功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

デビー・ブーンの ” You Light Up My Life ”(2021-11-21 22:01:49)

2021-11-21 22:47:19 | On the Road
▼10月の総選挙の遊説中、ぼくは首の激烈な痛みと、声が潰れて戻らないことが、実はなかなかたいへんでした。
 また、少なくない候補者と、苦戦をそのまま共有していました。

 後半戦あたりから、身体のなかで、あるポップスの一曲がちいさな音ながら、聞こえるようになりました。
 MCを務めていた音楽番組が終わって、早くも何か月も経ちます。こんなことは久しぶりでした。
 なんの曲だと思われますか?



▼その曲は、デビー・ブーンの ” You Light Up My Life ”です。
 これはもちろんラブ・ソングとして聴くこともできます。
 しかし総選挙のときは、そういう感じで聞こえていたのではありません。

▼この曲の詩をそのまま紹介すると、それがぼくの和訳であっても、著作権のことが気になります。
 古い曲です。だから著作権のことも、あらためて調べないと良く分かりませんが、とりあえず詩を引用することはしません。
 ただ、タイトルを直訳すると、「あなたは私の人生を照らしてくれる」ですね。
 デビー・ブーンは、その言葉を、曲のサビで気持ちを込めて歌い上げています。
 このYouを、ふつうに「あなた」と訳せば、ラブ・ソングです。
 しかし、もっと広い意味、あるいは高い存在と考えると、誰の人生にも、照らしてくれる光があるとも、聞こえる歌ではないでしょうか。

▼総選挙のさなか、さまざまな痛みと不安がぼくに伝わってきました。
 候補者とそれを支える人々の苦しさでもありましたが、なにより、遊説を聴きに集まってくださったみなさんの、不安、期待、そして痛みだったのです。
 政治家に裏切られ続けてきたための痛みではないかと、思っていました。
 そして総選挙後に、岸田内閣に落胆しているおおくの人の声をこのブログを通じて聞くにつれ、この歌がもう一度、聞こえるのです。

 綺麗ごとを言おうとしているのでは、ありません。
 利害を超えた連帯のあるところ、光は消えずにある、そう考えています。
 そして、裏切らない光もあると、この荘厳なクラシックでもないポップスの一曲を聴くと、感じるのです。





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岸田政権の現状を見て、こゝろの荒んだ書き込み、祖国への健全な志を持つからこそ荒まずにはいられない書き込みが爆発的に増えているので(2021-11-21 14:48:56)

2021-11-21 17:15:33 | On the Road
 おのれだけは安全なところに秘かに匿 ( かくま ) っておいて、誰かを批判したり、世を変えると称したりは、しない。
 自分の保身のための聖域を造らない。
 これを魂の底に据えて、世の中を良くする仕事をしたいという子どもの頃からの願いへ、歩いて行く。

 その志を、ふたつまえのエントリーに記したのです。

 それを「上から目線」と言ってこられたひとがいます。
 しかも、ふだんぼくの発信に良き関心があるひとです。
 大学に行けない同世代のひとのことを考えるのは、上から目線に感じるそうです。ご自分は恵まれた家庭に育ったことを感謝して大学に行った・・・とのことらしいです。

 そうですか。
 ぼくが両親に感謝していなかったと思いますか ?

 あるいは、大学に行かなかったひとのことを、ぼくが上から見ていると思いますか ?
 国会議員にも大学へ行かなかった議員はいらっしゃいます。そのなかに、信頼している野党議員も居ます。先日も、与野党の垣根を越えて、焼き鳥を食べ、よい話し合いをしました。



 岸田政権の現状を見て、こゝろの荒んだ書き込み、祖国への健全な志を持つからこそ荒まずにはいられない書き込みが爆発的に増えているので、あえて、時間を費やして、こゝろのことを記しました。
 こうしたことは、読む意思を持って書籍を手にしてくれるひとのために、本にだけ書くべきかも知れませんね。
 無償、無条件で誰でもアクセスできるブログに書くことには、どんな限界があるか、すこし考えます。

 書き込みをされたおひとりのことを申しているのではありません。
 おひとりの書き込みは氷山の一角、良くも悪くも時代の精神の表れであることも、あり得る。いつも淡々と、そう考えています。

