功山寺決起

第157回 独立講演会@神戸に当選しました。㊗️

もはや遠慮なく申します  ぼくは戦っています  あなたさまの方法で支援してください (2021-05-30 15:57:22)

2021-05-30 18:34:06 | On the Road
 いちにちの例外もなく、天と英霊に恥じぬよう、戦っています。

 おのれの功績を見せることが目的ではなく、ほんらいの目的、すなわち国益と国民益に献身することを貫いています。
 見えずに動くことが成果を生むときには、水面下に徹します。
 その水面下の動きには、たった今、どんなものがあるか。

 たとえば、小室家の問題でこれまでに無い危機が生じている皇室について、絶対の水面下で、できることを行っています。
 たとえば、直近の問題法案について戦い、成果はすでにありました。
 たとえば、意義ある請願について、戦っています。野党との関連、国会の慣習、それらとの戦いでもありますから非常に困難ですが、動いています。
 たとえば、武漢熱に抗するワクチンについて、mRNAワクチンの接種が進展し、ある種の集団免疫が生じて感染症が抑えられていくことと、ワクチンを打てないひと、ワクチンを打ちたくないひとの「打たない権利」を守ることの両立を図っています。

 肉弾戦、空中戦、さまざまにあります。単なる比喩ではありませぬ。地を這う根性と、発想をぱあんと転換もさせる、ささやかな智力が必要です。
 成果を挙げるためにこそ、途中経過を見せられないことは、数多くあります。
 匍匐 ( ほふく ) 前進をしているその背中に、味方から「せめて匍匐前進をしなさい」という声がかかることも多く、泥のなかに思わず顔を付けてしまう気持ちになりつつ、それでも止まりはせず、身体は前へ進めています。

 政治資金には正直、いつも困っています。すべて自力で稼いでも稼いでも、注ぎ込んでも、足りません。海外出張がやがて復活すれば、それも自費が多いために、もっと苦しみます。
 しかし献金集めと、政治資金集めのパーティは、法が「国会議員はそれをやって良し」と保証していても、一切やりません。
 したがって、どんなに尊い気持ちをお持ちでも、おカネ、パーティ券では、支援していただけません。
 ぼくへの支援とは、おカネやパーティ券ではなく、発信の機会の確保や、発信の継続です。
 そのためには下掲のようなことがあります。
 もしもこのなかでひとつでも、『これならやれる』ということがありましたら、どうぞそれを、伏してお願いします。




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「少年の頃、パンチDEデートという番組が好きだったので、出ます」(2021-05-30 07:46:38)

2021-05-30 16:33:04 | On the Road
▼この不肖のぼくが、初めてテレビ局から「番組に出てくれませんか」と連絡があったとき、何かコネがあったでしょうか。
 なにもありません。


 たとえば関西テレビの「スーパーニュース・アンカー」に参加するときの、きっかけは何だったか。
 共同通信政治部の記者時代に、旧・民社党を取材していたとき信頼関係を築いた党本部のひとから、「ある真面目な男が総選挙に出るから、その男の出馬表明の会でミニ講演をしてくれませんか」と突然、電話がありました。
 ぼくが記者を辞めて、三菱総合研究所の研究員だった当時です。

 そのミニ講演が終わると、会場の左右から、ふたりの男性が近づいてきました。ひとりが読売テレビ、ひとりが関西テレビの名刺をお持ちでした。
 ふたりは同じようなことを仰いました。「今の講演で興味を持ったので、うちの番組に出てくれませんか」
 ぼくは読売テレビのひとに「巨人ファンじゃないので、ごめんなさい」と頭を下げ。関西テレビのひとに「少年の頃、パンチDEデートという番組が好きだったので、出ます」と応えました。
 これが最初です。

 ではテレビ朝日の「TVタックル」はどうでしょうか。
 ぼくが記者を辞めてから初めて名前を出して出版した本、「 ( お笑い ) 日本の防衛戦略」を読んだプロデューサーが電話をしてこられたのです。
( お笑い、というのは対論相手のテリー伊藤さんの、当時のキャッチフレーズでした。しかし話し合いの結果、この「お笑い」にバツ印を付けて表紙にしました。だから今、このブログでも、カッコ付きにしたのです )

▼それではそもそも、共同通信の記者にはどうやって、なったのでしょうか。
 ふつうに筆記試験を受け、そこから面接に進み、当時の共同通信の入社試験には「取材実技」というものもあり、それらを通過して、役員面接で、当時の有名な編集局長と激しい論争になり、社長面接でも言い合いになり、つまりは自分の考え通りにしていただけです。
 策もなにもありませぬ。正面から、入社試験を受けただけです。
 倍率は400倍でしたが、特にそれをどうこうとも考えていませんでした。人生は天が決めるのです。
 意外にも、入社となりました。

▼では、ペルー事件を契機に記者を辞めて三菱総研に入るときに、何かコネがあったでしょうか。
 まったく何もありません。
 共同通信の記者になるときと同じく、役員面接などの場で、言うべきだと考えることを、ありのままに申しました。
 当時の三菱総研は、途中入社は20歳代までが原則で、45歳だったぼくを採用することには非常に大きい抵抗もあったそうですが、記者時代の実績を調べ尽くしたそうです。
 記者時代は、なにか特別なコネがあって、取材活動をしていたのでしょうか。いいえ。そんなものがあるはずもありませんね。
 前述の旧・民社党の事務方のひとに対してと同じく、淡々と信頼関係を築くようにしていただけです。

▼そして三菱総研を経て、独立総合研究所を創建しました。
 何か資金とか、コネとか、見通しとかあったでしょうか。
 いいえ、何もありませぬ。
 みなさんと同じく、すなわち、ぼくの本を読んでくれたり、東京コンフィデンシャル・レポート(TCR)の会員になってくれたりされるみなさんと同じく、日本を良くしたいという志があっただけです。

▼最後に、独立総合研究所の経営がようやく軌道に乗り始めたときに、決して出たくなかった選挙にやむを得ず出たとき、何か強力な支援や資金があったでしょうか。
 実際に目撃されたかたもいらっしゃるように、公示の直前に立候補を表明して、ただ遊説しただけです。
 支援は、団体であれ、安倍さんであれ、すべて一切、お断りしました。
 あったのは、週刊誌やある野党、自称ジャーナリストをはじめ、妨害だけです。
 そして、全くと言っていいほどお金のかからない選挙を、ふつうに実践しました。

 テレビ番組への参加で、いくらか名前をご存じの有権者がいらっしゃった。
 それはあります。いくぶんかは影響したでしょう。
 だから、このエントリーを『テレビ番組への参加のきっかけは何だったか』で始めました。
 番組への参加に、コネも何もありませんね。

「たいへんに影響」とは書かずに、「いくぶんかは影響」と記したのには理由があります。
 公示の数日前という突然の出馬表明で、ほとんどの関係者、あるいは現職の国会議員や地方議員のかたがたが「間に合うはずもない」と考え、「せっかく党本部から、支持団体を付けると言われたのに、それも断ったのでは、低位で落選だ」と確信していたそうです。
 それでなぜ、48万票を超えたか。
 複数の大組織が、その理由を調べました。

 調査結果について、全部ではありませんが、いくらかは聞いています。投票したひとの多くが、これまで政治が嫌いで投票には行かなかったひとや、「自民党」が嫌いなひとだったそうです。
 出口調査と追跡調査で明らかになっていることですから、そう外れてはいないでしょう。
 これは何を意味するか。

 テレビでの知名度よりも、演説のその中身を、遊説の現場やネット上で我がこととして真剣に聴いてくれた有権者が非常に多かったことが、得票の理由だと、客観的に申せると考えます。
 そもそも、ぼくのテレビ番組への参加など、関西ローカルと、TVタックルと、稀に朝生とか、たまに朝の番組ぐらいですから、さしたる知名度もありませんでした。
 謙遜ではないです。
 事実、関西での得票は意外に多くなかったのです。
 いちばん多かったのは、遊説の回数が多かった東京です。時間もおカネも無いので、遊説と言っても東京と大阪がほとんど。福岡と名古屋にわずか一瞬のように行けたぐらいで、北海道、東北、北陸、中国、四国、南九州、沖縄はまったく空白でした。日本の大半ですね。

 ぼく自身が確信しているのは、ぼくが出たとこ勝負で遊説している演説を、まったく知らないひとが何人か、カットしないでSNSに上げてくれたこと、その影響です。
 こちらを向いている幾つかのちいさなカメラ、つまりプロ用ではないカメラを良く覚えています。
 ありがとうございました。
 数人のあなた方がいなければ、少なくとも、48万票を超えることは決して無かったでしょう。

▼では現在です。
 どこかの団体の支援を受けているでしょうか。皆無です。
 1円でも、1億円でも、100億円でも変わらず、献金は一切、受けません。
 護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 ) の代表を務めるにあたって、自由民主党の規制派閥のようなおカネを動かしているでしょうか。いいえ、まったくおカネを使っていません。

 社会人になってからの歩みのすべてを通じて、コネ無し、カネ無し、特権は何も無しです。
 おおくのみなさんと同じです。

▼毎夜、毎朝、毎日、「こうしろ」、「これをやれ」、「これが足りない」という要求が届きます。
 このブログに頂くコメントの、確実に8割以上が、要求です。
 不肖ぼくが何をしていても、同じです。ご自分の要求だけがすべてというコメントが日々、どんどん届きます。積み上がります。
 これは国会議員の宿命であり、諸国どこでも同じだと考えます。

 ただし、名前や文体を変えて「何ひとつ実現していない。おまえは1期だけだと、選挙中に公約した。1期で辞めろ。したがってこのままでは何ひとつできずに終わるんだ」という書き込みが執拗に来るのは、別の話です。
 変えたおつもりでしょうが、バレバレです。特定のかただというのが、明瞭に分かります。
 つまりは、ぼくが国会議員で居てもらっては困る、続けてもらっては困るという意図が、これほど分かりやすいものはなかなか無いほど、良く分かります。
 情報当局者の内偵によれば、外国から潤沢な資金援助、高額なカネを受け取っている例もあるそうです。
 こういう工作は、逆に、大事な情報源ですね。教えてくれるものが多いです。

▼話を元に戻しましょう。
 このブログのエントリーはすべて、長短も関係なく、不肖ぼくにとっては魂の吐露です。
 おいしいコネ無し、楽に手にできるカネ無し、そして特権無しということにおいて、ぼくはあなたと微塵も変わりません。
 これまでの歳月がそれをありのままに証明しています。

 ぼくに要求されるのも良し。
 同時に、あなたこそが、できるのです。




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「わたしは灰猫」のふたり(2021-05-30 06:22:59)

2021-05-30 16:25:11 | On the Road
 若葉の五月も、去ろうとしています。
 苦しみのなかに去ろうとしています。

「わたしは灰猫」のふたりは、この月に生まれ、遙かな距離と、遠い時間を超えて、出逢いました。

 新動画の「青山繁晴チャンネル☆ぼくらの国会」の視聴者のなかに、ふたりの誕生日を覚えてくださっているひとが居て、読後の感想を番組に送ってくださいました。
 収録のとき、三浦麻未公設第一秘書が打ち合わせなしにそれを読んでくれたとき、ぼくは感激したのでした。
 収録で表現したより、こころのうちはもっと、うれしかったのです。



 18年以上も掛けて書いて、ほとんど読まれないと思っていましたが、読み手はなかなか消えず、じりじりと読まれている感があります。
 たとえばここから、それがすこしだけ伺えます。
 18年4か月の日々が報われないことには変わりなくて、ぼくはそれでいいと、達観しています。
 しかし、あのふたりのことを忘れないひとが、この日本に何人かはいらっしゃるのかと思い、それには救われます。幾分かは、救われます。




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わずか76年まえ、ぼくらとまったく同じふつうの日本人でした。(2021-05-30 04:17:36)

2021-05-30 05:13:53 | On the Road
 何度、書こうとしても、どうしても、書けません。

 収録を、視ることもできない。

 このかたがたは、わずか76年まえ、ぼくらとまったく同じふつうの日本人でした。
 それが、まだ見ぬ、会うこともできない、将来のわたしたちのために、ただひとつの命を捧げてくださいました。




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