ですが、守衛さんのいるところで9時〜16時で閉まるようです。

足を踏み入れると、原生林だからか何とも言えない良い香りがしています。


ご神木もパワーがありましたが、こちらのクスノキも圧倒する感じでした。

清水社では、柄杓で真ん中に水を三回掛けるとご利益があるとのことで、皆様が並んで水を掛けていました。


奥にある摂社が一之御前神社(いちのみさきじんじゃ)です。




熱田神宮の最奥の地にある神社になります。



🌟一之御前神社は、祭神として天照大神荒魂(あまてらすおおかみあらみたま)を祀る。
荒魂とは激しく動的な事象を生み出す神霊をいい、勇猛さ・進取の象徴ともなる。
熱田神宮でこれが祀られる由縁も、伊勢神宮に荒祭宮があることと同義とされる。


私は、何年か前にIさんが伊勢神宮に行った時に、ミクネの神(天之常立之神)が荒祭宮の札を求めるように言っていたことを思い出しました。

私の家の神棚のような場所には、その札があります。



そして、私はとても昔に聞いた話を思い出していました。

2015/6/8の記事を抜粋します。


5月26日


ミクネの神(天之常立之神)

ミクネだ。
私は、嫌いだったスサノオノミコトのことがわかってくれて、ツカが沢山立ったことに感謝している。

なぜ、スサノオノミコト様のことは嫌いなのですか?

かわいくないからだ。

荒魂(あらみたま)のことですか?

そうだ。M子が昨日調べていたことだ。

昨日の「一霊四魂」のことですか?

イラタの神(天之御中主之神)の荒魂(あらみたま)がスサノオノミコトだ。
和魂(にぎみたま)は私だ。
そして、ナセの神(国之常立之神)のはらからはイラサトの神だが、魂ではなくパワーのある気だったのだ。
瀬織津姫は、私から分かれた魂だ。

それでは、ナセの神様はスサノオノミコト様から分かれたのですか?

そうだ。かわいくないところから分かれた魂だ。

私が、以前に聞いていたことと、違うように思いますが。

そうだな。綱が張られたから、教えてもいいということになったのだ。
「愛」が瀬織津姫で「智」がナセの神だな。

ということは、瀬織津姫は古い魂なのですか?

そうだ。セナの神(ニギハヤヒ)が生まれた時にまた生まれたのだ。
何回も繰り返されていたのだな。




🌟一霊四魂(いちれいしこん)とは、心は、天と繋がる一霊「直霊」(なおひ)と4つの魂から成り立つという日本の思想。

一霊四魂のもっとも一般的な解釈は、神や人には和魂(にぎみたま)・荒魂(あらみたま)・奇魂(くしみたま)・幸魂(さきみたま)の四つの魂があり、それら四魂を直霊(なおひ)という一つの霊がコントロールしているというものである。

和魂は調和、荒魂は活動、奇魂は霊感、幸魂は幸福を担うとされる。
荒魂には「勇」、和魂には「親」、幸魂には「愛」、奇魂には「智」というそれぞれの魂の機能があり、それらを、直霊がコントロールしている。
簡単に言えば、勇は、前に進む力、親は、人と親しく交わる力、愛は、人を愛し育てる力、智は、物事を観察し分析し、悟る力である。
これら4つの働きを、直霊がフィードバックし、良心のような働きをする。


🌟直霊(なおひ)

イラタの神(天之御中主之神)


和魂(にぎみたま)
ミクネの神(天之常立之神)


荒魂(あらみたま)
スサノオノミコト


幸魂(さきみたま)
セオリツヒメ(瀬織津姫)


奇魂(くしみたま)
ナセの神(国之常立之神)


☆ 一霊四魂の話



私がなぜ、この記事を思い出したかというと、KIさんが感じた話が瀬織津姫だったからですね。

彼女は、熱田神宮の南門の近くにいるニギハヤヒと最奥にいるセオリツヒメが「会いたい!」と言ったのだと思ったそうですよ。


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熱田神宮

2024-05-03 07:30:00 | 日記
3月6日に荒熊神社に行った私達は、名古屋に泊まり次の日は朝早くから熱田神宮に行くことになりました。

私が熱田神宮に行ったのは、荒熊神社に初めて行った2016年10月1日で、その後一度行き、今回は3回目になる参拝となりました。

荒熊神社でお知り合いになったKIさんが、朝早くから案内して下さりありがたいことでした。

KIさんも、いろいろ感じるタイプの方で、とても不思議な体験をされていました。
 
今回、記事にするので、お電話でその時に聞いた話を改めてお聞きしたのですが、私のブログのニギハヤヒの記事を読んだ時に、大変なグルグルなめまいがしたそうで、その時に、

会いたい!

と言われたらしいです。
一体、誰が誰に会いたいのか?というところからKIさんの調べが始まったのですね。
いろいろ調べている時はめまいが消えるらしいです。

そして、丁度その日に愛知県の小牧市の民家に隕石が落ちたそうですよ。
私は、知りませんでしたが、2018年9月26日のことで、wikipediaにも載っていました。


🌟小牧隕石(こまきいんせき)は2018年9月26日22時30分頃、愛知県小牧市の民家に落下した隕石。
L6普通コンドライト(球粒隕石)である。隕石が建物を直撃および落下直後に発見されたのは、2003年に落下した広島隕石以来15年ぶりとなる。
2019年2月19日から、3月17日まで国立科学博物館で衝突した屋根の一部と共に展示された。
その後は名古屋市科学館において三つに分かれた破片のうち最大の物をえぐれた屋根の一部や割れたカーポートと共に2019年4月6日より常設展示、二番目に大きい破片の寄贈を受けた国立科学博物館で2019年3月21日から常設展示している。


だそうです。
この小牧隕石が関係しているのかはわかりませんが、彼女は調べていて熱田神宮の端と端に、祀られている神様に注目したそうです。



私達は、まずは正門(南門)の鳥居をくぐりました。


そして、入って割と近いところの摂社に向いました。




こちらは、孫若神子(ひこわかみこ)神社で、ご祭神は天火明命(あめのほあかりのみこと)なのですね。

別名は、天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)となり、私の話に良く出てくるニギハヤヒのことのようです。

看板には、尾張氏の始祖とありました。

そこから、すぐ隣に以前にも行ったことのあるお社がありました。




こちらは、南新宮社(みなみしんぐうしゃ)で、ご祭神はスサノオノミコトなのです。

初めて熱田神宮に行った時に、Iさんがここは外せないと言っていて、祝詞も挙げていたのですね。

早い時間で、あまり人もいなかったので、私も一回だけ祝詞を挙げました。

しばらく挙げていなかったので、途中でつっかえてしまったのを、まーさんにバレてしまいましたが。。。

実は、調べてみると織田信長がこのお社を建てたという話もあるようです。
織田信長が1560年に桶狭間の戦いで今川軍を破ったことで奉納した「信長塀」という塀があり、熱田神宮に織田信長の痕跡があるのは面白いですね。



上記の境内図の左の位置関係を拡大してみました。

私達は、その後本宮に向かって行きましたが、いつ見てもパワーいっぱいのご神木を仰ぎました。





天気の良い日で、団体の皆様もずいぶんいらしていました。





本宮で、ご挨拶をして、本宮の後ろ側の「こころの小径」に向いました。

下記は、2016年10月1日に熱田神宮に行った時の記事です。


☆ 熱田神宮の話



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