「上から目線」とは、謙虚な良き戒めとなるときもありますが、時代の常套句のひとつでもあります。
 常套句でものを考えるのは、リスクがあるということを、ぼく自身も含めて知っていたいと思います。




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「何やってんねん。早く作家になれ」(2021-11-21 11:24:08)

2021-11-21 13:21:36 | On the Road
 お~い、ウエムラ。
 自由になったお前は、こんな空の上もふつうに眺めているのか。
 これは俺の出張中に見た空だよ。武漢熱のさなか、ルールと制限を守って乗った機中からの光景だ。植村昌樹なら、どんな絵にしたかな。



ひとつ前のエントリーで、「誰にもひとことも言わなかった」と記しました。
 その通り、今でも親友の、良心的な弁護士となった菊井豊くんとか、日本中から患者のやって来る歯科医となった河田克之くんとかには何も言わなかった。

▼しかし、天才画家だった植村昌樹くんには、彼の自宅で、高校3年生のときに「こころのなかでコペルニクス的転回が起きた」と話したことがあります。
 植村くんは、ふんと、鼻でわらっただけでした。
 ぼくも、それ以上なにも話しませんでした。

 彼は、その後、東京藝術大学の油絵科に、40数年ぶりという現役での合格を果たしました。
 しかも、藝大の合格に必須とも言われる、藝大教授陣とのコネ、いや教えてもらうことを含めたご縁は一切無く、いきなり合格したのです。
 ところが入学してから、絵をめぐる藝大の教育方針は間違っていると真っ向、逆らい、週刊誌のグラビアを破って絵に貼り付けたりする実験も行っていました。

 藝大に近い上野の下宿に遊びに行くと、壁は、手を当てると隣の部屋へとベコンと凹むベニヤ板でした。
 生家は、自宅にエレベーターのある素封家だったのに、清潔な男は、こんな下宿に平然と住んでいました。
 そこには、入試のときに描いた自画像の油絵が置いてあり、その出来に、18歳のぼくは息を呑みました。
 今でも、忘れられません。
 画法は伝統的だったのです。しかし、18歳の内面を抉り出して余すところなく、そのまま歴史に残っていい絵だとすら思いました。

 植村は、天才であるがゆえに、この伝統技法で描いたみずからの絵を超えようと、藝大の名声に甘え漬かること無く、懸命に苦闘していたのでしょう。

▼植村は、ぼくが記者になってから「何やってんねん。早く作家になれ」と不満をぶつけてきながら、記者としての赴任地にはるばる訪ねてきてくれたりしました。
 しかしぼくは、上述の抽象的で何も分かるはずのないひとこと以外に、この植村にも、「ぼくらは自分自身を安全圏に置いて、世になにかを言っているのではないか」といったことは、なにも言いませんでした。
 大学へ行きたくて行けなかったひとからすれば、この植村も、恵まれた環境に見えたでしょう。
 よけいなことで、純な植村をまさか、苦しめる気はさらさらなかったのです。

▼そして、植村もぼくらもまだごく若かったとき、菊井弁護士から、当時、ぼくのいた三菱総合研究所に「おい、植村が死んだぞ」と電話がありました。

 その電話では、死因については何も語られず、葬儀に参列してから、自決であることを耳打ちされました。
 同級生で、葬儀の最後の最後まで残ったのは、菊井とぼくのふたりでした。
 植村の額に、傷がはっきりと見えました。どんな傷かは申しませぬ。

 植村昌樹、この男はぼくらすべての友だちのなかで、永遠に若く生きています。


※ 冒頭の菊井、河田両氏は、もちろん植村の友だちでもあります。

▽菊井くんは、彼の弁護士事務所の会報に最近、ぼくと息子さんの弁護士との長い対談が掲載されました。「菊井法律事務所」にもしも問い合わせていただくと分けてくれるでしょう。事務所のかっこいいサイトはここです。

▽河田君は、ぼくとの共著もあります。「青山繁晴、反逆の名医と『日本の歯』を問う ~歯みがきしても歯を失う! ~ 」です。
 ワニプラスの発刊で、たとえばここです。




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「君ね、こんな時間から受けても、どうせ駄目だよ」(2021-11-21 05:50:55)【速報版】

2021-11-21 11:35:28 | On the Road
▼11月もあっという間に、あと10日もせずに去っていこうとしています。
 毎年、11月はぼく個人にとって、厳粛な月です。



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