功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

中国共産党の専横をフェアに、そして確実に抑えるには、金融制裁の実行しかない(2021-05-02 14:07:11)

2021-05-02 15:48:00 | On the Road
▼日本の連休中、アメリカをはじめ世界はまったく連休ではありません。
 とくにインテリジェンスは活発に動いています。
 そのなかで暗号化された電話とEメールだけで仕事をしていて、あらためて痛感するのは、中国共産党の専横をフェアに、そして確実に抑えるには、金融制裁の実行しかないということです。
 これなくしては、ウイグル人へのジェノサイドも止まらない。



 トランプ大統領は史上初めて、そこへ、対中金融制裁へ踏み込みました。しかし道半ばで、バイデン大統領に替わった。
 バイデン大統領は、他に何を表明されようとも、この金融制裁、なかでもドルと人民元の交換という為替の問題には踏み込む気配すらありません。
 一方で、トランプ大統領の残したものが消え去ったわけではありません。活かし方によっては、金融制裁の実効をあげることも依然、絶望ではないのです。

▼先日、アメリカの対日に絞った外交当局の首脳に、このことを問いました。
 すると意外にも、前向きの答えが返ってきました。この首脳に迷惑をかけない範囲内ですが、新動画の次の収録でこれを日本の主権者のために解説する予定です。
 中国の工作機関も当然、この動画を克明に視ていますから、それにもしっかり対応することを心がけつつ、話します。

▼しかし、自由主義の陣営でもっとも対中金融制裁に後ろ向きなのが、ぼくらの日本です。
 EUをはじめ他もかなり腰が引けていますが、日本のだらしなさいことは段違いであると、客観的に判断ざるを得ません。

 ちょうど30年前のクリスマスに、ソ連がなぜ共産党による独裁を放棄せざるを得なかったか。
 今のロシアにも、共産党の一党独裁とは別種の専横主義がありますが、西暦1991年12月の世界史の奇蹟はなぜ起きたか。
 このソ連崩壊のほんとうの要因を見れば、現代型の独裁主義のキモ、最大の弱点は、金融、そして為替だと分かります。

 もはやアメリカ任せにはできません。
 アメリカ内部の志ある人々の奮起を促すためにも、日本が、まさしく生まれ変わるほかありません。
 なぜか。
 これは、中国の独裁主義がまずはアジアを全支配しようとしており、それに対抗できるアジアの民主主義のリーダーは、愛国主義も何も関係なく、公平に、日本以外に全くありません。

 政府も自由民主党も、これまで通りの政治、日本のまつりごとを繰り返していていい時代は終わっています。
 中国共産党の独裁主義がいちばん恐れる金融制裁、そこに日米欧が連帯して踏み込むには、アメリカじゃない、欧州じゃない、まずぼくらの日本が変わらねばなりません。

 中国を敵視するのじゃない。
 ましてや中国のふつうの人々は、ともに同じアジアの空気を吸う人々です。おたがいに善意こそを発揮しよう。

 独裁主義を、にんげんの敵と見定めているのです。
 武漢熱のこの惨劇も、出発点は、独裁主義のもたらす保身と隠蔽でありました。
 人間の自由、尊厳に加えて、命まで奪う独裁主義、そして独裁なら何もかもやり易いという、人間の陥る罠、これらと戦うことにおいては、ぼくらは一致点を見つけられる。

 ぼくはいずれ泥のなかへ斃れる。
 いま初めて、覚悟したことじゃない。
 あとに続くひと、あなたが肝心です。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「鬱屈 ? 」(2021-05-02 04:18:00)

2021-05-02 08:00:00 | On the Road
▼連休に入るまえのことです。
 4月23日金曜の昼過ぎ、2時間と20分を費やした参議院本会議を終え、議員会館の事務所に向かいました。
 本会議は、与野党の全議員が一堂に会するわけですから、それが終わると人の波、議員の波が一斉に、本会議場を出て地下トンネルを目指して進みます。
 議員会館と繋がっている地下トンネルですね。
 このトンネルについては、以前のエントリーで記しました。時間短縮のために、昔からあるトンネルです。地上に出ると、信号につかまったりしますからね。昔と違い、今ではセキュリティの意味もあります。



▼もちろん議員会館に戻らないひとも少なからず居るのですが、それでもトンネルに向かう群れはなかなかのものです。
 ぼくはこの頃、この地下トンネルを使わずに移動する時もあるようにと、意識しています。
 トンネルばかりを使っていると、気がつけばまったく陽射しにあたらない毎日になります。
 日本の国会議事堂は、諸国の議会を尋ねてきた経験からしても、品位のある議事堂だと思います。日本では政治を汚いものとしてみる習慣を多くのひとがオールドメディアや映画、ドラマによってもたらされていますから、そうは見えないという主権者も少なくないでしょう。
 その感覚、よく分かります。ぼく自身が今も、複雑なきもちで見ています。国会に出るまえと変わりません。
 ただ、東京大空襲にも生き残った建物です。日本は敗戦によってアメリカに民主主義を教えてもらったのではなくて、日本らしい民主主義をみずから模索し続けてきたことを象徴する建物でもあると考えています。
 一方で、古い構造ですから、ほとんど中に陽が差しません。

 そこで、なるべくトンネルを使わずに、いったん議事堂から出て、外をふつうに歩いて議員会館に戻るようにしています。
 地上を行くと、確かに信号につかまる時も少なくないです。意外でしょうが、1分を争うような状況の時も少なくないので、その時間ロスは馬鹿にはなりません。
 しかし何事も、その世界で「ふつうのこと」に慣れ過ぎてしまうと、まともな感覚を喪うという、不肖ぼくなりの考えもあって、外へ出ます。
 セキュリティについては、国会と国会に隣接する総理官邸の周辺は日本でもっとも警官の配置が多いところであり、不肖ぼくの危機管理をめぐる体験もいささの役割は果たします。ただ、十二分に注意しています。それと、警官のかたがたにいつもこゝろからの感謝の言葉を述べるようにしています。

▼さて、4月23日金曜もこのようにして、議事堂から外の舗道へ出る通路をひとり、歩いていると、ポンと肩を叩かれました。
 横を見ると、なんとわが盟友、山田宏・護る会幹事長です。
 この通路ではいつも、ほぼひとりなので、すこし意外でした。
 山田幹事長も、ぼくが居るとは思わなかったようで、「あれ ?」という感じで、笑いながら「どうしたんですか」と何気なく聞かれました。

 そのとき、問いとは関係のないことを思わず、言ってしまいました。
「いや、鬱屈していて」

「鬱屈 ? 」と山田幹事長はかなり驚いた様子です。
 ぼくは胸の中で『あ、昼間のぼくからは鬱屈しているとは、とても見えないだろうな』と思いました。
 いつも夜中に鬱屈に沈みます。そのときも外見からは分からないでしょう。何も言いませんから。

 山田宏幹事長は、快活な人柄です。
 ぼくは余計なことを言ったとすこし申し訳なく思いつつ、相手は護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 / JDI ) の幹事長ですから、そのときの鬱屈の直接原因を言いました。
「今の国会答弁、何も答えていませんね」
 山田さんは頷きます。
「国会だけではなく、記者会見でもそうです」
 さらに頷きます。
「これで日本のまつりごと ( 政 ) と言えるでしょうか」

 山田さんは、実は議員会館の1階でお客さんが待っているから地上の通路を使っていたようで、ぼくの問いに同意しながら、そのお客さんの方へ向かって行かれました。
 ぼくも議員会館の1階に入り、そこから階段室へ向かいました。ここも誰もいません。

▼階段を一歩づつ登りながら、あらためて考えました。
 直前まで行われていた参議院の本会議では、与野党の議員の質問に総理や担当閣僚が答弁します。
 しかしそれは、議員に応えるだけではなく、すべての国民、主権者に答えるのと同じです。
 質問をかわすような答弁で、ほんらいのまつりごとと言えるでしょうか。

 記者会見もまったく同じです。
 記者の質問に答えつつ、主権者に答えるのがほんらいの任務です。
 記者の質問をかわしても、主権者の疑問をかわすことはできません。
 衆議院議員選挙と参議院議員選挙で、主権者の方から必ず答えを出されるでしょう。

▼日本の古代の仁徳天皇は、国会答弁も記者会見もありませんでした。
 しかし税を取るのをおやめになることで、民を救われるだけではなく、民へ直に語りかけられたのです。天皇陛下のお暮らしよりさらに、庶民の生活こそが大切であるという根本メッセージを発せられたのです。

 現代の日本のまつりごとはどうか。
 安倍政権の時代になされ、菅政権時代になお、維持されている消費増税にしても、このまつりごとと真逆です。
 古代とは経済の状況も、国家運営の状況も、まるで違う。そりゃ当たり前です。
 しかし少なくとも国民と語らずして、何の民主主義でしょうか。
 中国共産党の無法と対峙するには、その独裁主義とは正反対の民主主義が必要です。民主主義政治において、国民の疑問をかわしていいはずはありません。
 本会議と委員会の答弁、そして記者会見において、なぜ、真っ向から答えないのでしょうか。
 自分を守るのなら、国会議員などやらない方がいいです。

▼ただし、国会の本会議や委員会で、野党の問いをつぶさに聴いて5年、野党の質問ぶりが主権者の多くの問いかけを表しているとは考えていません。
 そこで、おのれの与党質問が、政界の常識のいわゆる「与党質問」と同じにならないよう、おのれを鞭打って、問うべきを問うよう努力しています。
 深更にどうしても、胸中に噴き出してくる鬱屈を、早朝の熱いお湯と冷水でいったん吹き飛ばして、議事堂へ出ていきます。
 それでも、ひとりの人間にできることは限られています。
 だからこその護る会の創建です。
 味方を少しづつでも増やさないと、主権者のために、何もできません。
 人の世では、敵は簡単に増え、味方はおいそれとは増えません。みなさんも日々、体験されていることと同じですね、きっと。
 夜中、耐えて耐えて、朝方に元気をつくる。そして昼間、なにがしかの貢献を目指して動き、また夜を迎える。
 力果てるまで、その繰り返しにこそ、耐えるほかないのでしょう。

 最期には、報われない死だけが待っていると考えています。
 それはまさか、みなさんの問題ではありません。安心してください。
 この道を勝手に選んだ、ぼくだけの問題です。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「きついトレーニングも歯磨きだと思えば楽にできます」(2021-05-02 04:06:35)

2021-05-02 04:30:00 | On the Road
▼連休中の余談です。
 みなさんは、苦しい仕事や、困難な義務があるとき、どうされていますか ?



▼これは、ぼくのように意志が弱い人にしか参考にならないかも知れないヒントです。
 不肖ぼくは、気は強いです。子供の頃からです。
 しかし一方で、意思は弱いです。歯磨きも一大決心で、やります。こないだ、マラソンの高橋尚子さんが「きついトレーニングも歯磨きだと思えば楽にできます」という趣旨を仰っているのをふと耳にして、あぁなるほど、意志が強いんだなぁと思いました。

▼苦しくてもコツコツやるしかない仕事に直面したとき、たとえば、昨日にようやく終わった仕事、ひとさまの書かれた解説文をやむを得ず改訂していくような作業のときは、この性格を克服しつつやらないと、できないです。
 そのとき、半分までが、いちばん苦しい登り坂だといつも感じます。
 逆に、半分を過ぎると、実際にはまだ半分が残っているにもかかわらず、どんどん進むようになります。

 これは仕事だけではなく、単調な筋力トレーニングのときや、あるいは長い階段を鍛錬だと思って上がるときも、同じです。
 とにかく半分を過ぎると、調子が上がって、完遂できる。

▼これはぼくの個人的な感覚なのか、それとも誰にも普遍的なことなのか、わかりません。
 だから果たしてみなさんのヒントに、なるのかならないのかも正直、わかりません。
 ただ、最後までを考えるより、半分までを考えて取り組む方が、それは楽です。
 何かの足しになるでしょうか ? ならないかな ?




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

去年の7月27日に新動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」を始めました。(2021-05-02 02:55:23)

2021-05-02 03:54:00 | On the Road
・・・しかし、連休中は秘書さんがお休みです。
 それは独立総合研究所の社長時代と同じです。非常事態が起きない限りは、みんな、暦通りに休んでほしいのです。
 収録の再開は、5日に連休が終わって以降となります。



 去年の7月27日に新動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」を始めました。
 発信すべきテーマをみずから選んで発信できる自由な動画を始めることは、かつて独立総合研究所でチャレンジしましたが、維持できませんでした。
 それを一新して、今度は維持できるようにすることは長年の検討課題でしたが、環境を整えることができないでいました。
 去年の夏に万全を期して、かつ最初から大いに飛ばして開始、ここまでどうにか収録時間を確保して、150本近くの動画となりました。
 ただ、それでも表題にあるように、積み残しがどんどん増えていきます。

 連休が終われば再び、主権者のみなさんと一緒に考えるべきことを、ひとつづつ考えていきます。
 みなさんにとっても動画をご覧になるのは、たいへんだと思います。
 時間は誰にとっても限られた時間しかないですから。
 連休明けまでのあいだは、もしも必要なかたは、これまでの蓄積を活用していただければと思います。
 動画はすべてここにあります。
 思いがけず沢山のひとに、関心と志をもって視ていただき、感謝しています。
 ぼくらは依然、日本社会の現実において、ごく少数派です。多数派であればとっくに憲法9条も改正されているはずですから。
 ぼく自身、それをありのままに、謙虚に自覚し、しかしこれまで通りに淡々と、おのれを捨てて歩いていきます。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする